資格誕生当初から、精神保健福祉士の教育に携わる
心理学を学んで精神保健の領域に
健康福祉学群の河合美子教授は、大学・大学院で心理学を専攻し、修了後は大学や専門学校で心理検査や心理相談の講義・演習を担当しながら、都内の精神科クリニックで非常勤相談員として約10年勤務した。さらに、企業で社員のメンタルヘルス相談に15年ほど従事するなど、教育と臨床の現場を行き来しながらキャリアを築いてきた。現在、精神障害の予防から治療、回復の過程での支援と、精神的健康の保持・増進をはかる精神保健分野で、ソーシャルワーカーの育成にあたる河合教授も、1994年に専門学校に勤務した当初は「心理相談法」など心理学分野を担当していた。
心理学分野では人の心と行動にフォーカスし、それらを科学的に解明するのに対し、精神保健福祉では、生活を支援し、社会参加を促進する方法の模索までが含まれる。もともと心理分野を専門としていた河合教授が精神保健分野に関わるようになったきっかけは、精神保健福祉士を養成する新設の学科の立ち上げを任されたことにあった。
「精神保健福祉士という国家資格が誕生したのは1997年で、それ以前は資格自体が存在していませんでした。教科書もない段階から学生の実習先となる医療機関や福祉施設探しに奔走し、私自身も精神保健福祉士の資格取得を目指すという非常にめまぐるしい日々を送りました。日本には1950年代の終わりから精神障害のある方を支援するソーシャルワーカーはいたのですが、精神保健福祉士という国家資格の創設は世界的に見てもかなり遅かったのです」
体の不調は心にも影響を及ぼす
そんな河合教授は、高校在学中に進路を選択する際、精神保健領域において問題を抱える人の支援に携わることを漠然とイメージしていたという。現在の仕事を志すきっかけには、小学校時代に経験した自身の闘病生活があった。
「身体的な病気が原因で学校を休むことが多く、食事や運動を制限される生活が数年続きました。専門用語で言うところのストレスやフラストレーションの状態にあったのだと思います。不満や孤立感をおぼえることも多くありました。体の病気は心にも影響を及ぼすのだと身を以て感じたことで『精神的な不調を抱えた人の回復』が私自身の人生のテーマになっていきました」
精神保健福祉士が誕生した経緯とは?
精神保健福祉の歴史は障害者福祉の歴史とともにある。すべての人間が障害の有無にかかわらず基本的人権を享受できるー。こうした障害者福祉の考え方が少しずつ浸透してきたのは1980年代。それから10年以上の歳月をかけ、日本では1993年に障害者基本法が制定された。これに関連して医学的には退院できる状態にもかかわらず、家庭や地域での受け入れ環境が整わないことによる社会的入院や長期入院の問題が続いていたことも踏まえ、1995年に精神保健福祉法が制定。1997年には精神障害者の相談援助業務に携わる仕事として位置付けられた国家資格としての精神保健福祉士が誕生した。精神保健福祉法の狙いには、精神障害者支援のほか、全国民の精神的な健康の維持・増進を目的とした予防的な側面もある。
精神保健福祉士と公認心理師の違いとは?
