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近代日本の実業家に注目し、
市民社会づくりと「下」からの動きに迫る
幸せとはなんだろう?
「幸せとは何か」を深く考えようとすると、案外難しいことに気づくだろう。仕事に全力を注いで成果を出すことに喜びを見出す人もいれば、仕事はほどほどにして家族との時間を大切にするほうが幸せだと感じる人もいる。また、ボランティアを通じて他者に手を差し伸べることが幸福につながると考える人もいれば、社会の格差を是正するため政治活動に携わることが重要だと考える人もいるだろう。幸せの形は実に多様であり、何を幸せと思うかは人それぞれだと言える。
さらに、多くの人が幸せだと感じられる社会の仕組みをどう構築するかとなると、見解はますます複雑になる。同じ価値観を共有して帰属意識や連帯感を育み、互いに助け合うことが望ましいという意見もあれば、個人の自由競争と自己責任を重視し、市場メカニズムを効率的に機能させることこそが最適だと主張する声もある。
正義、格差、公平、平等、さらにはナショナリズム・愛国心、共存・エスノセントリズム(自文化・自民族中心主義)・共感、資本主義、経済と倫理、ウェルビーイング・安全・安寧(動物や環境を含む)、社会文化貢献、市民社会、自主性・主体性……といった多角的な問題意識に基づいて研究に取り組んできたと話すのは、ビジネスマネジメント学群の兼田麗子教授だ。
「私は学生時代、フリードリヒ・ハイエク研究で有名な古賀勝次郎教授のゼミを選択しました。幸せとは何か、平等とは何か、平和とは何か——そうした根本的な問いを追究するため、数多くの思想家や哲学者、政治学者の著作を読みました。代表的なところでは、ジョン・ロールズ、トマス・ホッブズ、アマルティア・センなどでしょうか。そのような中で、私自身も市民社会における草の根の運動や民間の力に強い関心を抱くようになりました」
フィランソロピー精神を持った実業家に注目
バブル経済の崩壊後、日本は深刻な不況に直面し、構造改革と民間の活力が強く求められるようになった。自由競争と市場原理の重要性が再認識される一方で、自己責任や自助努力の概念もこれまで以上に強調されている。しかし、経済効率を追求するだけでは持続的な社会の発展は難しく、協同・共存の重要性も改めて議論されてきた。さらに、少子高齢化が進み、労働力不足や年金問題など、経済・社会・福祉に関する課題が深刻化するなか、国家や公的機関への中央集権型の依存には限界があるのではないかという考え方も広まりつつある。
「欧米の思想家を学ぶなかで、多くの発見がありましたが、古典的なギリシャ・ローマ思想から熟知している研究者と肩を並べるのは難しいと感じました。そこで、私は近代日本の実業家に焦点を当て、自分ならではの研究の特色を見出そうと考えたのです。日本は封建時代を終え、欧米の近代国家の枠組みを模倣する形で中央集権的な『上』からの国家の構築を目指しました。しかし、そのような時代のなかでも、民間のフィランソロピー精神、それは社会文化貢献意識とも言いかえることも可能かもしれませんが、そのような意識や改革への参加意識、創意工夫の力が想像以上に大きな役割を果たしていたのではないかと考えたのです」

近代日本の社会改良者たちがどのような思想を持ち、どのように行動したのかを考察することで、現代にも通じる意義を見出していく。私たちが暮らすコミュニティにおいて、一人ひとりがどのような形で貢献できるのか——その可能性を、歴史のなかに求めたのだ。
大原孫三郎と留岡幸助の
比較からみる「民」の力
「官」と「民」の狭間で改革を試みた留岡幸助
