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キャリアの入り口は名門合唱団
オペラからミュージカルまで幅広く活躍
小児喘息の改善になればと受けた
京都市少年合唱団のオーディションに合格
「ゴスペル」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、映画『天使にラブ・ソングを…』だろう。修道院を舞台に繰り広げられるコメディカルなストーリーから楽しそうなイメージを想起させられるが、そのルーツは奴隷制下のアフリカ系アメリカ人が解放を願って歌った「黒人霊歌」と呼ばれる宗教音楽にある。ゴスペルを軸とし、そのルーツである黒人霊歌を音楽学の文脈で研究している第一人者が、芸術文化学群の國友淑弘特任講師だ。
桜美林大学をはじめとして複数の大学で教鞭をとるかたわら、日本バプテスト同盟横浜教会伝道師としての活動や、川崎、市ヶ谷、小田原、横浜YMCAでのゴスペル指導、ミュージカルの脚本・演出などの幅広い活動を精力的に行っている。
音楽で修士を、神学で博士課程後期を修了し、音楽とキリスト教を架橋する知識を活かした國友特任講師の現在のキャリアはどのように築かれてきたのか——。最初に音楽の世界に足を踏み入れたのは、小学5年生のときに入団した京都市少年合唱団だった。
「京都市少年合唱団の存在を知ったのは、クラス担任から入団者募集のオーディションのチラシをもらったときでした。それまではピアノを弾くことを含めて、音楽について特別な教育を受けたことはありませんでしたが、小児喘息を患っていたこともあり、合唱によって少しでも症状が良くなればという想いでオーディションを受けることにしたのです」
京都市少年合唱団と言えば、指揮者として世界的に活躍する佐渡裕氏や伊丹シティフル管弦楽団常任指揮者である加藤完二氏などを輩出した名門。当時から入団希望者も多かったというが入団オーディションに見事合格し、練習に励む生活が始まった。のちに、オーディションの倍率が約7倍だったと知ったという。
声楽領域の“選抜”にあたる合唱団では、卒団後に音楽の道に進む者も多い。國友特任講師も自ずと、声楽の探求を深められる音楽大学を志すようになった。大阪音楽大学音楽学部に入学後はオペラを専門とする教授に師事し、大学院在学中はイタリア留学を経験、ベルガモのドニゼッティ劇場に出演など、オペラの技能向上と研究に努めた。
アメリカでミュージカルに出会い
帰国後は劇団四季で活躍
大学院卒業後は、実家の仕事を手伝いながら、国内外のオペラに出演。すでに充実した日々を送っていたが、あるアメリカ人歌手とコレペティトゥーア(舞台作りにおいて、ピアノ伴奏をしながら、主に音楽表現についてアドバイスを行う人)との共演をきっかけにアメリカへ留学することになる。
「ミュージカル『オペラ座の怪人』のクリスティーン役に決まった友人が、毎日本番があると話していて驚くとともに興味を持ちました。オペラは体にかかる負荷が大きく、一定の間隔を空けなければならないためです。アメリカ留学中に本場のミュージカルに感銘を受けていましたし、『日本のミュージカルであれば、人種によってポストが限られることもないからチャンスがある』という友人の助言を受けて、ミュージカルへの出演を視野に入れ始めました」
アメリカから帰国後すぐに劇団四季のオーディションを受け、見事合格。「オペラ座の怪人」をはじめとした作品への出演が決まり、神奈川県・横浜へと急遽引っ越して稽古と本番に明け暮れる日々を送った。
ゴスペルのルーツである「黒人霊歌」を
音楽学の文脈で研究した第一人者
キリスト教の知識と歌唱技術を活かし、
最大14クワイア以上のゴスペル指導にあたる
劇団四季の契約を終えてからは、ミュージカル観劇していた専門学校関係者から教員としてのオファーが立て続き、他のさまざまなミュージカルに出演をしながら、公立の学校も含め最大で5校同時に教鞭をとっていた時期もあるという國友特任講師。あらかじめ決まっている講義の間に稽古を入れるのが難しく、オペラやミュージカルへの出演頻度は減ったものの、この時期に公演に代わるかたちで活動の多くを占めていったのが、市民館でのゴスペル指導だった。
