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企業の真の価値はどこにあるのか?
事業成長と社会貢献のバランスを探る
新しい時代に求められる
持続可能な企業のあり方
企業による持続可能な社会の実現に向けた施策が進められている近年、「ESG」というキーワードが注目を集めている。ESGとは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字を合わせた言葉。ここには、企業が長期的に成長していくために重要となる3つの観点が示されている。こうした考え方が社会に浸透するはるか以前から、境睦教授は長期的な目線に立った企業経営のあり方に関心を寄せてきた。特に、近年は「サステナブル・ファイナンス」と「人的資本」の実践的な研究に注力していると語る。
「もちろん、企業にとって利益を上げることは非常に重要です。一方で、パフォーマンスを高めることだけに注力しすぎると、その過程で見落としてしまうものがある。環境への影響や社会との関係、多様性への理解……。こうした社会的テーマをないがしろにした企業経営では、短期的に利益を生んだとしても長期的な発展は見込めないでしょう」
社会に貢献することは
企業価値の向上にもつながる
企業の成長と社会貢献の両立について、大切なのはバランスだと境教授は強調する。日本国内においてもSDGsに関連したトピックがさまざまな議論を呼ぶ中、そうした課題の解決に向けた取り組みを企業価値の向上につなげていくことが求められている。
「例えば、化学系メーカーは事業と環境問題が直結していますよね。商品の製造プロセスにおいて発生した化学物質や廃棄物が、大気汚染や海洋汚染を引き起こしてしまう可能性がある。当然ながら環境に対する配慮が求められますが、それには膨大なコストがかかります。また、原材料の調達から生産、加工、流通、販売にいたるまで、製造業は多くのサプライチェーンを経て商品を消費者まで届けています。環境に配慮した制限を設ければ、自社のみならず大きなサプライチェーンをすべて巻き込むことになります。こうした『企業の負担』と『環境への配慮』の二者択一について、どちらが正しいという明確な答えは存在しません。どこで折り合いをつけるべきなのか、研究を通じて双方のバランスを探ることが私の役割だと考えています」

企業のIRをより実用的かつ
わかりやすくする活動に注力
こうした取り組みの一環として、境教授は企業のIR(Investor Relations)をサポートしている。特に統合報告書については、国内の慣習によって各社が同様の項目を公表してきた歴史がある。しかし、社会的な課題が多様化する現在、事業内容に応じて評価基準を差別化することが重要になりつつあるという。
「サステナビリティに対する社会的な関心の高まりを受け、各社で個別の統合報告書を作成しようという動きが活発化しています。また、日本の市場に参入する外国人投資家も増加している中で、膨大な情報を並べた従来の統合報告書の解読が大きなネックになっている。そこで、私は専門家の立場から作成の支援を行うと同時に、コンサルタントと協力して各社の統合報告書をわかりやすく解説する動画コンテンツを提供するサービスも立ち上げました」
現在の研究に着手し始めたのは
ガバナンスの是非が議論されていた時代
企業の資金調達・運用における
プロセスを知りたいと思った
境教授がコーポレート・ファイナンスの研究に関わり始めたのは、大学院生のころだった。もともとは起業と投資に興味を持ち、経済学部の経営学科に進学した。その中で国際金融論を中心に学んでいたが、当時は面白さを感じられなかったという。大学院に進んだ理由も、税理士資格の取得において科目免除があるからという打算的なもの。しかし、徐々に研究の魅力にのめり込んでいくこととなる。
「私が大学院に進んだ当時は、バブルの煽りを受け銀行業界や証券業界に注目が集まっていた時代でした。そこで興味を持ったのが、アメリカで盛んに行われていたM&Aです。もっといえば、企業がどのように資金を調達し、運用することで経営を維持していくのか。その一連のプロセスを深く知りたいと思うようになりました。それが現在まで続く、コーポレート・ファイナンスに関する研究の原点です」
フォーラムでの出会いが
研究を深めるきっかけに
