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子どもたちの「音に対する感受」に着目した研究で幼児教育の発展に貢献する
自ら命名した「音(おと)感受」を切り口に多角的な調査を実施
子どもたちの耳は、私たちが思う以上に繊細だ。大人がうっかり聞き逃してしまう音を、それぞれが持つ独自の感性で受け取っている。植物が風に揺れる音、小鳥のさえずり、遠くから聞こえる車の音——これらすべてが子どもたちの心に何かを語りかけ、感情を揺さぶり、音楽や言葉といった表現や、新しいひらめきを生み出すきっかけになる。
健康福祉学群の吉永早苗教授は、こうした現象を「音(おと)感受」と名付け、多様な切り口で研究を進めている。音楽の枠を超え、世の中のあらゆる音が人の心に働きかける力に注目し、子どもたちの音への反応を調査することで、幼児教育の発展に貢献することを目指しているのだという。
「子どもたちは身のまわりの音を聴いて、その印象をイメージし、共鳴し、対話し、感情を動かし、さまざまな連想を引き起こしています。私はこの現象を『音感受』と命名し、多角的に研究を進めてきました。自由な遊びのなかでの行動や表現の観察、物理的な音響測定、音声に対する感情評価などの調査を通し、音や言葉、音楽に対する幼児の音感受の状況を明らかにしたいと考えています」
感受があるから表現が生まれ、表現があるから感受が生まれる
世の中はさまざまな音に溢れている。視覚と同様に、聴覚から得られる情報は非常に多い。一方で、人は成長するにつれて音の情報に対して無自覚になっていく傾向がある。例えば、外を歩いている時に強い雨が降った場面を想像してみてほしい。それがどんな状況であっても、雨が「ザーザー」降っていると表現する人が多いのではないだろうか。しかし、雨に対する身体の向きや強さ、周囲の環境によって、実際に耳に届く音は微妙に異なっている。自分の生活を支えている“聴覚”と改めて向き合うことは、当たり前の風景に新鮮な発見をもたらし、そうした気づきの積み重ねが、子どもたちの感受性を育むことにつながっていく。
「常に感覚を敏感に保つということではなく、興味のある音に対して知覚のスイッチを入れられるような状態を生み出すことに貢献できればと考えています。以前、小学2年生の子どもたちを対象に半年間にわたって実験させてもらったことがありました。よく知っている16小節のメロディーを繰り返し聴いてもらうのですが、途中で意図的に音の高さや演奏法を変化させたり環境音を加えたりするという課題を用意し、その変化に対して子どもたちが気づいた内容を話し合う調査です」
この研究の本来の目的は、音を注意深く聴く経験が、言語の読解力に与える影響を調べることだった。実験の結果、言語の読解力に対して一定のプラスの影響があることが認められた。同時に、小学校の先生たちから興味深い報告を受ける。
「それは、日常会話における子どもの語彙が増えたという報告でした。実験を通じて周囲の音に対する気づきが増え、それを自分の言葉で表現したいという気持ちが湧き上がった。そして、目に見えない音を丁寧に聴取して言葉に置き換える経験が、こうした変化につながったのではないかと考えられます」
聴覚で捉えた音を言葉に変換することで語彙が増えていく。さらに、新しく身につけた言葉で音を解釈し、表現力や音が持つメッセージを受け取る力を高めることができる。感受があるから表現が生まれ、表現があるから感受が生まれる。このような相互作用によって感受性と表現力、さらには主体性の向上を期待できる点が、音感受の研究を保育・教育に反映させる大きな意義なのだという。
実験で子どもたちの“声から感情を読み取る力”を調査
“声の感情”から想起したリアルなストーリーを語ってくれた
私たちが日常で耳にしているのは、自然の音だけではない。人々が発する「声」もまた、誰にとっても身近な音のひとつである。あらゆる音への感受を研究対象としている吉永教授は、「声」の感受に対する実践的な研究にも注力してきた。
「保育所にお邪魔するなかで、保育者がさまざまな『はい』を使い分けていることに気付きました。『はーい』や『ハイ!』、少し語尾を上げた『はい?』……そうした多様な『はい』を、子どもたちはどのように感受しているのだろうか。これも『音感受』の一環であると考え、録音した10種類の『はい』を子どもたちに聞いてもらう調査に取り組みました」
子どもたちが相手の声からある程度の感情を読み取っていることは、調査を始める以前から予想していた。ところが実際に調査をして回答を聞いていると、その読み取りのリアルさに驚かされた。イントネーションや声のトーンから言葉のニュアンスの違いを識別することはもちろん、なかには10種類の「はい」をひとつのストーリーに仕立てて話してくれた子どももいたという。