1990年代後半は、「天使にラブ・ソングを…」の公開を機に沸騰したゴスペル人気が続いていた時代。その人気がクリスチャン以外の人々の間にも広まったことで、市民館のワークショップにゴスペル教室が設けられることが増え、数々のオペラやミュージカルに出演してきた國友特任講師に白羽の矢が立ったのだ。
しかし、ゴスペル指導の依頼が寄せられたのは、その歌唱力を買われてのことだけではない。実は國友特任講師はクリスチャンの幼稚園に通っており、高校生のときには教会のキャンプをはじめとしたイベントに参加するなどし、自身も洗礼(バプテスマ)を受けたプロテスタントのクリスチャンだった。さらに留学時、日曜日にはアメリカの教会でゴスペルを歌う活動もしていた。
「歌唱の技術と実績を兼ね備えたクリスチャン」という比類なき肩書きが、多くの企画主催者や生徒にとって魅力的に映ったのだろう。定員30~40人のゴスペル教室にはその2倍以上の応募が殺到し、のちに最大で14クワイアもの合唱団の指導にあたることとなった。
ゴスペルが日本で急速に広まった理由について、國友特任講師は次のように分析している。
「ゴスペルが普及する1990年代以前の日本には、直立で歌うコーラスしかありませんでした。一方で、ゴスペルは手を叩き、時には踊りながら歌います。さらに楽譜がなく、すべてを指揮者のディレクトに従って行う即興性も魅力です。歌を通じて得られる一体感と解放感に楽しさを見出す人が多かったのではないかと分析しています」
ゴスペルの音楽的ルーツをたどるために
大学等での講師業に加えてゴスペル指導と充実した日々を送っていた國友特任講師だが、ゴスペル指導にあたる中で“ある想い”が湧いてきたという。
「生徒たちからゴスペルに関するさまざまな質問を受ける中で、ゴスペル指導者としても、クリスチャンとしても、ゴスペルについてさらに学びたくなったのです。日本にはゴスペルの専門書がなく、学術的な研究を行っている人もいなかったため、自分自身で勉強すれば良いんじゃないかと考えるようになりました」
そこでまずは上智大学の夏期神学講習を受講して宗教科の免許単位を修得。しかし、学習意欲は留まることはなく、立教大学大学院キリスト教学研究科の博士課程への入学に至った。そこで冒頭で触れた、ゴスペルのルーツである「黒人霊歌」を音楽学の文脈で研究することになる。
「ゴスペルと同じく黒人霊歌をルーツとするジャズ、ブルースは20世紀のアフリカ民族音楽研究によって考察されてきました。一方で、黒人霊歌は1865 年の南北戦争終結以降、20世紀初頭にかけて民俗学的研究がされてきたものの、音楽学発展の文脈における充分な研究はなされてきませんでした。ジャズやブルースが世俗化されているのに対し、黒人霊歌はあくまで宗教音楽であり、それを読み解くには音楽学の知識と同時に神学的観察と知見が必要になるためです」
國友特任講師の研究は、高い専門性が幅広く求められることから、これまで人が立ち入ることができなかった領域に光を当てた。そこで明らかにされたのは、黒人霊歌がそれまでのキリスト教にはなかった新たな要素を取り入れたことだった。
「西洋発祥のキリスト教では礼拝をはじめとして形式が非常に重視されます。一方で、アフリカ的な音楽慣習にキリスト教の要素が植え付けられた黒人霊歌では、その対極にある『即興性』が重視されており、中でもその場の一体感を醸成させる『訴求力』と『求心力』がカギとなります。たとえば、電車の中で誰かが舌打ちしたときに、乗客の意識が一点に集まることも『訴求力』と『求心力』が関与しています。アフリカにルーツを持つ人々が長き歴史の中で培ってきた音楽的慣習とその要素は「黒人霊歌」から、その後の「ゴスペル」にも受け継がれ、それまでの西洋一辺倒であったキリスト教音楽に新たな息吹を注ぎこみました」
黒人霊歌とゴスペルの違いとは?
