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常磐線から世界へ。現実と向き合い続ける研究者人生
酔っ払うサラリーマンを見て決意した大学教員への道
東アジア、特に日中間の領土問題の第一人者として知られる菅沼雲龍教授。その専門性と見識を求めて、欧米の研究者やジャーナリストが頻繁に菅沼教授のもとを訪れるという。日中米で長期間生活した豊富な国際経験を持つ菅沼教授が大学教員・研究者を志したきっかけは、意外にも日常的な通学風景にあった。
ドイツ語学科の大学3年生だった1987年、常磐線で帰宅中のこと。酔っ払って、電車内で眠りこけるサラリーマンたちの姿を目にした瞬間、「これが私の将来の姿になるのか」という強い違和感を覚えたという。
「大学時代、とても真面目な学生とは言えない時間を過ごしていた私でしたが、周りが就職活動を始めるなか、あの光景を見て『サラリーマン社会は私には合わない』と思ったんです。それで何をやりたいのかを真剣に考えた時、一番興味を持てたのが大学で教えることでした」
そのためには博士号が必要。しかし、調べてみると当時の日本では社会科学分野でほとんど博士号が出されていない時期だった。では現役の大学教員たちはどうしているのか?博士号を持つ教授、助教授陣はみな海外で学位を取得していたことがわかった。
「それなら自分も海外に行こうと決めました。ただし、ドイツ語専攻だった私の英語力はB、Cの成績しか取ったことがないレベル。まずはシアトルの語学学校でイチから英語を勉強し直すことから始めました」
1年間で語学レベル1から6まで一気に駆け上がり、アメリカの大学院進学を果たした菅沼教授。だが、ここで大きな挫折が待っていた。
経済学での挫折が教えた「傲慢になってはいけない」教訓
ニューヨーク州にあるセント・ジョンズ大学で中国研究の修士課程を修了し、自信をつけた菅沼教授は、次にボストン大学の経済学プログラムに挑戦した。しかし、経済学は想像以上に数学的で、微分積分を駆使した学びが不可欠。数学が得意ではなかった菅沼教授にとって、それは過酷な1年間となった。
「人間というのは自信がつくと傲慢になるもので、私も『自分は何でもできる』と思ってしまったんです。ところが、朝7時から大学に行き、予習をして1限に出席し、図書館で勉強して、また午後の授業へ。それでも授業内容に追いつくことができない。毎日数学ばかりで、『果たしてこれが私のやりたい研究なのか』と悩み、1年間で方向転換を決めました」
1993年、シラキュース大学の国際関係学プログラムに入り直し、ようやく自分の道を見つけた。そして1996年、人文地理学の博士号を取得。7年間の長い学生生活を経て、念願の研究者への道を歩み始めた。この経験は、菅沼教授の重要な教訓となっているという。
「人間は傲慢になってはいけない、ということを学びました。ただ、この苦い経験のなかでも勉強を続けたことで、今でも学生に経済学の基本原理を教えることができますし、少し気の緩みを感じたときに自分を戒めることもできています」
英語論文で初めて解き明かした尖閣諸島問題の全貌
誰も書いていない「オリジナル性」を求めて
菅沼教授には「日中の架け橋として、将来、日中関係の専門家になりたい」という思いがあった。そこで、博士論文を書くにあたって選んだテーマは、尖閣諸島問題。その理由は明確だった。
「アメリカで博士号を取るには、それまでに誰も書いていないオリジナルな研究であればあるほど、有利になります。当時、尖閣諸島についての論文はいくつかありましたが、短いものばかり。英語で日中間の領土問題について包括的に分析した論文は存在していませんでした」
指導教授からも「君がこの分野の第一人者になる」と言われ、書き上げた論文は630ページもの大作に。その後、2000年にハワイ大学から出版され、英語圏で尖閣諸島について歴史地理、地政学の視点から分析した初めての本となった。
「今でも尖閣諸島について論文を書く研究者は、日本語、中国語、英語を問わず、必ず私の本を引用します。そのため年に何度も論文や記事の査読を依頼されます。先日もベルギー人のジャーナリストが桜美林大学まで意見を聞きにやってきました」
国際法の「発見理論」で読み解く複雑な歴史
菅沼教授の研究で最も重要なのは、国際法の観点から尖閣諸島の領土問題を客観的に分析したことだ。大交易時代以前、世界には「誰のものでもない土地」(無主地)が多く存在した。そこで国際法では「最初に発見して、実際に支配した国がその土地の権利を持つ」というルールがつくられ、「発見理論」と呼ばれている。
例えば、アメリカ大陸はコロンブスが発見したとされているが、実際にはネイティブアメリカンが居住していた。しかし、当時のヨーロッパの国際法では、ヨーロッパ人が発見して植民地化した土地は、その国のものとされた。
「国際法の『発見理論』に則れば、誰が第一発見者で、誰が実効支配してきたかが重要です。そこで、最初に調べたのは、『尖閣諸島』という名前をいつ、誰が使い始めたのかということでした」