ひと口に「コーポレート・ファイナンス」といっても、企業の経営を分析する上でさまざまなアプローチが考えられる。いかに資金を調達し、どのような事業に投資するのかという根本的な観点にくわえ、より質の高い経営判断や意思決定を実現するために、WACC(加重平均資本コスト)、ROE(自己資本利益率)、ROIC(投下資本利益率)、NPV(純現在価値)、IRR(内部収益率)といった指標や、幅広い会計学の理論が用いられる。こうした多様なアプローチに面白さを見出した境教授は、1990年代後半からIRの調査にも着手するようになった。それが、コーポレート・ガバナンスの研究へとつながる。
「IRの研究を進める過程で、30〜40社の日本企業へのインタビュー調査を実施しました。1990年代後半はちょうど、日本国内においてコーポレート・ガバナンスの議論が盛り上がっていた時代だったと記憶しています。アメリカをはじめとする海外からも日本のコーポレート・ガバナンスの脆弱性を指摘する声が上がっており、社外監査役や社外取締役の導入も含めて、“改革”が求められるようなタイミングでした。そんな時、私の研究を知った朝日新聞の方から、財政界の著名人が集まるガバナンス関連のフォーラムに招待されました」
フォーラムには、コーポレート・ガバナンスに対する深い見識を持った人々が参加していた。彼らとの出会いが研究を広げるきっかけになったと境教授は振り返る。特に、日本取締役協会の元専務理事矢内裕幸氏やタワーズペリン東京支店長を務めた経営者報酬コンサルティングの第一人者である阿部直彦氏と交流を持ち、『週刊ダイヤモンド』では彼らとともに機関投資家へのアンケートに基づく「コーポレート・ガバナンス・ランキング」を発表した。
「2000年前後の議論では、日本に米英式のガバナンスを導入することの是非が主に問われていました。外部の人間が経営に介入することを良しとしない慣習に、海外の仕組みはマッチしないという意見もあった。さらに、アメリカの大手エネルギー企業が不正会計を行なっていたという『エンロン事件』が明るみに晒され、その余波もあってさらなる疑念が生じていました」
変動型の経営者報酬制度を
日本に導入できないか検討
そうした議論の渦中において、境教授が着目したのは「経営者報酬」というトピックだった。従来の日本では、固定報酬が長年にわたって維持されてきた。この背景には、日本企業特有のメインバンクシステムや株式持ち合い等の企業システムや日本的経営があると考えられる。日本では、いわゆる「サイレント株主」の存在のもと、サラリーマン社長が多く見られる企業文化が根付いており、経営者の手腕が過小評価される傾向にあった。その結果、経営者の株主に対する意識も希薄であった。しかし、近年では株主の属性が多様化しており、このような状況下では、株主と経営者の間に利害の対立が生じるリスクが高まっている。ひいては、株主の中長期的な利益が損なわれる可能性も内在しているのである。
「こうした問題を解決する手段として、経営者報酬と企業業績を一致させることが考えられます。つまり、業績に連動して変動するインセンティブ報酬を導入するということ。これにより、株主にとって重要な企業の成長が、経営者にとっても最大のメリットになります。特にアメリカでは当時から変動型の株式報酬制度が一般化しており、その仕組みを日本に応用できないかと考えました」
経営者報酬に関する研究は、境教授にとって2010年代まで続く重要なテーマとなった。教授自身が2018年の論文で「メインバンクや株式相互保有が崩れ、次第に機関投資家の比重が拡大していく中で、業績連動型報酬制度が浸透していく可能性」があると示唆した通り、日本でも大企業を中心に変動報酬制度への移行が進められている。近年、企業の価値が報酬に直結することから、経営者が中長期的に業績向上や社会貢献に注力するモチベーションは高まっていると考えられる。しかし、こうした取り組みが企業価値の向上につながったのかを知るのは、もう少し先のことになるだろうと境教授は推測する。
「社会の要請を受け企業の情報開示は進められていますが、経営者報酬の変化はここ数年の動向であり、情報の蓄積が足りていません。また、コーポレート・ガバナンスにおいて日本に前例を示してくれるアメリカでも、どの取り組みが企業価値に影響を及ぼしたのか、いまだに議論が現在進行形で行われているところです。しかし、役員報酬の改革や女性の活躍推進といった施策は、必ず企業価値や財務パフォーマンスに何らかの影響を与えるはずです。きっと向こう10年で集まるデータが明らかにしてくれるでしょう」

