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地域の歴史を通して探る教育の豊かさ
「教育を学問する」とは何か
「『教育を学問する』とは、学校における教育経験等から無意識に形成されてきたステレオタイプに問いを投げかけることと考えています。例えば、本当に必要なのか疑わしい校則やテスト偏重の体制など、自分たちが当たり前と思って経験してきたことを見つめ直し、問題を再定義することが『教育学』の役割の一つだといえます」
そう語るのは、教育探究科学群の佐藤高樹准教授。自身が中学校の生徒だった頃は厳しい校則や、体罰など恐怖で押さえつけるような理不尽な管理教育が残っていたという。大学時代に出合った「教育学」は、自分のなかにあった学校教育へのモヤモヤとした感情を言語化し、あるべき教育へのまなざし=納得解を示してくれる存在だった。そして、「過去をひもとけば、今日の問題の本質が鮮やかに見えてくる」と考えた佐藤准教授は、遡って文献や史料を調べていき、だんだんと研究にのめり込んでいった。
佐藤准教授の専門領域は「日本教育史」。これは、古代から現代に至る日本教育の変遷を辿り、教育のあり方や教育実践の実態に迫る学問分野だ。佐藤准教授は、特に戦前の大正~昭和戦前期に注目し、研究を進めてきた。
足下から見つめる教育の軌跡—地域にねざした教育への歴史的アプローチ—
今から150年ほど前に始まり、世界的に見ても、異例の早さで全国津々浦々に条件整備を整えた近代日本の公教育。90~100年余前の大正・昭和初期には、現代の人々が抱くのと同じ価値観——子どもの自発性や個性を尊重することをめざした大正新教育運動(「大正自由教育」)や、地域生活の実際にねざすことをねらいとした郷土教育運動、生活綴方運動*が全国各地で盛り上がった。一部の私立学校、附属学校など著名な学校の実践記録は今日まで残るが、では、自分たちが住んでいる身近な地域ではどうだったのか? (*綴方:作文のこと)
自治体史の編さん事業に関わるなかで直面した課題に対し、佐藤准教授が注目したのは、「教育会」という存在だった。(自治体によっては現在も残っている)教育会は、明治時代に教育行政官、各学校の教職員、地方名望家らを構成員として設立され、各地の教育課題に対処し、戦前日本の教育振興を地域のレベルから支えた。当時各地の動向を知る手がかりとなるのが、地域の教育メディアとして機能していた教育会雑誌だ。

教育会雑誌にみる地域の教育
「教育会の情報を基点として、地域にねざした教育施策の全体像を探ることができると考えます。その地域社会に生きた教師たちには自身の教育実践を貫く哲学や思想があり、子どもの背景にある地域社会に問いかけていこうとする問題意識があった。今日においてもそうですが、トップダウンで決めた教育施策がすべてうまくいくとは限りません。教師の専門的自律性を尊重し、地域の学校・子どもの実情に配慮した教育活動を多面的に展開していく必要があります。オンライン等では見えてこない、身近な地域の教材を通して地肌で感じる学びを重視した過去の教育の歴史をふり返ることは、現代の教育に多くの示唆をもたらすはずです」
自律的な教育現場を実現するために
教育学に何ができるか
教育現場に専門的自律性を取り戻すために
現職教員の方々から話を聴く機会を通して強く感じるのは、教育現場における「縛り」の多さだ。
「この間話題になった「ブラック校則」のほかにも、学校スタンダードや無言給食・無言清掃といった規律によって、子どもを管理・統制しようとする動きは全国各地に浸透しています。多様性を育むと言いながら、教師も子どもも、決められた不自由なシステムに「主体的」に適応することを求められています。行儀のよさやテストの点数など即座に目に見えるパフォーマンスばかりを意識することは、教師から子どもの発達に関わる専門性を、そして子どもからは学びの面白さを奪うことになりかねません。各学校現場にねざした発達保障の柔軟性を失うことは、教師にも子どもにも不幸な状況です」
三者協議会とは、学校の校則や施設、行事等の活動などについて、生徒・教職員・保護者の三者で互いの意見や要求について協議し、合意を得ながら学校づくりを行なっていく、開かれた議論の「場」をさす。三者協議会を運営していくために、生徒たちはその準備に多くの時間を割かなければならない。教師もまた、生徒たちの声に応答する責任を果たさなければならない。決して容易な取り組みではないが、そうした身近な民主主義を実践する積み重ねを通してこそ、「自分たちが声を上げれば、変えていけるんだ」という生徒たちの自己効力感と主権者意識を養っていく。
教育を次世代につないでいくために
「教育界にも、『この方法を使えばうまくいく』といったハウツー的な流行に翻弄される傾向はあります。しかし、「なぜ、何のために、自分はいま、眼前の子どもたちに対してこのやり方を採用するのか」を問う姿勢がなければ、その方法・技術も自身の血肉となることはありません。主体性がないように見えたり、問題行動を起こしてしまったりする子どもの背景にも目を向けながら教育的行為の有り様を不断に見直していく意識が、教育研究のマインドだと考えます」

