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2人の演出家から迫る「演劇とは何か」
演出の重要性を説いたゴードン・クレイグ
目の前で、二人の男が剣を交え、死闘を繰り広げている。刃には毒が塗られ、互いに致命傷を負っている。一人は倒れ、もう一人は最後の力を振り絞り、父の仇である王を討ち取った。確かに、その瞬間を目撃した──。
しかし、場内に明かりが灯り、隣の観客の存在に気づいたとき、ふと我に返る。そう、先ほどの出来事は演劇だったのだ、と。演劇は虚構である。それを知りながらも、私たちは心を揺さぶられ、ときに涙すら流す。なぜか。そこには、単なる物語以上の「何か」がある。
演劇とは何か──。端的に言えば、戯曲を上演することだろう。役者、舞台装置、照明、音楽、衣装が揃えば、確かに演劇は成立する。しかし、それだけで演劇は真に「演劇」となるのだろうか。
エドワード・ゴードン・クレイグ(1872-1966)は、その問いに真正面から向き合った。彼は著書『演劇芸術』(1905)で、当時の劇場が役者やスタッフを単なる技術者に貶め、興行に終始していると批判した。そして、演劇を総合芸術として昇華させるためには、すべてを統括する「演出家」の存在が不可欠であると説いたのだ。このアイデアは、演劇の本質を考え直す重要な視点となった。芸術文化学群の岸田真教授は、クレイグを研究対象の一人に位置付け、演劇という芸術の意義を探究している。
クレイグが提起した「超人形」とは何か
クレイグは、演劇における演出という概念を刷新した人物である。母は19世紀イギリスの名女優エレン・テリー。彼女の周囲には当時の演劇界を代表する俳優が集っていた。そうした影響もあり、幼少期から子役として舞台に立ったクレイグだったが、偉大な俳優たちと自らの実力との差を思い知らされ、25歳で俳優業を断念する。本人の日記によれば、「本番中にセリフを忘れたことが決定打となった」のだという。
俳優を諦めた後、美術などに傾倒しながらも、演劇への思いはやみがたく、アマチュア劇団の演出家として再び舞台に関わるようになる。彼の演劇理論のなかで、もうひとつ注目されるのが「超人形(Über-marionette)」の概念だ。これは、俳優の個人的な解釈や感情を排し、統制された舞台表現を実現するための理想的な姿として構想された。これにより、演出家の意図が最適に具現化されることを目指したのである。しかし、超人形の理論においては注意すべきポイントもあると岸田教授は語る。
「『超人形』という名称から、クレイグは俳優否定論者と誤解されがちですが、彼自身は俳優経験があり、母やその周囲の名優を敬愛していました。しかし、当時の演劇界では娯楽性が重視され、演技力よりも見た目の人気が優先されることがあった。彼の真意は、実力の伴わない俳優の起用に対する異議であり、そうした状況であれば、むしろ演出家が俳優を『超人形』のように扱い、視覚的に洗練された舞台を作るべきだということにあったのです」
「クレイグは、舞台に関わるすべてが高い水準で表現されることを求めました。しかし、演劇は観客に見せるものであり、資金や時間の制約、俳優の身体状態という偶発的な要素の影響を避けられません。すべてを完璧にコントロールすることは叶わないのです。彼は、その現実に絶望したのでしょう」
俳優、演出家としての成功を得られず、理想の舞台も実現できなかったクレイグは、やがて異国の地で、自分だけの世界に閉じこもり、ひたすら自分の求める演劇の姿を書き綴った。彼は30冊以上の著作を残したが、体系的な学術的訓練を受けていたわけではないため、その論は時に妄想的とも評された。壮大なビジョンを提示したが、実行可能なものは少なく、構想の多くは実現しなかった。しかし、彼の理論は後世の人々に影響を与え、殊に演劇における「演出家」という概念を確立する大きな礎となったのである。
戯曲を上演するのが演劇か
岸田教授がクレイグを研究対象に選んだ背景には、20世紀半ばから、演出の役割が極めて重要視されていた演劇界の潮流があった。
「かつての演劇は、俳優が即興的にアドリブを交えながら演じられ、俳優の存在が最も重視されていました。しかし次第に戯曲が演劇の中心となり、19世紀後半には『演劇とは戯曲を上演するもの』という考えが現れてきました。その結果、戯曲が重視され、それを生み出す作家のイメージが大事なのだと見なされるようになったのです」
日本でも同様の変化が見られた。明治時代に西洋演劇が導入されたが、当時は海外公演を直接観る機会がほとんど無く、もっぱら戯曲を通じて演劇を理解、想像するしかなかった。この背景から、日本の近代演劇(新劇)は戯曲重視の傾向を強めていったのである。
「日本で最も伝統ある劇団に『文学座』がありますが、その名称が示すように、演劇の根底には文学(戯曲)があるのです。そして、戯曲の重要性が認識されると同時に、それをどのように解釈し、舞台上で具現化するかが問われるようになり、演出の役割が重視されるようになりました。シェイクスピア作品は、時代や文化によって多様な解釈が可能であり、演出家によってその表現が大きく変わる。上演作品を、エリザベス朝風にも現代風にもアレンジすることが可能になります」
