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「尊厳」をテーマにしたワークショップを考案
プロテスタント系の宣教師として来日
尊厳とは何か——。英語でDignity(ディグニティ)。広辞苑には「とうとくおごそかで、おかしがたいこと。」と記されている。最近では、「尊厳死」なども何かと話題に上るが、一般の人に「尊厳とは何か?」と問いかけてみても多くの場合、答えに困るだろう。尊厳は人間にとって大切なものであるという漠然とした認識はあるものの、それを言語化できる日本人は少ない。なぜなら、多くの人は、尊厳を身近なものとして捉えた経験がないからだ。
ビジネスマネジメント学群のメンセンディーク ジェフリー准教授は、学生や社会人を対象に「尊厳」をテーマにしたワークショップを自ら考案し、定期的に行っている。プロテスタント系の宣教師でもあるメンセンディーク准教授は、桜美林大学で「キリスト教入門」などの授業を担当しながら、「尊厳」の大切さを伝える教育にも力を入れている。
「私はハーバード大学のドナ・ヒックス(Donna Hicks)教授が提唱する『尊厳教育』の方法論を用いて、2019年からワークショップ形式の授業を行っています。学内だけでなく、学外の学生や社会人を対象に開催することもあります。私はもともとアメリカのプロテスタント系教会組織から宣教師として派遣され、東北地方で活動していました。2011年の東日本大震災発生時にも私は仙台におり、最前線で被災者支援を経験しました。その頃に出会ったのが、ドナ・ヒックス教授の『尊厳』という本でした」
では、大震災を経て、尊厳教育に至るメンセンディーク准教授の足跡を紐解いていこう。
東日本大震災で「尊厳」の重要性を知る
宣教師の息子として2歳から19歳まで日本で生活
メンセンディーク准教授の父親は、本人と同じくプロテスタント系の宣教師だった。戦後間もない1948年に来日し、仙台の東北学院高校で教職に就きながら、3年間、日本の戦後復興に尽力したという。その後、父親はアメリカに戻り、本国で妻との間にメンセンディーク准教授と妹を授かる。そして、1回目の東京五輪が開催された1964年に再び家族で来日する。当時、メンセンディーク准教授は2歳。そのまま、19歳まで日本で生活をした。
高校卒業後はアメリカの大学に進学し、歴史哲学を専攻。西洋と東洋の考え方の違いに興味を持ち、東西の思想史などを熱心に学んだ。大学卒業後、メンセンディーク准教授はネパールに1年間滞在し、現地の小学校で英語教師として働いた。ここで、西洋とは異なる東洋の文化や宗教を持つ人々との交流を通して、後の教育テーマにもつながる学びを得ていった。その後、アメリカの神学校で新約学の修士号を取得。1990年に日本基督教団東北教区センターに宣教師として派遣され、そこから23年間勤めることになる。
「宣教師として、宮城、山形、福島の3県で日本のキリスト教会の人たちと共に働きました。また、仙台学生センターという仙台市内の学生たちが集うコミュニティセンターで主事を任され、アジアへのスタディツアーや国内でのボランティア活動を企画し、学生たちの視野を広げる活動に取り組んでいました」
信教が異なっても人間同士は協力し合える
特に力を入れていたのが、大学生を対象にした南アジアへのスタディツアー。日本の学生を連れて、ネパール、インド、バングラデシュなどに20回以上訪れたという。現地で重視したのは、信教の異なる人々と出会い、相手の伝統をリスペクトしながら交流し、お互いのよい文化を学び合うこと。2001年のNY同時多発テロ後、「宗教は怖い、過激だ」とメディアからインプットされていた日本の若者に、信教が異なっても人間同士は協力し合えるという実体験を与えたかったのだという。
他にも障碍者の自立支援、森を守る活動(「森は海の恋人植樹祭」)や雪おろしのボランティア活動に参加し、学生たちの世界を広げる活動に従事する日々……。東日本大震災が発生したのは、そんなときだった。2011年3月11日を境に、メンセンディーク准教授の生活は一変する。震災後、職場は被災者支援センターとなり、ボランティアの人々の宿泊スペースや食事、移動手段を手配する仕事に忙殺されていく。
東日本大震災の被災地支援で燃え尽き症候群に
「私も仙台で震災を経験しましたが、ショックを受けている時間もなかった。はじめは、電気も電話もガソリンもない……。被災した人々をどう支援できるか考え、目の前のことに追われる日々でした。ところが、2か月くらい経った頃に、自分の異変に気づきました。眠れない、集中できない、気分が落ち込み、家族に対して辛く当たってしまう……。いわゆる燃え尽き症候群だったのだと思います。一年半被災支援に携わった後、家族とアメリカに戻ることになりました。ドナ・ヒックス教授の書籍『尊厳』に出会ったのは、その時でした。私はこの本に救われたのです」