コーポレート・ガバナンスは
企業にとってアクセルとブレーキの両端を担う
「SDGs」のはるか以前より
環境マネジメントの研究に着手
こうした研究を経て、現在は「サステナブル・ファイナンス」の実践的な取り組みに注力する境教授。企業だけでなく社会全体の持続可能性を検討するという点で、研究のスケールは大きい。近年においては「SDGs」というキーワードのもと、企業の社会貢献活動が推進されている印象がある。しかし、アメリカでは30年以上前から多様性、環境リスクといった諸問題と経営の関連が指摘されてきたのだという。境教授も2000年代の早い段階から、環境リスクに関する調査に携わっていた。
「私がカリフォルニア大学バークレー校で客員研究員をしていた2000年代前半時点で、アメリカの価値観は現在の日本のSDGsに対する意識と大きく変わりなかったように感じます。大学院でも企業が果たすべき社会的責任や環境マネジメントに関する議論が積極的に行われていました。そこに国連によるSDGsの後押しがあり、サステナブル・ファイナンスの必要性を改めて感じるようになりました」
経済を発展させると同時に、人権や環境を含めて企業のガバナンスを保持していく。これは、いわば当たり前ともいえる考え方だ。しかし、サステナブル・ファイナンスの議論はそう単純なものではない。ビジネスに関しては、何を社会貢献とするのかが難しい場合もある。
「人によって価値観は異なり、それに応じて事業への評価も違ってきます。防衛産業はその代表例ですよね。兵器をつくる産業に投資することは、戦争に加担しているのと同じだという声がある。一方で、外部の攻撃から人命を守るために必要だという考えもあります」
視点や情報選別によって
企業の評価は変わってしまう
立場や視点によって、企業の取り組みに対する評価が異なってしまう。これはESGのみならず、コーポレート・ガバナンス全体にも共通していえることだ。その点が研究の難しさでもあると境教授は続ける。
「企業価値を評価するための指標は無数に存在します。どの数値を、どのアプローチから分析するかによって、企業の見え方が変わってしまうのです。また、長期的なデータの蓄積がなければ、企業の施策がパフォーマンスにどのような影響を及ぼしたのかを判断することができません。データの制約もある中で必要な財務情報をピックアップし、それらの要因について科学的な見地から実証分析を行なっていく。それがコーポレート・ガバナンス研究の難しいところだと感じています」
ビジネスの側面から
より良い社会の実現に貢献する
企業にとってアクセルとブレーキの両端を担うことが、コーポレート・ガバナンスの役割だと境教授は語る。事業の成長を加速させるだけではなく、さまざまなリスクをチェックして適切にマネジメントする機能。そして、環境問題や人権問題といった社会課題とのバランスを探る機能が、次世代のコーポレート・ガバナンスに求められている。
「世の中が目まぐるしく変化していく中で、すべての面において豊かな社会を維持するというのは理想論かもしれません。しかし、ビジネスの側面からより良い社会を追求することは、コーポレート・ガバナンスの研究に取り組む上で大きなやりがいになっています。経済の構造が新しくなり、企業の存在意義も変わっていくでしょう。次の時代における企業のあり方を突き詰めていくことが、これからの研究の面白さだと思います」
教員紹介
Profile

境 睦教授
Mutsumi Sakai
1966年、青森県生まれ。早稲田大学大学院商学研究科・修士課程修了(商学修士)、同博士課程単位取得満期退学、明治大学(経営学博士)。1994年から桜美林大学経済学部講師、経営政策学部助教授などを務め、2003年カリフォルニア大学バークレー校ハーススクールオブビジネス客員研究員。2006年桜美林大学ビジネスマネジメント学群助教授、2007年より同学群教授。2009年からは桜美林大学大学院経営学研究科経営学専攻修士課程教授も務める。主な著作物に『DXと人的資本』(共著、税務経理協会)、『新ベンチャービジネス論』(共著、税務経理協会)、『日本の戦略的経営者報酬制度』(中央経済社)など。
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