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桜美林大学の駅伝プロジェクト発足に携わる
箱根駅伝出場を目指して、ゼロからチームを立ち上げる
毎年1月2日・3日に開催される東京箱根間往復大学駅伝競走、通称「箱根駅伝」は、東京・大手町から箱根・芦ノ湖までの約217.1kmを各大学10人の選手がタスキでつなぐ、日本の正月を象徴するスポーツイベントだ。
第1回大会は1920年に開催され、第二次世界大戦による中断を経て1947年に再開。1956年からは現在の正月開催となり、以後、ラジオ中継(1953年〜)、テレビ中継(1987年〜)を通じて全国的な注目を集めるようになった。特に、ステファン・マヤカ(山梨学院大学)(現・真也加ステファン)と渡辺康幸(早稲田大学)のライバル対決がテレビ中継で放映され箱根駅伝の人気に火をつけた。そして、その人気とともに、競技レベルも飛躍的に進化を遂げてきた。
2002年に桜美林大学へ着任した健康福祉学群の武田一准教授は、それ以前の10年間、他大学で中・長距離種目の選手強化に携わってきた経験があった。そのため、着任当初から当時の佐藤東洋士学長(後に学園長・理事長)より「本格的に駅伝を立ち上げ、箱根駅伝を目指してみないか」という打診を何度も受けていた。
「桜美林大学には1980年から陸上競技部は存在していましたが、実態としては有志の集まりにすぎませんでした。しかし、本気で箱根駅伝を目指すとなると、選手・指導者の確保、運営資金、長期的な目標設定、さらに練習環境の整備など、多くの課題を一つひとつクリアしなければなりません。当時の状況では、現実的にそれらをすべて整えるのは難しく、私は協力するとは言えませんでした」
そうした状況が約10年続いた2012年、再び機運が高まる。当時の理事長室部長がプロジェクト始動に強い意欲を持ち、山梨学院大学で駅伝部を創設・育成した上田誠仁氏のもとを訪ねたのだ。そこで、山梨学院大学で箱根駅伝に出場した経験があり、指導者としても実績を持つ真也加ステファン氏を招聘可能であるという情報を得たことが、プロジェクトの大きな転機となった。
桜美林大学はこれをきっかけに、陸上競技部駅伝チームを「特別強化クラブ」として正式に位置づけ、箱根駅伝出場を目標とする本格的な強化プロジェクトを始動。スポーツ推進センターの掲げる「大学および学園の一体感およびブランド力の向上を目指す(ONE TEAM)」という理念のもと、駅伝プロジェクト初年度には「チーム記録を残す」「箱根駅伝予選会で30位以内に入る」という明確な目標が設定された。
「真也加ステファン氏という実績ある指導者を迎えられること、リクルーティングや強化のための予算が確保されたこと、さらに練習環境として相模原ギオンスタジアムや、大学裏の尾根緑道などの優れたコースが活用できること。これらの条件が揃ったことで、私としても“今なら挑戦できる”という確信を持てました。そこで、駅伝プロジェクトに本格的に関わる決意を固めたのです」
日本全国からケニアまで、リクルーティングに奔走
2013年、箱根駅伝を本気で目指すプロジェクトが始動したが、そもそも肝心の長距離選手がいない。まず取り組んだのは、全国を回ってのリクルーティングだった。幸いにも、指導者に就任した真也加監督は、全国の駅伝強豪校とのつながりが深く、中京高校、九州学院高校、富山商業高校などを訪問し、関係づくりから始めた。新設の駅伝チームには当然ながら上級生がおらず、選手もゼロ。だがそれを逆手に取り、「1年目から予選会に出られる」「新しい歴史を自分たちの手で築こう」と、未来をともに切り拓く仲間を求めた。
「大学卒業後に実業団へ進める選手はごくわずかです。だからこそ、保健体育の教員免許も取得できること、大学の建学の精神など、学びの環境についてもしっかり伝えました。とはいえ、そうした話に耳を傾けてもらえたのも、真也加ステファンという指導者の人望あってのことだったと思います」
そして、日本国内にとどまらず、真也加監督の故郷・ケニアにもリクルーティングの手を伸ばすことになった。ミッションは、「必ず1人は連れて帰ってくる」ことだった。
「現地の大学のトラックを借りて、30人ほどの選手を集め、5000mのトライアルを実施しました。なぜか女子選手も3人ほど参加してしまって(笑)。さすがに女子選手は連れて帰ることはできませんが、無事に選考は行われました」
