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人間における「徳」とはなんだろう
良いものへの欲求
人は好んで「悪」を望むのだろうか。プラトンの初期対話篇『メノン』77b-78bでは、「悪いものを欲求する人はおらず、すべての人が良いものを欲求する」と説かれる。『メノン』は副題を「徳について」とする作品で、青年メノンとソクラテスが「徳とは何か」という問いを軸に議論を進めていく。
リベラルアーツ学群の福田宗太郎准教授によれば、当時のギリシア世界で「徳(アレテー)」はきわめて重要な概念だったという。馬であれば速く走ること、剣であればよく切れることといった具合に、その対象に固有の徳があると捉えられていた。では、人間にとって固有の徳とは何か。
「プラトンやその師であるソクラテスは、人間は本来的に善へ向かう存在だと考えていました。メノンは徳を得て立身出世したいという思いから、ソクラテスに問いを投げかけるわけですが、その対話のなかで『すべての人には良いものへの欲求がある』という点が丁寧に議論されていきます」
当時のギリシアでは、「弁論術(ソフィストの技術)に優れることこそが徳である」と考える立場もあった。ソフィストとは、古代ギリシアで弁論術やさまざまな知識を教えて報酬を得ていた職業的教師を指す。しかし、この主張にはプラトンやソクラテスは批判的だったと福田准教授は語る。
「プラトンやソクラテスは、単に弁舌で相手を言い負かしたり説得したりするだけでは、真の善には近づけないと考えていました。真理へ向かうためには、正しい知識を持つことが不可欠なのです。この点は『ゴルギアス』466a-468eでも詳しく検討されています」
真に良いものを手にするには「知」が必要
プラトンの対話篇『ゴルギアス』は、弁論術の正当性、善や正義といった道徳、そして政治のあり方をめぐる議論を展開する初期の重要作である。この作品では、ソクラテスは、著名な弁論家のゴルギアス、その弟子ポロス、政治家カリクレスの3名と対話しながら、弁論術を「人を説得する技術」と位置づけつつも、それが真の知識に基づかない限り、単なる迎合や追従であり見せかけの術に過ぎないことを明らかにしていく。福田准教授によれば、とりわけ『ゴルギアス』466a–468eには、「良いと思われること」と「望むこと」を厳密に区別しようとする議論が示されているという。
「ソクラテスによれば、弁論家や独裁者は『最も良いと思われること』はしているものの、実際には彼ら自身が『本当に望んでいること』を一つも実行できていないのです。ポロスが『自分に良いと思われることをすることが実力の証だ』と問うと、ソクラテスは逆に問い返します。『分別(判断力)を持たずに、自分にとって良いと思われることをするのは、果たして本当の意味で良いことと言えるのか』と。この議論は、見かけ上の善と、真の善との乖離を鋭く突きます。弁論家も独裁者も、自分が良いと思うことをしていますが、知を欠く限り、実際に良いものを手にできるとは限らない。良いと思う行為をしているだけでは、実力があることにはならない。それがソクラテスの主張なのです」
ここにはソクラテスの哲学の根幹にある「主知主義」が色濃く表れているという。主知主義とは、感情や欲望よりも「知性・理性」を重視する立場であり、ソクラテスの「徳は知識である」という考えに由来する。
この立場に立つと、人が悪を行うことがあっても、それは本性として悪を望んでいるからではない。「何が真の善かを知らない無知」あるいは「善を誤って理解している状態」によって、結果として悪い行為に至っているに過ぎないのだ。人は誰しも善を求める。しかし、それが何であるかを知らなければ、善を手にいれることはできない。これこそが、ソクラテスが提示した根本的な洞察である。
平易な言葉で綴られた古代ギリシア哲学に惹かれて
さまざまな表現に触れるなかで芽生えた哲学への関心
福田准教授は、幼いころから文学、漫画、映画など幅広い表現に親しんできたという。とりわけ、アニメをきっかけに読んだ浦沢直樹『マスターキートン』(小学館)では、主人公の知的な振る舞いや、学問と実社会を往還する姿に強く惹かれたという。「本人が希望する仕事にはなかなか就けないのですが、探偵のような仕事をしながら、歴史や文化などの幅広い知識を自在に生かして前向きに生きていく。そんな姿に知性への憧れのようなものを感じていました」と福田准教授は振り返る。そうした体験の積み重ねのなかで、自然と哲学への興味が芽生えていった。
「なぜ関心を持ったのかを正確に説明するのは難しいのですが、自由とは何か、なぜ勉強しなければならないのかといった問いに、子どものころから惹かれやすかったのだと思います。こうした根源的な疑問に向き合えるのが哲学だと感じていて、大学では哲学を学びたいと思っていました」
友人から手渡されたプラトン『国家』
大学に入学し、福田准教授は読書家の友人と知り合った。古代ギリシア思想にも精通したその友人から、「哲学に興味があるなら、これは読んでおいた方がよい」と言われたのが、プラトンの『国家』だった。
