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JAL国際線の客室乗務員の経験をもとに
「ホスピタリティ」や「ウェルビーイング」を軸に研究
7歳のときに、JALの国際線に一人で搭乗
客室乗務員に関する研究と聞くと、提供するサービスやホスピタリティに関するものをイメージする人が多いかもしれない。しかし、着眼点を変えてみると「客室乗務員」が持つ切り口の多さに驚くことだろう。ビジネスマネジメント学群の尾川佳子准教授は「客室乗務員の制服に見る企業のイメージ戦略」から「働く女性のウェルビーイング」に至るまで、「ホスピタリティ」と「ウェルビーイング」をテーマにした学際的な研究を行っている。
こうしたユニークな着眼点は、尾川准教授自身が日本航空(JAL)の国際線の客室乗務員として約25年間働いてきた経験や問題意識に基づくものだ。では、そもそもなぜ、客室乗務員を志したのか。その背景には、幼少期のアメリカ滞在経験があった。
「年が近い従姉妹が近所に住んでいたのですが、まだ幼稚園生だった頃、アメリカ人の父を持つ従姉妹は父親の仕事の都合でアメリカに移住することになりました。それまで実の姉妹のように仲良くしていたこともあり、気の毒に思った両親が私をアメリカに送り出してくれ、長期休みのたびに現地で2ヶ月ほど暮らしていたのです」
当時は国際線に乗る人が極端に少なかった時代。まして子供一人での搭乗は今以上に大冒険だった。羽田空港からグランドホステスに手を引かれてJALの飛行機に搭乗し、機内では客室乗務員に話しかけてもらいながら過ごしたアメリカまでの約10時間。サンフランシスコに降り立つ直前に機内の窓から「日本と違う」景色を見たことは、幼かった尾川准教授にとってその後の人生を決めるには十分な体験だった。
「現地での生活もすべてが刺激的でした。当時はまだ日本にマクドナルドやサーティワンアイスクリームが上陸していなかった時代でしたから、“アメリカのアイスクリーム”のおいしさに感動しましたし、夏はサマータイムが導入されていて、夕食を食べて後片付けをしてからでもまだ遊びに行けます。従姉妹が通う小学校のサマースクールに同席させてもらって、現地の子供たちから物珍しい目で見られたことも新鮮な体験でした。それから自分なりにいろいろと調べて、『海外に行けて女性が活躍できる客室乗務員になるしかない』と幼いながら心に決めてしまったのです」
スキーの全日本大学選手権出場経験をアピールし、
JALの国際線客室乗務員の道へ
幼い頃に決めた夢を大事に抱き続け、将来の夢を聞かれるたびに「日本航空の国際線のスチュワーデス」と答えていたという尾川准教授。当時は女性が就ける職業は「美容師」や「看護師」などの専門職に限られており、女性が大学に行くことも当たり前の選択肢ではなかったというが、国際線の客室乗務員になるための道を調べて逆算し、就職後も活かせそうな明星大学人文学部英語英文学科へと入学した。
大学入学後もその夢は変わることはなかったが、在学中に情熱が注がれた先は、意外にもスキー部での活動だったという。同期の5名を除いては全員が男子部員で、女子も男子と同じメニューをこなさなければいけない厳しい環境だった。
尾川准教授はスキー経験がほとんどなかったこともあり、入部当初はコーチに見放されるほどの技術だったというが、「突き放されると火が付く」持ち前の性格を武器に猛特訓を開始。大学1年次から大学代表権を獲得し、4年連続で全日本学生スキー選手権に出場するまでになったという。
大学4年次に臨んだ就職活動でも、上下関係が厳しい部活動で目標達成に向けて練習に励んだことをアピールし、JALの就職試験に見事合格。スイスの航空会社からも内定をもらったが、かねてからの夢だったJALの客室乗務員として人生を歩み始めた。
好奇心と向上心で“深く広く”活躍したJAL時代
JALの女性社員で初めてシニアワインソムリエに
1986年からJALの国際線客室乗務員として働き始めた尾川准教授。国際線の乗客に和装でおもてなしするなど、日本人ならではの手間暇をかけた接客も経験した。約25年の“JAL人生”を通して客室乗員部に所属していたが、国際線の飛行機に搭乗して乗客にサービスを提供すること以外にもさまざまな経験を積んだ。
「英語が得意だということで海外の乗務員を採用する際の面接官を担当させてもらったことや、JALと海外の航空会社の共同運航便に乗り、他国の客室乗務員と一緒に仕事をしたこともありました。また、松山線が就航したときにはPRのために、瀬戸内海の無人島で都会の子供たちとともに10日間キャンプをする企画が立ち上がりました。その際、引率者を募集する社内公募に立候補し、事務職や整備士といった他部署の方々と一緒に子供たちと遊んだことも思い出深い出来事の一つです」
