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生産性の停滞、プラットフォーム経済の課題……
経済学の視点から社会問題の構造を浮き彫りにする
労働市場の変化から読み解く
日本経済が抱える課題
デジタル技術の発展や転職市場の活性化を受け、働き方の多様化が実現しているかのように思われる現代社会。しかし、日本経済全体の生産性向上は依然として課題のままだ。「個人にとって最適な選択と、社会全体の生産性向上は必ずしも一致しない」。そう指摘するのは、経済企画庁、外務省、内閣府での豊富な実務経験を経て、現在は桜美林大学で主に大学院経営学学位プログラムを担当する西川正郎教授。ミクロ経済学、マクロ経済学、そして経営学を横断しながら研究を続け、失業や金融政策といった日本経済が抱える課題に示唆を与えている。彼が着目するのは、従来の企業内人材転換システムから直接的な転職市場へと移行した労働市場の構造変化。一見、労働移動の活発化は望ましい変化に見えるが、その実態はより複雑だという。
「従来の日本では、社内の人材を配置転換や出向によって事業を発展させてきました。これは経済学的に見れば、需要サイド、つまり雇う側の変化に応じた労働力の移動だった。しかし、近年はダイレクトな転職市場が大きくなり、供給サイドにおける人材の流動化が進んでいます。そこには明確なルールが存在せず、労働市場全体の動向を把握している人も少ない。いわば“未知の領域”に入ったといえるでしょう」
デジタルマーケットには
規制が求められる
日本の高度経済成長期に確立された大企業中心の経済システムは、高度成長期を中心に成功を収めたと西川教授は分析する。海外から入り込んだ技術を応用し、国内で独自に発展させていく。いわゆる「キャッチアップ型」の戦略が重化学工業や電機・電子機器製造業の分野とマッチし、雇用制度の面でもポジティブに機能してきた。ところが、産業構造が次第にモノ中心からサービス中心へと変化。グローバル化やDX化の加速にくわえ、労働市場も複雑に多様化し、これまでの経営システムに歪みが生じ始めている。こうした状況下においては、各労働者に選択の自由が与えられるだけでなく、社会全体として5年、10年先を見据えた制度が必要になると西川教授は語る。
「デジタル社会における産業構造は、プラットフォームの経済であるといえるでしょう。従来は商品を販売するための店舗が全国に必要でしたが、現在は統合された大きなデジタル空間があれば事足りてしまう。さらに、デジタル空間を構築するための費用は逓減するので、規模が大きいほど全体のコストは下がります。そのため、参入の早かった企業が大きな市場をつくりあげ、独占が発生しやすくなる。このプラットフォーム経済の問題を見据え、EUは早くから規制を行なってきました。しかし、日本はまだ対応に遅れている状況です。私はその点に大きな問題意識を持っています」
経済学・経営学の利点を活かした
総合的な目線からの分析が重要
プラットフォーム経済は多くのメリットをもたらす一方で、いったん独占的地位を獲得してしまうと、そこから派生する力の行使によりさまざまな問題が引き起こされる。利用者の信頼維持、取引の安全性担保、適切な個人情報の扱いなど、まずは健全な取引が行われているのかが気になる。それだけでなく、経済的利益の配分が適切になされない懸念があるという。一部の大手プラットフォーム企業が市場を支配し、取引先や契約相手となる個人事業主が競争において不利な立場に置かれがちになる。
企業倫理の確立や行政の介入がなければ、健全なデジタルマーケットを維持することは難しい。“先にやった者勝ち”の独占状態が形成されてしまうのである。これは古典的なミクロ経済学の視点を持っていれば、容易に予期できた事態だった。現代社会の経済問題を扱ううえで、経済学や経営学の知識が果たす役割は大きいのだという。適切な規制や競争政策だけでなく、労働者を適切に保護する法制が必要だと指摘する。
「私が関心を持っているのは、景気の動向というよりも、経済の構造そのものです。それによって、日本経済の活力を底上げしたいと考えています。その分析ツールとして機能してくれるのが、マクロ経済学やミクロ経済学、経営学といった分野の知識です。乱暴な言い方ですが、経済学は演繹型の時代や環境に左右されにくい理論を確立している。一方の経営学は帰納型で、事例に沿って現象をわかりやすく説明することに長けています。課題を解決するためにツールを選別する必要はないでしょう。実際、海外のビジネススクールでは、経済学、社会学や心理学の理論フレームを背景に経営を考えることが前提となっています。これが日本では、成功した経営事例を集めて、そのパターンから学ぶとなりがちです。分野にとらわれることなく、両者の利点を融合させた目線から日本経済や企業を分析することが重要だと私は考えています」
日本に暮らす生活者の家から
“かまどの煙”は上がっているか?
