メインコンテンツ
高等教育学と社会教育学を「生涯学習」というキーワードで結びつける
個人の成長を社会に還元し、“知の総和”を高める
高等教育学と社会教育学——前者は大学や高等専門学校、専門学校などで行われる教育を研究する学問分野であり、後者は公民館など学校教育や家庭教育以外の場で行われる組織的な教育活動を研究する学問分野である。これまで異なるジャンルとして扱われてきた2つの教育学分野に、実は共通する本質があるとしたら。文部科学省で31年間にわたり教育政策に携わり、現在は研究者として活動する大学院 国際学術研究科の小山竜司教授は、この2つを「生涯学習」というキーワードで結びつける独自のアプローチを展開している。
「生涯学習と聞くと、『一生にわたって勉強しなくてはならないのか』と抵抗を感じる人がいるかもしれません。しかし、それはこの言葉の本質ではないと考えています。重要なのは、生涯を通じて人格を成長・変容させ続けられる社会を実現すること。その学習の機会として大学があり、図書館や博物館があり、公民館やカルチャーセンターがある。学びの種類や難易度は異なっていますが、自らを高めて豊かな人生を描けるという点では共通しています。多くの選択肢から自分に合った学びを選べることこそが、生涯学習において求められているのです」
近年、ビジネスにおいて「リスキリング」を重視する動きが加速している。リスキリングとは、新しい仕事や業務に対応するために必要なスキルや知識を習得する、あるいは企業が従業員に習得させること。大学院への進学を推奨する企業が増えるなど、リカレント教育との親和性も高い取り組みのように思われる。しかし、それらは生涯学習のほんの一部に過ぎない動きだと小山教授は考えている。
「もちろん、新しい学びによって個人が成長することは大切です。しかし、何より重要なのは学びを社会に還元すること、すなわち“知の総和”を高めることだと考えています。それぞれが自己実現を達成することで、社会との相互作用を生み出していく。同時に、生涯学習の場はコミュニケーションや人のつながりを創出し、政治や宗教を超えて相手を尊重できる土壌となります。一人ひとりにできることは限られているなかで、柔らかい心で他者と接する場所。地域コミュニティの希薄化や家族の分断が進む現代社会において、学びの場が充足感を持って社会に参加できる基盤を提供してくれます」
現代社会の忙しさが「生涯学習」の障壁に
ビジネスシーンにおける「リスキリング」の重要性が説かれるようになった一方で、小山教授の重視する生涯学習全般の取り組みは広がりをみせていないという現状がある。その背景にあるのは、現代を生きる人々の多忙さだ。日々の仕事に時間を奪われ、貴重な休日は家でゆっくり休みたい。そうした生活が人々を学習から遠ざけている。ようやく経済界が本腰を入れ始めた「リスキリング」も、あくまでビジネス由来の限定的な概念に留まっている。真の生涯学習社会の実現には、単なるスキルの習得だけでなく、多様な世代の知識や経験を組み合わせ、さまざまな活動に参加できる環境が必要となる。
「地域によって異なるとは思いますが、街のお祭りに参加したり田植えを手伝ったりと、従来の社会には協働の機会がありました。それによって家庭や会社とは別のところで、複数のアイデンティティを築くことができたのです。多様な人々による地域との重層的な関わりは、特に地方都市において今後不可欠になることが予想されます」
地域社会を持続させるための学び合いの場
「地方創生」に対して、外部から企業や商業施設を誘致して人を呼び込み、経済の衰退を食い止めるイメージを抱く人も少なくないだろう。もうひとつの可能性として考えられるのは、現地の人々の暮らしを時代に合わせて変化させながら維持することである。地方から都市へと若者が流出する傾向はある程度やむを得ない。そこで、地元に残った人々が相互に、あるいは外部人材とも助け合い、テクノロジーも活用しながら地域社会を発展させていくことが期待される。その鍵を握るのが「生涯学習」なのである。
