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ひらがなに魅せられて日本語を専攻
東京大学大学院留学中に
「日本語研究」から「日中対照言語研究」へと転向
日本語と中国語の違いを明らかにする「日中対照言語学」という研究分野がある。両言語の構造や特徴を比較するこの分野を専門としているのが、グローバル・コミュニケーション学群の雷桂林教授だ。中学卒業の頃、たまたま仮名・漢字が入り混じった日本語の教科書を目にした途端、ひらがなの格好良さに目を奪われたという。ひらがなは漢字にとても似通っているものの、書道の格好良さが漢字よりも伝わると感じたそうだ。しかし、通学していた高校には日本語を学べる機会がなく、大学進学時に迷いなく日本語学習を志した。その後、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻に留学し、日本語研究をさらに深める予定だったが、留学生活で直面した出来事が雷教授の興味関心の矛先を「日中対照言語研究」へと転向させた。

「当初は日本語の『待遇表現』について研究する予定でした。しかし留学中に中国語を研究する日本人の院生から中国語について質問される機会が数多くあり、日本語と同様に身近だと思っていた中国語の魅力にも改めて気付かされました。日本人の院生に対して中国語を日本語に対照させるかたちで説明するうち、両者の比較を通じて各言語の仕組みを解き明かすことに興味関心が移っていったのです」
待遇表現とは?
相手との関係に応じてその場にふさわしい表現を使い分ける表現のこと。日本語の依頼表現において「してもらえますか」「してもらえませんか」「していただけますか」「していただけませんか」「していただけないでしょうか」などと、一定の条件や状況に応じて表現を使い分けることなどが該当する。
「日中対照言語研究」とは?
大切なことを「先」に言う中国語
「後」に言う日本語
日中対照言語研究は日本語と中国語の比較により両者の違いを明らかにする学問であるが、その比較対象は多岐にわたる。個々の事例を参照する中で言語全体の仕組みを解き明かしていくことが同研究の醍醐味だ。
日本語と中国語の違いは「語順」にもある。目的語と動詞の順番は真逆で「西瓜(スイカ)を食べる」は中国語で「吃(喫)西瓜」という。特に並列構造の語においては、しばしば順番や意味に違いが見られる。例えば、中国語に由来する「左右(zuǒyòu/さゆう)」という表現があるが、これを日本語の和語に当てはめて訓読みすると「右左(みぎひだり)」になる。ほかにも「孫子(まごこ)」は中国語では孫の意味しかなく、「孫と子」を指す場合は「子孫(zǐsūn/しそん)と語順が変わる。また「前後する」という日本語表現には「順序が逆になる」という意味があるが、中国語の「前後」には「前と後ろ」という意味しかなく、後先(あとさき)という言葉は存在しない。こうしたさまざまな事例を対照させるうち、雷教授はある法則を発見した。
「中国語では重要な事柄を左(先)に、日本語では重要な事柄を右(後)に表現する法則を発見しました。例えば日本でドアや扉に貼ってある『開放禁止』は開け“放って”おくことを禁止する表現です。開放という熟語において、右側に意味の重点があることがわかります。一方、中国語圏の人が同じ文字列を見ると、“放って”おくこと以上に、“開ける”ことが禁止されていると解釈します。なぜなら、中国語では左側にある漢字に意味の重点が置かれるからです。こうした法則は語彙・フレーズ・文法構造だけでなく、言語全体の考え方に通じていると発見したことが私の研究の成果の一つです」
「時間」に重点を置く日本語
「空間」に重点を置く中国語
雷教授が携わってきた日中対照言語研究の中でも、とりわけ長く研究してきたのが中国語と日本語における不定語使用のメカニズムだ。不定語とは「誰」や「何」「どこ」などの不定の対象を示した言葉のことを指す。
日本語の不定語が「誰-誰か」のように肯定文と疑問文で不定語に違いが見られるのに対し、中国語の不定語は「谁-谁」と肯定文と疑問文の間に形態上の違いは見られない。
この文法上の特徴は言葉のニュアンスの違いにも表れている。日本語は「何かご用ですか」「どこか具合が悪いですか」などと問いかけに用いやすいが、中国語では「你有什么事吗?(何かご用ですか)」「你哪儿不舒服吗?(どこか具合が悪いですか)」などと、相手の答えを知っていながらわざと尋ねるようなニュアンスを伴う。こうした違いが表れる理由について雷教授は、事態を「時間」に位置づける日本語と、事態を「空間」に位置づける中国語の違いによるものだと指摘している。つまり、日本語では聞き手の領域にいきなり立ち入らず、前置きが必要だが、中国語では目の前の「空間」に来て用がありそうだったり、具合が悪そうな人に、わざわざ前置きをする必要がない。それを聞く場合は、門前払いをしている意味に繋がるのだ。
日本語:「明日もここに“来る”?」「“行く”よ」
中国語:「明天你也“来”吗?」「明天我也“来”」
たとえば、日本語で「明日もここに来る?」と尋ねた際、相手は「行くよ」と答える。これは日本語が“明日”という「時間」に重点を置き、明日の自分が家からこの場所に向かうことを想定しているために「行く」を用いる。一方で、中国語で「明日もここに来る?」と尋ねた際、相手は「来るよ」と答えるのが通例だ。これは中国語が“ここ”という「空間」に重点を置いているために「(家から)来る」と答えるのだという。
「日本語は〈過去〉〈現在〉〈未来〉という『時間』を常に意識している分、『空間』による制約を受けません。『あいつが来るから行かない』という表現をするときは会話している場所がどこであるかには関係なく、話し手の視点が優先されています。
日本語:「あいつが来るから、行かない」
中国語:「明天他来,所以我就不来了」
一方で、中国語は『空間』に厳しく制限されていますから『行く』は必ずここではない場所に向かうときに、『来る』は“この場所”に来るときに用います。したがって中国語で同じ表現をしようとする場合は『あいつが来るから来ない』という表現を用います。このように、中国語は目の前にある視界の話であるか否かによって厳格なルールが敷かれているといえます」
言語の特性を理解することで
コミュニケーション上の衝突を避けられる

