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イタリア、スウェーデン、日本における
EMIの現状と課題を比較する
教育現場の注目キーワード「EMI」とは?
近年、日本の高等教育の現場で注目されているキーワードのひとつに「EMI」がある。これはEnglish Medium Instructionの略で、非英語圏の国や地域で英語を媒介として専門科目を教える教育手法を指す。EMI教育は、世界中で拡大しており、特にヨーロッパの大学では、EMIに基づく授業と評価が一般的になっている。日本でも英語による授業を行う大学は増加傾向にあり、現在では、790以上ある日本の大学のうち40%以上で、EMI科目が提供されているという。
「背景には、グローバル人材を育成したいという文部科学省の意向があります。また、世界的な大学ランキングの順位を上げるうえでも英語で受けられる授業を増やすのは効果的です。そのため、桜美林大学を含む多くの大学で、EMI科目を設置する動きが加速しています。私は外国語教育に携わる教員として、実践の場でのEMIの現状と課題を研究しています」
そう語るのは、グローバル・コミュニケーション学群の熊澤雅子教授だ。EMIについては、世界中でさまざまなコンテクストにおける研究が進められている。コンテクスト(context)とは、直訳すると「文脈/背景」のこと。ここでは、異なる地理的、文化的、教育的背景を持つ地域におけるEMI研究と捉えるのが適切だろう。熊澤教授は「日本には日本特有のEMIの課題がある」と指摘する。
ROAD-MAPPINGをベースに、
EMIの3か国比較を実施
熊澤教授が手がけた最新の研究は「イタリア、スウェーデン、日本におけるEMIの3か国比較」だ。これは、2024年にマレーシアで開催されたAILA(国際応用言語学会)で実施したワークショップをもとに論文にまとめたものだという。ワークショップのタイトルは、“Comparative guidelines for cross-contextual EMI research: Policies, people, and practices”。日本語訳すると「異なるコンテクスト(文脈・背景)のEMI研究の比較ガイドライン」となる。
日本をはじめとするEMIを導入している国々には、当然ながらそれぞれの地理的、文化的、教育的背景がある。すると、異なるコンテクストで行われるEMIを比較するためのフレームワークが必要になる。AILA2024のワークショップでは、ROAD-MAPPING(Dafouz & Smit, 2020)と呼ばれるフレームワークが提示された。これは、「Roles of English(英語の役割)」、「Academic Disciplines/学術分野」、「(Language)Management/言語運用管理」、「Agents/関係者」、「Practices & Processes/実践とプロセス」、「Internationalization and Glocalization/国際化と地域化」の頭文字をとったものだ。熊澤教授は、このROAD-MAPPINGをベースにして、EMIの3か国比較を行った。
「政策」「教員」「手法」という
3カテゴリーで各国のEMIを調査

「私たちの研究では、「ROAD-MAPPING」の枠組みの中の、3つの概念、Policy(政策), Agents (=people, 関係者、つまり教員と学生)、Process(実践)に焦点を当てて、3カ国のEMIを比較しました。『政策』は国や高等教育機関のポリシー、『関係者員』はどのような人がEMI科目を担当するのか、『実践』ではEMIをどのようなプロセスで実践しているかを調べます。イタリア、スウェーデン、日本の3か国で教育現場を調査し、異なるコンテクストにおけるEMIを比較する手法を模索しました」
研究を通じて見えてきた各国のEMIの現状と課題の一部を紹介しよう。
まず、「政策」の比較について。イタリアでは、大学の約50%がEMIプログラムを提供しているものの、授業すべてをEMIによる学位プログラムにすることはイタリア語の教育機会を妨げるとして違法とされている。つまり、イタリアの学生は、イタリア語で授業を受ける権利が保証されているということだ。一方、スウェーデンの大学および高等教育機関は1990年代からEMIプログラムを積極的に実施してきた歴史があり、学生も英語による授業運営に高度に順応できている。日本は前出の通り、40%以上の大学でEMIプログラムを提供しているものの、これを利用する学生は限定的だ。日本の文部科学省は、「グローバル30」などの国際化拠点整備事業に力を入れてきたが、他国に比べて突出した効果は得られていない。さらに、大学のEMI導入は国際的評価を高めるための安易な解決策に過ぎないという指摘もあるという。
また、「教員」の比較も興味深い。イタリアでは、EMIを担当する教員の大多数がイタリア国籍で、通常は専門分野のエキスパートとしての自覚を持ち、語学教師としての役割はあまり意識していない。スウェーデンのEMIプログラムは、スウェーデン出身の教員だけでなく、多国籍な教員が担当しているのが特徴だ。EMIの歴史も長く、教員は授業内容や教材の適応に十分な経験を持っているのが一般的である。そして日本のEMIプログラムは、海外で学位を取得した少数の日本人教員と大多数の非日本人教員が担当している。非日本人教員は多くの場合、短期契約または非常勤講師として雇用されており、語学クラスを兼任するか、EMI拡大のために専門外の科目を担当するケースも多い。
「EMIが世界中の異なる教育環境で広がるなかで、EMI研究を読み解き、評価するための共通の基準の必要性はますます高まっています。今回の研究では『政策』『関係者』『実践』という3つのカテゴリーで、3か国のEMIコンテクストを記述しました。これによって、各国のEMI教育の比較可能性を高める具体的な方法を示すことがきたと思っています」
この比較フレームワークを用いて、日本および各国における最適なEMIプログラムの運用方法を提示することが、熊澤教授の今後の研究課題になりそうだ。
「政策と実践のギャップ」を
EMI教育の現場から発信する
今回の研究を通して政策と実践の大きなギャップが見えてきた、と熊澤教授は語る。背景には、グローバル化が加速するなかでの「教育の商品化」がある。英語で授業を提供できれば、海外のさまざまな国から学生を呼ぶことができる。つまり、日本の大学教育を国際市場に開放することができるのだ。経済的合理性を求めて推進されたEMI教育に、日本の学生たちが順応できなければ、グローバル人材を育成するという本質を見失うことになる。
スウェーデンなど北欧諸国の大学は、EMIによる教育の国際化に成功しており、多くの留学生たちが地元の学生と一緒に学んでいる。一方で、スウェーデン語で専門教育を提供できない「ドメインロス」の状況も問題視されている。これは、母語での教育機会を失うことを意味するもので、場合によっては、専門分野の知識を母語で深く理解しないまま卒業する学生が生まれてしまう危険性もある。
「応用言語学の分野では、Linguistic justice(言語的正義)の観点からの議論が繰り返されています。Linguistic justiceとは、言語に関する平等や公正を追求する概念で、言語の多様性を守る、つまり母語で教育を受ける権利を守るような使われ方をします。例えば、英語での教育が世界中で義務化されれば、英語話者に有利な状況が生まれるでしょう。日本のEMIの現状を見ても学士課程の学生が2年程度、英語を本格的に学んでも専門書や学術論文を英語で読み込むのは難しい。これは、日本のEMIプログラムに欠陥があるのではなく、英語で専門分野を学ぶ本質的な難しさに起因します。私は今後もEMIにおける『政策と実践のギャップ』を教育現場から発信していくつもりです」
コロンビア大学大学院で
英語教授法の修士号を取得

