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前十字靭帯損傷の予防に寄与する
身体の効果的な動かし方を模索
前十字靭帯損傷の予防について研究
「前十字靭帯」の損傷は、スポーツ選手のキャリアに深刻な影響を及ぼす怪我として知られている。前十字靭帯とは、膝関節の内部で大腿骨と脛骨をつなぎ、脛骨の前方移動を防ぐとともに、捻れ方向への過剰な動きを抑える役割を果たしている強力な靭帯だ。この靭帯を損傷すると、膝が不安定になり、膝関節が外れる感覚や激しい痛み、さらには腫れや関節の可動域制限といった症状が現れる。
前十字靭帯の損傷は、ジャンプ後の着地や疾走中の急な方向転換・停止動作など、膝に異常な回旋力が加わる場面で発生することが多い。これはほぼすべてのスポーツ選手に起こり得るリスクといえる。
前十字靭帯の損傷や断裂が起きた場合、多くは手術が必要となり、その後のリハビリテーションを経て日常生活に復帰するには約1年、スポーツ選手でも6~10か月を要する。しかし、筋力や競技力の回復にはさらに時間がかかり、選手としての全盛期や成熟期に怪我をすることで、競技人生の貴重な時間を失うことにもなる。そこで、健康福祉学群の鈴木秀知准教授は、スポーツにおける前十字靭帯損傷の予防を専門的に研究している。
「前十字靭帯損傷の予防研究は、30年以上前から進められてきました。従来の研究では、膝周りの筋や体幹を強化することが予防に重要だとされており、当初はその有効性を検証することが私の研究の中心でした。私は特に女子バスケットボール選手を対象に研究を行っていました。この競技では、急加速や急停止といった動作が頻繁に求められるうえ、女子選手は筋力的に弱いため、前十字靭帯損傷のリスクが特に高いことがわかっています」
前十字靭帯再建術から競技復帰を果たした女子選手を対象に実験
鈴木准教授の研究に、「前十字靭帯再建術(Anterior Cruciate Ligament Reconstruction: ACLR)を受け、競技復帰を果たした女子バスケットボール選手を対象とした実験」(※)がある。この研究は、ACLR後に競技復帰した選手の下肢関節運動における患側(手術を受けた側)と健側(健康な側)の違いを明らかにすることを目的としている。
実験では、実際のスポーツ動作に類似した「カッティング動作」を課題として設定した。選手には検者の合図に従い、スタートラインから40cm前方のフォースプレート上の着地ラインに向かって両足でジャンプし、着地後は方向指示に従って最大努力で斜め45度前方へ踏み込む動作を行ってもらう。このとき、膝関節と股関節の最大屈曲角度を計測し、患側と健側の差を比較した。
動作計測には、選手の頭部、胸部、骨盤、大腿部、下腿部、足部などにモーションキャプチャ用のマーカーを装着し、8台の赤外線カメラを備えた3次元モーションキャプチャシステムとフォースプレートを使用した。
「実験の結果、女子ACLR者はカッティング動作中において、患側の股関節および膝関節の屈曲角度が健側よりも小さいことが明らかになりました。また、主観的な膝機能の評価として、KOOS(Knee injury and Osteoarthritis Outcome Score)アンケートも実施。このアンケートでは、疼痛、症状、日常生活、スポーツおよびレクリエーション活動、生活の質(QOL)の5つのカテゴリにわたる42項目を評価した結果、患側の膝関節機能が健側に比べて主観的に低いこともわかりました」

この研究では筋力の評価は行われていないため、膝関節の筋力差が下肢の動作や主観的な膝機能にどのように影響を及ぼしたのかは明確ではない。しかし、鈴木准教授は、ACLR者の患側膝関節の伸展筋力が健側と比べて長期間にわたり低下していることが、動作時における屈曲角度の差の一因である可能性を指摘している。また、股関節周囲筋力の強化が膝関節の運動改善に寄与する可能性も示唆されている。
さらに、KOOSにおけるQOLの評価は、ACLR者が競技を続ける上で重要な指標となる可能性が高いと考えられているため、膝関節機能の改善や筋力の強化に取り組み、QOLを向上させることが求められると鈴木准教授は語る。
近年は股関節周囲筋・呼吸筋と前十字靭帯損傷の関係に注目
膝周りの筋や体幹を鍛えることは前十字靭帯損傷の予防に有効とされているが、それだけでは十分ではなく、損傷の原因には未解明な部分が多いのが現状だ。現在は、股関節周囲筋の筋力と前十字靭帯損傷との関係について研究を行っている。その過程で、鈴木准教授が重目しているのが「呼吸筋」、特に横隔膜である。
「元ハンマー投選手の室伏広治さんが実践していた『赤ちゃんトレーニング』をご存知でしょうか。これは、赤ちゃんの発育過程で見られる動きを取り入れたトレーニングで、全身の筋を効率的に使うことを目的としています。その特徴は、仰向けで手足を動かしたり、四つ這いになったりするシンプルな動作にありますが、最も重要なのは、これらの動作がまず『呼吸を整える』ことから始まる点です」