兼田教授は、民間人による社会改革の可能性を探るため、社会事業家の留岡幸助(1864–1934)と実業家の大原孫三郎(1880–1943)に注目した。彼らは、権威主義的でない公共性を担おうと試み、個人の人格や独立性を尊重しながらも、社会全体の共存と発展に寄与した点で共通している。単なる私益や功利主義に走るのではなく、儒教的価値観に偏重することもなく、また欧米の近代思想を無批判に受容するのでもなく、東西の思想を融合させながら社会改革に取り組んだ。そのリーダーシップと実践的な創意工夫は、近代日本における「民」の力を象徴するものといえる。
「留岡幸助は、幕末に生まれ、明治・大正・昭和を生き抜いた日本の社会事業家の先駆者です。彼は『民』と『官』の両方の立場から社会改良に尽力しました。『民』の立場としては、巣鴨家庭学校(現・東京家庭学校)を設立し、教育を通じた社会改革を推進しました。また、当時の日本では官僚や専門家の海外留学が少なかった監獄改良の分野において、一民間人の立場で渡米し、海外における矯正施設の実態を研究しています。さらに、施し的な慈善活動にとどめず、学術的な裏付けを持つ社会事業へと昇華させる必要性も説きました」
一方、民間人として信念に基づいて感化教育に携わったのみならず、内務省地方局の嘱託という「官」の立場から社会改良を試みた。彼は、公的福祉制度がほぼ存在しなかった当時の日本において、社会行政の整備を訴え、「民」と「官」の連携をいち早く模索した。しかし、彼の理想とは裏腹に、明治政府は民衆統制を強化し、国家主導の社会改良路線を推し進めたが、留岡の試みは、近代日本の福祉政策における「民」の役割を示す象徴的な事例といえる。
「民」の力を重視した大原孫三郎
大原孫三郎は、留岡より16年遅れて生まれ、地主と紡績会社の経営を兼ねる資産家の家系に育った。彼は倉敷紡績の経営改革に着手し、人格向上主義を掲げながら、資本家と労働者、小作人と地主、富者と貧者の利害の一致を見出そうとした。その結果、彼の社会貢献活動は、大原農業研究所、大原社会問題研究所、倉敷労働科学研究所、倉敷中央病院などの設立へとつながった。さらに、岡山孤児院への支援、倉敷日曜講演の開催、優秀な学生や研究者への奨学支援など、広範な活動を大原は展開した。
大原は、留岡とは異なり、一貫して「民」の立場から活動し、「地下水をつくる」という表現で人材育成の重要性を説いた。民衆的工芸の価値を広めることに尽力していた柳宗悦、中国の貧困層の教育に従事していた清水安三、また、国画創作協会の設立を支えた土田麦僊など、社会に対し独自の視点を持つ人々を積極的に支援した。その行動は、近代国家形成期にあった留岡と、市民社会への模索が行われつつあった時代に生きた大原の立場の違いを反映しているともいえる。
「留岡幸助と大原孫三郎の研究を通じて、社会構造の変化に対しては、国や自治体だけが改革を担うのではなく、民間人がリーダーシップを発揮することの重要性を再認識しました。二人に共通するのは、個人の人格形成と独立の精神を重視しながら、人間愛やフィランソロピー精神に基づいて、具体的な行動を起こした点にあります。彼らの事例は、現代における民間主導の社会改革の可能性を示唆しているのではないでしょうか」

人々が主体性と判断基準を持って
交流することで、下からの公共性は形成される
「有隣」が社会を変革する力になる
兼田教授は、明治・大正期の実業家・社会事業家の研究を通じて、「社会関係資本」の重要性を改めて認識しているという。社会関係資本とは、人々の信頼やネットワークなどを資本として捉えたもので、社会や組織の効率性を高め、協調行動を活発にする役割を果たす際に大切になる概念だ。
「『有隣』という言葉をご存じでしょうか。これは論語の『徳は孤ならず、必ず隣有り』に由来し、徳を備えた者は決して一人ではない、仲間を求めていけば、同じ志の者が集結するということを意味します。社会が危機的状況に直面し、大きな変革が求められるときでも、同じ志を持つ人々が必ず存在する。だからこそ、そうした人々を巻き込み、共に取り組んでいくことが重要なのです。巻き込み型のリーダーシップ、皆がリーダーという状況づくりが不可欠となります。留岡幸助や大原孫三郎のような人物は、それぞれの時代や価値観に応じた異なる方法でリーダーシップを発揮したと言えるでしょう」
