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身体組成の基礎データを集めて、
人体が持つ可能性を切り拓く
世界的に見ても貴重な
子どもと大型スポーツ選手の身体組成データを収集
医療技術が進み、人体の不思議が解明され、次々と新たな薬や治療法が生まれている。そうした医療・保健分野における新たな発見を縁の下で支えるのが身体組成の基礎データだ。
身体組成とは、人間の体を構成する脂肪や筋肉、骨、水分などの割合やバランスのこと。門外漢からしてみると、これだけ医療が進んでいるのだから、人体に関する基本的なデータは揃っているのだろうと考えてしまいがちだ。
しかし、汎用性が高い標準的な体型の成人に関する器官組織レベルの身体組成データ(骨格筋や肝臓といった臓器別の重量や割合など)はいくつかある一方で、子どもや標準よりも体の大きい人などのデータはほとんど報告されていないという。
こうした世界的に見ても希少な対象の身体組成の基礎データを収集し、データベースを整備しているのが健康福祉学群の緑川泰史教授だ。
「たとえば、子どもの骨格筋量が何㎏なのかを調べようと世界中の論文を探しても記載があるのは数本程度。見つかったとしても調査対象者の数が少ないといった状況です。子どもの骨格筋量を正確に調べるためには、MR装置で撮像した横断画像を解析することが必要で、非常に労力がかかることから、汎用性が高いデータ以外の測定になかなか着手する研究者がいないのです」
そんな緑川教授の代表的な研究は、子どもの骨格筋量を、メジャーやキャリパー、超音波法、二重エネルギーX線吸収(dual-energy X-ray absorptiometry:DXA)法(以下、DXA法)などを用いて、より簡単に測定できるように推定式を作成してきたことにある。これにより、測定の時間が短縮され、さらなるデータの蓄積が期待される。もっとも、推定式を作成する際にもそれまで取得した対象となる子どもたちの横断的なデータを用いているため、これは地道な研究の先に結晶化された緑川教授ならではの研究と言えよう。
加えて「相撲選手」の骨塩量・骨密度のデータを提示した功績も大きい。体が大きい相撲選手は、これまでの研究でも運動習慣がない大学生と比較して脂肪や骨格筋、肝臓、腎臓などが重いことがわかってきたが、身体を構成する要素の中でも大きな割合を占める骨(骨塩量・骨密度)に関する情報は明らかにされていなかった。
そこで早稲田大学スポーツ科学学術院の鳥居俊教授、中京大学教養教育研究院の太田めぐみ教授、早稲田大学の坂本静男名誉教授らとともにDXA法を用いて、大学相撲選手の骨の特徴を探ることに。その結果、全身および腕部・脚部の骨塩量が高いことが明らかになった。
一方で、体重あたりのそれぞれの骨塩量は、重量級グループでは低い値となったことから、体重が増えて体格が大きくなっても骨は比例して大きくなるわけではないこともわかった。この基礎データからは、ヒトという動物の骨塩量や骨密度の上限値を探る糸口になることが期待される。
こうした標準体型の成人以外の基礎データの蓄積は、運動や健康分野における新たな発見にもつながりうるという。
「競技やトレーニングと骨密度増加の間に相関関係があることがわかれば、中高齢者のトレーニングや健康寿命の延長に役立つかもしれません。運動や保健、健康の分野において新たな知見を得るうえで、こうしたデータを整備することは有用なのではないかと考えています」
二重エネルギーX線吸収法とは?
