日本語と英語、言語と非言語
行き来して見えた
コミュニケーションの可能性

グローバル・コミュニケーション学群
学群長

池田智子 教授


学生時代から「日本語と英語の間」を橋渡しすることに関心を抱いていた池田智子教授は、日本語教育のフィールドからキャリアをスタートさせました。大学院ではコミュニケーションの研究に打ち込み、自らも留学先で異文化に揉まれることに。学群長を務めるグローバル・コミュニケーション学群では、「多文化共生」の真の実現を目標に掲げます(聞き手:桜美林大学 畑山浩昭学長)。

アメリカ文化・社会やカウンターカルチャーに
関心を持った学生時代

畑山:池田先生はグローバル・コミュニケーション(GC)学群の学群長を務めておられます。GCは、2023年度から新カリキュラムがスタートしますね。その特徴は、どんな点ですか。
 
池田:大きな柱が三つあります。まず、徹底した語学力強化プログラム。英語、中国語、日本語の言語トラックのいずれかで集中的に学んでいきます。次に、三つの専修(「パブリック・リレーションズ専修」「言語探究専修」「文化共創専修」)から一つを選び、グローバル社会で役立つ知識・スキルを身につけます。外国語の力を伸ばしながら、それを使って何をするかを考える力を養うのが狙いです。最後の柱は、学内と留学先の両方で経験できる国際交流や異文化体験。原則、全員が1学期間の留学をしますし、社会で活躍する将来像が描けるよう、資格取得やキャリアに繋がる学びの場も用意しています。
 
畑山:グローバルな視野を得られ、飛躍できそうです。池田先生ご自身、東京外国語大学で英米語学科を卒業されましたが、英語になぜ興味を?
 
池田:今の若者と似ていると思いますが、きっかけは音楽です。「英語の歌詞をわかりたいな」と思い、そこから見えてくる文化に関心を抱きました。1970年代前半、いわゆる洋楽に最初に目覚めたのがカーリー・サイモンの「You're So Vain」。後で「ああ、このバックで歌っている変な声、ミック・ジャガーなのか」って(笑)。……音楽好きの畑山先生と話をすると長くなりそうです。
 
学生の頃は「日本語と英語の間」を行き来することに興味があったので、大学では翻訳ゼミにも参加しました。ただ、それ以外の大半はワンダーフォーゲル部の活動に費やしましたね。奥利根の藪をかき分けて歩く「藪漕ぎ」といった渋い山行から、北アルプスなどメジャーなところまで。ワンダーフォーゲルはドイツの若者が、近代化する社会に対して自然回帰を唱えて始めた運動ですが、私自身も中学高校の頃から、いわゆる「カウンターカルチャー」に惹かれました。60年代の学生運動などについても調べていましたね。
 
畑山:先生とはほぼ同世代なので、よくわかります。僕らが高校、大学生の頃は、日本は高度成長期を経た安定成長期でした。良い時代を過ごしていると、学生は逆にパンク音楽に走ったり、悲劇に共鳴したりする。ひるがえって、苦しい時代においては、楽しい言説が流行るもの。先生はそれから卒業後に企業で勤めた後、日本語教師になられたそうですね。
 

「これだ!」と、
日本語教師の研修生に

職業人生の原点である新米日本語教師の頃。渋谷の日本語学校で教えていた学生たち(タイ、韓国出身)と、清水みなと祭りに参加(1985年)

池田:学生時代は字幕翻訳家になりたいと思って、翻訳学校に通ったり、映画館で洋画を観ながらメモを取ったりする生活を送っていました。でも、一度は組織で働く経験も必要と思い、就職したのですが……。企業で働くということがとても苦痛で、半年で辞めてしまったんです。
 
それからアルバイト生活をしていたある日、書店で女性誌を立ち読みしていたんですね。すると巻末の情報欄で、日本語教育学会というところが日本語教師の研修生を募集しているのを見つけました。その時、「これぞ私の天職」と思ったんです。先述のとおり、「日本語と英語の間」を行き来するのが本当に好きでしたし、人とコミュニケーションをとるのも好きでしたし、この仕事に就くと外国に行けるのではないかと思ったのです。翌年から日本語学校に就職して、留学生のビザなど受け入れ事務の仕事をやりながら、研修を受けることになりました。

テキサス大学オースティン校の学生会館にあるシンガーソングライターの殿堂、Cactus Cafeで(2006年)。授業や論文執筆の合間に多くの時間を過ごした、キャンパスで最も思い出深い場所

畑山:日本語学校にはどれぐらい勤めたのですか。
 
池田:事務職・専任講師として4年間です。その後、大学院での学びと留学を経験したくて、北米大学教育交流委員会(当時)のプロジェクトの第一期生に応募しました。米国またはカナダに派遣され、大学院で勉強をしながらその大学で日本語を教える制度で、奨学金が保証されていました。
 
