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母語である中国語をベースに
世界の言語の普遍性と多様性に迫る
言語類型論の視点から
“否定”の手法について研究
世界ではさまざまな言語が用いられており、言語によって表現に共通点や相違点を見出すことができる。そうした各言語を比較し、特徴に応じて分類する学問が「言語類型論」。グローバル・コミュニケーション学群の李貞愛教授は言語類型論を専門とし、自身のルーツである中国語をベースにしながら、日本語や韓国語、英語など、幅広い言語について研究に取り組んでいる。
「世界の言語に共通する普遍性を捉えたうえで、それぞれの言語が持つ独自の特徴、いわゆる多様性を理解することが言語類型論の主たる目的です。中でも、私は言語における“否定”の手法に着目して研究を続けてきました」
日本語と中国語における
“否定”の違いとは?
否定には、文全体を否定する「完全否定」と文の一部を否定する「部分否定」が存在する。例えば、日本語では完全否定は「すべて〜ではない」、部分否定は「すべて〜というわけではない」というように、それぞれが異なる言語形式で表されている。一方、中国語では完全否定と部分否定の両方に用いられる共通の言語形式があり、前後の文脈を根拠にしてそのニュアンスを解読している。
例文①:你少说话,多做事。
(言葉を少なくし、仕事をたくさんしてください)
→「〜“少”」は部分否定を表す
例文②:你少说废话。
(くだらない話をするな)
→「〜“少”」は完全否定を表す
また、韓国語の否定は、日本語と中国語の中間のような特徴を有しているという。李教授が“否定”というテーマを取り扱うようになったのは、副詞について研究していたことがきっかけだった。
「副詞の研究の延長線として、現在は中国語における『程度副詞』と『否定副詞』の連続使用に着目しています。日本語には「あまり〜ない」と「あまりにも〜ない」という表現形式がありますが、中国語では“不太”と”太不“で対応することになります。
①不太/「あまり〜ない」
中国語:不太好
日本語:あまり良くない
(例)「不太热情(あまり親切ではない)」
②太不/「あまりにも〜ない」
中国語:太不热情了
日本語:あまりにも親切ではない=あまりにも冷たい
中国語:太不冷静了
日本語:あまりにも冷静ではない=あまりにも感情的だ
言語の違いから
文化の違いが見えることも
完全否定・部分否定で表されている程度副詞と否定副詞の連続使用のように、中国語には日本語では対応できない表現形式が存在する。こうした言語表現形式の違いから、それぞれの言語使用者の考え方や価値観の違いが感じられることもある。
「例えば、中国語の完全否定・部分否定は文脈で区別されますが、部分否定の形式で完全否定の意味を表す場合は非常に語気が強くなります。一方で、日本語では部分否定のバラエティが豊富です。周囲との調和を重視する日本人にとって、そもそも否定することは大きなリスクを伴う行為であり、なるべく使いたくない表現。そのため、肯定的な意見を伝えてから部分的に否定する、という部分否定を好む傾向があるのだと考えられます」

学習データの分析を通じて
中国語習得に貢献する
漢字に対する先入観が
中国語学習の利点・欠点に
言語自体の研究と並行し、李教授は言語習得の研究にも力を入れている。中国語の教材開発と言語習得のプロセスの解明。その2点を研究し、日本語を母語とする中国語学習者が語彙を習得する上でどのようなアプローチが理想的であるかについて研究している。
「語彙習得の研究においては、学習者が間違いやすい部分、つまり“誤用”に焦点を当て、その原因を探ることが多く見られます。しかし、私の場合は、正しく使用できている部分と誤用が多く見られる部分の両方を分析し、教材づくりや教室での授業に役立てたいと思っています」
日本人が中国語を学ぶ際、特に説明しなくてもスムーズに理解できる部分がある。それは、日本において漢字が日常的に用いられているからだ。それゆえ、日本語の漢字の意味に引っ張られて誤用が増える傾向にある。しかし、日本でほとんど用いられていない漢字、または日本語で見られない漢字の組み合わせについては間違いが減るのだという。
「漢字に慣れ親しんだ日本人は、欧米の中国語学習者と比較すると語彙のバリエーションが非常に豊かです。一方で、日本語の漢字をそのまま中国語に置き換えてしまうことが多く、中国語では用いられない表現を使うことがあります。漢字に対する先入観は、日本人の中国語学習者にとってメリットでもありデメリットでもあるのです」
日本人にとって効果的な
中国語の勉強方法を探る
こうしたデータの分析によって日本人がスムーズに応用できるところと間違いやすいところを明確にすることで、教材や授業で強調すべきポイントが見えてくる。中国語自体の研究や中国語教育の研究を通じ、世の中に貢献できることが李教授のやりがいになっている。
「論文を発表することも教材を開発することも、手法は違いますが中国と日本の相互理解の役に立ちたいという思いは同じです。世界的に見ても中国語の学習需要は高まっており、これから、中国語を学ぶ日本人はますます増えていくでしょう。中国語の否定システムを体系的に整理するとともに、日本語を母語とする中国語学習者の語彙学習の実態を明らかにし、研究成果の共有、教育現場への還元を通じて、世の中に新しい可能性を示したいと考えています。これが研究の意義と社会的有用性ではないかと思います」