好奇心と向上心が強く、さまざまなことに挑戦してきたキャリアの中でも、特筆すべきなのが、ワインソムリエの資格取得だ。しかし、尾川准教授はもともと体質的にお酒が飲めず、訓練生時代にカクテルを作って試飲しただけで酔ってしまうほどだったという。そんな中、なぜワインソムリエを志したのか。その背景には、客室乗務員としてのプロ意識があった。
「ファーストクラスでワインをサービスする際に、それぞれのワインの特徴を知識では覚えていたものの、お客様から『今日のお肉には何のワインが合う?』などと聞かれたとき、実感と自信を持っておすすめできなければ、プロフェッショナルとは言えないのではないかと考えるようになりました。ただ、私は実際に飲んで覚えることができないため、勉強するしかないと考え、ワインソムリエの資格取得を目指して勉強を始めたのです」
仕事の傍ら筆記試験の勉強のほか、10日間のワインスクールに通うなどの試験対策を経て、1992年に見事合格。その後、さらに上級のシニアソムリエの資格取得にも挑戦して、1995年に合格を果たし、JALの女性社員初のシニアソムリエ資格取得者となった。
同資格の取得は会社でも歓迎され、「地上勤務」扱いで、JALが主宰するワイン関連イベントに駆り出されることもあったという。また、新人ソムリエの登竜門である「全日本最優秀ソムリエコンクール」にJALの社員として送り出され、世界最優秀ソムリエコンクールで優勝した実績を持つ田崎真也氏をはじめとした錚々たる顔ぶれに並んで審査委員を務めるなど、本来の職務の範囲を越えて幅広く活躍する契機となった。
イギリスとフランスの大学院に留学し、MBAを取得
尾川准教授がJALに在籍していた間のキャリアとして、特筆すべき事柄がもう一つある。それはイギリスとフランスの大学院でのMBAの取得だ。
幼い頃からアメリカ文化に親しみ、海外への憧れも強かった尾川准教授は、幼少期から留学願望が強かったという。しかし、大学入学後はスキー部の活動に邁進していたため、学生の間には留学できなかったことが、どこかで心残りだったと当時を振り返る。
そんな想いを抱きながら迎えた入社4年目、1990年に留学のために長期休暇を許可する制度の創設が発表された。これを受けた尾川准教授は、関わる人に対して温かな心遣いを持って接することで満足度や幸福度を高める経営手法「ホスピタリティマネジメント」を専攻し、MBA取得を目指す計画書を提出。留学の第一の目的は客室乗務員の業務に役立てることだったが、経営者であった父親の背中を見て育つ中で、経営学にも関心があったことも、MBA取得を目指した理由の一つだった。
社内審査の結果、提出した計画書が採択され、1993年9月からイギリスのブライトン大学ビジネススクールに留学することに。当時、現職の客室乗務員がMBAを取得するのは世界でも初めてのケースで、社内でも驚かれることが多かったそうだ。
アメリカの大学院に行く選択肢ももちろんあったが、「従姉妹がいる土地では甘えが出る」と、自身にとってあえて厳しい環境で、マーケティング、人的資源管理、行動組織行動学、会計学、財務、法律、経営戦略などをひと通り学んだ。
さらに、大学院の交換留学制度を使い、イギリスの大学院に在籍しながら、フランスのÉcole Supérieure de Commerce de Grenoble(現在の名称はGrenoble Ecole de Management(GEM))の大学院にも留学することを決める。英語が堪能だった尾川准教授も、フランスに留学した当初のフランス語の能力は“大学の第2外国語で学んだ”程度。MBAの授業と並行して、学部生が受講するフランス語の授業も受けるなど、勉強漬けの日々を送り、見事MBAを取得した。
尾川准教授は“人生で一番勉強した”という当時について、こう振り返る。
「大学までは両親にお金を出してもらったうえでさまざまなことを体験してきましたが、自分のお金を使い、自分で住む場所も探し、人生で最も勉強しました。もちろん業務にあたる際の視野が広がるなどの実益もありましたが、図書館に1日中入り浸って勉強する生活は自分の性に合っていると気づけたことも、のちのキャリアにつながる大きな収穫でした。現地で知り合った仲間とは今でも交流がありますし、この留学経験は現在の私を支えるバックボーンになっています」
航空業界と近接する旅行業界にも興味を広げて
職業訓練の一環で受けた授業が
講師業をスタートするきっかけに