「若者が少なくなった地域社会で、どのように不便さを補っていくのか。この課題と向き合った時、テクノロジーの力も借りながら残った人々が多様な「関係人口」と助け合う未来を考えなくてはなりません。物流や防犯、地域コミュニティの創出といった最低限の取り組みを進めておかなくては、持続可能な暮らしが成り立たなくなってしまいます。戦後より地域社会では、公民館活動をはじめとする学び合いの場が設けられてきました。地方で暮らし続ける人々が主体性を持って新しい知識やスキルを身につけ、自分たちで地域の魅力を高めていく。外部から人を呼び込むよりも持続性がありますし、魅力的な街をつくることが人々を呼び込む力にもなりうるでしょう」
生涯学習社会への転換が、日本の大学が直面する経営危機を救う
偏差値序列では地方の大学から淘汰されてしまう
「生涯学習」が光をもたらすのは、地方都市の人口減少だけではない。日本の大学が直面している経営困難な状況についても、課題解決の可能性を秘めている。2025年に出された中央教育審議会の答申「我が国の「知の総和」向上の未来像~高等教育システムの再構築~」によれば、2035年から2040年の間にわずか5年で18歳人口(大学進学者数)が59万人から46万人へと13万人も減少すると予測されている。これにより、年間90校程度の大学が閉鎖する懸念があるという。
「少子化が進んでいる以上、大学が淘汰されることは避けられません。ここで問題になるのは、その淘汰のされ方です。旧来の偏差値序列でいう人気度ランクの低い大学から潰れていく動きが進めば、地方の大学から削減されていくことになりかねません。そうなれば、ますます日本の地域格差が広がってしまいます」
学歴社会から生涯学習社会へ
そこで求められているのが、大学経営における偏差値重視から生涯学習重視への転換だと小山教授は強調する。若い一時期に勉強して入った大学の偏差値がその後の人生の価値を決める学歴社会は、いわば生涯学習社会の対極にある。学びは生涯を通じて続くものであり、限定的な期間に詰め込んだ学習内容でランクをつけるのは本質的ではないとするのが生涯学習社会の考え方。文化振興やレクリエーションも含め、豊かな人生の選択肢を増やす。学歴社会に対するアンチテーゼとして、学習行動の根底にあるはずの「生涯学習の理念」が、より重要視される必要があると小山教授は考える。
「努力を重ねて偏差値の高い大学に入り、有名な企業に就職する。これが学歴社会の理想とする人生です。そしてそのなかでも競争が続き、スキルを磨き続けなくてはならない。なぜなら、成果があがらなくなった瞬間に自分の立場が失われてしまうからです。しかし、まさにそれが学歴社会ならではの価値観。他の選択肢がないと思い込まされているため、失うことを恐れてしまうのです。もちろん大企業からリストラされれば、所得は減ってしまうかもしれません。しかし、地域社会のなかで自己実現し、生活に困らない稼ぎを得ることは不可能ではない。それを地方で成立させられるような社会のあり方を模索すべきだと考えています」
大学・短期大学という膨大なアセットを生かすために
“失われた30年”のなかで、偏差値重視の学歴社会が幻想だと証明されてしまった。今後は社会がこのステレオタイプから脱却し、生涯学習社会への転換を図る必要があると小山教授は説明する。そして、そこには大学をはじめとする高等教育機関が生き残っていくための方策が示されている。2005年に出された中央教育審議会の答申「我が国の高等教育の将来像」では、大学の機能別分化という概念が正式に採用された。つまり、大学を偏差値序列ではなく、それぞれの強みや特色に応じて評価する考え方である。日本に千以上ある大学・短期大学は社会的な財産であり、これらを生かすためには、オンライン技術も活用しながら、地元の教員がチューターとして少人数指導を徹底するなど、新しい学びの形を模索する必要がある。人口減少に伴い経営危機に瀕する大学にとって、この取り組みが起死回生の一手になると小山教授は強調する。
「歴史を振り返ると、そもそも大学は年齢に関係なく学びたい人が集まる場所であり、18歳で入学するという制度は近代国家の成立以降に定着したものに過ぎません。そして、学歴社会から逃れられないという思い込みが、若者を都市部の大学へと駆り立てています。生涯学習社会が広く認知され、年齢を問わず学びたいことを学びたい場所で勉強できるようになれば、全国に点在するこの膨大なアセットを生かすことができるようになるはず。18歳だけでなく全年齢層を対象とすることで潜在的な顧客層は現在よりも増加し、持続可能な大学経営を実現することができるはずです」
国家公務員になって初めて出会った「生涯学習」という概念