グランヴィル・バーカーと演劇における商業性
岸田教授が研究対象とするもうひとりの演劇人が、グランヴィル・バーカーだ。彼もクレイグ同様、母親が舞台芸人だったため子役としてキャリアを始め、俳優としてジョージ・バーナード・ショーに高く評価された。彼はまた劇作家でもあった。
バーカーは、「観客あっての演劇」という場で生まれ育ち、自身の戯曲はウェルメイドからは遠かったが、シェイクスピア作品上演においては、戯曲を忠実に再現しつつ、独自の演出を加えていた。
「クレイグは前衛的な演劇を追求しましたが、バーカーは観客のことを忘れることなく、より魅力的な演劇を目指しました。演劇は自己表現であるとはいえ、観客の支持なくして成り立ちません。理想だけを追い求めるだけでは社会に根付くことはないのです」
日本では、演劇は「自腹を切ってやるもの」とされがちであり、過去には土方与志、坪内逍遥らが私費で劇場を建てたりしたが、その姿勢は持続的な発展につながることはなかった。一方で、音楽や美術は学問として認められ、いくつかの単科大学が存在するが、演劇単科大学は日本にはない。まだ演劇は一部のマニアのものだと思われている。演劇が広く支持され、発展するためには、商業性を視野に入れたアプローチを考えることも必要なのではないかと岸田教授は語る。
総合芸術としての演劇に触れ、
世界のあらゆることを知りたいと思った
幅広い知識を持つ先生たちに憧れ、研究者の道へ
岸田教授が演劇の道に進んだのは、大学受験の選択がきっかけだった。高校まで音楽をやっていたが、大学では特定の専門に縛られず、多様な分野で幅広い知識を吸収したいと考えていた。そこで、文学、美術、音楽、舞踊など、さまざまな芸術要素が融合する「総合芸術」としての演劇に魅力を感じた。演劇ならば、そこからさまざまな領域へと視野を広げていくのに適しているのではないかと考えたのだ。
「多くの人が役者や劇作家といった実践家を志して演劇に関わりますが、私は学問的なアプローチから入りました。大学時代に師事した毛利三彌先生の影響が大きかったですね。先生は北欧演劇、特にイプセンがご専門でしたが、西洋演劇はもちろん、能、歌舞伎、ギリシア・ローマの古典文学、舞踊、美術、音楽に至るまで膨大な知識を持ち、あらゆる領域を横断していました」
当時の大学には、多方面に造詣の深い教授が多く、音楽の先生がラテン語やギリシャ語を教えたり、映画の先生が突然、科学の方程式を書き始めたりするような光景も珍しくなかったという。岸田教授にとって、そうした幅広い知識を持つ学者たちは非常に魅力的だった。毛利先生との出会いを通じて、岸田教授は演劇を単なる表現の場ではなく、世界を知るための媒介として捉えるようになり、研究者の道を志すこととなったのである。

『攻殻機動隊』から見つめる現代社会
岸田教授の研究の目的は、多様な事象を探究することにある。研究の中心はギリシア悲劇やシェイクスピア、近代演劇などの西洋演劇、新劇、アングラ以降の日本演劇の歴史や理論だが、その範囲は美術、音楽、映画、アニメ、さらには犯罪といった社会的事象にまで及ぶ。その一例として、士郎正宗の漫画を原作とし、押井守が監督したアニメ映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)を対象とした研究がある。
『攻殻機動隊』は、2029年の架空の未来都市ニューポートシティを舞台に、人間が電脳を通じてインターネットに直接接続できる時代を描いたSF作品である。作中では、他人の電脳をハッキングして操る「人形使い」と呼ばれるハッカーと、それを追うサイボーグ捜査官たちの戦いが描かれている。岸田教授が注目したのは、「記憶の外在化」という問題だ。
「この物語では、『義体化』によって人間の身体の一部またはすべてを人工の器官に置き換えることが可能になっています。では、身体がすべてテクノロジーで作られ、脳だけが本人のものであれば、その人は依然として"本人"といえるのでしょうか。アイデンティティは記憶に依存すると考えられますが、現代ではテクノロジーの発展により、記憶はもはや脳内に限定されず、外部に保存・共有されるようになっています。スマートフォンの驚異的な普及で、スケジュール管理、思い出の写真や好みの音楽までもがデジタルデータとして次々に記録されている。個人の記憶や情報が外部化されることで、アイデンティティとは何か、という問いが生まれるのです」
実力のない俳優であれば、「超人形」として扱うことで演劇を洗練させたほうがいいとクレイグが考えていたのに対し、現代の人間はむしろテクノロジーによって「超人形」的な存在へと変容しているともいえるかもしれない。さらには、スマホや生成AIの普及によって、自ら考える機会が減少し、情報を受け取るだけの姿勢が助長されている。一方で、それらの技術を活用してより深く思索を巡らせる人との間に、大きな格差が生じてしまう可能性もある。
