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素粒子物理学の最前線
素粒子の世界は広大な宇宙とつながっている
コップの水を拡大していくと、水分子(H₂O)が現れ、その構成要素である水素原子と酸素原子へとたどり着く。酸素原子の内部をさらにのぞくと、中心には非常に小さく重い原子核があり、その周囲を正電荷に引き寄せられた8つの電子が取り巻いている。原子核は電荷を持つ陽子と電荷を持たない中性子が塊となって構成されており、これらもさらに「クォーク」と呼ばれる粒子からできている。このうち電子とクォークは、現時点でそれ以上分解できないと考えられる「素粒子」に分類される。
素粒子は物質を形づくる最小単位、いわばこの世界を組み立てる基本ブロックである。これらがどれだけ存在し、どのような性質をもつのかを解き明かすのが素粒子物理学であり、リベラルアーツ学群の河本祥一准教授は、その理論的側面から研究に取り組んでいる。
「極小の素粒子の世界は、実は最大スケールの宇宙と深く結びついていることがわかっています。これは、宇宙が膨張し続けているという観測から導かれた考えで、現在大きな宇宙も、過去には極めて小さな状態だったに違いないというビッグバン宇宙論に基づきます。宇宙がミクロだった時代を支配したのは素粒子の法則であり、その性質は今日の宇宙の構造や進化にも影響を及ぼしています。この関係を本質的に理解するには、ミクロ領域で成立する重力理論、すなわち量子重力理論の解明が不可欠です。しかし量子重力は、現代物理学がいまだ解き明かせていない最重要テーマのひとつでもあります」
重力を量子の世界で扱うのはなぜ難しいのか
宇宙の誕生直後や、その振る舞いを説明するために必要とされるのが、量子の世界で重力を扱う「量子重力理論」である。自然界には、電気や磁気を支配する「電磁気力」、原子核内部で働く「弱い力」「強い力」、そして「重力」という4つの基本的な力があり、本来はこれらを統一的に説明する理論が求められている。しかし重力だけは量子の枠組みにうまく組み込めないために、量子重力理論は未だ完成に至っていない。
「ここでいう重力とは、アインシュタインの一般相対性理論を指します。これは、我々の存在する空間そのものが重力によって歪むことで現れる現象を説明する理論です。たとえば、遠方のブラックホール同士が衝突したときの“時空のさざなみ”として観測されている重力波もこれの一部です。しかし、こうした現象は時空の歪みの効果が極めて小さいため、量子力学を適用しなくても説明できます。ところが、宇宙誕生の瞬間のような極限状態を理解しようとすると、量子と重力の両方を統合的に扱う必要が出てきます。その際、重力を量子化しようとすると厄介な問題にぶつかるのです」
その難しさの原因は、重力が時空そのものの曲がりとして表現されることにある。量子化とは、対象を量子的ゆらぎを持つ自由度として記述できるようにすることを指す。光や電子のような粒子であれば「点」として扱っても理論は破綻しない。しかし重力は時空そのものを量子化する必要があるため、時空を点の集合として扱おうとすると無限の特異点が立ち上がってしまい、計算が成り立たなくなる。
こうした破綻を回避するために登場したのが、「超弦理論(ひも理論)」である。
超弦理論とは何か、そしてホログラフィー原理
超弦理論とは、時空や素粒子を「点」とみなす従来の考え方ではなく、一定の長さを持つ「ひも(弦)」としてとらえる理論である。従来の点粒子モデルでは、極限的な計算を行うと無限大が現れて理論が破綻してしまうケースがあったが、弦という広がりを導入することで、空間に「最小スケール」を自然に設定でき、こうした問題を迂回できることが大きな進歩となった。
「超弦理論は1960年代後半、南部陽一郎らの着想から始まり、そこから多数の理論的進展を経て現在の枠組みへと発展しました。その過程で生まれた重要な理論のひとつが『ホログラフィー原理』です。重力は電磁気力など他の3つの力に比べて未解明な部分が多く、なぜ量子化が難しいのかについて長年議論されてきました。その糸口として登場したのが、高次元の世界を、実は低次元の情報から再構成できるのではないかという、斬新な視点です。これがホログラフィー原理です」
この発想が必要となった背景に、「ブラックホールのエントロピーの問題」がある。熱力学には、乱雑さの度合いを示す「エントロピー」という概念があり、一般的には体積が増えればエントロピーも比例して増大する。ところがブラックホールは例外で、エントロピーは体積ではなく表面積に比例することが知られている。これは熱力学のエントロピーの示量性という性質と矛盾してしまう。そこで、「ブラックホールの内部ではなく表面にのみ情報が存在するのではないか」という発想が生まれ、ホログラフィー原理が提案される端緒となった。
「ブラックホールは極端な重力場をもつ天体ですが、その性質が正しいなら、表面の情報だけでブラックホールを理解できるはずだ、と考えられたわけです。当初は思考実験的なアイデアに過ぎませんでしたが、重力を含む超弦理論と、重力のない量子場理論を比較することで、両者が数理的に対応することが示されました。これが、現在『AdS/CFT対応』として知られる関係です」