中国人が過去の出来事について
感謝の言葉を述べない理由とは?
日中対照言語学の研究は、日中間のコミュニケーションの違いを学ぶことにもつながる。たとえば、日本では「先日はありがとうございました」「昨年はお世話になりました」などと、過去の出来事について挨拶代わりにお礼を言う慣習があるが、多くの中国人はこうした礼を言わないそうだ。日本社会の慣習からすると失礼とも解釈され得る対応だが、こうした何気ない日常にも言語の特性が反映されている。
「目の前の『空間』に重点を置く中国語では、目の前にいる人の行動に合った声かけをするため、日本語のように定型化された挨拶を好みません。ティッシュを1枚借りるたびに『謝々(ありがとう)』などとパターン化された感謝の言葉を伝えることを水くさいと考えます。また、〈今ここ〉の空間に制約を受けやすい中国語では過去に遡って会話すること自体が負担になるため、過去の出来事について礼を言うこともほとんどありません。こうした言語の考え方はほかのシチュエーションにも反映されています。中国の宴会では参加者の一人が勘定をまとめて払う『ごちそう』の文化があり、次回以降の支払いはほかの参加者が受け持ちます。言うなれば、〈未来〉へと繰り越されている文化です。一方で、日本人はその場で勘定を終わらせる『割り勘』を好み、仮に多く支払ってもらった場合は、その後もお金の帳尻合わせについて常に意識しています。過去を修復してから新しい関係を始めていく文化とも言えるかもしれません。中国人は感謝の言葉が足りないとよく言われますが、これも言語が持つ特性の違いがコミュニケーションの違いとして表れている事例の一つといえます」
中国人が上位の呼称を
連呼する理由とは?
相手に依頼する際に用いる「依頼表現」においても、コミュニケーション上の違いは顕著に表れている。日本では「してもらえませんか」「していただけないでしょうか」のように状況に応じた敬語を用いるが、中国語にはそれに相当する表現はない。代わりに「課長」や「先生」などの上位の呼称を用いること自体に相手を敬う意味が含まれるという。
「中国語では上位の呼称を用いることがそのまま敬語になるため、『課長』と呼びかけた後に続く依頼表現も丁寧なものとして扱われます。中国語の学生には『先生』と事あるごとに呼びかける人が多く、日本人からすると過剰に感じられることもあるかもしれませんが、中国人にとっては相手を敬う気持ちの表れといえます」
言語の仕組みの解明は
外国語学習の一助となる
英語の視点を取り入れて
日本語と中国語の特徴をより明確に
日中対照言語研究を通じて、各言語の仕組みを明らかにしてきた雷教授。今後は日本語と中国語それぞれの仕組みをさらに解明すべく、第3言語である英語の研究にも意欲を見せる。
「これまで日本語と中国語の違いについて研究してきましたが、第3言語である英語を比較対照とすることで、日本語と中国語の特徴をより正確に位置づけられるのではないかと期待しています。例えば、“There is a big watermelon here.”の“there” “here”のような使い方は、日本語にも中国語にもありません。英語だと”there”、日本語は「そこ・あそこ」、中国語の「那儿」がそれぞれどこを指すのかはとても興味深く、今後さらに研究を深めなくてはと考えています。各言語が持つ一定の法則が理解できれば、外国語を学ぶ学生は自信を持って言語学習に取り組めるようになります。私の研究が学生の外国語学習に少しでも役に立てばうれしいです」
教員紹介
Profile

雷 桂林教授
Lei Guilin
桜美林大学日本言語文化学院長。1997年7月に山東大学外国語学部日本語学科を卒業。その後、日本に留学し、2002年3月には東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻の修士課程を修了。2007年3月には同専攻の博士課程単位取得満期退学し、2010年7月に同大学院の博士(学術)を取得。2009年4月からは桜美林大学リベラルアーツ学群の講師となり、2016年4月にはグローバル・コミュニケーション学群中国語特別専修准教授。2025年4月に教授に就任した。2024年4月から日本言語文化学院長を兼務している。中国語学、日中対照言語学を専門とし、主に上級中国語演習(中国語文法)、言語研究(日中対照)、言語対照論(大学院)等の授業を開講している。日本語との比較から中国語学の易しさや、日本語を考える楽しさが伝わるよう心掛けている。
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