「それが古代ギリシア哲学に本格的に触れた最初の経験でした。ただ、最初の読後感としては共感したというより、むしろ同意できない部分が多かったですね。『国家』では、理想国家のあり方や徳のある人間像が提示される一方で、その過程で民主政への批判も展開されています。現代に生きる私としては、必ずしもそのまま受け入れられるものではありませんでした。優れた者が統治すべきという理想主義的な主張や、民衆が支配すると独裁者が生まれるといった議論には納得しきれない部分もありました」
しかし、実際に読んでみて好意的に感じる側面もあった。プラトンの著作は、哲学の専門書にありがちな難解さとは対照的に、登場人物の対話形式で進む。言葉も平易で、思考の流れが日常会話のように自然に展開されていく。
「哲学はもっと専門用語が飛び交う難しい世界だと思っていたので、対話のスタイルで、だれでも追いかけられる言葉づかいで書かれているのが新鮮でした。そこに強く惹かれたと思います。哲学は、以前の思想を継承し、批判しながら更新されてきました。だからこそ、その源流である古代ギリシア哲学を押さえておくことは大切だと感じて、次第に関心を深めていきました」
知識を得るとはどういうことなのか
福田准教授が研究の核心に据えるのが、「認識論」だ。すなわち、知識とは何か、そしていかにして人は真に知識を獲得したと言えるのかを問う研究である。
「プラトンの認識論は、単にある情報を知っているという状態ではなく、理解し、説明できる段階まで思考が深化していることを重視します。同時に、これまで知らなかったことを自覚する側面も欠かせません。この「無知の自覚」は、プラトンの師ソクラテスが説いたいわゆる『無知の知』と深く結びついています。自分が何を知らないのかに気づくこと。それこそが知を求める営みの出発点であるという示唆が、認識論の根底にはあります」
対話のなかで「無知の知」に触れてほしい
高等教育とアクティブラーニング
福田准教授はこれまでのキャリアのなかで、京都大学高等教育研究開発推進センターの研究員として勤務した経験を持つ。当時担当していたのは、教員の教育力向上を図るFD(Faculty Development)の業務だ。FDとは、大学などの教育機関において、教員の授業力や教育の質を高めるために組織的に行われる取り組みで、研究会や研修プログラムの企画・運営などが含まれる。
「私が在籍していた2010年代半ばは、多くの大学が教育力の強化を重要課題として掲げていた時期でした。京都大学高等教育研究開発推進センターでは、これから大学で教える立場になる大学院生への支援も重視されていました。博士課程を修了したオーバードクター向けに、授業経験を積めるリレー講義の場を提供するなど、成長を後押しするプログラムも企画・実施されていました」
また、現在では一般化したアクティブラーニングも、当時まさにどのように授業に組み込むかを模索していた時期だったという。
「アクティブラーニングは、教育学の文脈のなかで議論が重ねられて出てきたものだと思いますが、知識や学習のあり方を、哲学とは違う角度から考える機会になりました。アクティブラーニングは、学生の能動的な活動というプロセスを通じて、知識や理解、広い意味での思考力を養うものだと思いますが、ディスカッションという他者との対話を通して初めて自分の考えや思い込みに気づく場面も多いです。そうした点では、ソクラテス的な無知の知やプラトン的な理解としての知とも深くつながっていると思います」
クリティカルシンキングを身に付ける
福田准教授は、桜美林大学における哲学の授業において、「自由とは何か」「幸福とは何か」「正義とは何か」といった根源的テーマを取り上げながら、古代から現代に至る哲学者たちの議論を紹介している。日常的には当たり前とされている概念も、改めて考えると明確な答えを示すのが難しかったりもする。その揺らぎに向き合う思考法を学生と共に探究している。
一方で、福田准教授は「クリティカルシンキング(批判的思考力)」を土台に据えた授業「数的思考と論理」も担当している。データに基づき社会課題を分析し、論理的に考える力を養う内容だ。
【授業紹介】データに基づいて社会課題を議論する:「数的思考と論理」|桜美林大学
「哲学や倫理学の視点も織り交ぜながら、どの分野に進む学生にとっても基盤となるクリティカルシンキングを身に付けてもらうことが狙いです。授業はディスカッション中心で、他者との対話を通して自分の考えを相対化し、無知の知を自覚するきっかけにもしてほしいと考えています」
取り上げるテーマは、「ワリカンの適切な金額は?」「若者は本当に選挙に行かないのか」「なぜ高等教育無償化政策に世論は慎重だったのか」など、身近でありながら社会的含意の深いものばかりだ。
「人それぞれで片づけるのではなく、自分の意見を一度咀嚼し、論理的に整理して相手に伝えるところまで到達してほしい。そして、相手の意見も聞く。そうした対話のプロセスが、思考の確かさを支える土台になるはずです」
教員紹介
Profile
福田 宗太郎准教授
Sotaro Fukuda
1986年東京都出身。京都大学大学院 文学研究科 思想文化学専攻博士後期課程 博士課程単位取得満期退学。大阪体育大学学習支援室 非常勤講師/学習支援室主任、京都大学高等教育研究開発推進センター 研究員/特定研究員、大阪市立大学 非常勤講師を経て、2021年より桜美林大学に着任。西洋の古代ギリシア哲学を専門とし、特に認識論(知識論)をテーマにプラトンの著作を中心に研究している。
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