そのなかで、3位でゴールした小柄な選手に真也加監督が注目。「この子がいい」と目をつけたが、現地の指導者たちによる協議の結果、別の選手が推薦され、予定とは違う選手を迎えることになった。
「結論から言えば、期待していたような箱根駅伝での成果には結びつきませんでした。たしかに日本人選手よりは速いのですが、身体が大きく、典型的な長距離向きとは言い難かった。ただ、中距離では結果を出してくれて、関東インカレの男子2部1500mで連覇するなど、活躍してくれたのは間違いありません」
一方で、日本人選手のリクルートも着実に進んでいた。スポーツ推薦で12名、一般入試で4名。駅伝チームの創設期に参加するという覚悟と気概を持った学生たちが集まった。しかし、集まったのは全員1年生。高校では5000mを走っていたとはいえ、箱根駅伝の予選会では20kmを走らなければならない。まずはその距離に耐えられる身体をつくることが急務だった。
「予選会は10月。つまり、入学から半年ほどで仕上げなければならない。しかも、1年生だけで出場する大学なんて、他にない。選手としての力量はまだ足りず、トレーニングの蓄積もない。ゼロからすべてつくっていかなければならなかったのです」
加えて、翌年以降の体制づくりも考えなければならず、リクルート活動も継続。指導体制もまだ不十分で、初年度の指導スタッフは真也加監督ただ一人。武田准教授も選手の練習に帯同し、部員の送迎のドライバーを務めながら、次年度の選手獲得のために奔走していた。
「とにかく全方位に力を注ぎ続ける毎日でした。選手の体力づくりからリクルーティング、遠征対応まで。すべてが挑戦であり、すべてがゼロからの立ち上げ。大変でしたが、その分だけ、このプロジェクトに懸ける覚悟と熱意は強く持っていました」
有望な選手も集まってきた
あっという間に箱根駅伝の予選会本番がやってきた。初年度に迎えた留学生が前方集団で堂々と走ってくれたことで、「桜美林大学が駅伝を強化し始めたぞ」というインパクトを与えることができたと、武田准教授は振り返る。もともと「桜美林」といえば、夏の甲子園初出場で初優勝を果たした桜美林高校の野球部の印象が強く、大学の存在や実績はあまり知られていなかった。それだけに、全国的な注目が集まる舞台で大学名がアナウンスされる意義は大きく、桜美林学園全体にとっても良い宣伝になったという。
「初年度の予選会では、全48校中29位。全員が1年生という状況でこの順位は、非常に価値がありました。選手たちも自信を得たと思います」
その成果は、翌年のリクルーティングにも好影響をもたらした。2年目には、出雲工業高校のエース・田部幹也選手を迎え入れることができた。田部選手はその後、3年次に桜美林大学として初めて箱根駅伝の本戦出場を個人で果たし、関東学生連合チームの一員として往路3区(戸塚~平塚間21.4km)を1時間7分34秒で快走した。
快走!桜美林史上初の箱根駅伝ランナー・田部幹也選手|桜美林大学
https://www.obirin.ac.jp/info/year_2017/r11i8i000001rs94.html
一方、留学生については3年に1回のリクルーティングを想定していたが、事情が変わった。初年度に迎えた留学生が怪我により戦線離脱したことに加え、すでに内定していた次の留学生が出発直前に病気で渡航できなくなってしまったのだ。急遽、武田准教授はみたびケニア現地へ出向くことが決まった。
「ケニアは42の民族が暮らしている多民族国家です。真也加監督はキシイ族の出身なので、これまでは同じ民族の子どもたちに声をかけてきました。ただ今回は緊急性もあり、これまでとは違った視点でリクルーティングを行いました。そのなかで目に留まったのが、マサイ族出身の選手でした」
こうして2016年に迎え入れたのが、キサイサ・ジョスファト・レダマ選手だった。彼は予選会でいきなり集団を引っ張り2位の成績を叩き出すという、まさに「大当たり」の活躍をしてくれた。そして、その後、3回の予選会でトップの成績を残した。
キサイサ選手が個人1位、チームも過去最高の21位-箱根駅伝予選会|桜美林大学
https://www.obirin.ac.jp/info/year_2017/7fl2960000094lqm.html