「調査を通じてその場の状況だけではなく、話者の感情までも語られるのが面白かったですね。『はぁ〜い』という少し気だるそうに発声した音声に対して『お母さんにパンを焼いてねって言ったら、お母さんは疲れてるけどまあ焼いてあげようかって言った』など、そこまで話してくれるんです。私たちは何気なく声を発していますが、子どもたちはその音声の表情から多くの情報を得ています。保育者もそのことを意識して子どもと関わる必要があると強く感じました」
日本の子どもは5歳の段階で声から相手の感情を理解できる
子どもたちの“声から感情を読み取る力”は、別の調査でも明らかになった。それは、例えば「ママがおやつをくれました」という本来はポジティブな印象を持つ文章を、「怒ったように」「悲しそうに」と、意味内容とは矛盾した感情で読み上げるというもの。こうして8つの文章に対して2つの矛盾感情含む3種類の感情で発声した24パターンの音声を準備し、子どもたちの感受の傾向を知る調査だった。
「この調査で確認したかったのは、子どもたちが“言葉の意味”と“声の表情”のどちらから話の内容を判断しているのかということでした。10歳くらいまでは言語内容を優先する傾向があるという海外の研究もありますが、日本の子どもたちはもっと早い段階で声の表情を手がかりにしているのではないかと考えていました。実際に調査してみると、3歳〜4歳では判断にばらつきがあったのですが、5歳児の多くは『褒めてくれているけど嬉し泣きしている』など、意味を理解している上で感情を読み取っていることがわかりました」
日常の音に敏感になることが、保育者の感性に潤いを与える
多様なアプローチから音感受の実践的な調査を行ってきた吉永教授。健康福祉学群で保育者養成に携わる近年は、これまでの研究内容を保育現場に実装するための取り組みにも力を入れている。音感受の視点を保育現場に取り入れることで、感受性や主体性が磨かれていく。そして、その恩恵を受けるのは子どもたちだけではない。保育者が子どもとともに音を感受すること、多感覚的に環境に関わることで、自身のウェルビーイングにつながる可能性も見据えているのだという。こうした効果を示すため、「音を視点とした保育の振り返り」を切り口とした研究にも保育者とともに着手。研究の成果をもとに、保育・教育現場への提言を行っている。
「現場の保育者にとって大きな課題になるのは、どのように保育の質を向上させるのかということです。その方法はさまざまに考えられますが、私は音感受の視点から保育者の生活を豊かにすることに貢献したいと考えています。保育者の心にゆとりがない環境で、子どもがくつろげることは難しいでしょう。子どもたちが聞いている音の世界を保育者も一緒に体験することで、日常の風景の豊かさやいのちの存在をあらためて認識する。こうした取り組みが、日々の仕事で疲れてしまった保育者の感性に潤いを取り戻し、保育の質の向上につながっていくことを示したいと思っています」
音楽の教員になることが、自分の運命だと思っていた
研究のルーツとなった「音楽から景色が見える特性」
吉永教授は幼い頃から、風景を見ると音楽が思い浮かび、音楽を聴くと景色が目に浮かぶといった特性を持っていた。それが現在の研究におけるひとつのルーツになっている。音楽に触れた原体験は、3歳の時に始めたピアノ。病気で保育所に通うことが難しくなったことをきっかけに練習するようになり、“ピアノがお友達”の日々を送ったという。もともと親の勧めで始めたという経緯があり、レッスンの課題となる曲はあまり好きになれなかったが、感情や景色を表現して自由に弾くことに楽しさを見出すようになった。
「子どもの頃は、風がカーテンを揺らす様子からイメージされたメロディーをピアノで表現したりして、想像と表現のなかで遊んでいました(笑)。中学生くらいになると、音楽の力で何かできる仕事に就きたいと考えるようになりました。それで、一番身近だった学校の先生になることを意識し始めたんです。ずっと夢だったというよりも、自分は先生になるんだろうなと、まるで運命のように思っていました」
健康への不安もあり、音楽の教員免許が取得できる地元大学の教育学部でピアノ演奏を専攻していた。卒業後に進んだ大学院では、幼児の音楽的聴覚の発達についての研究を開始。中高生の音楽教育に携わるためには、その根底にある乳幼児期の音楽的な発達のことを知らなければならないとひらめいたからという。
「大学院では幼児の音楽的聴覚を伸ばす指導法について実態調査に基づいた研究を行いましたので、実際に子どもたちとも触れ合う機会も増えました。修了後はすぐに女子大学の助手としてピアノを教えることに。そのなかで学生が同じ箇所で間違った音を弾いてしまうことに気づき、その要因を解き明かすための『期待音実験』や『リーディングエラー』の研究に取り組みながら、演奏活動と教育研究活動を並行して行っていました」
「どんぐりの落ちる音」の話が音感受の研究に導いてくれた
吉永教授は、ピアノ演奏指導に関わる研究を発表した学会のシンポジウムで、「どんぐりの落ちる音に耳を澄ませる子ども」の話題提供を聞いて感銘を受ける。その事例とは、次のようなものだった。