二重エネルギーX線吸収(dual-energy X-ray absorptiometry:DXA)とはその名の通り、二種類の異なるエネルギーのX線を測定部位にあてることで骨塩量と脂肪量、それ以外の重量に分けて測定する方法のこと。放射線による被ばく線量が少なく、測定時間も短くて済むことから、主に骨粗しょう症の疑いがある一般の患者などを対象とした臨床の現場で使われている。また、骨成分だけでなく、各部位の除脂肪軟組織量(骨格筋量の指標として利用可能)も測定可能で、研究でも利用されている。
「運動」と「保健」を軸に重ねた多様な研究
自分の興味のある保健領域で、新興国の発展に寄与したかった
“医療・保健分野における研究のインフラの整備”とも言うべき研究に取り組む緑川教授。現在のキャリアを築くにいたったきっかけは、幼少期からの“好きなこと”にあった。
幼い頃から体を動かすことが好きで、小学校高学年以降はサッカーに夢中に。高校のときは「保健・体育」の授業が好きだったことから保健体育の教員になりたいと考え、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科へと進学を決めた
大学入学後は、エジプト、トルコ、ブルガリア、ギリシャ、イタリアをバックパッカーとして巡るなど、世界各国を渡り歩く中で視野を広げた。また、1990年代はBSE(狂牛病)、O157、SARS、インフルエンザなどが各地で流行した時代。世界各国にインフラを作るため、数年単位で赴任していた父の背中を見て育っていたこともあり、保健領域における国際貢献、とりわけ新興国における公衆衛生の整備に関心を寄せ始めたという。
3年次からは公衆衛生学の研究室に所属し、腫瘍細胞に対する自発的な運動の効果の研究を担当。これは腫瘍細胞を打ったラットに自発的な運動と電気刺激による強制的な運動をさせた後、それぞれ腫瘍細胞がどのように変化するかを研究したものだ。
公衆衛生学の研究は興味関心の真中にあるものだったが、実験対象であるラットに負担をかけることに心を痛めたという緑川教授。そこで当時の指導教員だった町田和彦教授とも相談し、対象を人に切り替え、自分の関心を探求できる東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻の修士課程への進学を決めた。
修士課程ではソロモン諸島で7ヶ月のフィールドワークを実施
人を対象とした「保健」と「運動」を軸とした研究で、尚且つ海外のフィールドワークを行える研究室を目指し、東京大学の大学院に進学した緑川教授。大学院入学後に所属したのは、沖縄や中国の海南島など、島々に住む人々を対象とした人類生態学の研究室だった。さまざまなフィールドがある中、緑川教授はソロモン諸島の研究を担当することになる。
しかし、1999年から勃発したマライタ島を巡る民族対立を受けて、ソロモン諸島の情勢は非常に不安定な状況にあり、なかなかフィールドに行けない時期が続いていた。その後、情勢が比較的落ち着いた頃を見計らい、意を決して海を渡ったのが大学院1年生の冬。そこから7ヶ月間、現地でフィールドワークを行うこととなった。
しかし、研究室のフィールドワークと言っても、常に教員の指導のもと行うわけではなく、基本的には各フィールドの研究を学生が1人で任されていたという。当時の環境について、緑川教授はこう振り返る。
「最初は教員が同行して、各村の長に調査をしていいかどうかの許可をとります。許可を取れた村には学生が1人ずつ配置され、それぞれに研究を行う形式です。2~3ヶ月に1度、近隣の町で落ち合うことはありましたが、電話も使えないため、日にちだけ決めて会いに行きました。私が研究していた村には水道や電気はなく、雨水やランプを使って生活し、マラリアを媒介する蚊が飛んでいるような環境でした」
こうした過酷な環境でのフィールドワークを通じて、「タンパク源である魚が捕れない時期における行動や食事内容の変化」に関する研究成果を発表した緑川教授。海外での調査にやりがいを感じ、同じ研究室に在籍したまま博士課程に進む道も選択肢の中にあった。しかし、当時助手を務めていた山内太郎先生(現・北海道大学 大学院保健科学研究院所属)の一言が、緑川教授のキャリアを変えることになる。
「山内太郎先生からは『君はもう少し得意分野を持ったほうがいい』という助言を受けました。フィールドに行って一般的なデータを集められても『これは自分にしかできない』というスキルやテーマを見つけなければ、研究者としてキャリアを築くにも、就職するにしても道が拓けないと心配してくださったのだと思います。そこから、自分の興味関心に沿う形で、オリジナリティのある研究は何なのかを考え始めました」