客室乗務員としてのホスピタリティはもちろん、シニアワインソムリエの資格やMBA取得など、いくつもの専門性を持って幅広く活躍してきた尾川准教授。子育てや介護などをはじめとしたさまざまな事情が重なり、2010年にJALを退職するも、翌年からは株式会社ツーリストエキスパーツの非常勤講師として新たなキャリアを歩み始めた。
経歴を俯瞰して見ると、現在の活動の軸の一つである講師業の礎になった大きな出来事のように思われるが、当初は講師業をやるつもりは全くなかったという。
「JALを辞めた後のことは全く考えていなかったため、まずは子育てと親の面倒を見ることに専念し、失業保険を受給している間に職業訓練を受けることにしました。パソコンの使い方からネイリストまでありとあらゆる技術が習得できる中で、ふと目にとまったのが旅行業の講座でした。『航空との近接領域でありながら知らないことが多かった旅行業を学び直したい』という想いから、株式会社ツーリストエキスパーツの講義を受けることにしたのです。最初は生徒として参加していましたが、その後同社の社員の方にお声がけいただき、次のクールでは講師を務めることになりました」
授業中の発言のレベルの高さや経歴が同社の上層部に認められ、講師業のキャリアのスタートを切った尾川准教授。同社では「ビジネスマナー」や「観光英語」などの4つの講義を担当したほか、医師や看護師、その他大中小様々な企業でのビジネスマナー研修をはじめ、方々から声がかかり、講師としての活躍の裾野をどんどん広げていくこととなった。
「客室乗務員の制服」に着目し、
企業のイメージ戦略を考察
当初、自分の培ってきた学びを生徒たちに還元し、充実した日々を送っていたという尾川准教授。しかし、本当にやりたいことは、自らの関心に従って学びを深める研究活動だった。自分の研究と、それらを学生に還元すること。その2つが両立できる道として、いつしか大学教員になることを志すようになったのだという。
その後、一念発起して、2013年から東洋大学大学院国際地域学研究科の博士後期課程に入学。同時に大学教員になる道を切り拓くべく、2013年からは帝京大学現代ビジネス学科と桜美林大学基盤教育院で、2014年からは山野美容芸術短期大学国際美容コミュニケーション専攻と駒澤大学総合教育研究科外国語第一部門で非常勤講師として働き始め、「母親」「学生」と「非常勤講師」という三足のわらじを履きながら研究に邁進した。
同大学院博士課程では、2019年に発表した「制服の印象が企業イメージに与える効果に関する一考察—航空会社の客室乗務員の事例よりー」の前身となる論文を執筆。各航空会社の企業イメージを、客室乗務員の制服という観点から考察した。同研究の始まりは、客室乗務員としてお客さまをおもてなししてきた自身の経験はもちろん、ごく素朴な疑問にあったのだという。
「同大学院では副学長も務められた東海林克彦教授のもとで、企業のイメージ戦略について研究していました。ただ、当初は論文テーマがなかなか決まらず、東海林教授とともに談話する中で、『なぜ客室乗務員は全員制服を着ているのだろう』という素朴な疑問に直面したことが研究の原点になっています。そこから、制服がお客さまに対してどのような効果を与えているのか深掘りしていきました。今後は、私自身が客室乗務員として勤務していた際、制服を着ているときに幸せを感じていた経験から、制服がお客さまに対してではなく、制服を着ている本人たちにとってどのような影響があるのかという『ウェルビーイング』の文脈にも展開していけたらと考えています」
「客室乗務員」を切り口に、
“感情労働者”のウェルビーイングを探究
自身の体験や興味関心に従って、既存の領域にとらわれない学際的な研究を行ってきた。そんな尾川准教授が今後とりわけ注力していきたいキーワードは「感情労働」と「ウェルビーイング」だ。
感情労働とは、アメリカの社会学者であるアーリー・ラッセル・ホックシールドが提唱し始めた概念で、相手に好ましい感情を抱いてもらうよう自らの感情を管理して働く労働のことを指す。頭脳を使って働く「知的労働」と、体を動かして働く「肉体労働」に次ぐ“第3の労働”とも呼ばれるものだ。同学者は論文の中で、感情労働を強いられるのは主に接客業で、とりわけ看護師とキャビンアテンダント(客室乗務員)の負担が大きいと、そのネガティブな側面を強調している。
しかし、これに対して尾川准教授は自身の経験にもとづいた懐疑的な意見を呈する。
「確かに感情労働にはネガティブな側面があると思います。しかし、少なくとも私が接してきた日本の客室乗務員たちは『お客さまに喜んでもらうことを自身の喜び』と感じ、そこに仕事のやりがいを見出している人が多かった印象で、これには各国の国民性が関連しているのではないかと見ています。今後は日本のみならず各国の客室乗務員が持つ性質を、文化的な視座から比較することを通じて、客室乗務員をはじめとした感情労働者たちのウェルビーイングを探究していきたいと考えています」