AdS/CFT対応では、反ドジッター空間(AdS)と呼ばれる特殊な時空で考えると、重力を含む理論を、重力を持たない境界上の理論(CFT)へと写し取れる。高次元の出来事が低次元の表面の情報に置き換えられ、理論的な計算や解析が可能になる。
「これは現段階で限定的な状況でのみ成立する理論ではあるものの、重力の振る舞いが表面世界での情報処理として理解できる可能性を示した点は非常に大きい。もしかすると、私たちが引力だと思っている現象は、実は2次元の表面にある情報が3次元空間へ投影された結果なのかもしれません。完全に解明されたわけではありませんが、論理的整合性を保ったまま重力と量子の対応関係を示せたことは、きわめて刺激的で魅力的な発想です」
量子重力理論の構築は、現代物理学最大の未解決問題のひとつだ。点粒子の枠組みでは破綻した計算を、有限の大きさをもつ弦で救済する超弦理論。そして、重力そのものをまったく別の視点からとらえ直すホログラフィー原理。これらは、量子重力の全体像を描くための最先端のアプローチとして、今も世界中で研究が進められている。
量子もつれとワームホールを結ぶ大胆な理論
量子力学の世界では、離れた場所にある2つの量子に、瞬時に相関が生じる現象が知られている。これは実験的にも確認されており、アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの名に由来して「EPR相関」と呼ばれる。これは「量子もつれ」とも表現され、2つの量子が空間的に離れていても、互いに切り離せない状態にあることを意味する。
「量子もつれの実験は、2022年のノーベル賞の対象にもなりました。かつては、目に見えない粒子が飛んで情報を伝えているのではないかという説明も試みられたのですが、それでは説明がつかない。光速ですら間に合わないかのように、離れた2点が同時に影響し合うからです。シュレディンガーの猫の例で有名な『重ね合わせ』と同様、古典的な世界とは異なる振る舞いが生じるのです」
こうした量子もつれの性質を、ホログラフィー原理の文脈で捉え直したのが「ER=EPR仮説」である。ここでいうERはアインシュタイン=ローゼン橋、すなわちワームホールを指す。
「量子重力理論においては、ブラックホール情報パラドックスという『ブラックホールに落ち込んだ情報は本当に失われるのか』という問題が長年議論されてきました。外側からは内部が見えないブラックホールにおいても、量子情報は保存されるというのが量子力学の立場です。もし量子もつれが空間的な分離を超えて結びつきを保つのだとすれば、その構造は、一般相対論におけるワームホールという重力的なつながりと対応しているのではないか。これがER=EPR仮説の核心です」
つまり、量子情報が切り離せないという量子力学的構造が、重力理論の文脈では離れた2点を結ぶワームホールとして読み替えられる可能性がある。ブラックホールを「表面の情報」として理解するホログラフィー的視点をさらに進め、内部構造についての理解にも踏み込もうとする試みといえる。
量子力学と重力理論。本来は異なる立場にある理論を接続するこの仮説は、まだ検証の途中にある。しかし、量子もつれという純粋に量子論的な情報構造が、重力幾何学と対応し得るという発想は、量子重力研究のなかでも極めて大胆で刺激的な提案として注目を集めていると河本准教授は語る。
理論の背景にある数学的構造の美しさ
20巻の図鑑のなかに見つけた宇宙への扉
河本准教授が宇宙に興味を抱いた原点は、幼少期に遡る。もともと本が好きな子どもだったが、小学生の頃、祖母から20巻ほどある科学図鑑を贈られたことが大きな転機となった。昆虫や海洋生物など多彩なテーマが並ぶ図鑑を夢中になって読み進めるうち、最も強く惹かれたのが宇宙の世界だった。
「高校生になって大学の進路を考えた時、やはり自分は宇宙が好きなのだと再認識しました。ただ当時の私は宇宙に関する理解がまだ浅く、宇宙の研究といえばNASAやJAXA、そしてロケット工学といったイメージしか持っていませんでした。中学では電子回路などをつくる部活にも所属しており、そうした宇宙工学に進むのもよいのではと考えていました。しかし調べていくうち、宇宙の根本的な謎に迫るには物理学が必要なのだとわかり、物理学を学べる学部に進学することにしました」
大学で学び始めると、物理学は歴史も深く、学部4年間では到底学び尽くせない学問だと実感したという。もともと大学院進学を視野に入れていたが、学部4年次に受講した素粒子物理学の講義が転機となった。1990年代後半当時の最先端の理論と、その背後にある数学的構造の美しさに強く心を動かされたと河本准教授は語る。
「大学院では素粒子理論を軸に研究を進めることにしました。学問を深めていくなかで、超弦理論が有効な理論であることを知り、修士課程から研究として本格的に行うことにしました。さらに大学院修了後は、ニールス・ボーア研究所にポスドクとして所属し、行列模型というアプローチを用いて研究を進めました」
