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日本の政府広報に注目して研究
行政事業レビューシートから政府広報の変化を読み解く
膨大な情報があふれる社会のなかで、組織や個人はどのように信頼を築き、共感を得ていくのか。こうした関係構築の活動こそが「パブリックリレーションズ(Public Relations)」、すなわち「広報」だ。広報は単なる情報伝達にとどまらず、社会と関係を結び、未来を形づくる営みそのものでもある。
もっとも、民間企業における広報は、活動内容を発信しステークホルダーとの信頼関係を築くことで、商品やサービスの販売促進に貢献する。一方、官庁の広報は、国民への情報提供や政策理解の促進に加え、海外に向けて日本を発信し、国際的な関係構築を担う役割も持つ。
グローバル・コミュニケーション学群の西川順子准教授は現在、日本の政府広報の研究と大使のSNS広報の研究を同時並行で行っている。
「私が近年取り組んでいる研究で注目したのは、行政事業レビューシートという公開文書です。これは2009年、民主党政権下で始まった事業仕分けをきっかけに整備されたもので、政府事業の予算や執行額の詳細を把握できる資料です。内閣府政府広報室が担当する事業のレビューシートに記載されているのは、実際に予算がつき、事業として実施された広報活動です」
行政事業レビューシートを確認すると、1980年代から2000年代初頭にかけて長らく年間約100億円規模で推移してきた日本の政府広報予算は、2009年の事業仕分けによって一時的に半減したものの、その後急速に回復している。その内訳を西川准教授が分析したところ、国際広報に充てられる予算の増加が背景にあることが明らかになったという。
「それまで、内閣府広報室における国際広報の割合は全体の3%程度にすぎませんでした。国際広報は外務省の所掌とされ、内閣府はほとんど関与していなかったのです。ところが2010年代後半には、その割合が40%近くにまで拡大しました。予算も執行額も大幅に伸びており、非常に注目すべき変化です。なぜこのような変化が起きたのか。現在、日本における政府広報の構造的変化の背景に潜む要因を研究成果としてまとめているところです」
広報のキャリアを歩み、研究者の道へ
情報の力を痛感した瞬間
メディアの影響力に関心を抱くようになった原点には、ベルリンの壁崩壊があると西川准教授は語る。当時、西ドイツのデュッセルドルフに在住していた西川准教授は、「東ドイツが国境を開放し、西側との往来が自由になった」という速報をテレビで目にした。壁が消え、自由が訪れる。歴史が動く瞬間を報道を通じて体験した。
「崩壊前にベルリンを訪れたことがありました。東西の境界線には銃を携えた国境警備隊が立ち、パスポートも厳重に確認されました。また、東ドイツを通って西ベルリンに入ると、分断前に稼働していた路面電車の線路上にベルリンの壁が建てられ、断ち切られていました。その壁が消える。ニュースを通じて知った時の驚きは、今も忘れられません」
壁崩壊の背景には、ラジオの存在もあったとされている。東側の人々が電波を通じて西側の情報に触れられたことが、大きな原動力となったのだ。情報が社会を揺さぶり、人々を動かす力を持つことを、西川准教授は肌で実感した。
さらに、イギリスにいた大学院時代の出来事も記憶に残っているという。深夜、BBCラジオから流れたのは、ダイアナ妃の交通事故の速報だった。搬送の様子や容体の変化が逐一伝えられ、夜明けには訃報が国中に広まった。街全体が沈黙に包まれる異様な空気のなかで、情報が社会に与える重みを改めて痛感したという。
「メディアが果たす役割の大きさを、この2つの体験で思い知らされました。情報を伝えることは、人々の意識を変え、社会を動かす力を持っているのだと。そして、メディアを介したコミュニケーションを行う仕事として、パブリックリレーションズや広報といったものに関心を抱いたのです」
国際文化交流機関での広報経験——クールブリタニアを日本へ
大学院修了後、西川准教授は外資系広告代理店を経て、英国政府による国際文化交流機関である「ブリティッシュ・カウンシル」の日本オフィスの広報担当官を務めた。1934年に英国で設立された同機関は、文化・教育・英語を通じて世界100カ国以上で活動し、日本でも1953年から拠点を構えている。広報担当官としての使命は、英国と日本の交流を通じて相互理解を深めること。そのために、メディアを通じた情報発信やイベントなどを通じて現代的な英国の側面を広報した。
2000年代当時は、メディア環境が大きく変化する過渡期でもあったと西川准教授は語る。FAXによるプレスリリースが主流でありながら、NTTドコモの「iモード」に象徴されるデジタル化の波も押し寄せていた。そんななか、英国本部はデジタル戦略を先駆的に推進し、日本オフィスでも来館者向けの図書室をパソコンが置かれたインフォメーションセンターに変え、英国に関する書籍・パンフレット等をデジタル情報に移行するなど、デジタル化を一気に進めていたという。