言語は新たな世界につながる
コミュニケーションツール
ラジオから聞こえてきた
日本語の美しさに惹かれた
中国で暮らしていた李教授が日本語に興味を持ったのは、ラジオから流れてきた音声がきっかけだった。当時高校生だった彼女の自宅にはテレビがなく、ラジオが主な情報源だったという。いつものようにラジオを聴いていると、中国語とは異なる言語が耳に入り込んできた。そのイントネーションに美しさを感じ家族に確認したところ、祖父が日本語だと教えてくれた。大学に入ってから日本語を本格的に学びはじめ、日本のテレビドラマのセリフなどを繰り返し真似して習得に至った。
「中国の大学では近代日本文学を専攻し、修士課程を終えてからは日本語を教えていました。その後、博士課程を取るために日本に渡ることを決意。言語の研究に取り組み始めたのは、日本に来て以降のことでした」
他国の言語を学ぶことで
母語への関心が高まる
中国では日本語を、日本では中国語を教えていた李教授。その過程で母語である中国語について改めて考える機会が増え、言語が持つ普遍性と多様性を探究したいと思うようになった。こうした自身の経験に基づき、自分にとって当たり前の母語について深く考えることの重要性を、桜美林大学の教授となった現在も学生に伝えているという。
「いわゆる『中国語講座』のように、日本語とは異なる新しい言語の枠を設定するようなやり方ではなく、日本語と中国語を比較して双方の理解を深められるような授業を心がけています。最終的には、日本語と比べたときに中国語はどのような言語なのかを学生自身に確立してもらい、その答えを学生同士でシェアするような試みも取り入れています」
言語学と中国語教育の両輪から
異国語を学ぶ魅力を発信したい
李教授は日本語に出会ったことで、改めて母語である中国語の奥深さを客観視できるようになった。グローバル化の加速する現代社会においては、各言語を個別に全く異なるものとして捉えるのではなく、共通点や相違点を認識しながら異文化を理解する力が重要になる。言語学と中国語教育の両輪から異なる言語、さらには異なる文化を学ぶ魅力を発信することが李教授の目標だ。
「中国人のコミュニティは世界各国に広がっており、どんな場所にいても中国語を活用できる機会はあります。学生には言語というコミュニケーションツールを用いて、日本とは異なる価値観や考え方を知ってほしいと思います。また、日本語だけでなく中国語も学びたいという外国人留学生も増加しています。世界中の学生にとって、中国語を学ぶことが母語や多様性への理解を深めるきっかけになればうれしいですね」
教員紹介
Profile

李 貞愛教授
Li Zhenai
中国出身。東北師範大学外国語学部日本語学科を卒業後、東北師範大学大学院外国言語文学研究科日本言語文学専攻にて修士課程修了。日本に渡りお茶の水女子大学大学院人間文化研究科比較社会文化学専攻にて博士課程修了。その後、お茶の水女子大学人間文化研究所にて研究員、山梨英和大学にて外国人教師として勤務し、2007年に桜美林大学基盤教育院専任講師に着任。2009年からは桜美林大学 リベラルアーツ学群にて専任講師、助教授・准教授を経て現職に至る。
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