園庭にあるどんぐりの木の下で、じっと座っている3人の園児がいた。その3人が、どんぐりの落ちてくる音を聴き比べていたという報告であった。土に落ちるのか枯葉に落ちるのか、もしくは落ちる高さ、風の吹き方といった違いによって、どんぐりの落ちる音も変化する。子どもたちはじっと聴き入り、その音の違いを感じ取って遊んでいたのである。
「自分が担当している学生は保育所や幼稚園、小学校の先生になる人たちなので、子どものことを語りながらピアノを教えるように心掛けていました。そんな時に『どんぐりの落ちる音』の話を聞き、子どもが遊びや生活の中で身の回りの音を感受して楽しみ、それを豊かな表現につなげているという姿に強く惹かれました。『これこそ自分が研究したい領域だ!』というひらめきがあったのを覚えています」
子どもの感性を重視し、主体性を育むことの大切さを現場で学ぶ
運動会のBGMを廃止した幼稚園に興味を惹かれた
それをきっかけに「音感受」の研究への関心が高まった吉永教授。学内でも研究の意義が認められ始めたなか、広島で興味深い教育を展開している幼稚園があるという噂を耳にする。最初に聞いたのは、「運動会のBGMをすべて廃止した」という話。その意図を知るべく電話をかけると、とんとん拍子に現地を訪ねることが決まった。
「園長先生がおっしゃっていたのは、音楽は自ら表現するものであり、保育者が子どもを音楽で動かすことは本来のあり方ではないということでした。だから、運動会のBGMをなくすことにしたというのです。そうした音楽教育に対する考えに強い興味を抱いた私は、しばらくこの幼稚園に通って学びたいと思いました」
この幼稚園の興味深い教育方針は、音楽に限った話ではなかった。それが顕著に現れていたのが、先生が指示をせずとも子どもたちが自発的に動く姿だった。たとえば、誕生日会が始まることを伝えられた5歳児が、自分たちで列をつくって2階の保育室から1階のホールに移動。「なぜ先生から言われなくても並ぶの?」と尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「子どもたちは『自分たちで早く移動すれば、楽しい時間が長くなるから』と話すんです。先生の指示を待っていると、それだけ誕生日会の開始が遅れてしまうと理解しているということですね。先生たちはそうした思考力を育むために、あえて指示を控えている。その様子を見て、子どもの感性や考える力を尊重し、主体性を育む教育のすばらしさを学びました。私は、この幼稚園の園長先生や先生方、そして子どもたちから、幼児教育の本質を教えてもらったと思っています」
身体の感覚が言語や表現に変わるプロセスに迫りたい
こうした学びを経て、「音感受」という独自のアプローチから研究に取り組んできた吉永教授。これまでに紹介した多くの事例や取り組みも、彼女の研究内容のほんの一握りに過ぎない。ひとつの領域にとらわれることなく、ウェルビーイングの視点から多様な人々と「音」「音楽」、そして「表現」に関わる活動を展開し続けている。
新たに挑戦したいと考えているのは、「身体化された感性語」というテーマ。デジタル技術の著しい発達に伴い、今後は現実世界における体験の重要性が薄まっていくかもしれない。それでも、人間の身体でなければ捉えられない感覚は確かに存在している。そうした感覚がどのように言葉に表現されていくのかを明らかにすることが今後の目標だ。
「AI(人工知能)やメタバースといった技術は、すでに日常生活に深く組み込まれています。これらの世界は子どもたちにとって興味深く、魅力にあふれているといえるでしょう。一方で、こうしたテクノロジーによる表現の世界を、子どもたちが自ら感受しているとは言い難いのも事実です。想像を超える未来の社会において、自分で考え、新たな価値を見出し、主体として育つためには、『ひと・もの・こと』との出会いが新鮮な乳幼児期に、身体の諸感覚を通して身のまわりの環境と関わる必要があります。心が動く瞬間を重ね、自分の言葉や多様な形で表現する経験を通し、感性と表現の基盤を築いていく。そのプロセスに迫ることで、幼児教育に新たな視点から貢献していきたいと思います」
教員紹介
Profile
吉永 早苗教授
Sanae Yoshinaga
岡山県瀬戸内市生まれ。1985年に岡山大学 教育学部 中学校教員養成課程 音楽教育専攻を卒業、1987年に岡山大学 大学院 教育学研究科 修士課程を修了、2013年に白梅学園大学 大学院 子ども学研究科博士課程を修了。1987年度よりノートルダム清心女子大学や岡山県立大学、岡山大学などで教鞭を執り、2025年からは桜美林大学 健康福祉学群 教授、東京家政学院大学 生活共創学部 特任教授を務める。著書に『音からひろがる子どもの世界』(単著、ぎょうせい、2021年)、『主体としての子どもが育つ 保育内容「表現」』(編著、北大路書房、2025年)など。
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