「彼は単に速いだけでなく、非常に頭の良いランナーでした。日本の競技会でペースメーカーを務めるなど、レース展開をつくる力にも優れていた。桜美林大学卒業後は実業団入りし、日本で競技を続けて成果をあげています。またキサイサ選手は私たちをケニアの実家にも招いてくれました。案内されたのは、立派な家。日本に来て学び、走り、そして故郷で家族のために家を建てる。経済的にも成功して、彼自身の人生が豊かになったことが何より嬉しかった。こうして一人の選手の人生を変えるような機会をつくれたことに、改めて大きな意味を感じました」
「心の成長」が大切。目標を2つに分けて考えよう
駅伝プロジェクトの年数を重ねるなかで、コーチ陣の体制も徐々に整備されていった。真也加監督と福永コーチが技術面の指導に注力しスポーツ生理学の山本教授が理論的に練習計画に助言する一方、武田准教授は選手たちの心理的な成長を支える役割を担っていた。その一環として導入したのが、「目標を2つに分けて考える」という指導法だった。ひとつは「結果目標」、もうひとつは「行動目標」だ。
「ほとんどの選手が、“○分台で走りたい”、 “○位以内に入りたい”といった結果目標だけを掲げています。しかし、それだけでは、結果が伴わなかったときに自分を全否定してしまいかねないし、練習が全部ダメだったと結論づけてしまうこともある。そうなると良い循環が生まれません。だからこそ、私は“行動目標”を設定することの大切さを説いてきました」
行動目標とは、結果を出すためにレース中にどんな走りをするか、どうペースを組み立てるか、最後まで粘るにはどんな意識が必要かといったプロセスへの具体的な取り組みを指す。レース後は、結果以上に、この行動の内容を評価する。そうすることで、たとえ望んだ結果が出なかったとしても、選手自身が「何をどう頑張ったか」を明確に把握でき、次のステップにつなげられる。
「結果と行動、この両輪が揃って初めて“本当の目標”になる。そして、目標の先には“走る目的”があるはずなんです。目的を持たない目標は空虚です。目的のために目標がある。この順番を大事にしないと、心が折れてしまう。そして、たとえ目標が達成できなくても目的が達成できれば成功なのです」
そうした取り組みを続けるうちに、次第に「自分がなぜ走るのか」を意識できる選手が増えていったと武田准教授は語る。
「スポーツの意義は、勝敗や記録だけではありません。“心の成長”こそが何より大切です。特に学生スポーツは、教育の一環としての側面もある。にもかかわらず、勝ち負けに一喜一憂しすぎて、本来の価値を見失ってしまうケースも少なくありません」
たとえば野球でもサッカーでも、「楽しいから始めた」はずなのに、いつの間にか他人との比較や評価ばかりを気にするようになる。だが、他者との比較だけでは、本当の自分の成長は見えてこない。
「タイムが遅い選手と比べれば自分は速く見えるし、逆なら遅く見える。しかし、自分自身はどちらの場合でも変わっていないのです。そのため、自分がどこまで成長したのかを知るためには、“現在の自分”との比較が欠かせません。もちろん、他者との比較も現在地を把握するうえで大切な視点です。大事なのは、その2つの比較をバランスよく使い分けることです。そうした考え方を浸透させることで、レースを途中で投げ出す選手が明らかに減りました。以前は、目標タイムに届かないとわかった時点で“もうダメだ”と気持ちが切れてしまう選手が多かった。しかし、“このレースで自分はどんなことを試せるか”という視点があれば、最後まで粘る走りができるようになります」
苦しいときこそ
「目的」が脚を動かしてくれる
何のために走るのか
武田准教授も、かつて箱根駅伝を目指した一人だった。陸上競技を始めたのは中学生の頃。高校では中距離、主に1500mを専門にしていた。そして、進学した筑波大学では陸上競技部に入部し、本格的に長距離の世界へと足を踏み入れることになる。「しかし、長距離ブロックでの生活は、まさに“絶望との闘い”でした」と武田准教授は語る。高校時代は長くても10km程度の練習しか経験してこなかった。それが大学に入ると、いきなり20km以上のロングランが日常になったという。
「練習についていくのがやっとで、身体も心もついていかなかった。気づけば、走ることが“苦しいもの”に変わっていきました。次第に、“自分は何のために走っているのか”が、まったくわからなくなってしまったのです」