メンセンディーク准教授が所属していたアメリカのプロテスタント系教会組織には、多くの宣教師がいて、世界中で活動を行っていた。そのなかで、チリで活動していた同僚が、メンセンディーク准教授の経験を聞き、教えてくれたのが、「STAR Program」というセミナーだった。メンセンディーク准教授は、大震災から2年ほど経ったタイミングでこのセミナーに参加し、トラウマを克服するヒントを得た。
トラウマ克服セミナー「STAR Program」で
ドナ・ヒックス教授の著書『尊厳』と出合う
トラウマは対立を生み、対立は暴力を生み、負のスパイラルに陥っていく。STAR Program(Strategies for Trauma Awareness and Resilience)は、自らのトラウマ経験を認識し、これを深く理解することで、暴力の連鎖を断ち切る方法論を提唱している。メンセンディーク准教授は、震災という極限状態に置かれた時に人間が経験するトラウマによってお互いを傷つけるような破壊的な衝動を経験し、このエネルギーはどこから来るのかという疑問を持った。また同時に、被災者がすべてを失っても力強く立ち上がって人のために生きる強さにも出会った。STAR Programのセミナーに参加し、人間の強さと弱さの答えを探していく。その過程で周囲のすすめで手に取ったのが、ドナ・ヒックス教授の『尊厳』という書籍だった。
「この本には、私が東日本大震災で経験したトラウマやストレスに対する答えにあたる内容が書かれていて、それはストンと腑に落ちるものでした。そこで、私はこの本をもっと多くの人に知ってもらうため、翻訳して日本で紹介しようと考えました。あいにく、『尊厳』の翻訳版は別の方の手によって出版されるのですが、私はヒックス教授の2冊目にあたる『尊厳のリーダーシップ』という本を翻訳し、出版する機会を得て、それが『尊厳ワークショップ』の構想につながっていきます」
コロナ前の2019年に初めて行った「尊厳ワークショップ」をきっかけに、メンセンディーク准教授は、そのノウハウを蓄積していく。1回のワークショップは3時間に及ぶもので、自身の経験やヒックス教授の尊厳教育を基にした講演だけでなく、グループワークなども盛り込み、参加者たちに「尊厳とは何か」について深く考える機会を提供している。
「弱さ」は人と人とをつなげる大切なもの
「尊厳の10の要素」から身近な事例を話し合う
では、「尊厳ワークショップ」の流れを紹介しよう。
第1部は、まず「尊厳とは何か」という基本的な問いから始まる。尊厳という言葉は、その定義を巡って未だに共通理解が得られてないままだ。例えば、ウクライナ侵攻にあたり、ロシアのプーチン大統領は、「これはロシアの尊厳のための戦いだ」だとして戦闘を正当化した。このような事例を指して「尊厳は役に立たない概念だ」と断じる政治哲学者たちもいる。
ここで、参加者にヒックス教授が提唱する「ディグニティ・モデル」(下記参照)が提示される。そして、「尊厳の10の要素」から身近な場所にある尊厳について、考えを巡らせていく。第1部の最後には、グループワーク形式で、「今まで自分が尊厳の10の要素を尊重、または侵害されたエピソード」について語り合い、どうしてあのときうれしかったのか、逆にどうしてあのときモヤモヤしたのか……について参加者同士で気持ちを共有していく。
第2部では、ヒックス教授が定義する尊厳の重要な要素である「価値」と「弱さ(Vulnerability)」について学んでいく。特に、Vulnerabilityは重要な概念で、日本語で「弱さ」と単純に訳すのは難しいという。ここでメンセンディーク准教授が用いるのが市販の卵のパック。上からの力には強いが、横からの力には弱い。これは、「人間もそのようにできている」というサンプルなのだという意味が込められている。人間は誰しも自分の「弱さ」にスイッチが入るボタンを隠し持っている。それを素直に理解すれば、楽に生きられるのだという。
「弱さ」の共有から始まる
共感→つながり→安心→笑顔の連鎖
