メインコンテンツ
37年間にわたり所属したテレビ東京で
まだ誰も撮っていない映像を残す重要性を実感
テレビがまだ撮ったことのない映像を目指して
大学卒業後、1986年にテレビ東京に入社し、37年にわたって番組制作に従事。そこで培った経験や知識を次世代に伝えるために、2023年4月から桜美林大学芸術文化学群の教員になった田淵俊彦教授。もともとテレビ業界に興味を持ったのは、大学3年生のときだ。法学部で少年法を専攻するゼミに所属していた当時、「テレビドラマが少年犯罪に与える影響」というテーマでグループ研究を進めていた。そこでテレビ局に勤務しているゼミのOBに話を聞きにいった際に、この業界に一目惚れすることになる。
「あまり真面目な学生ではなかったので、それまでは漠然と弁護士になれたらいいなと考えていたんです。そんな私にとってテレビの世界は刺激的に映りました。毎日違う人々や環境に出会い、おもしろいものが見られるのだろうと。言ってみれば不純な動機だったわけです。ただ、入社後にひたすら番組制作に取り組むなかで、自分のやるべきことが徐々に見えてくるようになります。転機となったのは、入社4年目に、チベットを紹介するドキュメンタリーを任されたときです」
歌番組やバラエティなどを担当していた田淵教授に、急遽訪れたドキュメンタリーの仕事。ノウハウもないなかで向かったチベットで高山病にかかり、幽体離脱のような体験に出くわすなど激しいカルチャーショックを受けるが、どこか日本に共通する懐かしさを覚えたという。帰国してからチベットを調べるなかで出会ったのが、文化人類学者の中尾佐助氏らが提唱する「照葉樹林文化論」という考え方だった。日本にはブナ科やクスノキ科などの“照葉樹林”を主体とした森林が広く分布しているが、これはヒマラヤ山麓から東南アジア、中国南部にも共通している。この地帯には農業や食文化に類似した要素があり、中尾佐助氏は照葉樹林地帯が東アジアや日本文化の源流であることを提唱した。
「この研究を知り、チベットでの体験に納得のいくところがありました。それをきっかけに『日本人の源流シリーズ』というドキュメンタリー番組を立ち上げ、1971年に国連に加入するまで鎖国状態を続けていたブータン王国や標高4000メートルのインドの山奥に行って映像を撮ってくることを始めたんです。テレビ東京では誰もこんなことはやっていなかったし、私は当時、テレビがまだ入ったことのない場所を撮りにいきたいという強い思いに駆られていました。まだネットもない時代には貴重な映像だったんです」
『日本人の源流シリーズ』は多くの視聴者の支持を受け、ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞を受賞。ここから田淵教授はドキュメンタリーの世界に深く足を踏み入れていくことになる。
大きな声を上げられない人に会いにいく
田淵教授は海外をフィールドとした紀行ドキュメンタリーや自然ドキュメンタリーを手がけ、100本以上の作品を30年以上にわたって作り続けた。気づけば、訪れた国は100か国を超えていたという。そのほとんどが途上国で、秘境の地に住む少数民族の人々の生活や文化を追いかけることになる。
「少数民族の文化は、我々からすれば野蛮に見えることも多いかもしれません。例えば、パプアニューギニアのセビック川地域では、“クロコダイルマン”と呼ばれる人々がいます。彼らは自分の肌を傷つけ、それによってできたワニ柄のような突起を勲章にしている。日本人が見れば『伝統社会がやらせているパワハラなんじゃないか』といった声が聞こえてきそうですが、セビック川で生態系の頂点にいるワニを模すことで、霊的に強いパワーをまとっているという彼らなりの独特な考え方があるんです。こうした映像を撮りにいくなかで、先入観や固定観念を取り払うことの重要性を何度も教えられました」