歴史を紐解くと、最初にこの島々を発見したのは中国人だった。当時の沖縄は1879年まで琉球王国という独立国家で、明との貿易で栄えていた。この帆船貿易で明と沖縄を往来する航海者たちが、航路の目印として使っていた無人島が現在の尖閣諸島だった。
「明王朝の時代から『尖閣諸島』(中国語名:釣魚島)がありました。今でも首里城に行けば、清王朝から派遣された使節団の書いた『冊封七碑』が建立しています。諸島を発見したのは、清王朝の時代の中国人たち。これは歴史的事実です。しかし、ここまでは中国語で記録されているので、当然『尖閣』という日本語名は出てきません」
その後、1879年に琉球王国が日本に併合されると状況が変わる。1884年、古賀辰四郎という日本人事業家がこの島々を「発見」し、明治政府に開発申請を出した。ところが政府は当初、許可を出さなかった。
「外務卿(外務大臣)の井上馨が『これは中国語の名前がついているから、もしかしたらまずいのではないか』と言って、許可を出さなかったのです。これは日本の外務省の資料にすべて記録が残っている話です」
日清戦争と台湾割譲が変えた領土の帰属
転機となったのは1894〜95年の日清戦争だった。清が負けた後、日本は公式にこの島々を日本領土に編入。政府から許可を得た古賀辰四郎は尖閣諸島の開拓事業を始めた。「興味深いことに、中国からは何の抗議もありませんでした」と語る菅沼教授は、その理由をこう分析する。
「1895年の下関条約で台湾が日本の領土になったのですから。台湾のような大きな島でさえ仕方ないと諦めるのに、尖閣諸島のような無人島に抗議するはずがありません。つまり、1879年に琉球王国が日本領の沖縄となり、1895年に台湾も日本領となった時点で、その中間に位置する尖閣諸島は地理的に見ても日本の領土になったと考えたのでしょう」
それから約50年、領土問題が複雑化したのは戦後のこと。1945年から1972年まで沖縄はアメリカの統治下に置かれ、尖閣諸島もアメリカ軍の射撃訓練場として使用されていた。ところが、1968年に国連の調査で尖閣周辺の海底に大量の石油が埋蔵されている可能性が判明。資源を求め、中国と台湾が突如として領有権を主張し始めた。
「それまで関心を示さなかった尖閣諸島に対して、海底油田の存在が明らかになった途端、領有権を主張し始めたのです。ただし、1972年の日中国交回復、1978年の日中友好条約締結、1979年の米中国交回復を経て、アメリカが曖昧な戦略を取ったこともあり、領有権問題は暗黙のうちに棚上げに。日本は実効支配を続けるが、日本人も中国人も上陸しない。油田開発も行わないという鄧小平と福田赳夫の間で交わされた基本合意(暗黙の了解)のなかで、静かに推移していきました」
地政学が変えた東アジア情勢の現実
都知事発の国有化策が招いた現在の緊張
しかし、現在は尖閣諸島を含めた、東シナ海は中国の進出によって緊張状態が続いている。菅沼教授は、2012年に石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島購入計画を表明したことが、暗黙の了解状態を破る転換点となったと指摘する。
「中国のGDPが日本のGDPを追い越した2010年から、中国側が強硬な手段として、空から、海から挑発を繰り返し、当時の民主党政権の対応は弱腰に見えたと思います。そこで、石原慎太郎が『東京都が尖閣諸島を守る』と寄付金を集め、慌てた民主党政権が島を地権者から買い取り、国有化した。これは中国からすれば挑発になったのです」
結果的に中国を挑発することとなり、2008年ごろから続いていた尖閣諸島周辺海域への中国公船の侵入は、尖閣国有化を経て、ほぼ常態化していく。
「ほとんど毎日のように中国の海警局の船が尖閣周辺に入るようになりました。性急な国有化をやらなければ、中国政府は毎日のように海警局や軍艦を送ることはなかったでしょう。元々が中国本土からは距離のある無人島です。静かに置いておけば、何十年後には中国人も皆、その存在を忘れてしまったはず。後に石原さんは当時の行動を『失敗だった』と認めましたが、本当に間違いだったと思います」
ウクライナ侵攻が日本の戦略を一変させた
沖縄には琉球王国時代のような独立を望む人たちがいる。菅沼教授は4年前まで、日本は民主主義国家なので、いずれ沖縄の人々が独立を望めば日本政府も認めるだろうと考えていたという。それは、10年20年ではなく、50年後、100年後、200年後にはそうなる可能性があるとみていたのだ。
しかし、長年、日中関係を研究してきた菅沼教授の現在の中国と東アジア情勢に対する見方は、2021年のロシアによるウクライナ侵攻を起点に大きく変化したという。地政学の観点からみると、沖縄の地理的位置が、ますます重要になってきたのだ。