第2部の後半で、参加者は「尊厳を侵害する10の誘惑」について説明を受ける。車の運転中に前の車の挙動にイラつく、満員電車でぶつかってきた相手に腹を立てる……いずれも誰もが持っている弱さの例だ。ここから最後のグループワークへ。テーマは、「尊厳を侵害する10の誘惑に負けた経験を話してください」というもの。普段は決して話すことのない、自分の弱さについて話すと意外なことに参加者が「わかる!」と共感してくれる……。ここで、「弱さ(Vulnerability)」とは、人と人とをつなげる大切なものであることを参加者は学ぶことになる。
「弱さについて語り合うことで、共感→つながり→安心→笑顔という連鎖が生まれます。つまり、弱さには人をつなげる役割があるのです。特に日本人は、弱さを隠して生きています。泣いたり、怒ったりしている姿は人に見せない。弱さはマイナスだと教えられてきているのです。しかし、弱さには共感→つながり→安心→笑顔というチャンネルがあることを知ってほしいと思います」
メンセンディーク准教授は、ヒックス教授の「尊厳教育」の考えに触れたとき、東日本大震災で被災した人々を思い出したという。現場では、ボランティアに訪れた人々が、被災者に逆に励まされている場面に立ち会うことが多く、いつも驚かされた。振り返れば、被災した人々が、家や持ち物を失っても決して失われないもの……つまり、「尊厳」に目覚めていたのではないかと気づいたのだという。そして、支援のために、ただ過ぎて行く日々のなかで、自分は自らの「尊厳」について考える余地もなかったことも改めて認識した。
自分に嘘をつくことは、自分の尊厳を傷つけること
日本の子どもの幸福度は先進国では低い水準で、悩みを抱える小中学生が自殺に至るケースも少なくない。こうした危機的な状況を解決するヒントが「尊厳ワークショップ」の中にあるとメンセンディーク准教授は考えている。
「ワークショップに参加した学生のひとりがこんなことを言いました。飲み会に参加したとき、オレンジジュースを飲みたかったのに、みんながビールを頼むからと一緒にビールを飲んだ。どうしてみんなに合わせたのか……と。日本では、なんでもないことと思われがちですが、人の目を気にして自分に嘘をつくことは、自分の尊厳を自分で傷つけることになる。ここに気づいてほしいのです。日本の小中学生は、集団生活の中で多かれ少なかれ、自分で自分の尊厳を傷つけています。だからこそ、私は、小中学校の先生にこそ、尊厳ワークショップを受けてほしいと思っています」
日本人に合う「尊厳教育」を探究する
震災時のトラウマを克服し、再び来日したのが2014年。関西学院大学宗教センター勤務を経て、2018年から桜美林大学ビジネスマネジメント学群での教職を得た。現在は、キリスト教関連の授業を担当しながら、学内・学外で「尊厳ワークショップ」も積極的に行っている。さらに、現在は町田キャンパスの教員と研究チームを立ち上げ、学内の研究費を申請し、2028年3月を目標に「尊厳」の教科書作成のプロジェクトも進めている。「尊厳」に関する教材開発の必要性は以前から感じており、これを自らの新たなミッションと位置づけている。
「今、自分がビジネスマネジメント学群にいる意義について考えています。私の授業は経営戦略やマーケティングとは異なります。人間の生き方、人間関係、自分を大切にする方法などを学ぶのが中心です。ただ、これはパワハラや不正がはびこる現代社会において、実は大きな意味があるのではないかと思うのです。英語でToxic working environmentと言いますが、有害な職場環境で働くことを望む人はいません。そのためにも経営者や管理職が『尊厳』への理解を深めることが重要です。日本文化のなかで、日本人に合う『尊厳教育』をこれからも探究していきます」
教員紹介
Profile
メンセンディーク ジェフリー准教授
Mensendiek Jeffrey
1961年、アメリカ生まれ。プロテスタント系宣教師の父親と一緒に1964年に来日し、東北地方で2歳から19歳まで過ごす。日本で高校を卒業後、アメリカの大学へ進学し、歴史哲学を専攻。その後、ネパールで英語教師などの経験を経て、1989年 Pacific School of Religion新約学修士課程修了。1990年に来日し、Common Global Ministries日本基督教団東北教区センターエマオ宣教師に。2011年の東日本大震災後、一時アメリカに帰国し、2014年より関西学院大学宗教センター神学部宗教主事を経て、2018年より桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授兼チャプレン(聖職者)。専門はキリスト教学、Peace Studies。プロテスタント系宣教師の顔も持つ。
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