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少子高齢化の時代に向けて——
「老年学」の視点から課題解決を探る
老年学における社会福祉学が専門
日本では少子高齢化が深刻な課題となっている。厚生労働省のデータでは、2030年には高齢化率が31.8%にも達すると予測されている。この急速な高齢化により、人材不足、医療費の増加、介護サービスの需要拡大、社会保障制度の維持といった多くの問題が生じる可能性がある。こうした「2030年問題」に対応するため、多角的な視点から高齢社会の課題を研究する学問が「老年学」だ。
老年学は、医学、心理学、社会学、保健学、社会福祉学など、さまざまな分野の知見を統合しながら、持続可能な高齢社会のあり方を探る学問。大学院国際学術研究科の中谷陽明教授は、老年学のなかでも特に社会福祉学を専門とし、高齢者やその家族への支援のあり方を研究している。
「私が社会福祉学を専門にしたのは、学部時代に社会学部の社会福祉コースを選択したことがきっかけでした。人の役に立つ分野であると考え、学びを深めましたが、1980年代当時は社会福祉士の国家資格がなく、主な就職先も病院などに限られており、キャリアの選択肢が限られていました。そこで、より専門的に学ぶために大学院への進学を決意。その後、指導教授の勧めもあり、アメリカのハワイ大学大学院への留学も経験しました」

アメリカでの学びと帰国後の研究活動
ハワイ大学大学院は、ソーシャルワーカー(社会福祉士)の育成に力を入れており、現場経験を積める、充実したカリキュラムだった。講義は実務経験豊富な教員によって行われ、週に2日は病院での実習も課されていたという。
「特に大変だったのは語学でした。病院の実習では患者との対話が欠かせませんが、最初のうちは英語力の不足からスムーズにコミュニケーションを取ることができず、時には『なぜそんなに英語が下手なのか』と言われることもありました。また、患者が心を開いてくれないこともあり、苦労しました。しかし、経験を積むうちに少しずつ信頼を得ることができ、最終的には無事に卒業することができました」
帰国後、日本では依然として社会福祉士の職域が限定されていたが、大学院時代の恩師の推薦を受け、東京都老人総合研究所(現・東京都健康長寿医療センター研究所)で研究活動を開始した。
「高齢社会においては、単に高齢者本人への支援だけでなく、家族や介護者へのサポートも重要です。私は、高齢者やその家族の負担を軽減し、より良い福祉制度を構築するための支援策を探究していました」
日本の介護制度の変遷と
支援のあり方を考える
要介護者を支える家族のストレス調査
中谷教授は東京都老人総合研究所で、要介護者を抱える家族に対し、アンケート調査やインタビューを実施し、介護に伴う負担やストレスの実態を明らかにする研究を行なっていた。1980年代後半の日本では、家族が介護を担うのは当たり前という価値観が根強く、負担を感じていても、それを表に出すことは少ない時代だったという。
「『家族が面倒を見るのが当然』という意識が強く、介護を負担と認識すること自体が後ろめたく感じられていたのです。しかし、調査を重ねるなかで、多くの家族が実際には大きな負担を抱えていることが浮き彫りになりました。『家族のことだから社会に頼るのは違う』と考える人も少なくありませんが、現実には支援を必要としている人が多い。そうした背景から、公的制度と民間サービスの両面で、家族の負担を軽減する仕組みを整えることの重要性が明確になったのです」
介護保険制度の導入と尊厳あるケアの実現
2000年、少子高齢化や核家族化の進行を受け、介護を社会全体で支える仕組みとして「介護保険制度」が導入された。介護サービスの財源となる保険料を納めることで、必要に応じて訪問介護、デイサービス、施設入所、福祉用具の貸与や住宅改修など、多様なサービスを受けられる制度である。
「介護保険制度の導入以前は、税金を財源とする福祉制度のもとで高齢者支援が行われていました。そのため、介護施設などでは『サービスを提供してもらう』という意識が強かったのです。しかし、介護保険制度の導入によって、利用者自身が保険料を支払うことで、『自分の権利としてサービスを受ける』という意識が芽生えました。これは非常に良い変化だったと思います。一方で、近年ではサービスの要求が過剰になり、カスタマーハラスメントのような状況も発生しているため、需要と供給のバランスを考えることが重要です。こうした調整こそ、社会福祉士の役割の一つです」
たとえば、多くの介護施設では週1回の入浴を基本としているが、人材不足のため、週3回の入浴を希望されても対応が難しい実情がある。本当は毎日入りたいと考える人もいるかもしれない。こうした尊厳あるケアをどこまで提供できるかは、人的・財政的資源と密接に関わっている。老人ホームは人生の最期を迎える場になることもあるため、一人ひとりの尊厳を守りながら、現実的に提供可能なサービスの範囲を見極めることが、今後の介護制度の課題と言える。