ゴスペルとそのルーツである黒人霊歌。どちらもアフリカ系アメリカ人のコミュニティで生まれた宗教音楽だが、両者の違いは歌われた時期と時代背景の違いに伴う歌の内容にある。黒人霊歌が歌われていたのは1861年から始まった南北戦争以前、アフリカ系アメリカ人に対して奴隷制が敷かれていた時代だった。アフリカ的な音楽慣習にキリスト教の要素が植え付けられており、「厳しい抑圧からの解放」を願って歌われたものとされている。一方で、ゴスペルは1865年の南北戦争以後、特にアフリカ系アメリカ人の大移動と関連してシカゴやニューヨークで生まれ、奴隷制から解放されたアフリカ系アメリカ人たちが「個々の境遇」や「神への思いや願い」をダイレクトに歌っている。また、20世紀以降にアメリカで登場した新しい音楽(ラグタイム、ブルース、ジャズのモチーフ)を取り入れた、共にリズミカルな伴奏にも特徴がある。
他者への“救い”の提供に貢献できることが喜び
分析と技術の向上とともに
ゴスペルの学術書を出版することが目標
音楽学と神学を研究と実践の双方において極めてきた國友特任講師だが、今後も自身の分析や演奏技術を向上させたいと意欲を燃やす。そうした飽くなき探求心の根幹には、他者の喜びに自身の喜びを見出すキリスト教的な思想が息づいている。
「当初は私自身が歌い、聴く方々が喜んでいただけることが嬉しく感じていました。しかし、指導やサポートするゴスペルの指導にあたる中で、自分が歌わず、むしろ指導やサポートをする方が、みんなが歌い笑顔で喜び分かち合っている、歌い終わった後も生き生きと帰って行かれると気づいた時、自己研鑽の方向性が“表現者”から“良き指導者”であることに変わっていきました。ある種の“救い”の提供に貢献できることが何よりも嬉しく感じるのです」
また、ゴスペルの楽譜や演奏家の経験をもとにした書籍はあるものの、学生のレポートや論文に使用できるアカデミックな研究書がないことから、ゴスペルの学術書を出版することも今後の目標の一つだという。自身の学びを深めるだけでなく、“かたち”にすることを大切にする背景には、知人との忘れられないエピソードがあった。
「あるとき、アフリカ系アメリカ人の知人が『僕たちは歴史を動かすために、このワークショップのレコーディングをしたい』と話しました。当初は小規模なワークショップをレコーディングすることにそれほど大きな意味があるのだろうかと思いましたが、『作品をかたちに残しておけば、僕たちの窺いしれないところで作品に触れ、その影響を受けたことで才能ある人が生まれるかもしれない』と言われ、その言葉が今も心に強く残っています。かたちに残すことこそ、歴史を動かす第一歩なのです」
教員紹介
Profile
國友 淑弘特任講師
Yoshihiro Kunitomo
1967年、京都府生まれ。1978年、小学校5年生のときに京都市少年合唱団に入団。1986年に大阪音楽大学音楽学部に入学し、声楽を学ぶ。1993年に同大学院音楽研究科を修了。アメリカに渡り、多くの舞台出演とともにゴスペルを学ぶ。帰国後、劇団四季に在籍し、「オペラ座の怪人」等に出演。2013年に立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程を修了、2018年には同大学院同研究科の博士後期課程を修了。現在は桜美林大学、青山学院大学、日本工学院専門学校、日テレ学院の講師を務める傍ら、川崎、市ヶ谷、小田原、横浜YMCAでのゴスペル指導、ミュージカルの脚本、作曲、演出など幅広く活動している。
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