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老年心理学とは?
老年期から人生を見渡すことで
「今」の大切さに気づける
人間が生まれてから死ぬまでの期間は「乳児期」「児童期(学童期)」「青年期」などのいくつかの段階に分類されており、このうち65歳以上は「老年期」と呼ばれる。この「老年期」をキーワードに、加齢研究に取り組んでいる学問分野が「老年学」だ。
老年学は、1903年にロシアの研究者・メチニコフが「geronto(ギリシャ語で“老人”)」と「logy(英語で“学”)」を合わせて作り出した造語を日本語訳した言葉で、老年医学、老年社会学、老年心理学、社会福祉学、看護学、死生学、法学、疫学、政治学など、さまざまな分野を越境する学際性に特徴がある。中でも中心的な科目の一つとされる「老年心理学」を専門としているのが、大学院国際学術研究科で「老年臨床心理学特論」や「回想心理学特論」を担当する長田由紀子特任教授だ。
1984年に東京都老人総合研究所の助手としてキャリアをスタートさせて以来、40年以上にわたって同分野の発展に尽力してきた長田特任教授は、老年心理学の目的や意義について、次のように語る。
「老年心理学は、心理・精神機能の加齢変化、高齢期のQOLに関わる要因、加齢に伴う心身の機能低下とその対応等について、科学的に研究することを目的としています。その背景にあるのは、人間の研究をある時期で切り取るのではなく、人生全体の脈絡の中で捉える生涯発達心理学の考え方です。こうした生涯発達心理学の考え方にもとづいて、老年期の視点から人生全体を見渡すことで、『今』の意味や大切さに気づくことができるのです」
高齢者の痛みに対して、
心理的な側面からアプローチする
これまでに認知症や記憶、感情、回想といった老年期特有の心理的課題に深く根ざした書籍から、「定年退職期の夫婦関係」や「高齢者を対象としたアサーティブネス・トレーニング・プログラムの開発」に関する研究まで、老年心理学の中でも多岐にわたるテーマを扱ってきた長田特任教授。
現在は高齢者のうつや痛み、孤独といった臨床分野への研究にとくに注力しているという。その背景には、臨床の現場における、痛みを抱える高齢者に対して心理的なアプローチが求められていることにあった。
「私たちのような心理領域の人間は、痛みに対して直接的なアプローチをすることはできません。しかし、痛みとうつ状態の間には密接な関わりがあると言われています。実際に、カウンセリングを通じてクライアントのライフレビューや背景に耳を傾けることで、痛みそのものがすぐに軽減されることはなかったものの、気持ちが痛み以外に向けられることがありました。痛みに晒されていると、どうしても痛みを消そうと考えてしまいがちですが、病気やケガの症状によっては専門医による処置や投薬でも痛みを完全に消すことは難しいことがあります。そのため、むしろ痛みを抱えながらも楽しく生きていく方法を模索する、心理的なアプローチが求められていると感じています」
長田特任教授が非常勤講師として関わった順天堂大学医学部の附属医院ペインクリニックでは、医師が患者の治療に心理領域の知見を積極的に取り入れようとしているが、一般的には医学と心理の連携はまだまだ難しい段階だという。しかし、今後さらに高齢化が進むこと、痛みとうつ状態の間に密接な関わりがあることを考慮すれば、高齢者の臨床分野における老年心理学の役割はますます重視されていくだろう。
国内初にして唯一の老年学専攻科を持つ桜美林大学
2002年4月、日本初の老年学専攻科が桜美林大学の大学院に設置された。この老年学専攻科の設置に尽力したのは、柴田博氏をはじめとした日本の老年学研究をけん引してきた研究者たちで、現在も日本屈指の老年学の専門家のもと、コア科目と呼ばれる老年医学や老年社会学、老年心理学を中心としたカリキュラムを学ぶことができる。同学専攻科への入学者たちは自らの課題意識のもと学びを深めたいと考えている人が多く、修了後は医療施設、福祉施設、大学、企業などの第一線で活躍をしている。なお、設立から20年以上が経った現在でも、老年学を総合的に学べる国内の大学はほかにない。唯一無二の、極めてユニークな専攻科と言えよう。
児童心理学から老年心理学へ
不登校になった児童との関わりがきっかけで児童心理学の道へ
老年心理学の発展に寄与した研究者の一人である長田特任教授だが、実はもともとの専門は児童心理学だった。
当初は「“手に職”をつけるため」に、幼稚園教諭と小学校の教員免許の両方を取得できる日本女子大学家政学部児童学科に進学したという長田特任教授は、教職科目のほかにも、自らの関心の赴くままに心理学の科目を積極的に履修していた。大家族の中で育ち、日常的に人と関わる機会が多かったことから、人間を観察するのがおもしろいと思っていたのかもしれないと当時を振り返る。
そんな長田特任教授の関心が児童心理学へと本格的に引き付けられたのは、ある不登校の中学生との出会いだった。
「当初は教員になろうと思っていましたが、学部時代に家庭教師として関わっていた中学生が今で言うところの不登校になり、それから3年ほどその子に関わることになりました。卒業論文ではその子との関わりを事例研究のような形でまとめたこともあり、『この分野をさらに深掘りしてみたい』と、児童心理学を学ぶために大学院に進学することにしたのです」