少子高齢化社会における
介護の未来を探る
「地域包括ケアシステム」の構築と社会福祉士の役割
厚生労働省が高齢者福祉政策の柱として掲げる「地域包括ケアシステム」。この概念は2005年の介護保険法改正を機に介護業界で広まり、2014年には全国の市町村での構築が法律に明記された。
地域包括ケアシステムとは、住民や行政、医師・看護師・ケアマネージャー・社会福祉士といった多職種が連携し、地域全体で高齢者を支える仕組みを指す。この実現には、多職種間の協力が不可欠であり、特に社会福祉士は「相談支援の専門家」や「地域と専門職の橋渡し役」として重要な役割を担う。社会福祉士が適切に機能することで、高齢者が必要な支援を受け、住み慣れた地域で安心して暮らせる社会が形成される。この流れを受け、大学などの教育機関では社会福祉士の育成に注力するため、カリキュラムの整備が進められてきた。
「私自身も研究所での活動から教育の立場へと転じ、大学で人材育成に取り組むようになりました。私の学生時代には、社会福祉士が求められる場所は少なかったですが、現在では福祉事務所や地域包括支援センター、病院、高齢者施設、障害者支援施設、児童相談所、NPO、社会福祉協議会など、社会福祉士の活躍の場は大きく広がっています。社会福祉士は地域包括ケアシステムの要なのです。しかし、慢性的な人材不足が続いている実情があります。私は教育を通じてこの課題の解決に貢献したいと考え、これまで複数の大学で人材育成に取り組んできました」
社会福祉学と老年学の意義
現在、中谷教授は桜美林大学大学院の老年学学位プログラムで、自身のこれまでの経験や社会福祉制度の現状などを学生たちに伝えている。また、老年学学位プログラムでは中国からの留学生が多く学んでいる点が特徴的だという。
「中国は今後、日本以上に深刻な高齢化問題に直面すると予測されています。留学生たちも、その危機感を持って学びに来ているのでしょう。日本は介護保険制度を導入しましたが、限られた財源のなかでどこまでカバーできるのかが常に課題となっています。一方、中国では、これまで家族による介護が主流でしたが、急速な高齢化を背景に、公的サービスや試験的な介護保険制度の導入が進められています。ただし、地域格差や制度の整備不足といった課題があり、日本のような全国一律の介護保険制度の確立にはまだ時間がかかるでしょう」
介護財源の確保は大きな課題となっている日本においても、制度の持続性を考慮し、サービスの提供範囲を見直すか、財源を新たに確保するか、慎重な議論が求められている。中谷教授は、社会福祉学や老年学が「時代の変化に即した、実践的で社会に貢献できる学問」であることを強調する。
「日本の高齢化は世界に先駆けて進んでおり、その対策は他国にとっても貴重なモデルケースになります。今後の社会のあり方を考える上で、社会福祉学や老年学の果たす役割は非常に大きい。実践的な課題に取り組みながら、より良い未来を模索することこそが、この学問の魅力です」
教員紹介
Profile

中谷 陽明教授
Yomei Nakatani
日本社会事業大学大学院 社会福祉学研究科 博士課程修了 博士(社会福祉学)。東京都老人総合研究所 社会福祉部門 研究員、日本女子大学 人間社会学部社会福祉学科 助教授・准教授、松山大学 人文学部社会学科 教授を経て、2021年より現職。
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