「心の問題」だけでなく、
「日常生活への復帰」までサポート
精神保健福祉士と混同されやすい職業に公認心理師がある。こちらは、2017年に国家資格として創設された心理の専門職で、医療・教育・福祉・司法など多領域にわたって人々の「こころのケア」を担う。公認心理師は、心理学系4年制大学で所定の課目を履修した後、大学院で指定科目を修了するか、指定の施設で実務経験を積むことで国家試験の受験資格を得られる。一方、精神保健福祉士の場合、保健福祉系4年制大学で所定の科目を修めるか、一般の4年制大学を卒業したうえで、養成施設(専門学校)で所定の科目を修めるなどにより、国家試験の受験資格を取得できる。
公認心理師は、心理支援を主に担うのに対し、精神保健福祉士が扱うのは「心の問題」に留まらない。対象者の人としての権利を尊重し、対話を重ねて生活上の課題を整理し、本人が望む生活の実現に向けて具体的な計画を一緒に立てていく、精神保健分野のソーシャルワーカーだ。
「職場復帰の計画を立てる際には、職場側に支援対象者に対する配慮を相談したり、職場側が抱える問題についてヒアリングしたりと対象者と職場の間に立ち、現状を把握することもあります。日中活動の場が必要なケースではどのようなサービスの利用が適しているかを考えますし、1か月に必要な生活費の試算や収入源の確保といった経済面の支援をするなど、多角的なアプローチで対象者が望む生活の実現をサポートします」
このように精神保健福祉士が扱う領域は幅広いため、国家試験においても、ソーシャルワークに関する知識・技術にとどまらず、障害福祉サービスや社会保障などの制度や、精神医学・精神保健学など多様な知識を網羅している必要がある。
精神保健福祉士の養成教育には
「役割」と「業務」の理解が必要
心の不調から立ち直った人が社会生活に復帰し、「真の回復」を取り戻すうえで精神保健福祉士の存在は欠かせない。精神保健福祉士の活躍の場は、精神科病院やメンタルクリニックなどに限らず、福祉施設等にも広がっている。ソーシャルワーカーは、カウンセラーなどの心理職と比べて知名度が低く、役割について正確に理解されにくいのが課題だ。資格誕生当初から精神保健福祉士の養成に携わってきた河合教授の直近の研究は、精神保健福祉士の役割と業務への理解が深まる教育内容に焦点が当てられている。
「精神保健福祉士を志す際、支援者となる精神障害者の理解に加えて、機関・施設、精神保健福祉士の役割と業務への理解も重要です。心の健康支援に関心がある学生も心理職と福祉職の違いや各業務内容を理解するのは難しいため、それらを効果的に伝える教育内容を工夫しています。学生に早い段階で自分が目指す道を見極め、課題を把握してもらうことが目的です」
メンタルヘルスへの理解を広めて
心の不調を気軽に相談できる世の中に
関連分野を幅広く学ぶことは、
専門性を深めるうえで大きな財産になる
2024年3月31日まで健康福祉学群の学群長を務めていた河合教授。就任以前から他の教員とともに学生が学びをより深められるよう、カリキュラムの刷新に尽力してきた。特に心を砕いたのは、専門教育科目に加えて関連する学問分野についても学べるメジャー・マイナー制度。学際的なカリキュラムの意義について、河合教授は自身の体験を振り返りながらこう語る。
「私自身も大学・大学院で心理学を学び、働き始めてから福祉を学びました。関連する学問分野の学びにより専門性が深まったり、応用範囲が広がったりしたことはキャリアを築くうえで大きな財産になったと感じています。たとえば、福祉を勉強した人がスポーツ科学について学ぶと、高齢者の介護予防の現場でスポーツ科学の知識を生かせることもあります。一つの専門分野の科目だけを修得し、『卒業に必要な単位を取ったから終わり』で大学生活を終えるのはとてももったいないので、一つの専門分野の科目だけを修得し、関連する学問分野も積極的に学んでほしいと思っています」
現場での体験を通じて
"失敗"を含めた座学にはない学びを
現在のカリキュラムのもう一つの特徴は、大学の授業の一環で病院や福祉施設、子ども食堂などの多様な現場と接点を持てることにある。これにより、自身が目指す職業に対するイメージと実際のギャップや現場で直面しがちな問題を早期に知ることができるメリットがあるという。
「現場では教室の中で本を読んで知識を得ることとは全く違う学びが得られます。精神保健福祉士や精神障害のある当事者の方に接することで実際の仕事のイメージがつかみやすくなり、『想像していたのと違った』ということがあっても早めに軌道修正できます。自分で現場を体験すると、緊張したり思うようにいかず戸惑ったりすることもありますが、それもまた自分自身の学びになりますよね。私の学生時代には実習先を人づてに紹介してもらう方法しかありませんでしたから、皆さんにはこの機会を大いに活用していただきたいと思っています」
心の不調について気軽に話せる
社会をつくりたい
最後に、精神保健福祉の教育を通じて目指したい社会像について尋ねると、河合教授は「心の不調について気軽に話せる社会をつくりたい」と語ってくれた。
「体の不調で内科に行くのが一般的であるように、心の不調を感じたときにも精神科に行ける。あるいは病院以外にも相談できる場所の選択肢が多様で、アクセスしやすくなる社会をつくっていきたいですね。そのためにはまず精神障害に対する理解を広めることが大前提です。メンタルヘルスへの理解が広まれば、相談や受診に躊躇うことがなくなり、症状が比較的軽いうちに適切な対応を受けやすくなります。精神保健福祉士を目指す方にもそうした意識を持って、学びを深めていただきたいと思います」