田淵教授は海外だけでなく、国内のドキュメンタリーも担当。その題材は連合赤軍やストーカー、高齢初犯といった社会派なテーマに及んだ。田淵教授が一貫して決めていたのは、「一般的なメディアが話を聞きにいかない側の人」にあえてカメラを向けることだった。ストーカーであれば、被害者ではなく加害者側の人。法的にも社会的にも断罪されて消えていく人々にこそ話を聞きにいく。声を聞く人が誰もいないところに向かうというのは、少数民族を取材していた当時から変わらない田淵教授の信念だ。
「振り返ってみれば私は常に、大きな声を上げることができない、誰も見向きもしないようなマイノリティの人々に強い関心があるのだと思います。日本語では“学び壊し”と訳される“アンラーン(unlearn)”という考え方を大事にしていて。目の前の物事に対峙する際に、常識や先入観を一旦忘れて別の視点で考えてみる。それは先行きが不透明で将来の予測が困難な“VUCA”と呼ばれるこれからの時代にこそ大切になると考えています」

「テレビの制作者と視聴者を育てるために」
研究者へと転向し、日々学生と向き合う
テレビの構造的欠陥を検証する
田淵教授はテレビ東京を退社してから、2024年1月に『混沌時代の新・テレビ論』(ポプラ新書)という著書を出版した。これは、テレビ業界の忖度や人材流出、過剰な金儲け主義などの問題点を厳しく指摘し、配信時代にテレビが生き残っていくための提言を示したものだ。テレビ業界で長く番組制作に取り組んできた彼が、こうした研究に乗り出したのはなぜなのだろう。
「テレビというのは単なるエンターテインメントのように思えますが、そこには一企業としての経営戦略や世相を反映した番組づくりがあり、忖度や金儲け主義などがはびこっています。私はそうした構造的な欠陥に、業界を離れてから強く気づかされることになったんです。テレビ業界にいるときは、どっぷり浸かっているから見えないものが多くありました」
例えば、コロナ禍には、ワイドショーなどの情報番組において視聴者に対して過剰に“危機感を煽る”報道が目立ったと田淵教授は言う。『対応が遅すぎる』『医療は崩壊の危機を迎えている』といった表現が例として挙げられる。
「テレビのやり方は巧妙で、不安を煽ったあとに、それを解消するかのような番組運びをするんです。そうした視聴者の溜飲を下げる番組ほど視聴率を獲ります。そんなことばかりしていたら、いずれテレビは視聴者に見放されてしまう。そこに危機感を抱き、テレビの構造を検証する研究を始めました」
映像制作のグループワークで“想像力”を養う
田淵教授は「メディアと視聴者、その両方にリテラシーがないとテレビは成長してゆかない」と言う。そのために、テレビには構造の改善を求め、視聴者にもただ騙されずにメディアに接してゆく力をつけることの重要性を伝えたのが『混沌時代の新・テレビ論』だった。「テレビは玉手箱」というモットーを自らの番組づくりで証明してきたからこそ、情報メディアが乱立するこの時代に、テレビが復活するヴィジョンを提示したいと考えている。田淵教授が桜美林大学に着任して学生に映像制作論を教えているのもまた、メディアやその視聴者の未来を考えてのことだ。
「メディアの制作者にも視聴者にも必要なのは、“想像力”だと思っています。ニュース番組を見ていても、報じられている物事をただ鵜呑みにするのではなく、異なる側面があるかもしれないと考えてみることは大切です。歳を重ねるとどんどん固定観念や常識に縛られてしまいがちなので、学生時代のうちに柔軟に考える癖をつけてほしいと願っています。そのためには、社会に出てから教えるのではなく、今の学生たちにリテラシー教育をしたいという思いがありました」

田淵教授が教えている「映像制作(ドラマ)」や「専攻演習(ゼミ)」の授業では、実際にスタッフチームを形成して映像制作に取り組む。その際には必ず役割分担を決め、プロデューサー、ディレクター、カメラマン、アシスタントといった自らの仕事を全うしてもらうという。その役割は固定ではなく、回によって入れ替わることも。番組のおもしろさを求めるディレクターの立場なら言えたことが、予算やスケジュールを管理するプロデューサーになると言えなくなるといったことがあり、社会に出る前のコミュニケーションの鍛錬にもなる。
