選手、経営者、研究者
すべての経験を生かし
スポーツ振興と教育に尽力

健康福祉学群

小林 至 教授


史上3人目となる東大出身のプロ野球選手となり、引退後はMBAを取得して、球団経営の道へ——。類まれなる経歴の持ち主である小林至教授を突き動かしてきたのは、「やってみなければわからない」の精神。スポーツ振興に携わりながら、挑戦しつづけることの意義を語ります(聞き手:桜美林大学 畑山浩昭学長)。

球団経営の経験から
大学スポーツの振興めざす

畑山:今回は異色の経歴を持つ先生です。東京大学卒業後、プロ野球選手を経て、米国でMBAを取得。それから球団役員としてチームに貢献されたのち、桜美林大学に。今、スポーツ振興に力を注がれているそうですね。

小林:はい。日本のスポーツを産業として成長させる、というのが研究者としての大義です。中でも実務的に関わっているのは、「大学スポーツ協会(UNIVAS)」。経済産業省と文部科学省が主導して2019年に設立した団体です。日本の大学スポーツは産業としてはまだまだ開拓の余地がある。米国では1兆円以上の市場規模があり、大学によってはプロスポーツよりも稼いでいる。もっとも、稼ぐことだけが良いとは言いませんが、もう少し日本でも盛り上げられないか、と思うのです。

例えば「箱根駅伝」「東京六大学野球」などのように、一般に広く知られた大学スポーツはありますし、それ以外のスポーツも、やり方によっては、収益もあげられるし、大学のブランディングや、学生、教職員、卒業生のアイデンティティーの向上に大いに貢献できると思います。今、大学運動部の学生諸君の金銭負担は膨大です。米国では、スポーツ経費はすべて大学側が負担します。もう少し、日本はスポーツに関わる学生の役割を大切に考えて良いと思う。幸い、私は10年ほど球団経営に関わりましたので、経営の視点からアプローチし、微力ながら貢献できたらと考えています。

畑山:小林先生は、東大野球部だったのですね。勉強とスポーツの両立は、大変そうです。

小林:高校時代、野球部一筋だったのに、レギュラーになれませんでした。悔しさを晴らしたい。それには東大しかない。今、思えば不思議な発想ですが、1年間勉強し、偏差値40台から東大に合格したのです。それから「よくもあんなこと言えたなあ」と恥ずかしくなりますが、若さの持つエネルギーって無敵。「プロに行きます」って宣言してしまいまして……すると、当時のロッテオリオンズ監督・金田正一さんが「面白いじゃないか! そんなに入りたいなら、うちの球団テストを受けなさい」と。大学入試の際の成功体験があったので、どこか、「意思を明確にして行動すれば、道は拓ける」という思いを抱いていたようです。練習生を経て、プロ野球選手になる夢を叶えました。

しかし、結果が出せず3年でクビになってしまいました。25歳でした。どうしようか迷っていたところに、小澤一彦先生(桜美林大学リベラルアーツ学群教授)をご紹介頂いたんです。「小林君、留学が良いよ。君ならできる」「何が良いですかね?」「MBAが良いぞ」「MBAってバスケットボールですか?」「違う違う!」ということで(笑)、猛勉強しました。

アメリカ留学から
ソフトバンクでの3軍制導入まで

畑山:憧れの米国に行くと、現実を知るじゃないですか。小林先生は米国のネガティブな一面も著作に記していますね。

小林:タイトルは今でも後悔しているんですが……『アメリカ人はバカなのか』(幻冬舎)。憧れて行ったぶん、ギャップは大きくて「日本に生まれて良かった」と思いました。例えばアメリカの医療費はべらぼうに高い。学費もしかり。若い人には早く留学して外の世界を知ってもらいたいと思います。

畑山:それから帰国後に、福岡ソフトバンクホークス取締役に就任された経緯は。

小林:2004年に球界再編が起きました。球団経営が社会問題化しまして、その過程で、球団経営に関する本を書いた際、読売新聞グループの総帥で、当時は読売巨人軍のオーナーも兼務していた渡辺恒雄さんへの独占インタビューが実現したのです。その内容を福岡ソフトバンクホークスのオーナーである孫正義さんが読んで下さって、お声がけ頂きました。大学教員と兼務して10年間、福岡に住み、球団経営に携わりました。 前半の5年はチケット拡販、スポンサー獲得、スタジアムの改修などビジネス部門を担当しました。パ・リーグの共同事業会社、パシフィックリーグマーケティング(PLM)という会社の設立にも携わりました。PLMは、わたしの後任の方々が頑張って、今や年間売上50億円規模に成長しました。

後半の5年間は、王貞治会長のもとで、チーム編成の責任者を担当しました。当時、チームがやや低迷していたことから、球団組織の構造改革に取り組みました。人事や年俸のしくみにも手を付けたので、かなりの逆風にさらされましたが、球界初の3軍制を導入するなど、人材発掘と育成を通して、常に優勝を争える組織にする一助にはなったと思います。千賀滉大選手(投手)に甲斐拓也選手(捕手)など、埋もれていた逸材を発掘することができたのは、スカウトをはじめ、優秀な人材がいたからこそですが、組織の活性化はできたと思います。

授業でも教科書として使用している著書『スポーツの経済学』(PHP研究所)。世界の事例を紹介しながらスポーツビジネスの潮流を追い、今後の可能性を展望する

何事も物をいうのは総合力
果敢に踏み出せ

畑山:一つひとつのご経験が積み重なって、今の小林先生に繋がるのですね。桜美林での教育についてはどんな展望を?

小林:桜美林の良いところはリベラルアーツ教育。社会に出る時に、また、社会に出てから学生たちに求められるのは総合力です。私の講義でもそうですが、引き出しをたくさん持てる学生を育てたいと思います。私はこれまで、野球一筋の人たち、世界中から集まった秀才、経営のトップなど、多様な人が集まる集団に属してきましたが、どこでも問われるのは総合力です。引き出しと経験、判断力を身につけてほしいですね。

畑山:最後に、座右の銘を教えてください。

小林:「やってみなければわからない」。例えばプロ野球で実績十分な外国人選手を連れてきても、実際にチームに当てはめてみなきゃわからない。結局は適応力の有無が問われるんです。だから、学生にもどんどん踏み出してほしいですね。

畑山:小林先生のお話を聞くと、抜群の説得力があります。ひとの何倍も濃い人生を歩む先生から、学生たちが学ぶ点はいっぱいあると思います。

文:加賀直樹 写真:今村拓馬

※この取材は2021年3月に行われたものです。

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