この呼吸の要となるのが「インナーユニット」と呼ばれる筋群。インナーユニットは、腹横筋、横隔膜、骨盤底筋、多裂筋の4つで構成され、体幹の安定を支えている。特に横隔膜は、呼吸筋としての機能だけでなく、全身の動作制御にも大きな役割を果たす。
「全身をスムーズに動かすことが、前十字靭帯損傷の予防には欠かせません。そのためには、横隔膜の機能を適切に戻すことが重要であると考えています。現在、私は横隔膜と全身の動作制御、そして前十字靭帯損傷の関係性について研究を進めているところです」
アメリカ留学を通して
全米公認アスレティック・トレーナー(BOC-ATC)を取得
大学のアメフト部で大怪我を経験し、トレーナーの道へ
「高校までは水泳部に所属していましたが、大学ではアメリカンフットボール部に入部しました。当時、衛星放送(BS)で観ていたナショナル・フットボール・リーグ(NFL)に憧れを抱いていたからです。しかし、大学1年生の夏に熱射病、秋には練習試合中に相手選手の膝が腹部に直撃し、肝挫傷(肝臓損傷)を負いました。熱射病では血圧が測れないほど危険な状態になり、肝臓損傷は交通事故レベルの重傷でした」
鈴木准教授が所属していたアメリカンフットボール部では、2年次から3年次に進級する際、マネージャーに転向する選手を決める慣例があった。鈴木准教授は大怪我の影響でプレータイムが限られていたこともあり、マネージャーへの転向を決意。マネージャーとしての任務は、単なる雑用ではなく、練習試合の日程調整などチーム運営の中心的な役割を担うもので、非常にやりがいを感じていたという。また、チームには専属のアスレティック・トレーナーが在籍しており、練習や試合日程の調整を行うなかで、選手のコンディションなどについてトレーナーと話す機会が増えていった。そのトレーナーはアメリカのアスレティック・トレーナー資格を持つ専門家であり、鈴木准教授も次第にアスレティック・トレーナーとしてのキャリアに興味を持つようになった。
当時、大学院進学も視野に入れていたものの、日本ではまだ「アスレティック・トレーナー」という職業や資格が十分に確立されていなかった。そのため、資格取得を目指してアメリカ留学を決断する。約30年前、日本には鍼灸師や柔道整復師という資格を活用しながら、トレーナーとして活躍されていた先輩方はたくさんいたが、トレーナー資格はなく、アスレティック・トレーナーとしての専門知識と資格を得るにはアメリカでの学びが不可欠だった。この資格の取得こそが、トレーナーとしてのキャリアを切り開く第一歩になると考えたのである。
トレーナーを養成するアメリカの制度に感動
オレゴン州立大学に留学した鈴木准教授。アメリカの大学では、トレーナー養成のためのユニークな制度が整っており、「解剖学」や「生理学」といった授業とは別に、1年次から大学の部活動でのインターンシップが実習として組み込まれている。その制度に鈴木准教授は感動したという。
「授業と並行して、卒業までに800時間以上のインターンシップが課されます。この制度は現在も続いており、私の時代は学期ごとにアメリカンフットボール、サッカー、レスリング、野球、漕艇など、さまざまなスポーツの部活動に配属されました。本場のアメリカンフットボールのディビジョン1のレベルは、日本とは比べ物にならないほど高いです。もし日本の大学生が対戦したら、身体能力の差が大きすぎて、危険なレベルです」
当時、英語を十分に話せなかったことが課題となり、選手とのコミュニケーションに苦戦したと鈴木准教授は語る。特に、プロを目指すようなディビジョン1の選手たちは、高い水準のトレーナーしか信頼せず、鈴木准教授に近づいてこないこともあったという。その際は、非常に悔しい思いをしたが、最終的に卒業を迎えられたという事実は、一定の水準に達したことを認められたという証明になった。資格も無事に取得し、大きな達成感があったと振り返る。
また、アメリカのトレーナー養成の仕組みの魅力は大学卒業後にも続く。トレーナー資格を取得すると、授業料免除で大学院に進学できるうえ、その大学院でプロのトレーナーとして勤務することが可能だ。プロとしての仕事には給与も支払われ、学びながら実践の現場で経験を積むという理想的な環境が整っている。当初はトレーナー資格を取得したら日本に帰国するつもりだったが、鈴木准教授は大学院への進学を決意する。
アメリカで大学院に進学し、プロのトレーナーに
「テンプル大学には8名のトレーナーがいて、そのうち私を含めて4名が大学院生でした。私は男女器械体操のチームを1人で任され、サッカーや野球など他の部活も並行してサポート。アメリカでは、一度役割を与えられると、あとは『頑張ってください』というスタンスが強かったですね」