「当時は“クールブリタニアキャンペーン”とよばれた施策が世界規模で展開されていましたが、中でも日本はさらに関係を構築していきたい重要な地域。ファッションや音楽といったカルチャーを前面に押し出し、若い世代へイギリスの魅力を発信することがミッションでした」
たとえば、「The Beatles」や「Coldplay」、「Oasis」などはイギリスのバンド文化の象徴であり、日本においても絶大な人気と影響力を持っている。そこで日本最大級の音楽フェス「フジロックフェスティバル」に英国をテーマにしたブースを設置。UKミュージックに関するクイズや英会話体験などを通じて来場者と交流したという。また、ブリティッシュ・カウンシルの理念には「クリエイティング・オポチュニティーズ(選択肢を広げること)」があった。
「英語学習を通じて将来の可能性を広げられることを訴え、留学先としての英国の魅力を発信しました。また、英国のアートやサイエンスなどを取り上げてもらうよう日本のメディアに働きかけたり、日英の学校交流を促進したりする活動も行い、多くの若者にとってイギリスを身近な選択肢として根づかせる役割も担っていました」
社会貢献・課題解決を広報する時代と
日本におけるデジタルコミュニケーションの興り
西川准教授は国際連合大学(UNU)の広報担当を務めた経験も持つ。国連大学とは、日本に本部を置く国連のシンクタンク兼研究教育機関であり、気候変動や貧困、平和といった地球規模の課題に取り組んでいる。大学院機能も備え、世界中の研究機関と連携しながら調査研究や人材育成を担っている。国連全体の広報は国連広報センターが統括するが、国連大学の広報は独自の研究成果を社会へ届けることが役割になる。西川准教授が国連大学に在籍していたのは、ちょうどSDGsが国連で採択された時期だった。
「カラフルな17の目標アイコンは多言語で展開されていましたが、日本語版は存在していませんでした。そのため、国内での普及は難しいのではないかと懸念されていました。そこで国連広報センターが主導し、日本語版の作成に踏み切ったのです。当初は国連内部でも慎重論がありましたが、外務省やメディア、NGO関係者と議論を重ね、どのようにローカライズするかを検討しながら実現へとこぎつけました。日本人に伝わる言葉を選ぶ一方で、過度な翻案を避ける作業を垣間見られたことは広報担当として実に刺激的な経験でした」
日本でSDGsの知名度・認知度が浸透した背景には、国内の大企業が積極的に取り組み出したことが大きいと西川准教授は語る。
「目先の利益のためではなく社会を良くするために活動しているという側面が、SDGsの普及と相まって以前よりも注目されるようになってきています。少し前の日本では『広報』というと販促やマーケティング文脈の活動と認識される傾向が強かったように思いますが、段々と組織自体の存在意義やミッション、社会課題解決への取り組みを広く認知することも『広報』の重要なミッションに加わりました。それによって、企業や組織全体の指針と社会的なトレンドを理解しながら務められる人材が必要となり、さらにグローバルな文脈を理解するとなると、なかなか適任者は少ない。そういった意味で、国連大学での経験はその後のキャリアにも役立ちました。日本国内に止まらない多様な背景のステークホルダーと働き、社会をより良いものにすることに関われるという点がこれまでの仕事の醍醐味でした」
そんな西川准教授が研究に軸足をシフトするきっかけは、日本政府の国際広報のプロジェクトに関わったことだったという。
「日本政府の国際広報に関わった際、デジタル外交という言葉に出会い、ソーシャルメディアをはじめとしたデジタルのコミュニケーション技術が国家の対外的なコミュニケーションのありように大きな影響を与えるというのは、現代的で重要なテーマであると直感しました。そういった分野の学術的な議論に加わりたくなったのが、研究の道へ進んだきっかけです」
現代社会でどのように関係を構築していくか
情報社会で求められるメディア・リテラシー
2000年代に普及したSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、広報や外交のあり方を大きく変えている。従来は一方的に発信されるだけだった情報を、国や市民が同じプラットフォーム上で直接やり取りできる時代へと変わったのである。公共空間での双方向的なコミュニケーションは今や日常化し、国家の広報活動においてもSNSの活用は欠かせない手段となった。こうした環境下でますます重要性を増しているのが「メディア・リテラシー」だと西川准教授は語る。