「目的意識を持たずに大学に通う学生も少なくありませんが、主体的に学ぶことの重要性は変わりません。テクノロジーの発展によって受動的な姿勢にならざるを得ない可能性もありますが、だからこそ、演劇という表現はオーソドックスな表現であるべきなのです。スマホで様々なデータを容易に観ることはできますが、演劇を観るためには、わざわざ劇場に足を運んで、リアルな場を共有し、生身の人間と共に時間を過ごさなければなりません。その身体性こそが、演劇が持つ本質的な価値なのだと私は思います」

急速に発展する現代において
演劇は何を提示できるのか
演劇における「リアル」とは何か
テクノロジーが急速に発展している現代において、演劇の本質は、役者と観客が同じ空間を共有することにある。しかし、「リアル」とは何なのだろうか。そもそも演劇はフィクションであり、役者はアンリアルな衣装をまとい、虚構の物語を生きる。それにもかかわらず、演劇は常に「リアル」であることを求められてきた。
19世紀後半には、演劇にもリアリズムが侵入してきた。リアリズム演劇とは、誇張や不自然さを極力排除しようとした演劇のことである。単なる表面的な再現主義にとどまらず、人生の真実や社会の裏側を描くことに重点が置かれた。
「リアリズムはもともと文学や美術から生まれた概念ですが、それ以前の芸術はローマ時代の庶民文化に影響されたロマン主義が支配的であり、着飾った貴族の肖像画や美しい風景を描くことが主流でした。音楽においても、旋律の美しさが重要視されていました。しかし、19世紀も後半になると芸術の潮流は変化し、より現実的なものが求められるようになった。絵画のモチーフも、お姫様から労働者へと移り変わり、演劇もまた、荒唐無稽な勧善懲悪物語ではなく、社会の闇や労働者の苦悩を描くようになりました。これは、一部の観客にとっては哲学的な問いを投げかける興味深い試みだったかもしれませんが、従来の演劇が持つ娯楽性とのバランスが問われるようになったのも事実です。今でもリアリズムは重要な要素の一つですが、演劇における『リアル』と何か。考え始めると非常に難しい問題です」
映画やアニメは、デジタル技術を用いたフィクションであり、その境界は明確だ。しかし、演劇はフィクションでありながら、役者が目の前に存在し、観客と空間を共有することで、圧倒的なリアリティを持つ。観客は、目の前で演じられる生身の表現を通じて、心を動かされる。それが、演劇の大きな魅力なのかもしれない。
演劇が今日において多くの人々を惹きつける理由を知りたい
岸田教授は、卒業後しばらくの間、劇団に所属し、演出や助手を務めた経験を持つ。当時を振り返り、「貴重な体験ではあったが、自分には続けるのは難しいと感じた」と語る。劇団の生活は、まさに24時間365日、演劇と向き合うものだった。稽古に没頭し、同じ志を持つ仲間と刺激し合う日々は楽しかった。しかし、時間も経済も消費される一方であり、読書や研究といった個人的な探究に充てる余裕はまったくなかった。
大学時代に所属した演劇部では演出の経験もしたが、クレイグが指摘するように、演劇理論の研究と実際の舞台制作はまったく異なるものだった。「作品を外から観察し、作家や作品の意義について考察することの方が自分には合っていると思った」と岸田教授は語る。だからこそ、研究で得た知識を学生たちに伝えることができる大学教員という仕事は自身にとって最適な場なのだという。演劇とは何か──この問いは、岸田教授の探究の原点であり、今なお続いている。
「『演劇は社会を映す鏡である』とハムレットに語らせたのはシェイクスピアですが、それは400年以上前のこと。当時は識字率も低く、新聞や雑誌もなく、ラジオもテレビも存在しなかったので、多くの人々にとって演劇が大きな情報源でした。しかし、現代はSNSをはじめとするネット社会。情報は瞬時に拡散し、娯楽の選択肢も無数にある。それでも、劇場に足を運ぶ人は絶えず、演劇を志す若者も少なくありません。一体なぜでしょうか。その理由のひとつは、ほかでは体験ことができない『リアル』を、観客が感じることであるかもしれません。しかし、それだけではない気がします。演劇には、まだ私自身が言葉にできない、説明し尽くせない魅力がある。その核心に迫るために、私はこれからも演劇を探究し続けたいと考えています」
教員紹介
Profile

岸田 真教授
Shin Kishida
1959年生まれ。成城大学大学院文学研究科 美学・美術史専攻博士課程前期修了 修士(文学)。俳優座劇場制作部助手、劇団 早稲田「新」劇場(現DA・M) 演出助手、東放学園専門学校専任講師、成城大学文芸学部非常勤講師、明治大学文学部兼任講師、玉川大学芸術学部兼任講講師を歴任。元日本演劇学会幹事。2001年より桜美林大学で非常勤講師。専任講師、准教授を経て、2014年より現職。イギリス近代演劇、日本現代演劇を中心に、美術、音楽、映画、アニメ、さらには犯罪といった社会的事象までをも研究範囲に、演劇とは何かを探究している。
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