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専門は「上代文学」と「植民地台湾における国語教育」
戦争の文脈に包摂された『日本書紀』や『万葉集』
日本への漢字伝来から奈良時代の終わりまでの神話・伝説・歌謡などの口承文学と、文字で書かれた記載文学のことを総称して「上代文学」と呼ぶ。
現存する日本最古の歌集である『万葉集』は、『古事記』『日本書紀』などと共に上代文学の作品の一つとして広く知られているが、それらが戦争に利用された事実を知る人はそう多くはないだろう。そしてそれは国内だけではなく、日本が第二次世界大戦に敗戦するまで植民地統治していた台湾の国語教育にも影響を及ぼした。
このように「上代文学」を専門とし、「植民地台湾における国語教育」の研究にも注力しているのが、教育探究科学群の孫世偉特任准教授だ。先に挙げた上代文学が教科書に主に取り入れられたのは、日中戦争および太平洋戦争以降のこと。当時植民地だった台湾の人々に対し、近代天皇制による統治の正当性を強調したのではないかというのが孫特任准教授の主張だ。
「たとえば、『古事記』や『日本書紀』には日本の神々の神話が記されていて、中でも天皇家の先祖にあたる神様「天津神」が最も位が高いとされています。記紀が編纂された8世紀において、『どんな豪族の先祖にあたる神様も、天皇家の先祖にあたる神に敵わない』という文脈で、豪族や貴族たちの序列化に用いられたと考えられています。江戸国学、後期水戸学の影響を受けたこうした考え方に基づき、明治維新後にできた日本の近代教育の理論を、植民地下にあった台湾においても同じように展開し、台湾の人々に天皇による支配の正当性を知らしめようとしたのです」
こうした上代文学を台湾の教科書に掲載したのは、文学作品そのものの価値よりも、イデオロギーの側面が強かったからです。したがって『万葉集』の中でも、教科書で取り上げられたのは公的な教育のイデオロギーに合致するようなものだけだった。
「今我々が知る万葉集は全20巻にも及ぶ4500以上の歌が収められた歌集ですが、その成立の過程が明らかではない部分も多いです。現在の形の『万葉集』の最終的編纂者の一人だと考えられているのは、大伴家持です。彼が採集した『防人の歌』や、『海行かば』という言葉が用いられた長歌の一部(巻十八・4094番歌「賀陸奥國出金詔書歌一首并短歌」)が、日中戦争・太平洋戦争の時期に使われた第四期・第五期の国定教科書に収録されています。『海に行くなら水浸しの死体、山に行くなら草が生えた死体になっても、天皇のもとで死のう。決して振り返ったりしない』という家持の言立の部分のみを、歌全体の文脈から切り取られる形で引用されています。また、『海ゆかば』は作曲家・信時潔によって国民歌謡となり、ラジオを中心とした当時のマスコミによって大衆に浸透しました。
また、日本本土で使用された国定教科書と同じように、台湾に住む漢民族の子供向けに編纂された国語教科書でも公的な教育のイデオロギーに合う一部の歌を取り上げて、『万葉集』の代表歌として紹介しました。たとえば、山上憶良は儒教的・仏教的・老荘思想などを反映した非常にユニークな歌を数多く詠んだ歌人ですが、台湾総督府が編纂した第五期国語教科書では、『瓜食めば』の冒頭で知られる歌の反歌である『銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも』が紹介されました。子への慈愛に満ちた父の想いが儒教的な価値観に近く、公的な教育のイデオロギーに合致するとみなされたのです。ところで、日本本土で使われた同時期の教科書では、憶良の『士やも空しくあるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして』のみが収録され、『防人の歌』や『海ゆかば』と共に、戦時色濃厚の文脈の中で、国民が持つべき心得として解釈されています」
植民地統治下を生きた台湾の作家による「近代文学」を分析
主に日本への漢字伝来から奈良時代の終わりまでの「上代文学」を専門とし、「植民地台湾における国語教育」の研究に注力してきた孫特任准教授。しかし、研究を進めるうちに明治維新以降の日本の基本的な価値観が植民地統治下にあった台湾の人々にどのように受け止められているのかに興味を持つようになった。近年はとりわけ植民地統治下の台湾を生きた作家たちによる文学作品にも関心を寄せ始めたという。