大学院卒業後、1年間の研修ビザを取得した鈴木准教授は、当初日本に帰国する予定だったが、自分を雇用してくれる大学があれば挑戦してみようと決意。プロスポーツチームではなく、大学のトレーナーとして働く道を選んだ理由は、学生たちの潜在能力を引き出すことに楽しさを感じたからだ。その結果、ペンシルベニア州のアーサイナス大学に採用された。
「アーサイナス大学のアメリカンフットボールチームはディビジョン3でした。トップレベルではありませんでしたが、トレーナーとして新しいメソッドを試したり、可動域や身体動作のアドバイスを行ったりすると、学生たちの成長が目に見えてわかります。彼らの潜在能力は非常に高く、それを引き出す仕事に大きなやりがいを感じました。また、大学で出会った同僚トレーナーからも大きな学びを得ることができました」
特に印象的だったのは、1984年ロサンゼルスオリンピックでアメリカのフィールド・ホッケー代表チームを支えたこともある女性トレーナーとの交流だ。彼女は、怪我が治っただけでは選手を試合に復帰させず、完全に回復したと判断した上でのみ出場を許可していたという。また、トレーナーが外部に派遣される際、費用が不当に低い条件には一切妥協せず、選手やトレーナー仲間を守るという信念を貫く姿勢に感銘を受けた。その後、鈴木准教授は日本へ帰国し、研究者としての道を歩み始め、現在に至っている。

アスレティック・トレーナーに
アクセスしやすい環境の整備が重要
日本の部活動にアスレティック・トレーナーを配置するには
現在の日本では、アスレティック・トレーナーの国家資格が存在せず、民間資格に頼る状況が続いている。また、アメリカのように大学に専属のトレーナーが配置されるシステムも整っていない。一部のチームではトレーナーを雇用しているものの、それが一般的ではないのが現状だ。前十字靭帯損傷などの怪我を予防するには、筋力を高めるトレーニングも必要だが、トレーナーに容易にアクセスできる環境が欠かせないと鈴木准教授は指摘する。
「日本の学校教育のなかでトレーナーを活用する仕組みを考えるならば、中学校や高校において、体育の先生が学校全体の部活動をサポートするアスレティック・トレーナーの役割を担うのが現実的だと思います。特定の部活動の顧問ではなく、学校全体のトレーナーとして活動するのです。そのほかの業務もあるので、すべての選手を直接ケアするのは難しいと思いますが、選手が気軽に相談できる窓口を用意し、必要に応じて適切な医療機関につなげる役割を果たすだけでも大きな効果が期待できます。このような環境が整えば、多くの怪我を未然に防ぐことができるでしょう」
選手たちに「トレーナーの仕事がない」と思ってもらうことが理想
アスレティック・トレーナーの仕事は、怪我が発生した際に応急処置を行い、テーピングやリコンディショニングを通じて回復をサポートすることだが、理想は怪我そのものが発生しない環境をつくること。選手にスポーツ障害・外傷予防トレーニングを指導したり、試合後のストレッチング方法を教えたりすることで、選手自身が怪我を防ぐ知識と技術を身に付けられるようにするべきだと鈴木准教授は話す。現在、鈴木准教授は現場でチームに帯同することはないが、トレーナーとしての理想像についてこう語る。
「選手が怪我をすれば、チームは最高の状態を維持できません。スターティングメンバーが揃わないことで試合のパフォーマンスが低下するだけでなく、サブメンバーが怪我をすれば練習の質にも影響が及びます。最優先すべきは、選手がトレーナーにアクセスしやすい環境を整えることです。選手が安心してトレーナーに相談できる体制があれば、怪我の予防につながり、結果としてチーム全体の強化につながるはずです。怪我などが発生せず、選手たちに『トレーナーの仕事がない』と思ってもらえる状態を維持することが、トレーナーにとっての最大の成功と言えるでしょう」
※鈴木秀知,西野勝敏,田中正栄,上松大輔,大森 豪,前十字靭帯再建術から競技復帰を果たした女子選手の非予測カッティング動作時における下肢関節運動と膝外傷と変形性膝関節症評価点数(KOOS)の健患差,日本臨床スポーツ医学会誌(Japanese Journal of Clinical Sports Medicine),2023年,31号,p100-p108
教員紹介
Profile

鈴木 秀知准教授
Hidetomo Suzuki
1975年、静岡県生まれ。新潟大学大学院 医歯学総合研究科 生体機能調節医学 博士課程修了 博士(医学)。Ursinus College Athletic Department Assistant Athletic Trainer、新潟経営大学 経営情報学部 助教、新潟経営大学 経営情報学部 講師、新潟経営大学 経営情報学部 准教授を経て、2019年より現職。アスレティック・トレーナー(AT)とストレングス&コンディショニング・スペシャリスト(SC)の資格を持ち、さまざまな大学スポーツ選手を陰で支えてきた経験を持つ。
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