日本の第16代天皇である仁徳天皇には、山の上から人家を見渡し、かまどの炊煙が上がっていない様子から民の貧窮を推測し、減税・国家予算節約など善政に努めたという逸話が残されている。当時「かまどの煙」は、人々の生活の豊かさを示すひとつの指標だった。現代においては、失業率やGDPなどの経済指標に置き換えられるものだろう。西川教授はこのエピソードを例に、俯瞰的な視点から経済を分析することの重要性を説明する。
「マクロ経済学や金融政策の当事者は、時に個人をないがしろにしてしまうことがあります。国全体が経済成長していることに安心し、その状況を豊かさであると思い込んでしまうのです。それを考え直すために政治でも用いられるようになったのが“生活者”という言葉です。日本で暮らす生活者の家から“かまどの煙”は上がっているのか。そして、それをきちんと観測して国政に反映できているのか。生活者に寄り添った中長期的な立場から、本当の豊かさをもたらすための経済研究が求められています」
経済に興味を持った原体験は石油危機
経済企画庁からキャリアをスタート
客観的な視点から政策に貢献したい
仕事をする中で抱いた思い
西川教授が経済分野に関心を持った原体験は、中学生の時に経験した第一次石油危機だった。世の中が、そして家族が危機感を持って行動する姿を見て、経済の重要性と社会への影響を身に染みて感じたのだという。その後、戦後日本の経済政策立案に貢献し、当時は経済企画事務次官の宮崎勇氏の著書『人間の顔をした経済政策』に感銘を受け、個人を意識したマクロ経済の安定化政策に関心を持った。
高い志を胸に秘めた彼は東京大学経済学部経済学科を卒業し、経済企画庁に入庁する。経済企画庁は、国の経済計画の策定や、景気対策、経済指標の分析を行っていた中央省庁。そこでの仕事を続ける中で、経済学をはじめとする社会科学の知見をより深めたいと考えるようになった。
「政策の最終判断は内閣に委ねられていますが、その判断の根拠となる分析やレポートを学問に基づいて作成することの大切さを実感していました。国内の現実問題として、失業率は年々悪化している。そして、その背景として考えられるさまざまな要因があった。今後の政策の選択肢を客観的に示すために、もっと外の世界を知り、見識を深めたいと思いました」
アメリカでの留学と出向を経験
人生で一番勉強に取り組んだ
そこで西川教授は、米国イースト・ウェスト・センター奨学金を得て、ハワイ大学マノア校経済学部大学院への留学を決意する。研究テーマは失業問題。当時の先進国が共通で抱えていたマクロの景気悪化か、生産要素価格である原油価格の高騰か。どちらが日本の失業率上昇により影響を与えているのかを突き止めることが研究の目的だった。結果をみると、日本は他の先進諸国と異なり、失業率上昇について原油価格高騰による産業構造変化の影響が確認できなかった。これは、石油危機に直面した日本企業が特異に発達した内部労働市場を活用し、転籍や出向を行ったこと、あるいは雇用保蔵を行ったことが影響しているとみられる。西川教授は当時を振り返り、「これまでの人生で一番勉強した期間だった」と話す。
「帰国後は経済企画庁にもどり、国際的知見を活用してG7サミットに同行する機会も得ました。1995年には経済企画庁長官に就任された宮崎勇氏の事務秘書官を勤めることに。その後、外務省に出向し在アメリカ合衆国日本大使館に勤務することに。当時からアメリカには大統領経済諮問委員会(CEA)という組織があり、経済学を用いて現状と政策の根拠を客観的に分析し、大統領直轄下で経済政策運営に活用するという体制が整っていたのです。政治との距離、レポートの作成・公表手法なども直接学び、グローバルな視点を手に入れられた経験でした。最近のアメリカ大統領府の政策行動からは想像できないかもしれませんが」
「生涯一研修生」のマインドで
さらなる学びを求め続ける
不良債権問題への理解を深めるべく
ビジネスを専門的に学ぶ環境に身を置いた