畑山:ちょうどアメリカの大学では、日本語が大ブームだった頃ですね。日本語クラスがたくさんできて、講師が足りなかった。
 
池田:すごく良いタイミングでした。1988年のことです。参加者が北米の各地に派遣される前に、まずジョージア州で数ヶ月の研修があったのですが、そこが私にとって初めてのアメリカで、いきなり「ディープ・サウス」と呼ばれる南部というのは、ものすごくインパクトがありました。母音を長く発音する独特の英語も初めは慣れませんでしたし、熱心なキリスト教徒が多い地域で、日曜日になると着飾った人たちが教会に集まっている様子が印象的でした。結局、提携大学のリストの中から、私はテキサスに決まりました。「テキサス」といえば、当時はカウボーイや砂漠のイメージしかなくて、内心、気が進まなかったのですが、今にして思えば、文化的に多様なところでじつに良かった。
 
畑山:それにしても、勉強しながら教えるのは、たいへんだったでしょう。
 
池田:修士課程では「スピーチ・コミュニケーション」という分野に進み、レトリックはプラトン、アリストテレス、キケロなどから始めました。既に日本語教育の世界に入って4年経っていましたので、教えることは楽しかったです。学生たちの授業への姿勢が、日本で教えていた頃とこんなに違うのかと驚きました。テキサスの学生はガンガン教師に要求してくるんです。
 
その後、帰国し、1991年、母校・東京外国語大学の附属日本語学校で、これから学部に入る国費留学生の進学前教育を担いました。アジア、ヨーロッパ、アフリカ、中南米、オセアニアなどの実に色々な国から学生が来ており、8年ほど続けましたが、博士課程に進むため退職し、再びテキサスへ。今度は、テキサス大学オースティン校に行きました。
 
畑山:博士課程では、どんな研究を。
 
池田:修士の時に「非言語コミュニケーション」を主に研究していましたので、そこから発展させて、現代社会学の一つの潮流である「エスノメソドロジー(ethnomethodology)」の系譜を汲んだ、「会話分析」やマイクロ・エスノグラフィのアプローチで相互行為分析を行いました。エスノメソドロジーというのは、生活する人々の日常の行いと、常識的な諸活動に注目し、その「自明性」を解明する学問です。
 
博士論文では、日本語の母語話者と非母語話者が、言語以外のリソースで、どのようにコミュニケーションをとるのかを研究しました。言語と非言語を、まったく異なる二極のものとして捉えるのではなく、一つに捉えて分析する、マルチモダリティという考え方です。そういう手法から、非母語の日本語話者が、どのようにやりとりに参加していくかを、いろんな角度から見ました。日本人の、あるいは◯◯人のコミュニケーションスタイルは……というようなことではなく、今まさに、この場で何が起こっているかを見て、解き明かす。かなり学際的です。

自律学習の実践との出会いと
多文化共生への思い

畑山:じつに面白いですね。そして博士号を取られてから帰国し、桜美林大学に。今、研究としては、どんなところに重きを置いていますか。
 
池田:言語教育や国際共修とシティズンシップに一番関心があります。日本語教育学に関しては、桜美林大学が実践している自律学習、学習者オートノミー(autonomy)との出会いが、大きなものでした。学習者自身が決定権を持ち、学習をコントロールするというもので、日本語プログラムにおける実践としては桜美林が第一人者なんですよね。その考え方に基づき、学習者一人ひとりが自分で計画を立てて、分析し、教師と相談しながら進めるという授業を実践している。教師からすれば、ものすごくたくさんの引き出しが要求されるので準備はたいへんですが、この取り組みに出会えたことは財産であると感じています。その理念をさらに深めていきたいと考えています。
 
畑山:語学だけではなく、学び全体の潮流になっていますね。レクチャータイプの授業ではなく、アクティブラーニングとして。従前の一斉授業から比べればコストも手間もかかるこのシステムを、どこまで実現できるかはチャレンジだと思うんです。今はICT技術によって、一定程度できるようになってきました。最後に、これから学群長として、GC学群をどう成長させていきたいですか。
 
池田:新しいカリキュラムに生まれ変わるにあたり、冒頭で紹介した三つの柱に加えて、いまや時代のキーワードとなった「多文化共生」を本当の意味で実現したいと思っています。GC学群の学生たちは、「グローバル」=日本の「外」、または世界と、「ローカル」=日本の「中」、または自分の「居る」ところの両方を見ることで、同じ社会を構成する、いろんな背景を持った人たちと共に、より良い社会のために動く人になってほしい。私たちはそれを手助けしたいと思っています。
 
畑山:先生の研究の歩みとぴったり合致していますね。まず「言語トラック」があって、「コミュニケーション」の専門家でもある。非常に素晴らしい方を学群長にお迎えし、恵まれています。学生や他の先生方ともそのビジョンを共有し、学群として成長していきたいですね。

文:加賀直樹 写真:坂田貴広

※この取材は2022年7月に行われたものです。

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