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現代ポップカルチャープログラムがキックオフミーティングを開催

2025/12/05(金)

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2025年11月29日、桜美林大学新宿キャンパスにて研究会「新しいテクノロジーとメディア:ふつうの軽音部からマッドサイエンティスト、ドラえもんまで」が開催されました。本研究会では、メディア論、哲学、科学コミュニケーション、情報学の各分野で活躍する4人の研究者が登壇し、テクノロジーにおける「新しさ」と「古さ」の関係や、フィクションを通じた技術の受容、そして現代社会における情報技術との向き合い方について、多角的な視点から議論が交わされました。

この研究会はリベラルアーツ学群が新設する「現代ポップカルチャープログラム」のキックオフミーティングとして、同学群の科学コミュニケーションプログラムと共同で実施されました。以下、研究会の概要について報告します。

第1部:講演

太田純貴氏

最初の登壇者である鹿児島大学の太田純貴氏は、「メディア(文化)研究における『新しさ』『古さ』の問題」と題し、メディア考古学の視座から技術文化における時間の捉え直しを論じました。

太田氏は、エルキ・フータモの議論を引きながら、メディア文化は直線的な進歩ではなく「トポス(定型)」の反復として捉えるべきだと指摘し、1990年代のVRブームと19世紀のステレオスコープへの熱狂の類似性などを例示しました。さらに、ユッシ・パリッカの「メディア地質学」に基づき、廃棄されたメディアが環境の一部として残り続ける「ゾンビメディア」という概念を紹介し、人間的な尺度を超えた地質学的時間で技術を考察することの重要性を説きました。

田中一孝准教授

田中一孝准教授は、「『ふつうの軽音部』における『擬似的ライブ体験』演出:音楽と同期するマンガ狂言のメカニズム」をテーマに、音のないメディアであるマンガがいかに音楽を表現するかについて分析しました。

『BLUE GIANT』や『BECK』『ピアノの森』といった名作は、視覚的効果や共感覚的な比喩を用いて読者の脳内で音を想像させる「内部完結型」の手法をとっていたのに対し、最新のヒット作『ふつうの軽音部』は「外部接続型」の表現をとります。作品では実在する楽曲を扱っていますが、読者がスマートフォンなどで実際に曲を再生しながら読むという表現方法が採用されています。歌詞をタイムラインとしてコマ割りと同期させ、ページをめくる身体動作と楽曲のリズムを連動させることで、読者を単なる観客からライブの当事者へと引き込む、新しい擬似的なライブ体験が生み出されていると、実演とともに示しました。

有賀雅奈准教授

有賀雅奈准教授は、「科学技術者のイメージとメディア:マッドサイエンティストと白衣の温厚な科学者」と題し、フィクションやメディアが形成する科学者像と、それが現実のテクノロジー受容に与える影響について報告しました。

学生への調査を通じて、1950年代の研究で見られた「白衣、眼鏡、男性、実験室」という科学者のステレオタイプが、2025年の現在でも依然として根強く残っていることが示されました。学生が想起する科学者像の多くは『名探偵コナン』の阿笠博士や『Dr. STONE』、『ポケットモンスター』などのフィクションに由来しており、これらは知識の提供者や物語を動かす魔法使い的な役割として描かれる傾向があります。有賀氏は、現実の多様な科学者の姿が見えにくくなっており、フィクション由来の「マッドサイエンティスト」や「善き協力者」という二項対立的なイメージが、科学技術への信頼や進路選択に影響を与えている可能性を指摘しました。

大向一輝氏

東京大学の大向一輝氏は、「現代の情報技術(者)とドラえもん」というテーマで、ドラえもんのひみつ道具を補助線として現代のAIや情報技術と社会との関係性を論じました。

大向氏は、技術を入力から出力へ変換する関数(function)として捉えた場合、ドラえもんの道具自体は概ね正確に機能しているものの、のび太による不適切な入力や目的設定がトラブルを引き起こすストーリーとなっていると指摘しました。他方で、現代の機械学習は現実の複雑なデータからモデルを構築するため、トレードオフが存在し、100%の精度は保証されない「パレート最適」の状況にあります。その上で、ドラえもんは技術の不完全さや使用者の未熟さを露呈させる「失敗する仲介者」としての役割を果たしており、現代社会においても技術を魔法として盲信するのではなく、その限界やトレードオフを理解した上で対話する姿勢が必要であると結びました。

第2部:ディスカッション

ディスカッションの様子

4人の登壇者による報告に続き、会場を交えたディスカッションでは、現代社会がいかに科学技術を受容しているのか、またどのような想像力を持って向き合うべきかについて、さらに多角的な議論が展開されました。

まず焦点となったのは、技術の「ブラックボックス化」と想像力の問題です。現代の技術は高度に複雑化しており、その振る舞いを完全に理解することは困難ですが、ただ便利な道具として享受するだけでは十分ではありません。議論の中では、漫画『Dr. STONE』のように技術の仕組みやプロセスを物語として説明しようとする「ホワイト化」の努力が必要であるという指摘がなされました。また、子どもたちが抱く科学者像が「謎の研究所にいる人物」といった不透明なイメージに留まっている現状に対し、研究者自身が社会に姿を見せ、親近感や信頼を築いていくことの重要性が強調されました。

フィクションにおける「科学者像」の再解釈へと議論は深まりました。いわゆる「マッドサイエンティスト」のステレオタイプは、一見すると異常に見えますが、研究者にとっては社会的な制約から離れて真理を探求する「誠実さ」の裏返しでもあります。そして、技術者たちが持つ根源的な動機は「問題解決」にあり、目先の課題だけでなく物理的な限界さえも超えようとする熱意が技術を推進しているとの見解も示されました。さらに、新しい科学者の理想像として『ポケットモンスター』のオーキド博士が挙げられました。彼は知識を積み上げ、次世代に希望を託す存在として描かれており、こうした「あり得たかもしれない自分」を投影できる多様な科学者像が提示されることが、固定観念を打破するために不可欠なのです。

新しいメディアにおける身体性と過去の表現についても意見が交わされました。スマートフォンという最新の技術を用いながらも、マンガを読む際に「ページをめくる」という旧来の動作が好まれるのはなぜか。この問いに対し、人間は抽象的で知性的な思考よりも五感を通じた物理的な体験を好むというプラトンの議論が参照されました。デジタル化してもなお身体的な感覚が求められる現象は、紙の本という物理メディアがいかに強力な体験を我々に与えていたかを逆説的に証明します。

新しい技術を語ることは、現在・過去・未来を接続し、技術と人間の関係を捉え直すための重要な視座となることが確認され、全体討議は幕を閉じました。

本研究会は日本記号学会により共催の支援を受けて開催され、多様な専門性をもった方々に参加いただけました。日本記号学会の関係者の皆様に深く御礼申し上げます。


文責:桜美林大学 現代ポップカルチャープログラム 田中一孝

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