せっかくアメリカにいるのだから、仕事だけでなく社会人スキルをもう一段高めたい。そうした衝動に突き動かされた西川教授は、米国ジョンズ・ホプキンス大学大学院(学位MBA)に通うように。仕事を終えた金曜日の夜、徹夜でレポートを書き上げ、土曜早朝に60キロ先のボルチモア本校へと車を走らせたことも幾度かあったという。このころ、メンターと仰ぐ宮崎勇氏が75歳にして勲一等瑞宝章に叙せられた。その際恩師が語った人生訓が「生涯一研修生」。これまでの経験による知見に甘んじるのではなく、常にスキルアップをめざす。刻々と変化する日本の経済状況に対応したいという思いが、彼を新しい学びへと駆り立てた。
「当時の日本では、企業の抱える不良債権が問題になっていました。しかし、これまではマクロ経済を中心に勉強していたため、財務諸表の背後などに隠されている個別企業の問題については深く理解できていない部分があった。そこで、金融の本場である米国の大学院で本格的にファイナンスを学ぶことにしたのです。専門的なファイナンスの知識だけでなく、英語でのディスカッションの手法やビジネスの考え方を身につけられたという点で、貴重な経験になりました」
小売販売員として働きながら通学するクラスメートが、「人的投資理論」の考えに拠って行動していることにも驚かされたという。
「『MBA学位をとれば、販売企画など経営管理を担うマネージャー能力の証明になり、将来の昇格や報酬につながるわ。だから、いまの勤務時間と報酬を削ってでも学びの自己投資を惜しまないの』と言っていましたね」
「根拠に基づく政策」が
当たり前になる未来のために
海外での留学と出向を経て経済学と経営学を実践的に学んだ西川教授は、帰国後に内閣府で仕事をすることになった。担当していたのは、経済財政諮問会議を支える役割。消費税の引き上げにも関わり、社会保障を充実させるための安定的な財源確保の重要性を認識したという。同時に、あらためて強く実感したのは、それまでの経済研究を通じて実践してきた「根拠に基づく政策」のさらなる必要性だった。
「世界的には、客観的な根拠を用いて政策を議論する動きが進んでいます。しかし、データの信頼性や情報開示の問題もあり、日本ではその動きがしばらく停滞していました。最近の消費税などの税や社会保険に関する議論を聞いていても、一部の眼前の事実にとらわれるあまり全体の整合性への配慮を欠いた議論に陥りがちです。政策根拠の重要性が認識され、徐々に政府や国会での議論も深さを増しつつありますが、まだまだ課題は多く残されています」
経済企画庁、外務省、内閣府……経済政策を支える現場で長く経験を培ってきた西川教授。この豊かな経験を活かし、伝えていくために大学院で教える道を選んだ。「生涯一研修生」の心で学び続ける。経済学・経営学の双方から「かまどの煙」を通じて社会を観測し、根拠に基づく政策がよりよい未来につながることを目指す。
「学生さんには、学び続けることの大切さを伝え、学びが変化する時代の扉を開けていくことを願っています」
教員紹介
Profile
西川 正郎教授
Masao Nishikawa
東京都生まれ。1980年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、経済企画庁に入庁。1989年米国ハワイ大学マノア校経済学部大学院 博士課程を修了。外務省に出向し在アメリカ合衆国日本大使館に勤務。2000年に米国ジョンズ・ホプキンス大学大学院にて修士課程(学位MBA)および金融投資証書課程を修了。その後は内閣府政策統括官(経済社会システム担当)、内閣府経済社会総合研究所長等を経て、2016年に内閣府事務次官に就任。2017年退官し、2018年に公益財団法人東京財団政策研究所政策アドバイザーに就任。2019年に一橋大学大学院経済学研究科教授となり、2021年より現職。
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