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動作分析から人間関係の築き方までを幅広く学ぶ
スポーツコーチング領域とは?
家庭でも職場でも
多様な人間関係に応用できる
スポーツに関する研究は、生体の構造や機能を解析するバイオメカニクスだけに留まらない。健康福祉学群の宮﨑光次教授が専門とするスポーツコーチング領域もその一つだ。スポーツコーチング領域には、解剖学や運動生理学などに基づいた動作分析のほか、スポーツ心理学に基づいたメンタルトレーニングや、他者との間に適切な人間関係を構築するコーチングなど多岐にわたる。これらは主にスポーツ選手を対象に適用することが想定されているが、このうち対他者との人間関係を構築するコーチングは職場や家庭などの日常生活でも活かすことができる。
「コーチングは相手の考えを引き出して自主性を育もうとするものです。そして、コーチングは役割ではなく、行為であり、スキルです。よって、条件を整えれば誰にでもでき、努力すれば上達します。部下が上司に、あるいは後輩が先輩に対してコーチングを行うことも可能です」
スポーツコーチング領域の知見を応用し
準硬式野球部を全日本選手権優勝へ
「指導する」という言葉からはなにかを教えることによって相手の成長を促すニュアンスが強く感じられるが、コーチングでは教える側が気づきを与えるだけではなく、相手の考えや視点を引き出すことにも重点が置かれている。
たとえば、選手に「日本一」を本気で目指させたいときに直接的な言葉で働きかけるのではなく、「日本一の色はどんな色か?」「匂いは?」「手の感触は?」といった問いかけにより、選手自身の中に「日本一」のイメージを作り上げる手法もその一つだ。宮﨑教授はこのコーチングの手法を、当時指導にあたっていた桜美林大学準硬式野球部に初めて導入し、全日本選手権優勝という快挙を達成した。
「2006年までは準優勝やベスト4には進出できるものの、最後の一歩が及ばぬ年が続きました。そこで選手たちに『日本一になりたい』と心から思ってもらうために、コーチングの知見を活かした“ある実験”をしました。まずは『日本一ってどんな色だと思う?』と『日本一になったときにはどんな映像が見えると思う?』日本一になったときの感覚は?』などとミーティングで問いかけたのです。すると選手たちからは『日本一になったときの色は赤か金です』『胴上げしている映像が見えます』『僕はみんなでマウンドに集まって人差し指を掲げている映像でした』などと各々が日本一に関するイメージを言語化し始めました。そのほかにも『日本一の匂いは?』『日本一の手の感触は?』などと問いかけ『そんな日本一を味わいたいと思わないか?』と語りかけたり、選手の多くが“日本一の色”だと語った赤色で『日本一』と書かれた横断幕を作ったりすることを通じて、選手たちの士気を高めていきました。このように『日本一になった後のイメージ』をあらゆるテーマで繰り返し想像させて言葉を引き出したところ、2007年に全日本選手権で見事優勝を果たしたのです。選手たちが秘めていた底力と、それを引き出したコーチングの力に感動を覚えました」
スポーツにおけるコーチングでは感覚的な指導はNGなのか?
スポーツの指導法の中には、長嶋茂雄監督の「バットをビュンと振る」に代表されるような感覚的な指導もある。これは科学的根拠にもとづいた指導法を学ぶコーチングとは相対するようにも思われるが、「イメージの言語化」はコーチングでもよく用いられる指導法の一つだという。具体的には「ビュンと振る」ための方法を学生に考えさせるときや、スポーツ理論にもとづいたバットの振り方を学んだ学生がイメージを言語化するときなどに有効だ。一方で、感覚的な指導が合わない学生には別の指導法を適用する必要がある。スポーツにおけるコーチングには絶対的な正解はなく、あくまで相手に合わせた指導法の模索が求められる。
“野球大好き少年”がコーチを志すまで
桜美林高校在学時に甲子園出場
2回戦敗退の悔しさから教員の道へ
桜美林大学野球部部長として指導にあたる宮﨑教授も、かつては自身が選手だった。幼いころから野球をこよなく愛し、中学卒業後は地元で、かつ、1976年に夏の甲子園大会で全国制覇を果たした野球の名門校だった桜美林高校に進学。高校3年次には甲子園への出場を果たし、2回戦まで駒を進めた。しかし、優勝できなかった悔しさを経験し、「教員になって選手たちを優勝させたい」という想いを胸に教員の道を志すようになる。
全国の名プレイヤーが集う筑波大学の野球部に所属して汗を流しながら、ボールの投げ方や打ち方などバイオメカニクスを中心としたスポーツ研究にやりがいを見出すなど充実した日々を送った。大学院在学中は桜美林大学からオファーを受けて院生でありながら非常勤講師としてスポーツ実技科目を担当。土日は母校である桜美林高校野球部の練習にコーチとして参加し、大学院卒業後は桜美林大学の教員として勤務することになった。
選手に指導する中で直面した壁が
「スポーツコーチング領域」との出会いに
教員として野球に関する研究者と指導者になるという夢を早期に叶えた宮﨑教授の人生は順風満帆に思えた。しかし、選手の指導にあたる中で“ある壁”に直面することとなる。

