メインコンテンツ
身近にいるのに未知の生物「ヒラムシ」の多様性を探る
世界にはどんな生き物がいるのか?
地球上には、まだ名前のついていない生物が無数に存在する。私たちが知っている生き物は、限りなく広がる生物多様性のほんの一部に過ぎない。大型の哺乳類からミクロの世界に息づく微生物まで、未知の生物たちに名前をつけ、整理していく学問——それが分類学だ。
「私たちがある対象を指し示すときに欠かせないのが『名前』です。名前があるからこそ、その場にいない他者も同じ対象を認識できるわけです。これは生物においても同様で、地球上の生物は世界共通の名称である「学名」が与えられて初めて、人類に認識されたことになります。自分だけでなく世界中の人々が等しく認識できてこそ、その生物は研究や保護の対象となり得ます。分類学は生物の特徴に基づいて自然界から『種』というグループを見つけ出し、学名をつけます。さらに、認識した個々の種を類縁性に基づいて整理することで地球上に存在する多種多様な生物を体系化して捉えます。そういった意味で、分類学は生物多様性を認識・理解するための第一歩となる学問だといえます」
こう語るのは、リベラルアーツ学群の大矢佑基准教授。彼は分類学を専門とし、「ヒラムシ」という海に住む生物を対象に研究を行っている。ヒラムシは体長1〜5センチほどの平たい体を持つ生き物。日本の沿岸であればどこにでもいる身近な生物だが、いまだ名前のついていない種類(未記載種)が数多く残されている。
「ヒラムシをわかりやすく説明すると、理科の実験でよく使われる、切っても切っても再生するプラナリアの仲間です。厳密には扁形動物門の多岐腸目に属しており、腸が全身に分岐して広がっている点が大きな特徴のひとつとして挙げられます。世界中の海に生息していて、石の裏や珊瑚礁、海藻の上などさまざまな場所で見つけることができます。さらには、私が新種記載した『Emprosthopharynx lysiosquillae(和名:シャコヤドリヒラムシ)』のように、シャコやヤドカリ、ウニといった他の生物と共生する種類もいます。平たくシンプルな構造ながら、あらゆる海の環境に進出している。そこからイメージされる“自由さ”が、ヒラムシという生き物の魅力なのかもしれませんね」
水族館のブログから新種「シロムクペリケリス」を発見
これまでに大矢准教授が主導となって新種記載したヒラムシは10種以上におよぶ。手がかりを探すために、他の生物を専門とする分類学者や研究者とのネットワークを活用。インターネットでも常にヒラムシに関する情報を集めており、それらが新しい発見につながっている。2019年には初めて見る真っ白なヒラムシの分類に挑んだ大矢准教授。のちに「シロムクペリケリス」と名付けられるこの生き物を見つけたのは、三重県鳥羽市にある鳥羽水族館のブログに掲載された写真だった。
「深海の沈木に真っ白なヒラムシがいたというブログを見て、明らかに珍しいものであることがわかりました。残念ながら写真のヒラムシはどこかに行ってしまったとのことだったのですが、数ヶ月後に再び見つかったという知らせが届きました。すぐに当時の研究拠点だった北海道まで送ってもらい分析を進めました。その結果、ヒラムシの中でも『ペリケリス』という種類であるとわかりました。体内の構造を詳しく調査したことで、未記載種であると判断するに至り、新種記載しました」
新種として発表する生物に対し、名前を与えることも分類学者の重要な仕事だ。その際には、日本語の名前(和名)を決める前に、まずは世界共通の学名から定めなくてはならない。最大の特徴である真っ白い様子にちなんでラテン語で「雪のように白い」という意味を持つ「ニベア」を用いて、「ペリケリス ニベア(Pericelis nivea)」と命名した。
「花嫁の白無垢姿から着想し、和名は『シロムクペリケリス』としました。新しい名前を考えるのは楽しいのですが、その生物の特徴をわかりやすく表す名前が付けられるかは分類学者の腕の見せ所とも言えます。特に学名は人類が存在している限り残り続けるものなので、未記載種を発見するたび、どうしようかといつも頭を悩ませています」
ヒラムシはとにかく手のかかる繊細な生き物
固定した標本を薄くスライスして観察する
ヒラムシの正体を調べるには、さまざまな手順を踏んで観察する必要がある。まずは生きている状態の個体を手に入れ、その姿を残すために写真を撮影。続いてDNAを調べるために体の一部を切り取って保存し、残りをホルマリンなどに浸して固定する。こうして固定した標本を「ミクロトーム」という装置を使って薄くスライスした標本(組織切片標本)を作製して、体の中の構造をつぶさに観察していくのだという。
「人間ドックなどでCTスキャンをすると、体内が輪切りになって表示されますよね。ちょうどあのような感じで一つひとつの器官を調べていきます。シロムクペリケリスの場合は見た目からして未記載種の可能性が高いことはわかっていたのですが、それでも丁寧に分析する必要がありました。たとえ未記載種であったとしても、どの種類のヒラムシであるかまではわからないからです。DNAバーコーディングでペリケリスの仲間であることは早い段階から判明していましたが、温かく浅い海に生息していることが多いペリケリスが深海の沈木から見つかったことは大きな発見でした」