「ロシアによるウクライナ侵攻によって、日本政府とアメリカ政府の考え方が完全に変わりました。中国共産党が台湾を武力行使した場合、いわゆる中共の“統一”、沖縄が戦場に巻き込まれることは、容易に想像できる。そこで、与那国島には自衛隊の基地が設置されたのです。地政学的観点から見ると、台湾と沖縄の戦略的重要性は計り知れません。台湾のTSMCは世界の半導体の80~90%を生産しています。私たちが使っている携帯電話から軍事ミサイルまで、半導体はすべてに必要です。この重要な産業の拠点を中国に奪われる。そんなことをホワイトハウスが放置するはずがありません」
中国が尖閣諸島の領有権を主張している根拠は、「台湾は中国の一部であり、尖閣諸島は台湾の一部である、したがって中国領土である」という三段論法から。
「地理的に見ると尖閣諸島は台湾と沖縄に近く、中国大陸からは480キロも離れています。国際法上、大陸の共産党政府が尖閣諸島を領土だと主張することはできません。しかし、沖縄が独立した場合、台湾、沖縄と中国が入ってくる可能性があります。そう考えたとき、沖縄の地政学的な重要度はますます高くなり、それは日本にとってもアメリカにとっても受け入れられることではなく、少なくとも今後100年、200年、沖縄の独立を認めることはないでしょう」
尖閣諸島問題の第一人者として研究し続けてきた菅沼教授は、こうした複雑な歴史と現状について発信する自身の立場について明確に語る。
「私は中国政府からも日本政府からも1円ももらっていません。歴史の事実として何があったのか、それを純粋に学者の立場で分析しているだけです。この問題をどう解決するかは政治的判断であり、学者が何か判断するものではないと思っています」
研究と武道が結ぶ日本文化のルーツ
日中米の関係性を鋭く分析する菅沼教授には研究者、教員以外のもう1つの顔がある。それは20年以上続けているという琉球古武術五段の顔。菅沼教授は大学内で「琉球古武術 桜美林」を創設し、指導している。
「アメリカ留学中のクリスマスパーティーで、各国の留学生が自国文化を紹介するなか、日本人として何を見せるか考えました。たまたま高校時代に覚えた柔道の型を披露したところ、皆とても喜んでくれた。そのため、学生には外国に行くとき、日本文化を身につけておくと大きな助けになると伝えています。それで琉球古武術ですが、その出会いは尖閣諸島研究と深い関係があります」
博士論文のために沖縄に滞在中、空手の源流である琉球古武術の存在を知った菅沼教授は、琉球の戦国時代に発達したという背景に興味を持った。
「琉球武術は徒手空拳術と武器術から構成されています。前者を現在は空手と呼び、後者を一般に琉球古武術と称しています。20世紀始め頃、屋比久孟伝師の門下、平信賢師は当時の沖縄各地になおも残存・埋没していた琉球古武術の型と技を尋ね求め、ついに8種の武器 (棒術、釵術、トンファー術、ヌンチャク術、鎌術など)を使用する42の型を集大成しました。これが、琉球古武術中興の祖といわれています。平信賢師は最高直門の井上元勝(いのうえがんしょう)に42の型全てを伝授すると共に免許皆伝第一号範士を与えました。そして更に、平信賢師は井上元勝に普及発展のため正しい技術体系完成を託しました。のちに永年の歳月を費やし、井上元勝はついに8種の各武器についてそれぞれの使い方、基本組手、各型の分解組手などの一連の技術体系を確立しました。空手と共にその保存と振興に生涯を捧げました」
現在の師匠は井上貴勝先生。奇しくも、明治時代に尖閣諸島開発を申請した古賀辰四郎の許可を一時保留した外務卿・井上馨の子孫で、「研究と武道、両方で井上家とのご縁があるのは不思議な巡り合わせです」と笑う菅沼教授。学生とともに稽古を重ねながら、日本文化の本質を伝え続けている。
「日本人の良いところは『和』の考え方。例えば、文字にしても、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字、すべてを使って表現していく。多くのことを融和していける民族です。この柔軟性こそが日本文化の強さだと思います」
常磐線での気づきから始まった研究者人生は、今も現実と向き合い続けている。理想と現実の間で揺れながらも、事実に基づいた分析を貫く姿勢は、混迷する東アジア情勢を理解する上で貴重な視点を提供している。
教員紹介
Profile
菅沼 雲龍教授
Unryuu Suganuma
1964年生まれ。麗澤大学外国語学部ドイツ語学科卒業。セント・ジョンズ大学アジア研究所修士課程修了、ボストン大学経済学研究科修了、シラキュース大学マクスウェル大学院国際関係学修士課程修了、同大学院人文地理学博士課程修了(Ph.D.)。北陸大学法学部を経て、2005年4月より桜美林大学。専門は国際関係論、東アジア地政学。英語で尖閣諸島問題を包括的に分析した初の研究者として国際的に認知され、この分野の第一人者として各国メディアからインタビューを受ける。39年間にわたる研究を通じて日中関係の複雑性を客観的に分析し続けている。学内では「琉球古武術 桜美林」を創設し、日本文化の国際的発信にも取り組んでいる。
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