「同じことを話しても深く理解している選手とそうではない選手がいる。あるいは私がつい熱くなって指示や命令が多くなると選手が萎縮してしまう。こうしたケースに直面するうち、選手がなにを考えてどんなプレーをしたのかを聞き、選手自身が改善点に気づくことが重要なのではないかと考え始めました。良い知識を持って指導にあたることとは別に、選手にそれを受け入れてもらうための技術が必要なのではないかと気づき始めたのです。そんな折に出会ったのがスポーツコーチング領域でした」
この出来事を機に、宮﨑教授は専門分野をバイオメカニクスからスポーツコーチング領域に転向。学んだ理論を授業で学生に伝えると共に、日々の練習にて実践し、学生や選手たちの指導に励んでいる。
「日本式野球」を伝える国際交流事業で
コスタリカの子供たちを笑顔に

スポーツコーチング領域に加えて、宮﨑教授の大きな活動の一つになりつつあるのが、JICA・桜美林大学連携ボランティア派遣事業だ。同事業は国際協力分野におけるグローバル人材育成を目的として、2016年から毎年1か月程度、野球部員10~15名がコスタリカ共和国(以下、コスタリカ)に渡り、現地の子供たちに対して野球の普及・振興を図っている。
コスタリカの首都サンホセ近郊では、2000年代からJICAの青年海外協力隊が現地の子供たちに対して野球を指導してきたため、練習できる体制がある程度整備されている。しかし、地方では野球人口が少ないことから試合ができず、グローブがチームに5~6個しかないというケースも珍しくない。そこで参加学生と現地の子供たちの混成チームを作って対戦したり、使っていない野球用具を集めて寄贈したりと工夫を凝らして、現地の子供たちと野球を通じた交流を深めている。
2016年に同事業が始まった当初、現地の子供たちには挨拶をする習慣や、道具を大切にするという概念もなかったが、現在は礼儀正しく挨拶し、用具を整理整頓して置くという規律を重視した「日本式野球」が浸透しつつある。また、同事業は参加学生にも大きな変化をもたらしている。
「参加学生の多くは同事業を通じて課題解決能力を身に付けます。たとえば、小学校で行っているベースボール型の体育授業がうまくいかなかったときにその理由を考えて、次の授業に活かします。こうした現場でのトライアンドエラーを繰り返すうち、毎年最終週の授業の質が格段に上がるのを感じます。また、参加学生の中には『幸せとは何かを考えさせられました』と語った人もいました。コスタリカはものに恵まれていないものの、現地の子供たちが心から笑っているように感じられたことから、『幸せ』について深く考えたようです。2016~2017年の参加者はとくに大学院に進学する学生が非常に多く、中にはスポーツ国際協力分野を専門とし、コスタリカでのフィールドワークを経て大学教員になった卒業生もいます」
自分を超える人材を
数多く輩出していきたい
宮﨑教授は大学教授として研究を続けながら、野球部の部長として選手たちの指導にあたっている。“ともに学ぶ”姿勢のもと講義や部活動を通じて学生と関わり続けられる現在の環境に満たされながらも、学びの意欲は尽きることはない。その根底には学生への想いがあった。
「スポーツコーチング領域で得た知見を長く実践し続けてきましたが、未だに日々発見があるので、今後も学びを深めて学生たちに還元していきたいと考えています。長年の指導の経験から、自分が知っている知識だけを伝えても自分を超える人は育たないという実感があります。だからこそコーチングを通じて学生や選手が持っている能力を引き出す言葉をかけ、私を超えていく学生や選手をどんどん輩出していきたいです」
教員紹介
Profile

宮﨑 光次教授
Mitsuji Miyazaki
1963年、東京都出身。桜美林大学健康福祉学群健康・スポーツ領域長。1987年3月に筑波大学体育専門学群を卒業。1990年3月には同学体育研究科コーチ学専攻修士課程を修了し、体育学修士を取得。1990年4月より桜美林大学の助手として勤務し、同学野球部のコーチとしても指導にあたった。2006年4月からは同学の健康福祉学群教授に就任し、文学部健康心理学科長やスポーツ推進センター長、健康福祉学群長などを歴任。2021年4月から現職。
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