老年心理学にシフトした転機となった出会い
日本女子大学の家政学研究科にて児童心理学を研究していた長田特任教授の探究心は留まることを知らず、「卒業後は児童臨床に関わる仕事がしたい」という夢を抱いていた。しかし、のちに筑波大学の名誉教授を務めることになる、東京都老人総合研究所心理・精神医学部心理研究室室長の井上勝也氏との出会いが、人生を大きく変えることになる。
「私が在籍していた大学院で井上先生が非常勤講師を務めていらして、東京都老人総合研究所の助手のポストが一つ空いているから来ないかと誘ってくださいました。児童心理学を研究したい気持ちがありましたから、当初はそれほど乗り気ではなかったのですが、就職先が決まっているわけでもなかったですし、せっかくのお声かけだからとお話をお受けすることにしたのです」
“誘われてたまたま”取り組み始めた老年心理学の研究だったというが、1900年代初頭に誕生したばかりの新しい学問に向き合ううち、未知の領域を開拓していくことにやりがいを覚え、次々と新たな研究成果を発表。2002年には東京大学の保健学領域で博士の学位を取得し、“老年心理学を専門とする研究者”としてのキャリアを確かなものにしていった。
その後、聖徳大学心理学科の教授や桜美林大学大学院での非常勤講師をはじめ、数々の学術機関で指導にあたるなど、自らの研究だけでなく、後進の育成にも注力することとなる。
児童心理学と老年心理学を貫く「生涯発達心理学」とは?
井上勝也氏からの誘いを受け、児童心理学から老年心理学へと転向した長田特任教授。研究対象が児童であれ高齢者であれ、通底しているのが冒頭でも触れた「生涯発達心理学」の考え方だ。これは人間の研究を「児童期」「壮年期」などとどこか1点で切り取るのではなく、人生全体の中で捉える考え方を指す。長い歴史を持つ児童心理学の分野には先人の考え方が根付いていた一方で、老年心理学の誕生以前は老年期に関する研究がほとんどなかったため、『老年期を過ぎた人は皆、同じように年をとる』などと一絡げに考えられてきた時代もあったという。しかし、現在では老年心理学においても「老年期を知るためには、その人の壮年期や青年期まで遡る必要がある」という認識が当たり前のものとして浸透している。

研究者としてのキャリア終盤だからこそ、
自らの研究を“活かす”仕事を
“老い”を当事者の視点から研究していきたい
自らの研究のほか、日本老年行動科学会や日本老年社会科学会などでの役職を歴任し、社会貢献活動にも注力してきた長田特任教授。
近年は、主に聖徳大学をはじめとした機関で、介護福祉士をはじめ臨床心理士・公認心理師の養成に携わってきたが、今後は自らの知見や技術を地域に還元する仕事も増やしていきたいと意欲を燃やす。
その背景にあるのは、桜美林大学大学院の老年学専攻科の創設にも尽力した柴田博氏が遺した言葉だった。
「東京都老人総合研究所時代から長くお世話になった柴田先生は『理論も大事だけれど、地に足のついた、役に立つ研究をしなさい』とよくおっしゃっていました。私自身の研究者のキャリアも終盤に差し掛かっていますから、自分の研究を深めることよりも、自分の研究をいかに活かすかを今後の主な仕事にすべきではないかと考えています。その一つである“人”の育成にも、これまで以上に重点を置いていきたいです」
また、研究者としてのキャリアが終盤に差し掛かった現在、研究への向き合い方にも変化が生まれている。その変化について、長田特任教授は「当事者研究」という言葉を用いて、このように語る。
「若い頃から研究者の立場から『老い』を探究してきましたが、やはり自分がその身になってみないとわからないこともあります。私もまさに老年期に入ってから、体調を崩しやすくなったり、関節に痛みを覚えて動けなくなったりしたこともありました。そうしたときに『老いゆく本人はどう感じるのか』という内的体験を、研究者の立場から質的に掘り下げていくことにも関心が移ってきたのです。当事者が自らの困難を“研究”という視点から捉えてよりよい生き方を模索することは『当事者研究』と呼ばれますが、そうしたことができる新たなフェーズに入ってきたと感じています」
教員紹介
Profile

長田 由紀子特任教授
Yukiko Osada
1959年、東京都出身。1978年に入学した日本女子大学 家政学部 児童学科在籍中に、心理学に本格的に関心を寄せ始め、1982年から同学の家政学研究科にて児童学を専攻。修士課程修了後の1984年から1991年まで東京都老人総合研究所で助手を務めたことを機に、初期の専門分野である児童学から老年学へと研究の焦点をシフトさせた。2002年に東京大学で博士(保健学)を取得。聖徳大学名誉教授。その他、日本老年行動科学会や老年社会科学会などでの役職を歴任し、社会貢献活動にも注力している。臨床心理士、公認心理師。2024年4月より現職。
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