働く女性が子育ての喜びを享受できる社会を実現したい
JAL国際線の客室乗務員の経験を活かして、自分の知識や経験を還元する講師へ、そして大学教員へとダイナミックなキャリアの変遷を辿ってきた尾川准教授。自身が受け持つ「サスティナブルウェルビーイング研究室」では、「サクベジプロジェクト(江戸東京野菜SDGs)」「あまぶる+plus(徳之島の地域活性)」「よこはち∞(八王子の伝統文化)」などの産学連携プロジェクトへの参加を通じた人材育成にも熱心に取り組んでいる。さらに、ゼミ生(先輩)が考案したこの3つのプロジェクト名は、学生自身(後輩)が特許庁に商標登録を申請し、認可を取得。学生発のブランドとして確立されるという快挙を成し遂げた。
主体性が育まれる環境に身を置いた学生たちは、就職活動でも「学生時代に頑張ったこと」としてゼミ活動のエピソードをイキイキと語り、航空業界はもちろん、倍率80倍とも言われる人気のホスピタリティ企業「Plan・Do・See」の内定者が出るなどの結果に反映されている。なお、同社から内定をもらった学生は、桜美林大学では初めてだという。
人材育成の面ですでに成果を上げている尾川准教授だが、大学教員である自身の真の使命は教育だけなく研究にあると語る。
「私のキャリアのベースには客室乗務員としての経験があり、『元客室乗務員』という肩書きは一生ついて回ると思います。しかし、私は『研究がしたい』という想いで大学教員を志して採用していただいたため、教育で人材を育成するだけでは役目を果たせたことにはなりません。研究者としての実績を積むために、直近3年は国際学会にも年に3~4回は参加し研究発表をしています。今後のキャリアの中では、海外で1年間研究に集中することが目下の目標です」
人生のどの地点を振り返っても、常に向上心を持って全力疾走してきた尾川准教授。しかし、なぜここまでアグレッシブに突き進めるのだろうか。そのモチベーションの源には、やはり働く女性のウェルビーイングへの強い思い入れがあった。
「30代まで客室乗務員の仕事が楽しく夢中で取り組んできましたが、子供を産んだときに『人生でこれ以上に嬉しいことはない』と、かねてからの夢だった客室乗務員になることが叶ったとき以上の幸せを感じました。現在は『女性が社会で活躍する社会』の必要性が叫ばれていますが、子供を産み育てたい人が子育ての喜びを享受することと両立していける環境であってほしいと思っています。海外で研究したいという目標を持ったのも、接客業における文化的ホスピタリティの差異のほか、仕事と子育ての両立に関する先進的な事例を自分の目で実際に見てきたいからです。また、子育ての経験はキャリアを妨げるものではなく、今の仕事にも大きく活かされていると常々感じています。学生たちは自分の娘や息子のように感じ、『こうしなさい』と指示したり何かを教えるというよりも、共に成長していきたいですし、いくつになっても夢を持って前進する姿を見てもらうことが、彼らへの良い刺激になればうれしいです。そして、彼らが日本人としての誇りとアイデンティティを胸に、おもてなしの精神でグローバルに羽ばたき未来を照らす存在となることを願っています!」
教員紹介
Profile
尾川 佳子准教授
Yoshiko Ogawa
1962年、東京都出身。幼少期よりアメリカ滞在の機会が多く、異文化を肌で体験したことから「将来は世界中の人と交流し笑顔にできる仕事に就きたい」と、明星大学人文学部英語英文学科卒業後、1986年4月に日本航空株式会社(JAL)に入社し、国際線客室乗務員として従事。サービススキル向上のため、シニアソムリエや日本酒利き酒師の資格を取得し、会社の広報活動にも協力、海外航空会社への派遣乗務や海外基地乗務員の採用・指導にも携わった。また在職中に休職し、イギリスのブライトン大学ビジネススクールに留学しMBAを取得。約25年弱在籍後に退職し、2013年より東洋大学大学院 国際地域学研究科 博士後期課程 国際観光学専攻に進学すると同時に桜美林大学で学生たちの指導にあたっている。研究領域は、サスティナブルツーリズム、主観的ウェルビーイング(ポジティブ心理学)とホスピタリティの関連性等。「”和”を世界に広げよう!」をモットーに「グローバルな視野でローカルに役立ち、人々のサスティナブルなウェルビーイングに貢献」することを目標に日本語と英語で講義を実施している。
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