大学卒業後、中高一貫の進学校で
英語科教員を10年務める
熊澤教授は、大学で英文学や英語学を専攻し、学部卒業後は中高一貫の進学校で英語科教員を10年間務めた。当時は、受験対策に特化した授業も行っていたという。授業をするなかで英語の教育方法に課題を感じた熊澤教授は、アメリカの大学院でTESOL(Teaching English to Speakers of Other:英語教授法)を専門的に学ぶ道を選択する。1997年当時、アメリカの名門コロンビア大学の大学院修士課程を日本国内で受けられるコースがあり、熊澤教授もこれを利用して、教員を続けながら、TESOLの修士号を取得した。
ここで、学術研究の面白さに目覚めた熊澤教授は、2003年から東京にあるテンプル大学で、TESOLの博士課程に通い始める。研究テーマは「教員心理」。中学・高校の英語教員のモチベーションの変化について、現場でリサーチを行い、博士論文として書き上げた。このタイミングで、英語科教員から研究者になる決意を固め、大学教員としてのステップを歩み始める。そして、2010年に桜美林大学の講師となり、現在に至る。
「大学院時代も研究対象は、目の前の生徒と教育指導要領が描く理想像のギャップでした。『政策と実践のギャップ』を埋めたいという現在の研究モチベーションは、当時から変わりません。それが教育実践者を続けながら、研究者をしている理由だと思います」
ヨーロッパのEMIコンテクストを
さらに追究していきたい
「EMI研究を通して見えた問題提起は
まだまだ政策サイドに届いていない」
日本国内におけるEMIおよび英語教育について、幅広い研究を行ってきた熊澤教授。しかし、教育現場からの問題提議を研究コミュニティの外に響かせるのは難しく、「まだまだ政策サイドに届いていない」ことを痛感している。EMIに関しては、今後も国際比較の研究を続け、日本およびアジア共通の課題を国際社会に発信していくことで、影響力を強めていきたいと考えている。
「最近は、言語教育政策の分野にますます面白さを感じています。特にヨーロッパのEMIコンテクストをさらに追究してみたい。イタリアとスウェーデンだけでも大きな違いがあったので、ドイツやフランスなど、他のヨーロッパ諸国のEMIの現状も気になります。EMIは、日本語話者の学生のグローバル化を実現できるのか。そのヒントは、EMI先進国であるヨーロッパにあるのかもしれません。各国との比較を通じて、日本における最適なEMIの運用方法を模索していきたいと思います」
教員紹介
Profile

熊澤 雅子教授
Masako Kumazawa
1990年、お茶の水女子大学文教育学部外国語学科英文学英語学専攻卒業後、中高一貫校で英語科教員を10年間務める。教員を続けながら、2000年にColumbia University Teachers' College Graduate School, Division of Language EducationにてTESOL修士課程を修了。2011年、テンプル大学大学院言語教育研究科にて、TESOL博士課程修了。博士(教育学)。立教大学講師を経て、2010年より桜美林大学基盤教育院講師、2016年よりグローバル・コミュニケーション学群専任講師となり、准教授を経て、現在に至る。専門は、応用言語学、教育心理学、外国語教育、言語教育政策。
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