兼田教授は、研究を進めるなかで、「民」と「官」の双方からのアプローチが不可欠だと再認識した。すなわち、市場での成功を目指す一方で、民間による公益活動、特に企業の社会文化貢献(フィランソロピー)を組み合わせることが重要だということだ。しかし、そのバランスは個々の考え方によって異なるため、社会で実践していくことが難しいところでもある。
「民」と「官」のバランスは現代にも通じる重要なテーマ
CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)やCSV(Creating Shared Value:社会の共有価値の創造)といった概念は、日本では1990年代後半から注目されるようになった。CSRは、企業が社会や環境への配慮を事業活動に組み込み、ステークホルダーに対して責任ある行動をとることを指し、CSVは、企業が利益追求と社会貢献を両立させる経営手法を意味する。しかし、これらは決して新しい概念ではない。留岡幸助や大原孫三郎の取り組みを見れば、こうした思想がすでに近代日本の実業家たちによって実践されていたことは明らかである。
「市場の論理だけでなく、社会的な価値を意識しながら組織を運営すること、これは、過去の実業家たちが実践してきたことであり、現代においても学ぶべき視点です。彼らの取り組みを知ることで、新たな気づきを得ることができるでしょう。特に、人口減少の進行や社会課題の複雑化により、公的機関だけでは対応しきれない状況が予想される今日、企業や民間組織が主体的に社会課題に向き合うことの重要性はますます高まっています。多様性を取り入れた組織づくりや新たな価値創出の必要性が叫ばれる現代において、近代日本の実業家たちが目指した『下からの公共性の構築』は、私たちにとって示唆に富むモデルとなるはずです」
一人ひとりが自ら考え、判断基準を育てていくことが重要
社会を巻き込みながら「下からの公共性」を築くためには、どのような条件が必要なのか。兼田教授は、留岡幸助や大原孫三郎のようにリーダーシップを発揮する個人の存在は不可欠であるとしつつ、それ以上に重要なのは、主体性を持った人々が交流し、対話を続ける「公共圏」の維持であると指摘する。
「市場の効率性に任せるのか、それとも、公的な力を活用して管理を強化するのか。このような議論を深める場のひとつが大学です。大学は単なる技術習得の場ではなく、根本的な価値観を問い、議論を重ねる場であってほしいと考えています。京セラの創業者・稲盛和夫さんは『人間として何が正しいか』を判断基準とする経営哲学を掲げていましたが、私も個々人が自らの判断基準を持ち、それに基づいて行動することが不可欠だと考えています。人口は国力とも言われますが、少子高齢化が進行する日本において、人口減少を防ぐ以上に、個人の自律性や主体性の強化こそがカギを握るのではないでしょうか。楽観的に聞こえるかもしれませんが、本質的な問い——幸福とは何か、平等とは何か、平和とは何か——に対して、一人ひとりが自ら考え、判断基準を育てていくことこそが、より良い社会を築くための第一歩となるはずです」
教員紹介
Profile

兼田 麗子教授
Reiko Kaneda
博士(早稲田大学)。静岡県下田市生まれ。早稲田大学大学院 社会科学研究科博士後期課程 地球社会論専攻 博士課程単位取得満期退学。早稲田大学 日本地域文化研究所 客員研究員、早稲田大学 日本地域文化研究所 客員准教授、桜美林大学大学院 国際学研究科 特任准教授、桜美林大学 ビジネスマネジメント学群ビジネスマネジメント学類(専任)准教授を経て、2021年より現職。留岡幸助、大原孫三郎、渋沢栄一など、近現代の実業家・社会事業家を事例として取り上げ、彼らの思想や下からの公共性を形成する要因を研究している。
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