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意外と知らない舞台監督の仕事とは?
舞台監督は舞扇の「要」のような存在
演劇の世界には、「舞台監督」という職業がある。公演のパンフなどで、この名前を見かけたことがある人も多いだろう。しかし、舞台監督が何をする役割の人なのか正確に知る人は少ない。大道具担当をまとめて、舞台の設営をする責任者か? 舞台美術を統括するプロデューサーか? 残念ながらいずれも違う。40年以上、舞台監督として活躍し、現在も現場に立ち続ける芸術文化学群の田中伸幸特任講師に、この職業の詳細について聞いてみるとこんな哲学的な答えを返してくれた。
「舞台監督の仕事って、なかなか説明しにくいんです。照明なら『光』、音響なら『音』だと言えます。でも、舞台監督には何もない……。日本舞踊で使う舞扇(まいおうぎ)ってありますよね? 10本ほどある骨の1本1本が役者、演出家、脚本家、照明、音響などの担当者だとすると、これらを束ねる要(かなめ)の部分が舞台監督なんです。そして、舞扇を開いたときの美しい絵が、演劇全体だといえます。要をキツく締めすぎると舞扇が開かない。一方、ゆるすぎれば、舞扇がバラバラになります。舞扇の美しい絵がきれいに開くようにするのが、舞台監督なのだと思っています」
「何もなく終わる」ことが重要な仕事
舞台監督の仕事は、舞台装置を組み上げることだけではない。作品を指揮する演出家が何をしたいのか理解し、その意図を表現するために舞台をトータルコーディネートするのが役割なのだという。舞台監督の仕事は、稽古の段階から始まる。演出家は何を考えているのか? 脚本家は何を伝えたいのか? 照明担当が目指す世界観は?衣裳担当はどう見せたいのか? 30日ほど続く稽古期間を通して、これらを深く理解し、芝居をスムーズに進行させるためにできることをすべてやる。公演が始まれば、舞台の袖で、「キュー出し」など進行管理もする。もちろん安全管理も舞台監督の仕事だ。
「舞台で何か起きたとき、一番最初に判断を下すのは舞台監督です。例えば、地震が起きた時に、芝居を『止める』という決断を下すのは、演出家でもなく、俳優でもなく、舞台監督です。だから、何も起きないのがベスト。つまり、誰もほめてくれない仕事なんです(笑)。照明がよかったら『きれいだった』、演出がよかったら『面白かった』と言われる。でも舞台監督が完璧に仕事をしても、『何もなかった』で終わる。だけど、それが私たちの誇りなんです」
第10回読売演劇大賞の優秀スタッフ賞を受賞
舞台における縁の下の力持ちとして、活躍してきた田中講師だが、多くの人の前で“ほめられた”こともある。2003年に、『ブラインドタッチ』という作品で、第10回読売演劇大賞の優秀スタッフ賞を受賞したのだ。同作品では、静かに舞台の転換が起きていく中で、最後にピアノがスッと現れる。音もなく、派手な光の演出もない。ただ、そこに“劇的な空気”を生むような緻密な舞台設計をした。
「舞台美術家で作家の妹尾河童さんが、このときの転換を高く評価してくれて、審査員として舞台監督の私を推してくれたと聞いています。めったにスポットライトが当たらない仕事なので、うれしかったですね。先ほどの舞扇の要の話は、このとき妹尾河童さんが考えてくれたものです」
舞台監督を目指したきっかけ
高校時代から舞台と裏方としてアルバイトをスタート
舞台監督になろうと思ったのは、小学校5年生のとき。東京・渋谷のNHK放送センターの隣に、代々木オリンピックプールがあり、冬場はそこがスケートリンクになっていた。そこで、アイスホッケーを習っていた田中講師は、NHKの見学コースから眺める舞台の仕込みの様子をガラス越しに偶然見た。なにげなく目に入った光景だったが、「あの平台を動かしている人、めちゃくちゃかっこいいな」と思った。その一瞬で、心に火がついた。そこからずっと「舞台をつくる仕事がしたい」と心に決めた。
そして、高校3年のとき、舞台の仕事をしていた従兄弟に誘われて、ある制作会社のアルバイトをすることに。実際に舞台の裏方として仕事を経験し、そのまま大学にも行かず、アルバイトを続ける道を選んだ。その後、独立した先輩についていく形で、俳優の佐藤B作氏が主宰する東京ヴォードヴィルショーに加入する。
「その先輩というのが、自分にとって舞台監督の師匠にあたる人で、彼の下で20代は修業をしていました。そして、24歳のとき、いきなり東京ヴォードヴィルショーの地方公演の舞台監督を任され、右も左もわからないまま、なんとかやり遂げました。その舞台の初日の幕が下りた瞬間は、今でも忘れられません」
舞台監督として日本を代表する演出家を支える
舞台監督としてデビューしたのは、1981年。そこから、日本・海外含め400本以上の舞台を手がけてきた。代表作は、文学座出身の演出家・木村光一氏率いる地人会(現・地人会新社)がプロデュースする『化粧-二幕-』という舞台。これは、1982年から2010年まで続いたロングランで、田中講師は東京公演、地方公演、海外公演での舞台監督を任された。