「学生がどのように情報を受け取っているかを見ると、スマートフォンからの情報に大きく依存している印象があります。そこで私の『メディア・リテラシー』の授業では、新聞を読む、テレビを批判的に視聴するなど、意識的に多様な情報源に直接触れる機会を設けています。実際、各紙の朝刊を購入して読むことで、その情報量の豊かさに驚く学生は少なくありません。ラジオを聴くことも選択肢の一つです。情報の受け取り方には多くの選択肢があるのだということを、学生に実感してもらいたいのです」
情報はオンラインだけに限られない。音楽フェスティバルや地域の現場に足を運ぶことも広報や情報収集の手段である。学生時代に多様な情報の受け取り方を学ぶことは、社会に出てからも必ず役立つだろう。ベルリンの壁崩壊時、西側のラジオ放送を通じて「別の世界がある」と知った人々がいたように、情報をキャッチする力は時に壁を越える力となり、生き抜くための糧にもなるのだと西川准教授は語る。
情報を「発信する力」を磨く
現代は、誰もが情報を発信できる時代である。そのなかでは、何を伝えるかだけでなく、どう伝えるかというスキルも問われる。こうした実践的な力を養うため、西川准教授の専攻演習(ゼミナール)では2025年度、3名の学生が国際広告祭の学生部門のコンペティション「Young Stars MAD Competition 2025」に挑戦し、書類審査を突破して韓国・釜山で開催された本選に出場した。
「このコンペティションは、社会課題をテーマに30時間でキャンペーンの案やイメージを企画提案するものです。今年の課題は、韓国の保健福祉部から出され、若者に広がる電子タバコ(eシガレット)の害を啓発することでした。ポスターや動画、屋外広告、デジタル広告など表現方法は自由ですが、50以上のエントリーから選ばれるには、よく練られた戦略に加えて審査員の心をつかむ強いクリエイティブが不可欠です」
GC学群生が国際広告祭の学生コンペ「Young Stars MAD Competition 2025」本選に出場|桜美林大学
https://www.obirin.ac.jp/info/year_2025/lo4e4n000008fb5c.html
西川准教授のゼミナールから参加した学生の一人は、ターゲットを高校生に設定。通学電車内で流れる動画広告を企画し、「卒業までの日数」と連動させて健康被害が積み重なる様子を描いた。幅広い層に向けるのではなく、誰に伝えるのかを明確にする。その企画立案こそ戦略的コミュニケーションの基本だと西川准教授は語る。
「釜山の本選には、韓国、中国、日本、シンガポールなど、主にアジア圏から予選を突破した約100人の学生が集まりました。マーケティングや広告を専門的に学ぶ学生も多く、作品の完成度は非常に高い。グローバル・コミュニケーション学群の学生は広告の専門教育を受けてきたわけではないので、書類審査を通過したこと自体が大きな成果です。ただ、現地でハイレベルな発表を目の当たりにして、少なからず衝撃を受けたはずです。PowerPointやCanvaを使える程度では太刀打ちできない。クリエイティブ産業の最先端の動向に触れられ、まさに現場でしか得られない実感を伴う学びになったと思います」
社会と関係を築く力を育む
西川准教授の授業では、ディスカッションやプレゼンテーションの機会を多く設けるとともに、意見や主張を的確に伝えるための文章表現の向上にも注力している。こうした実践を通じて、学生が社会に出た後にも通用するより「良いコミュニケーター」としての力を培うことを目指している。
「情報発信の経験を通じてこそ批判的思考も磨かれ、異なる視点を持つ人々と民主的に議論を交わす力も養われると思っています。グローバル・コミュニケーション学群は語学教育に力を注いでいますが、それだけではありません。2023年に新設された『パブリック・リレーションズ専修』では、社会とどう関係を築くかを中心に据えています。社会が何を求めているのか、自分たちは何を提供できるのか、そしてどう変革につなげられるのか。そうした問いを考え抜く力を育てたいのです。現代社会に必須である語学力を向上させながら、情報があふれる時代において、他者や社会と関係を築き自らの道を切り拓いていく力を育むことこそ、これからの学びの核心だと考えています」
教員紹介
Profile
西川 順子准教授
Junko Nishikawa
英国ロンドン大学London School of Economics and Political Science(LSE)大学院修士課程修了。学習院大学法学部政治学科ならびに武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科卒業。外資系広告代理店の戦略プランニング、英国政府や国連機関の広報担当、外資系企業のブランド・コミュニケーション業務などを経て、2024年より現職。日本広報学会理事。社会情報学会論文奨励賞、日本広報学会研究奨励賞など受賞。専門は戦略的コミュニケーション、政府広報、国際広報、パブリック・ディプロマシーほか。
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