アメリカで目の当たりにした柔軟な高等教育制度に衝撃を受けた
高校時代は物理学者を目指して理系学部に進学したものの、国家公務員になるという新たな夢を追って法学部に転部したという小山教授。卒業後は文部省(後の文部科学省)に入省し、最初の配属先となった生涯学習局で「生涯学習」という概念と出会う。自身も高校生の段階で文理選択に迷った経験があったことで、学歴社会のアンチテーゼとなるその価値観がすぐに腑に落ちたという。2005年には中央教育審議会の大学の機能別分化を唱えた答申の作成をサポート。その過程で、「大学のあり方は多様でいい」という考えが揺るぎないものに。高等教育と社会教育、そして生涯学習の理念が一本の線でつながった瞬間だった。
「2006年からは客員研究員としてカリフォルニア大学バークレー校にも行きました。アメリカの高等教育に触れて感じたのは、教育プログラムの柔軟性です。日本の短期大学にあたるコミュニティカレッジは門戸が開かれており、学びたい人を広く受け入れている。そして、真面目に学習していれば4年制の有名大学に編入することもできます。要するに、“受験戦争”に躍起になる必要がないのです。こうした状況を目の当たりにし、日本にも偏差値から脱却した新たな教育システムを導入しなくてはならないと強く思いました」
目指すのは、「大人の学習権」の確立と学習機会の創出
30年以上の公務員生活を経て培った「大学システムの研究を本格的に行いたい」という思いから、小山教授は大学教員の道に進むことを決めた。「生涯学習」というテーマと関連して掘り下げたいのは、「大人の学習権」という概念だという。この概念は、2018年の「九条俳句訴訟」判決で憲法上の権利として認められた。公民館だよりへの俳句掲載を拒否された女性が、さいたま市を相手に俳句の掲載と慰謝料の支払いを求めて提訴。その判決において、大人の学びにも学習権があり、また、学習成果発表の自由が認められるとされたのだ。しかし、依然として「大人の学習権」は、憲法学の教科書などに十分反映されていない現状がある。
「まずは『大人の学習権』を基本的人権として確立すること。そして、それに奉仕する形で行政や大学が学習機会を整備することが求められます。そのために、高等教育と社会教育を『生涯学習』で結びつけることが私の役割だと考えています。研究を通じて学歴社会の弊害を少しでも拭い去り、生涯学習社会の実現に向けて貢献したいです」
学歴社会の当事者として抱えていた息苦しさ
国家公務員としてのキャリアを糧に、現在は大学の内側から高等教育制度にパラダイムシフトをもたらそうと模索を続ける小山教授。まさに自ら「生涯学習」を体現するその根底には、どのような思いがあるのだろうか。最後に、生涯学習社会の実現に懸けるモチベーションを尋ねた。
「私自身は偏差値ランキングとしては優秀な大学に進み、国家公務員という仕事を選んだ人間です。その一方で『何かが違うな』『息苦しいな』という思いをずっと抱えてきました。生涯学習局で働くなかで、その息苦しさの正体が学歴社会の弊害によるものだと理解できたのです。行政や企業、大学の意思決定に関わっているのは、過酷な学歴社会を勝ち抜いてきた人が多いでしょう。その日本で『生涯学習』の意義が伝わらないまま大学が次々に潰れ、地方経済が廃れてしまう未来はすぐそこに迫っています。しかし、生涯学習社会の実現と大学倒産時代の到来、どちらが先にくるかまだ勝負は着いていません。すべての大学が潰れないというのは夢物語ですが、『生涯学習』に基づく業態転換というアイデアによって少しでも食い止めたい。それが私の大きなモチベーションです」
教員紹介
Profile
小山 竜司教授
Ryuji Koyama
1964年神奈川県生まれ。1989年大学を卒業後、文部省(現文部科学省)へ入省。生涯学習局、初等中等教育局、高等教育局、教育助成局にて主に法令関係業務(生涯学習振興法、大学設置基準、国立学校設置法)に従事。1996年より福島県教育委員会総務課長、2006年よりカリフォルニア大学バークレー校客員研究員。文部科学省では高等教育政策室長、私学助成課長や国立大学法人支援課長等、文化庁では美術学芸課長(国宝・重文指定、高松塚古墳)、内閣官房では内閣参事官(地方創生、ユネスコ世界遺産)等を経験。2020年に文部科学省を早期退職し、神奈川大学法学部特任教授。2022年より現職。
教員情報をみる