一度は途絶えてしまった国内ヒラムシ研究を復活
大矢准教授が着実な成果を挙げている一方で、世界に目を向けて見てもヒラムシの研究はなかなか進められていない。そもそも分類学者が少なく、その中でヒラムシのようなマイナーな生物は研究対象とされにくいのだという。戦前の日本にはヒラムシの専門家がおり、海外をリードして分類が行われていた。しかし、戦争で標本や資料が燃えてしまったことを機に、1940年代以降は研究が途絶えてしまったのだという。現在、日本でヒラムシを専門に研究している分類学者は大矢准教授を含めて2人。そのほか、別の分類群の専門家でヒラムシも扱える研究者が1人いる程度だという。
「観察にとにかく手がかかる点も、ヒラムシの分類学が遅れている一因です。全身に腸が広がっているので、少しの傷でも消化液が漏れて溶けてしまうんです。捕獲された時点で傷ついているケースも多く、固定液に入れた瞬間に貴重な標本が溶けてしまうということもあります。そんなデリケートな生き物をスライスして観察しなくてはならず、他の動物と比べても研究に時間がかかります。自分のようにヒラムシを扱える人でなければ標本をつくれないため、生きたままの個体を手に入れるまで研究に着手すらできないところも難しさですね」
よくわからないからこそ研究してみる価値があると思えた
大学の臨海実習で思い出した、生物に触れる楽しさ
今や国内のヒラムシ研究における貴重な担い手となった大矢准教授。そのルーツは無邪気に虫取りを楽しんでいた幼少期にまで遡る。当時の夢は昆虫博士。幼稚園生の頃には自宅にあったミカンの木でアゲハチョウの幼虫を見つけ、羽化するまで観察を続けたこともあった。生物への興味は尽きることなく、大学で専門的に学びたいと考えるように。当時は微生物学に関心があり、深海や熱湯といった過酷な環境に住む微生物を研究したいと考えていた。そんな中、ヒラムシとの出会いを果たす。
「大学には微生物の研究室もあったのですが、微生物の力を社会で役立てようという研究がほとんどでした。自分がやりたかったのはその前段階である『すごい生き物を見つける』ということだったので、それはちょっと違うなと感じていました。そんな時、海に行って生物を捕まえる臨海実習に参加し、初めて実物のヒラムシと出会いました。久しぶりに生き物と触れ合う楽しさを思い出した体験だったので、そこで見つけたヒラムシが頭の片隅で印象に残っていたのだと思います」
いきなり未知の存在が現れる面白さが研究の魅力に
こうして臨海実習を経た大矢准教授は、海の生物そのものを研究する分類学の道に進むことを決めた。研究室に所属すると、自分が対象とする生物を選ぶように指示があった。そこで、臨海実習で不思議と心惹かれたヒラムシを提案。すると、指導教員や先輩方の誰もが口を揃えて「ヒラムシはよくわからないから面白いと思う」と言ってくれた。こうして、すべての人にとって謎の生物であるヒラムシの研究に取り組むことになった。
「ヒラムシの研究を始めた当初、指導教官に海に連れて行ってもらう機会がありました。『この辺の海には普通種のウスヒラムシNotocomplana humilisしかいない』と言われていたのですが、そこで採集した個体を調べてみると先生の話したウスヒラムシとは別のものだったんです。ヒラムシが日本のトップを走る分類学者にとっても謎の存在であることを実感すると同時に、いきなり未知のものが目の前に現れたことへの面白さを覚えました」
ヒラムシの図鑑を編纂し、生物多様性を次世代につなぐ一端を担いたい
長らく研究拠点としていた北海道を離れ、現在はリベラルアーツ学群で生物多様性の魅力を学生たちに伝えている大矢准教授。研究面ではヒラムシの非破壊的な研究手法(Oya et al. 2024)を模索するとともに、遺伝子などの情報から進化の歴史を推定する系統学の分野(Oya & Tsuyuki 2025)にも力を入れて取り組んでいるのだという。身近なところにいるヒラムシにはすべて名前をつけたい。そう語る大矢准教授の目標は、ヒラムシの図鑑を編纂することだ。
「図鑑を眺めている子どもたちは、目をキラキラと輝かせています。そこから成長して、自分のように研究者の道に進むこともあるでしょう。このように、生物の魅力を知るための入り口を整備することも分類学の役割のひとつだと考えています。また、さまざまな要因によって地球の生物多様性は失われつつあります。ヒラムシのようにあまり存在が認識されていない生物も、当然ながら守るべき生物多様性の一部です。しかし、名前や生態を知っていなければ、守りたいと思うことすらできませんよね。今後はヒラムシについて図鑑にまとめることを目標に、次世代に種を蒔くような気持ちで研究を続けたいと考えています」
教員紹介
Profile
大矢 佑基准教授
Yuki Oya
1993年愛知県生まれ。2016年に北海道大学理学部生物科学科を卒業後、2018年に同大学院理学院自然史科学専攻修士課程、2020年に博士後期課程を修了。日本学術振興会特別研究員、札幌医科大学医療人育成センター生物実習補助講師などを経て、2022年より桜美林大学リベラルアーツ学群助教、2025年より現職。
教員情報をみる<at>を@に置き換えてメールをお送りください。