その他、劇団SET(スーパーエキセントリックシアター)を率いる三宅裕司氏、つかこうへい氏、鵜山仁氏など、誰もが知るメジャーな演出家の舞台裏で、役者をはじめとするスタッフの活躍を支えてきた。井上ひさしさんが存命の時代に、こまつ座の公演に携わったこともある。2001年からは演劇集団「円」に所属し、新国立劇場で 『ゴドーを待ちながら』、『ファウスト』などの作品を手がけていく。
エピソードに登場する人々も有名人ばかりだ。例えば、舞台演出家の栗山民也氏が手がけた『スリル・ミー』という作品では、俳優の松下洸平さんから演技のアドバイスを求められたりした。また、TEAM NACSの公演を演出助手として手伝っていた時代もあり、大泉洋さん、安田顕さんなど今ではすっかり有名になったメンバーの若かりし日をすぐそばで見て来たという。
舞台公演を年間15本こなす日々を越えて
「1公演につき、稽古が30日、公演が30日ほど続きます。私はこれを年間15本こなしていた時代もあります。ちょっと計算が合わないですよね(笑)。つまり、期間が被っていたときもあるわけです。私はとにかく、舞台裏で作品ができあがっていく様子を見るのが大好きで、今もそれは変わりません。そして、初日の幕が上がり、芝居が無事進んで、緞帳が下りる……。その瞬間がたまらないのです。初めて舞台監督をした作品の幕が下りた瞬間、拍手を聞きながら、涙があふれ出て止まりませんでした。私は『拍手が麻薬』と言っているのですが、その瞬間を味わうために今も舞台監督の仕事を続けています」
高校3年生から舞台のアルバイトを始め、24歳で舞台監督デビュー。今年68歳になる田中講師は、すでに44年間舞台監督を続けていることになる。すでに大御所だが、「仕事が来たら絶対に断らない」。まだまだ自分は一人前だと思ったことはないという。一度、東京ヴォードヴィルショー時代の師匠が、お忍びで田中講師が舞台監督を手がける作品を鑑賞し、観客のコメントとして「あの舞台はすごかった。舞台監督に伝えてくれ」と言われたことがある。少なくとも、その言葉をもう一度聞くまでは、辞められないという。
舞台監督の仕事を若い世代に継承する
教えるなんて性に合っていないと思っていた
現在、田中講師は、桜美林大学芸術文化学群で、「舞台監督の仕事」や「舞台美術と舞台運営」といった授業を担当している。さらに、OPAL(桜美林大学パフォーミングアーツ・レッスンズ)と呼ばれる授業公演では、現場の経験を活かして舞台運営のアドバイスを行っている。
「正直、最初は人に教えるなんて性に合っていないと思っていました。ただ、若い世代にバトンを渡さないと、この仕事は絶えてしまう。そう思ったとき、『自分のすべてを出そう』と決めました。授業では、『頑張れ』とは言いません。言うのは『楽しめ』。考えて、悩んで、苦しんで、その先にある“楽しさ”を味わってほしい。舞台とはそういうものです」
舞台監督の武器は“道具”じゃなく“思考”
学外においても現在は、「舞台監督研究室」を立ち上げ、舞台監督協会の同志たちと「安全と時間管理」を基盤とするワークショップを定期的に開催している。その理由は、舞台監督という職業が若い世代に十分に伝わっていないと感じているから。舞台は命を扱う現場だ。だからこそ、最低限の技術と知識は絶対に必要になる。それを伝えるのが、自分の使命だと思っているという。
「大学の授業でも伝えていますが、安全管理とはつまり時間管理なんです。なんの仕事でも一緒ですが、切羽詰まって焦ることで事故が起きる。それを回避することも舞台監督の重要な仕事です。舞台の仕込みが1週間あってもなんらかの理由で必ず押していきます。限られた時間の中で、何度でもプランニングを再考する。舞台監督は、本当に“考えること”が仕事なんですよね……。教育において私が意識しているのは、『答えを教える』のではなく、『考える力』を育てることです。『これをやれ』ではなく、『なぜやるのか』『やらない選択肢はないのか』を考えさせる。舞台監督の武器は“道具”じゃなく、“思考”です。稽古場でも毎日が“思考”の連続です。試行錯誤、葛藤、笑い、怒り、全部が混じり合って、ひとつの作品が生まれていく。私は今もそれに魅せられています」
教員紹介
Profile
田中 伸幸特任講師
Nobuyuki Tanaka
1957年、東京都生まれ。舞台監督。高校卒業後、アルバイトを経て、フリーの舞台監督に。日本を代表する有名演出家の作品を舞台監督として支える。2003年に舞台演出を担当した作品『ブラインドタッチ』で、第10回読売演劇大賞優秀スタッフ賞を受賞。2001年より演劇集団「円」に所属。2005年より日本舞台監督協会理事。2011年より桜美林大学芸術文化学群特任講師。2015年〜2017年 京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)芸術学部准教授を兼任。2012年からは、新国立劇場研究所の特別講師も務めている。
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