無理な距離を走る日々に伴って、怪我も増えた。練習をしても結果が出ない。先が見えない。そんな状況に、自分の存在意義まで見失いかけたという。だからこそ、桜美林大学の駅伝プロジェクトでは、選手たちに“走る目的”を大事にしてほしいと強く思ったのだ。ただ走るのではなく、自分は何のために走っているのか。そこを見失わないようにしてほしかった。
「それでも、大学4年次になった最後の年だけは、自らの意思で走れました。箱根駅伝の“山下り”に挑戦したくて、自主的にトレーニングを重ね、箱根駅伝の予選会のメンバーにも選ばれた。チームとしても8位に食い込んだのですが、当時は上位6校までしか本戦に進めなかったため、惜しくも予選落ちとなってしまいました。悔しかったですよ。自分の走りができず自分たちの代で、箱根に出場できなかったという事実は、今でも胸に残っています」
ただ、その悔しさの陰で、自分だけではなく、他の選手たちもまた限界に近づいていたと感じていた。今にして思えば、長距離の選手たちは、燃え尽き症候群(バーンアウト)や、うつのような状態に陥っているケースも少なくなかったと武田准教授は語る。
「私自身も、大学1〜3年次はそういう精神状態だったのでしょう。そんなとき、大学院の授業で出会ったのが、心理学の大家、宗像恒次先生でした。その後、宗像先生が会長のヘルスカウンセリング学会に入会し本格的に学びました。カウンセリングとは、専門の知識やスキルを持ったカウンセラーが対話を通じて、相談者の悩みや葛藤に寄り添いながら、解決へと導いていくプロセスのこと。ヘルスカウンセリングでは誰もがカウンセラーになれることを目標にしており、この“心を扱う学び”に大きな可能性を感じた。そして、“心の成長”という視点について、大きな影響を受けました」
陸上競技部での苦しい経験、見失った“目的”への問いかけ、そして、心のケアの重要性——。そうした過去が、今の教育者としての軸になっている。
駅伝プロジェクト立ち上げから10年。これからに期待したい
武田准教授が本格的に教育と陸上競技の現場に関わり始めたのは、大学院2年次のことだった。本来は陸上競技部の先輩が就く予定だった日本女子体育大学の助手のポストが空き、自身に声がかかった。急な話ではあったが、迷いなくそのチャンスを引き受けた。
「陸上競技研究室に所属し、中・長距離の学生選手を50人ほど見ることになりました。筑波大学では女子中長距離ブロックのアシスタントコーチを務めていましたが、本格的な指導は初めてで、気づけば10年続いていました。その後、ヘルスカウンセリング学会に入って心理的な学びを深めたり、レクリエーションインストラクターの資格を取ったりもしていました」
そして2002年、日韓ワールドカップで日本中が沸くなか、保健体育教員養成課程に関わる人材として、桜美林大学に着任する。専門として陸上競技科目を教えられる教員がおらず、武田准教授の経験が必要とされたのだ。
その後、2013年からは、桜美林大学の駅伝プロジェクトに参画することになる。第91回箱根駅伝予選会に、1年生だけで構成されたチームが初出場して以来、10年連続で挑戦を続けてきた。チームとしての最高順位は21位(第94回・第95回)。個人としては、第94回大会で田部幹也選手(当時3年次)が関東学生連合の3区を走り、桜美林大学として初めて箱根路を駆け抜けた。そのレースの様子は、真也加ステファン監督の取材VTRと共に、日本テレビで全国放送された。そして、第100回大会では本選出場にあと15分29秒差(第91回は52分3秒差)になった。これは桜美林大学が本選に一番近づいた記録であった。しかし、箱根本戦へのチーム出場には、今なお高い壁が立ちはだかっている。
「駅伝プロジェクトで選手と向き合うなかで、私は“心の成長”の大切さに気づかされました。目標を“結果目標”と“行動目標”に分けて取り組むようになったのも、この現場で得た実感からです。こうした実践は、自分自身の研究や教育観にも深く影響しました。現在は駅伝プロジェクトからは離れているものの、この10年間で得た経験はこれからも私の教育の根幹にあるでしょう。私は“楽しいは最強”だと思っています。楽しいからこそ、人は努力を続けられる。成長も、成功も、すべてはその継続の先にある。目標や目的を達成するためには、多様な方法を試す“余白”も必要です。山を走る日もあれば、長距離選手が短距離のトレーニングを取り入れる日があってもいい。そんな柔軟さや遊び心があれば、陸上競技はもっと楽しくなるし、選手自身も自分の“走る意味”を見つけられると思います」
楽しいは最強!