「日本の上代文学と台湾の近代文学との間には、一見すると距離があるように思われるかもしれません。しかし、植民地統治下の台湾の教育に上代文学が取り入れられていたことを考慮すると、私にとっては地続きの関心ごとです。当時の時代背景もあり、植民地統治下の台湾を生きた作家たちが注目を浴びる機会が少なかったことも含め、彼らの作品に光を当てた研究をしていきたいと考えています」
実際に台湾が植民地統治下にあった頃の作家たちの作品や生き方に触れると、当時の日本の基本的な価値観に対する多種多様な立場が見えてくる。
「たとえば、漢民族であるというアイデンティティを持ち、中国大陸に渡って活動したり、新たなメディア(文芸誌)を立ち上げたりして文学活動をした文化人もいれば、第二次世界大戦前後に日本が台湾の人々に対して行った同化政策の一つである『皇民化運動』に自発的かつ積極的に参加した作家もいます。もちろんこうした二分法ではなく、中立的なものも含め、作家の数だけ立場や受け取り方があります。こうした各作家の姿勢を一絡げにせず、個々の思想に立脚する背景を理解し、敬意を払って向き合うことを大切にしています」
なぜ『万葉集』が戦時に引用されたのか
今でこそ「現存する日本最古の歌集」として広く知られている『万葉集』も、メディアで取り上げられるようになったのは昭和初期以降と比較的最近で、にわかに国民的人気を得た作品だと言える。満州事変、日中戦争以降を中心に、「皇民化運動」と呼ばれる同化政策の一環で、植民地統治下の台湾における国語教育に『万葉集』が取り入れられたことは先に述べたが、これらの「日本の古典」が植民地の教科書に積極的に引用された理由については実はまだ明らかにされていない。ただし、日常生活を送っていた人を戦地に送り込み、人を殺し・殺させるような非日常的なことを躊躇いなくできるようにするためには、なんらかの強力なイデオロギーによる暴力行動の正当化が必要となる。「戦争に勝利するために動員できるものはすべて動員しようとする国家にとって、文学も例外ではなかったのではないか」と孫特任准教授は分析している。
上代文学の“読者”が研究者になるまで
『古事記』に魅了された幼少期
台北出身の孫特任准教授が日本の上代文学に興味を持ったきっかけは、幼少期にまで遡る。両親の仕事の関係で日本に滞在していた孫特任准教授は『古事記』に触れ、物語のおもしろさに魅了されたのだという。
「『古事記』と『日本書紀』は『記紀神話』としてまとめて語られることがありますが、物語の内容や趣きはやや異なります。幼少期の私には『古事記』に登場する神々による破天荒な立ち居振る舞いが非常にユニークに映り、その物語に強く惹かれていったのです」
また、『古事記』や『日本書紀』の原典の表記方法も、当時の孫特任准教授の興味を引くこととなった。
「現代語訳を読んで物語のおもしろさに引かれて原典に触れたところ、すべてが漢字で記されていましたが、『日本書紀』で用いられる正格に近い「漢文」でもありません。日本固有の大和言葉(和語)を表現するために漢字を用いている。この表記に疑問を抱いたことから、一読者としての物語だけでなく、研究対象としても魅力に感じるようになりました」
「上代文学」の新たな側面に気づいた博士課程
『古事記』を入口に上代文学への興味を持ち、国立台湾大学文学部日本文学科に入学した孫特任准教授。
大学4年間で熱心に研究に取り組むも学び足りないと感じ、台湾陸軍での2年間の勤務を終えたのち、大学院への進学を決めた。2005年からは北京大学大学院 文学部 中国文学研究科比較文学専攻の修士課程にて、2010年からはコロンビア大学大学院 東アジア言語・文化専攻 修士課程にて文学修士号を取得。その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院 アジア言語・文化専攻 日本文学 博士課程を修了し、文学博士の学位を取得するなど、研究者としてのキャリアを着実に築いてきた。
