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子どもにとって「遊び」とは何か?
遊びは、想像と創造の源泉
「遊び」とは何か——。哲学、心理学、教育学などさまざまな領域において研究されてきたテーマである。「人間は遊ぶ動物である」と定義したのは、20世紀を代表するオランダの歴史研究学者ヨハン・ホイジンガで、遊びは単なる余暇活動ではなく、文化の根底を流れる基本ととらえ、遊びこそが人間の本質的な行為でと唱えた。
このような遊びの重要性については、現代社会において一定の認識が広まりつつあるように思われる。特に、保育や幼児教育の領域においては、幼児教育の指針である「幼稚園教育要領」(平成29年告示)では、第1章 総則第1 幼稚園教育の基本に、「幼児の自発的な活動としての遊びは、心身の調和をとれた発達の基礎を培う重要な学習であることを考慮して、遊びを通しての指導を中心」とすることが明記されている。つまりここでは、遊びは学習として位置づけられている。
しかしながら、健康福祉学群保育学専攻の福田きよみ教授が研究を始めた1980年代には、遊びは学習の対立概念としてとらえられることが多く、「遊んでばかりいないで勉強しなさい」という言葉が子育ての文脈でも広く使われていたという。福田教授は、卒業論文で、大脳半球機能差を脳波を測定することにより明らかにするという実験手法を用いて研究を行った。その後、日本女子大学の大学院家政学研究科に進学し、遊び研究の第一人者である高橋たまき教授と出会う。そこから保育園や幼稚園を訪れる機会が増え、子どもたちの遊びが持つ大きな力に魅了されたことがきっかけに、遊びを研究対象とするようになった。
「実験手法による研究は実験的手法による研究は非常に興味深く、自分の資質にも適していると感じていました。しかし、当時自分が魅了された『遊び』の本質は、子どもの日々の生活を『観察すること』でしか捉えられないと考えるようになり、その後、観察法を用いた研究へと移行しました。また学部時代に、特別な支援を必要とする子どもたちと遊ぶ会を友人たちと立ち上げました。その活動を通して、言語表出が不自由な子どもたちでも、遊びの中で豊かに自分を表現していることに気づきました。このような活動を通して、遊びがすべて子どもの発達にとって欠かせない、極めて重要な活動であることを明らかにしていきたいと考えるようになりました。」
また、遊びの魅力には、もう一つの側面として、共同によって一つの世界を創造することがあるという。
「私はこれまで、『ごっこ遊び』を通じた子どもの成長にも注目してきました。共同遊びは、3歳ごろから始まりますが、5歳ごろになると、何日も継続する遊びへと発展します。遊びの中では、自分と他者のイメージが衝突することもあります。しかし、遊びを続けたいという欲求があるため、子どもたちは自分の気持ちを抑えながら遊びを発展させていきます。このような遊びを通して、他者の意見を尊重する心が育まれます。遊びを通じたコラボレーションは、社会性の発達にも大きな影響を与えると考えています」
子どもはなぜ遊ぶのか?
そもそも、子どもはなぜ遊びを自発的に始めるのだろうか。「子どもは遊ぶもの」と当たり前にも思える問いに対し、福田教授は「その答えは、『楽しいから』でしょう」と答える。
「イマジネーションの楽しさ、創造することの楽しさーーこれらは、学びの基礎となります。その学びを支える要素の一つに、『思考の可視化』があると考えます。通常、頭の中で考えていることは、なかなか見えません。しかし、遊びの中では、『ロボットを作りたい』と考え、ブロックを組み立てながら、『ここに羽をつけた方がいい』と思いつく。ブロックで作ったロボットが実際に目の前にあるからこそ考えつくのである。そして、その「羽」を傍らで見ていた友達は、それをカッコいいと思い、自分のロボットにも羽をつける。そして、ごっこ遊びが展開していきます。目の前に物理的な「もの」が目の前にあることが、思考やコミュニケーションを支え、それが遊びの継続の鍵となっていると考えています。」
「わかった!」から始まる探究的思考
「ごっこ遊び」をする子どもたちのやりとりを観察する中で、福田教授が注目しているのが、「わかった!」という発言だ。子どもたちは遊びながら、何らかのゴールが生まれ、そこに近づくために試行錯誤を繰り返す。遊びのゴールは子ども自身が設定するため「もっとカッコいいロボットをつくりたい」かもしれないし、「もっと堅い泥団子を作りたい」かもしれない。そして、そのゴールに近づく方法を思いついたときに口から出るのが、「わかった!」なのだという。
「学校教育で導入されている探究学習の根本は、遊びの中にあるのではないかと考えています。自ら設定したゴールに向かい、課題を発見し、『わかった!』という瞬間を迎えます。この連続によって学びはより深まっていくと考えられます。遊びの中で『探究的な学び』の楽しさを存分に味わうことが、将来の学びへとつながっていくのではないでしょうか。」
動画にはない絵本のアイデンティティとは?