失敗をたくさん経験してほしい
現在、武田准教授は「陸上競技指導法」などの授業に加え、教育実習訪問指導なども担当している。学生たちには“丁寧に教えられる指導者”になってほしいと考え、実践的な学びを重視している。
「たとえば、体育の授業で太陽が眩しいとき、生徒を日陰側に立たせるのが基本です。しかし、そういう配慮を知らない学生は、生徒の目線に太陽が入ってしまうような位置に立たせてしまう。結果、生徒たちが集中できずにザワついてしまう。そんな小さなことにも気づけるようになってほしいと伝えています。ただし、最も大切なのは“失敗を恐れないこと”です。今の学生はミスを極端に怖がる傾向がありますが、たくさん失敗していいのです。失敗は成長の入口。教師を目指すなら、生徒のちょっとした努力や小さな達成にもちゃんと気づいて、褒めてあげられる存在になってほしい。極端に言えば、すでにできる子は少しくらい放っておいてもいい。それよりも、できなかったことができるようになった瞬間を一緒に喜べることが、教育の本質だと思うのです」
自身が若い頃、陸上競技の長距離に取り組んでいたときは「結果目標」だけを追いかけていた。しかし、桜美林大学で駅伝プロジェクトに携わるなかで、「行動目標」の大切さに気づき、やがてその先に「走る目的」があることを理解した。そんな目標や目的を駆動するのが、楽しいという感情だ。
「目的が見えてくると、競技は楽しくなります。そして、“楽しい”という感情は、実は最も強い原動力なのです。私は今、それを学生たちに一番伝えたい。“楽しいは最強”。これは心の成長にもつながっていく考え方だと確信しています。ミスも楽しんでいきましょう」
桜美林大学から日本を元気に!
桜美林大学の学生も含め、今の若者たちは「イイコ」が多いと、武田准教授は感じている。空気を読み、周囲の期待に応えようとする一方で、自分の本音や感情をうまく表に出せない。そんな傾向が、実際にストレスの高さにもつながっていることが、武田准教授の調査からも明らかになっている。
「学生たちは“どう思われるか”を気にしすぎてしまう。しかし、自分を抑えすぎると、どんどん苦しくなってくる。そんなときに思い出すのが、駅伝プロジェクトを始めた頃、真也加監督と一緒に東北にリクルートに行った時の出来事です。街で真也加が見知らぬ人と自然に話していたので、『知り合い?』と聞いたら、『違うよ。知らない人だから話すんだ』と笑って答えたのです。この一言に、はっとさせられました。日本人は“条件付きの関係性”が多いのです。知り合いだから助ける、同じチームだから声をかける。しかし、本当は“知らない誰か”とも自然につながれる力が、安心感やストレス耐性の構築にもつながっていく。無条件の承認、つまり“いるだけで大丈夫だよ”というような関係性が必要なのです」
助けたり助けられたりできる土壌を育てること。誰もが安心して存在できる場所を広げていくこと。そうした力が、現代の教育現場にはますます求められていると武田准教授は語る。
「学生一人ひとりが、もっと自由に、もっと自分らしくいられるようになれば、周囲も自然と変わっていきます。私の桜美林大学での“目的”は、“桜美林から日本を元気にする”こと。未来を担う若者たちに、希望と自信のバトンを手渡していきたいですね」
教員紹介
Profile
武田 一准教授
Hajime Takeda
1967年東京都生まれ。筑波大学大学院 体育研究科 健康教育学専攻 修士課程修了 体育学修士。2002年より、桜美林大学に着任。2012年、桜美林大学駅伝プロジェクト発足に携わり、2023年まで活動。選手の「心の成長」をサポートしてきた。現在は、桜美林大学の学生にも心の成長と自分らしく生きることの大切さを伝えている。
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