「人によって得意/不得意があり、自分が苦手なところは他者を頼ってもいいのだと知ってもらうことがひとつの目的です。その過程で自分の強みにも気づき、自信を持ってもらいたい。これはテレビ局に限らず、あらゆる進路で役立つ経験になると思います」

人々の風俗や習慣を映像に記録し
共有していく「映像人類学」の可能性
撮った映像を共有することが最大の目的
日々学生と向き合う田淵教授だが、その一方で、現在も映像制作に取り組んでいる。そのテーマは「かくれキリシタン」。キリスト教禁教期の「潜伏キリシタン」と区別した言い方で、キリスト教が解禁となった19世紀後半以降も引き続き潜伏キリシタン時代の信仰を続けた人々のことを「かくれキリシタン」と呼ぶ。
「テレビ業界の先輩からから、『高校の同級生がかくれキリシタンの研究をしていて、映像に残したいと言っている』という相談をもらって、興味が湧いたんです。後々考えると、かくれキリシタンもやはり社会的なマイノリティです。秘境に魅かれたように、その実像を記録することに意義を感じたのだと思います。2023年から2024年にわたり長崎県・五島列島の奈留島でフィールドワーク撮影をして、51年前に行われたかくれキリシタンの洗礼儀式や『絹のオラショ』と言われる祈りの言葉を初めて映像に収めることができました」
田淵教授がテレビ局で取り組んできたドキュメンタリー制作や現在の研究活動は、「映像人類学」と呼ばれる学問分野に当てはまるものだ。映像人類学とは端的に言えば、フィールドワークを通して人々の風俗や習慣を映像に記録し続けることで、社会の問題点を照射しようという試み。テレビマンとして最後に制作したドキュメンタリーを通して、日本における映像人類学の先駆者と言える渋沢敬三の活動を知った田淵教授は、これまでの自らの活動は映像人類学だったのだと確信した。
「この学問は、撮った映像を現地の人と共有することが大きな目的のひとつであり、そこに私は共感します。映像に記録された日々の生活を見ることで、自分たちの文化が特別なものなのだと自覚する。そのことによって、民族としての誇りや文化を受け継いでいくことの自意識が芽生えていくといったケースに立ち会ったこともあります。ダイバーシティが尊重される時代に、放っておけば消えていくかもしれない少数派の声や生活を残すことの意義を実感しています。テレビの課題のひとつでもあるのですが、日本ではアーカイブシステムが構築されていません。映像として残し、社会で共有していくという仕組みを、今後も研究していきたいと思っています」
教員紹介
Profile

田淵 俊彦教授
Toshihiko Tabuchi
1964年、兵庫県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、テレビ東京に入社。世界各地の秘境を訪ねるドキュメンタリーを手掛けて、訪れた国は100カ国以上。一方、社会派ドキュメンタリーの制作も意欲的に行い、「連合赤軍」「高齢初犯」「ストーカー加害者」などのテーマにも挑む。ドラマのプロデュース作品も数多い。『迷路の出口を探して』(Ⅰ: ストーカーの心の奥底を覗く Ⅱ:ストーカー 最新治療70日間)で第52回(2014年度)ギャラクシー賞、『障害プラスα~自閉症スペクトラムと少年事件の間に~』で第54回(2016年度)ギャラクシー賞、ドラマ『破獄』で国際ドラマフェスティバル in TOKYO 東京ドラマアウォード2017 単発ドラマ部門グランプリ、MIPCOM 2017 MIPCOM BUYERS’ AWARD for Japanese Dramaグランプリなど受賞歴多数。著書に『混沌時代の新・テレビ論』『弱者の勝利学 不利な条件を強みに変える〝テレ東流〟逆転発想の秘密』『発達障害と少年犯罪』『ストーカー加害者 私から、逃げてください』『秘境に学ぶ幸せのかたち』など。発売されている映像作品に『世界秘境全集 第1集、第2集』『黄金の都バーミヤン〜三蔵法師が見た巨大仏~』『風の少年~尾崎豊 永遠の伝説~』ほか。
教員情報をみる