行列模型からさまざまなアプローチへ
デンマーク・コペンハーゲンにあるニールス・ボーア研究所は、量子物理学や超弦理論の分野で世界的に知られる研究拠点だ。河本准教授はポスドクとして同研究所に所属し、素粒子物理における「行列模型(Matrix Model)」と呼ばれるアプローチに取り組んでいたという。行列模型は、時空そのものを複数の行列の自由度から動的に生じるものとみなし、ゲージ理論と重力理論の対応関係を探る理論的枠組みである。
「実験物理の場合、大規模な装置のある国や研究機関が有利になることもありますが、理論物理はその影響が比較的小さい。ただ、世界の研究を牽引する研究者が同じ場所に集まっているという点で、非常に刺激的な環境でした。行列模型というのは、数値を並べた巨大な行列を扱い、そこから理論が再現できるかを探るものです。こうした形式に落とし込むことで、数値計算に乗せやすくなる上、従来の超弦理論では理解しきれなかった領域にも光を当てられる可能性がある。当時は、この行列模型を用いた理論解析を中心に研究していました」
その後、研究テーマは行列模型にとどまらず、量子重力理論へと広がっていった。ホログラフィー原理、さらにはER=EPR仮説など、量子情報と重力を結びつけるアプローチにも関心を寄せながら研究を進めてきた。10年ほど前には、ホログラフィー原理によって量子重力の理解が一気に進むのではないかと期待された時期もあったというが、現在でも未解明の領域は多く残されていると河本准教授は語る。
「そのため、行列模型に立ち返るなど、多様な視点から切り込むことが重要だと思っています。ひとつのアプローチだけでは辿りつけない領域がある。異なる手法を行き来しながら理論の全体像をつかむことが、これからの研究の鍵になると考えています」
理論が数式と結びつく瞬間に感動する
初期宇宙の量子重力の理解を目指して
現在、河本准教授が取り組む研究の中心にあるのは、量子重力理論における「基本的な自由度」と、それらの間に生じる非自明な相関の解明だという。この相関には量子力学特有の性質が深く関わっており、近年急速に発展する量子情報の手法も援用して、理論的な特徴を明らかにしようとしている。最終的には、宇宙が誕生した初期段階において量子重力がどのような役割を果たしたのか、その一端を明確にすることが目標だという。
一方で、課題もある。量子重力は理論研究が先行しやすい分野であり、現状では実験的検証が必ずしも追いついていないという点だ。物理学は自然科学である以上、観測や実験によって理論が裏付けられて初めて価値を持つと河本准教授は語る。
大胆に思える理論も数式で表現できる
超弦理論は、あまりに小さな世界を扱うがゆえに実験で確認することは極めて困難である。しかし同時に、現在観測可能な素粒子の性質やふるまいを矛盾なく説明し得る懐の深い理論でもあるという。一方で、「宇宙の理を説明するのに超弦理論が不可欠だ」という決定的証拠もまだ得られていない。そのため、宇宙が誕生した頃の状態を望遠鏡で観察するなど、理論と観測を結び付ける多面的なアプローチで追究されている。
「光は非常に速く進みますが、観測できているのは遠い宇宙から届いた光です。つまり、遠くを観測するということは、過去を観測していることにも相当します。ハッブル宇宙望遠鏡やジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡などによる深宇宙観測で、宇宙誕生に近い時代を確認できれば、理論の妥当性を示す手掛かりになるかもしれないのです」
研究の醍醐味はどこにあるのか。河本准教授は「理論が数式と結びつく瞬間」に研究者としての興奮を覚えるという。複雑であったり、大胆に思えたりする抽象的な理論であっても、宇宙や世界のふるまいと整合し、数式として表現できる。宇宙の誕生から成り立ちまでが、背後にある数学的構造によって理解されていく。その過程こそが、この研究の揺るぎない面白さだと河本准教授は語る。
教員紹介
Profile
河本 祥一准教授
Shoichi Kawamoto
1973年兵庫県出身。京都大学 理学研究科 物理学・宇宙物理学専攻 博士課程修了 博士(理学)。理化学研究所 基礎科学特別研究員、ニールス・ボーア研究所 ポスドク研究員、オックスフォード大学理論物理学研究所 European Research Network ポスドクフェロー、大阪市立大学 理学研究科 COE上級研究員/数学研究所 専任研究員、國立臺灣師範大學 物理系 ポスドク研究員、國家理論科學研究中心 物理組 ポスドク研究員、中原大學 物理系 ポスドク研究員/Center for High Energy Physics Center Scientist/物理系 兼任助教/物理系 特任准教授/國立清華大學 物理系 リサーチスカラーなどを経て、2022年に桜美林大学に着任。専門分野は物理学の素粒子理論、とくに量子重力理論と超弦理論について研究している。
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