現在は上代文学への関心から派生した植民地統治下の台湾文学などにまで研究対象を広げているが、初期はあくまで上代文学の研究が中心。植民地台湾における国語教育に関心を向け始めたのも、博士課程に進んで以降と、比較的最近のことだという。
しかし、孫特任准教授は最初から研究者としてのキャリアを具体的にイメージしていたわけではない。修士課程以降の留学先となったアメリカの環境が自分にその機会を与えてくれたおかげだと、当時を振り返る。
「当時のアメリカでは博士課程に進んだ学生は、ルーツにかかわらず“研究者仲間(フェローシップ)”として認められました。学費の免除のほか、奨学金や研究費などが支給されるなど、研究と生活を両立させられるようなサポートをしてくれます。研究に専念できる環境に身を置かせてもらう中で、自分の研究の方向性や研究者としてのキャリアのイメージを見定められるようになりました」
また、世界各国の意欲ある優秀な学生を迎え入れる土壌があることは、文学研究に取り組むうえでもポジティブに働いたと語る。
「世界各国から学生を積極的に受け入れていた当時のアメリカの大学にはアメリカ人の教授や学生だけでなく、さまざまなルーツや背景を持った教授や学生が集まっていました。このように多様な人が集まる環境は、文学研究においてアドバンテージになります。たとえば、日本にルーツがある人の村上春樹作品の読み方とフランスで生まれ育った人が読む同作品の読み方は大きく異なるでしょう。作品を深く読み込むうえでは作者の意図や時代背景以外にもさまざまなアプローチが必要とされることから、アメリカで約6年半研究できたことは私にとって大きな財産となりました」
文学を通じて物事を多角的に見つめてほしい
アメリカで博士課程を取得したのちに、青山学院大学文学部の助教に就任。2025年4月からは桜美林大学教育探究学群の特任准教授も務めるなど、日本で日本文学の研究者としての道を歩み始めた。
そんな孫特任准教授が目下危惧しているのは、世界各国の排外主義や他国の認識に対する関心の希薄さだ。
「たとえば日本のメディアでは、台湾に関する報道が『親日台湾』という通り一遍のステレオタイプなイメージの再生産が多く、この小さい島の抱える歴史とエスニシティなどの複雑性に切り込むことは極めて稀です。このように実像から大きく離れた想像上の台湾が政治的言説に回収されると、先入観が再生産されるなどの悪循環に陥る危険性があります。日本による植民地支配を含め、台湾に対する理解を深めてもらい、ひいては世界の異文化を俯瞰的に見つめるリテラシーが広がってほしいと考えています」
こうした想いは文学研究とはあまり関係がないと思う人もいるかもしれない。しかし、先に述べたように多様な視点が求められる同研究においては、昨今加速する排外主義は近接する由々しき問題である。同時に、文学研究はこうした排他的な価値観を修復する役割を担いうる。
「かつて日本文学史には、台湾や朝鮮にルーツを持つ人々による文学が盛り込まれていませんでした。日本の植民地統治下で日本語を学び、母語ではない言葉で表現した人々の作品は視野に入れられていなかったのです。しかし、近年さまざまな方々の努力によって、少しずつではありますが状況が変わりつつあります。こうしたさまざまな作品に触れる機会をつくることは、日本文学に新たな視点を提示することにつながります。文学研究はこのようなかたちで社会を変えていくこともできるのです」
教員紹介
Profile
孫 世偉特任准教授
Sun Shihwei
1979年、台湾・台北出身。1997年国立台湾大学文学部日本文学科を卒業後、台湾陸軍での勤務を経て、北京大学大学院 文学部 中国文学研究科比較文学専攻 修士課程、コロンビア大学大学院 東アジア言語・文化専攻修士課程修了。修士(文学)。その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院 アジア言語・文化専攻(日本文学)博士課程修了。博士(文学)。青山学院大学 文学部 助教などを経て、2025年4月より桜美林大学 教育探究学群 特任准教授に就任。専門は、日本文学(上代文学)、中国文学、教育学。特に、植民地台湾における国語教育と文学の関係性や、古典文学研究を専門とする。
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