読み手によって伝わり方が変わる、独自の魅力が絵本にはある
近年、福田教授は「遊び」の研究と並行して、「絵本」の持つ教育的な価値にも関心を寄せている。動画コンテンツが普及し、子どもたちの関心を引くコンテンツが増えているが、絵本には動画にはない魅力がある。
福田教授によると、担当科目の『保育内容(言葉)』など言葉に関する授業内で、学生が絵本を紹介する機会があるという。その際、小さいころから大切に読み続け、ぼろぼろになった絵本を持参する学生がいるそうだ。
「絵本の質感や大きさ、紙の手触り、ページをめくるときの感触、こぼしてしまった水のしみ、何度も読んだことで擦れた角…さらに、読み聞かせをしてくれた大人の声やまなざしまでもが絵本自体にしっかりと染み込み、子どもの心に深く刻まれるのです。
絵本の読み聞かせには『一期一会』の特性があり、読み手によって伝わり方が変わるという独自の魅力を持っています。大人がその場の状況に応じて声のトーンを変えたり、ページをめくるタイミングを調整したりすることで、子どもとの豊かなコミュニケーションが生まれるのは、手に取れるからこそですよね。
今後、技術革新によって、動画や、デジタル絵本もさらに進化していくことでしょう。しかし、親から子へ、大人から子どもへ、自分の声で届けられる絵本の物語は、ともに育んできた時間と空間を手渡すような効果があります。これはかけがえのないものだと思っています」
学生と次世代の保育を考える
どのような環境が最も創造的な「遊び」を引き出すのか
現在、遊びの重要性に異を唱える保育者はいないであろう。多くの保育者が一人ひとりの子どもの「やりたい」を実現し、子どもとともに保育を創造することに日々奮闘している。
だが、子育てを巡る課題は山積している。学校教育も変わりつつあるが、日々の保育をどのように一人ひとりの学びを深めることにへとつなげていくのか。就学前の教育と学校教育との連続性はどのようにあるべきか。そこに「遊び」はどのように関わるのか。昨今増えている甚大な災害が発生した際、子どもたちの命を守ることを最優先としながら、遊ぶための時間と空間をどのように保障したらよいのか。虐待を受けた子どもたちにとって、最も大切なことは何か。保育の質を高めるために、学生時代に学ぶべきことは何か。福田教授は、これらの課題について、保育や子育て現場からの学びを大切にしながら、一歩先の保育を学生と共に考え続けていきたいと述べている。
また現在の保育環境では、デジタルツールの活用が進んでいる。ICT技術を保育にどう活かすかは大きな課題だ。ただし、保育の現場では、体験的な学びはまだまだ重要だ。デジタルの便利さを活用しつつも、子どもたちが実際に手を使い、身体を動かし、仲間と関わりながら学ぶ機会を確保することが、今後の保育には求められるのではないかと福田教授は考えている。
遊びの持つ力を明らかにしたい
「遊びの持つ力や絵本の重要性については、まだまだ研究が必要です。特に、子どもたちが自ら課題を設定し、解決していくプロセスは、探究学習の基盤にもなり得ると考えています。例えば、泥団子を作って数日後に重さを測ると『軽くなってる!』と気づく。この気づきから『何がなくなったの?』と考え始め、さらなる探究へと発展していく。このように、遊びを通じた探究的な学びの可能性を、今後も深めていきたいと思っています」
今後も遊びの持つ力を明らかにし、教育現場や家庭での実践に活かせる形で発信していきたいと語る福田教授。子どもたちが自由に遊び、学び、成長できる環境を守るために、現場重視の研究を続けていくつもりだという。
教員紹介
Profile
福田 きよみ教授
Kiyomi Fukuda
1984年 日本女子大学家政学部児童学科卒業。1986年 同大学大学院家政学研究科児童学専攻修士課程修了。1992年 同大学院文学研究科教育学専攻博士課程単位取得満期退学。日本女子大学児童研究所非常勤研究員、日本女子大学家政学部児童学科助手、鶴川女子短期大学助教授、東京学芸大学 非常勤講師などを経て、2009年より桜美林大学健康福祉学群准教授。2014年より教授。専門は保育学、子ども学ほか。
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