研究者として生き抜く“武器”を掴んだ博士課程
自分だけの“武器”を求め、東京都立大学の大学院理学研究科身体運動科学専攻の博士課程に進んだ。自分にしかできないことを探していた博士課程進学時に出会ったのが「超音波やMRIで得られた医用画像を用いた身体組成の基礎データ収集」というテーマであり、これがのちに自身の研究の核となっていく。
博士課程修了後には早稲田大学スポーツ科学学術院の助手や桜美林大学 健康福祉学群の講師を務めるなど、大学教員としてのキャリアを歩み始めた。こうした仕事の傍ら、北里大学医療衛生学部医療工学科診療放射線技術科学専攻に入学。同学の卒業とともに、診療放射線技師の資格を取得した。大学教員として働き始めてからも資格取得を目指した背景には、研究者としてより高い専門性を身に着けたいという向上心があった。
「身体組成を詳細かつ正確に測定する際に使用するDXAを扱うには、診療放射線技師の資格が必要です。それ以前は同機器を扱う医師資格を有する鳥居俊教授に依頼していたため、自分でも測定を担えるようになりたいと考えました。また、大学で『生理学』や『発達発育学』の担当教員として自信を持って学生たちの前に立てるようになりたいという想いから、診療放射線技師の資格を取得したのです」
博士課程時代での研究テーマとの出会い、そして診療放射線技師の資格取得により、研究者としての独自性をますます向上させていった。
身体組成データの蓄積で、ヒトの健康に貢献したい
子どもから成人に至るまでの縦断的研究と
内臓に対する身体運動の効果に関する研究に取り組みたい
現在は桜美林大学にて「生理学」「保育表現技術(体育)」「子どものからだと健康」などの講義を担当している緑川教授。これらは主に健康福祉学群の学生による受講が想定されているが、「発育発達学」は授業形態がオンラインということもあり、他学群に在籍している受講者も少なくない。そのため、“知っているようで知らない”身体のおもしろさを中心に、日常生活に紐づくような身近な内容や、データの正しい読み方など、健康に関する教養を深められるような内容を意識しているという。そんな緑川教授に今後の研究の構想について尋ねてみると、このように答えてくれた。
「子どもの研究に関して行ってみたいのは、縦断的な研究です。20年ほど前に科研費を取得して行った研究で、当時小学生だった子どもは成人になっています。彼ら・彼女らに再度協力してもらい、身体組成データをとらせてもらうことで、小学生の身体組成が成人になった時に、どの程度持ち越されるのかについて興味があります。例えば、子どもの頃に肥満であると、成人になっても肥満である可能性が高いことが指摘されていますし、骨格筋量に関しては、情報がほとんどないと思います。大型選手に関しては、肝臓や腎臓といった内臓に対する身体運動の効果に関する研究にも関心を寄せています。それらの効果・影響が解明され、コンディショニングをする際に骨格筋や骨、脂肪だけでなく、内臓を整えることにまで考えが至るようになれば、人体の可能性はさらに広がるのではないかと考えています」
このほか、現在取り組む研究分野における特許取得や、留学で海外のラボとのつながりをつくり国際共同研究を進めること、科研費以外にも自ら研究費を得るために健康科学分野の知識と診療放射線技師資格を生かした起業など、今後の展望についてたくさんのアイデアを挙げた緑川教授。こうした新奇性のあるユニークな視点を持って日常を過ごすことの積み重ねこそ、新たな技術を生む契機となるのかもしれない。
教員紹介
Profile
緑川 泰史教授
Taishi Midorikawa
1976年、神奈川県出身。1996年に早稲田大学 人間科学部 スポーツ科学科に進学。2000年に同学を卒業後、2002年に東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻の修士課程修了。在学時は約7ヶ月にわたるソロモン諸島国でのフィールドワークも経験した。2006年に東京都立大学大学院理学研究科身体運動科学専攻博士課程修了。早稲田大学スポーツ科学学術院の助手を経て、2009年に桜美林大学に着任。大学教員としての仕事の傍ら、北里大学 医療衛生学部 医療工学科 診療放射線技術科学専攻を卒業し、診療放射線技師資格を取得して、研究者としての独自性を高めた。2024年から現職。
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