「アクティブ・ラーニング」や「探究学習」にしても、社会認識と切り結ぼうとする問題意識もなく、数値化可能な目先の学習効果だけを意識するだけならば、真に効果的・持続的な教育実践とはなり得ないと佐藤准教授は語る。過去の良心的な教師たちが当時の社会状況や教育体制に対して問題意識をもちながら独自の教育実践を展開してきたように、現代の教員にもそのような精神的自由が必要になる。「多忙化」がクローズアップされがちだが、「評価」という名の管理・統制ばかりが先行して、実践の裁量や、力量形成のための自主研修の機会を奪われていることも、教師人気の低下の隠れた原因—少なくとも、その一端—になっているのではないか。
佐藤准教授は、連綿とつづく教育の歴史のなかから過去の教師たちの想いを掬い出し、その想いに連なっている現在の教師を励まし支えていきたいと話す。教師が紡いできた思想・哲学や文化を次世代にどう引き継いでいくかも、佐藤准教授が今後取り組んでいきたいテーマである。
現代日本の教育課題に
教育史の窓から光をあてたい
教育史と現代教育の間に
歴史とは、「現代と過去との間の尽きることを知らぬ対話」(E.H.カー)だ。教育史の文脈でいえば、現代の教育課題に関心や疑問を抱くからこそ、その問題意識のもと過去に目を向けたときに、今まで光が当たってこなかった歴史の事実が浮かび上がってくる。
「ただの若輩者でしかなかった院生時代に教育勅語と修身(道徳)教育に関わるテーマで学会発表した際、教育工学分野で高名だったある先生から『ずいぶんと古いテーマを研究しているのですね』と言われたことがありました。しかし、その10数年後、教育勅語の学校現場での教材使用をめぐって議論が巻き起こりました。私の研究テーマは決して古いものではなかった。見ている対象は古くても、社会状況の変化によって議論に必要なツールとして歴史が立ち上がってくることは必ずあります」
現代社会の課題を読み解く手がかりを探究する
歴史研究の賞味期限は他の研究分野と比べて長い。今すぐ役に立つものではないかもしれない。しかし、これからの社会において教育にはどのような役割が求められるのか、実現に立ちはだかるハードルは何か、といった問題の本質に迫ろうとするとき、歴史を繙(ひもと)くことで見えてくるものがあるはずだ。
「何か自分に都合の良い解釈を手っ取り早く探そうというわけではありません。
緻密な学術的研究を意識しつつ、ある過去の事実を、現代の人々が議論を行う際の確かな根拠となるように読み解き、位置づけていくという歴史探究のスタンスは、フェイクニュースが増殖する現代ではいっそう重要になると確信しています」
教員紹介
Profile

佐藤 高樹准教授
Takaki Sato
1976年福島県生まれ。東北大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。帝京大学教育学部准教授、中央大学文学部兼任講師などを経て、2024年より現職。教育科学研究会常任委員。雑誌『教育』 副編集長。
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