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ファッションビジネスの命運を分けるのは、
世の中の動向に応じたパラダイムシフト
商社や銀行の内定を蹴って、
大手総合アパレル会社に入社
近年、テクノロジーの進化によって物事が複雑化し、私たちは常にめまぐるしい変化に晒されている。先行きが見えない環境においてビジネスで生き残っていくためには、世の中の動きを的確に捉える“眼”を養い、柔軟に適応していくことが不可欠だ。特にファッション領域における消費者の好みを把握し、シーズンごとに新たな商品を展開していくファッションビジネスでは、世相を読み解いたうえで限られた資源を迅速かつ適切に配分するスキルが命運を分けると言っても過言ではない。
そんなファッションビジネス業界で約30年もの間、外資およびドメスティックのファッション企業におけるブランドマネジメントに従事してきたのが、ビジネスマネジメント学群の馬塲正実教授だ。
のちにファッションビジネスの商品企画から店舗開発、販売研修まで、企業の課題をワンストップで解決するコンサルティング業務に従事することになる馬塲教授の最初のキャリアは、大手総合アパレル会社である株式会社ワールド(以下、ワールド)のブランドマネジメントだった。
早稲田大学社会科学部社会科学科に入学し、経営戦略やマーケティングに強い関心を寄せていた馬塲教授は、ヒト・モノ・カネなどの経営資源の効率的な分配をはじめとした組織運営全般について学ぶ「経営管理」ゼミに在籍。OBが勤務する企業に直接ヒアリングをしたり、企業側から提示された課題をもとに最適解を導き出したりと、第一線で活躍する実務家との交流の中で“揉まれ”ながら、ビジネスの基礎を培っていったのだという。
馬塲教授が就職活動をしていた1980年代後半はバブル真っ只中で、大手商社や銀行が人気の就職先だった。馬塲教授自身もそうした企業にエントリーし、いくつもの内定を勝ち取ったが、最終的にはワールドへの入社を決めた。その理由として馬塲教授は、「ビジネスモデルの新奇性」を挙げる。

「バブル全盛期だった当時はほとんどの企業が成長しきっており、業務もルーティン化されていました。一方で、ワールドは競合他社にはないビジネスモデルを打ち出していた。新たなサービスやニーズを生み出している会社に入ったほうが自分自身も成長できるのではないかと考えたのです」
馬塲教授を魅了した同社のビジネスモデルとはどのようなものだったのだろうか。当時のファッションビジネスは、展示会を通じて小売店に卸売りをするBtoBが9割を占める時代。多くの会社がジャケットやパンツといった特定のアイテムごとに訴求し、それらを1着でも多く受注することを目指していたのに対し、同社は各小売店が取り扱う全ジャンルの商品を1社で賄えることを売りにしていた。要するに、それまで小売店はさまざまなブランドの展示会に足を運んで買い付けしなければいけなかった一方で、同社の展示会に足を運べば1年分の各種ラインナップが買い揃えられたのである。
加えて、ディスプレイをはじめとした演出を通じて顧客の購買意欲を高めるVMD(Visual Merchandising)や販売員の接客技術の教育、店舗展開を拡大する際の資金繰りや出店計画の相談など、商品を販売するだけでなく、小売店と“2人3脚”で事業運営をするマネジメント業務を含めたビジネスモデルを展開していたのである。
この革新的なビジネスモデルは「オンリーショップ政策」と呼ばれ、同社が得意としていたニット製品の品質の高さやバブルという時代背景の後押しも受け、右肩上がりに業績を伸ばしていった。新卒で入社した馬塲教授もまた同政策に約5年携わり、取引先への卸売りや店舗開発など、ブランドマネジメント業務の礎を築いていったのである。
バブル崩壊後のパラダイムシフトで
SPAブランドへの大転換を経験
他に類を見ない「オンリーショップ政策」で独自のポジションを確立したワールドだったが、その栄華は長くは続かなかった。1991年から始まったバブル崩壊の影響を受け、1992年頃から返品や滞納が増加。特に同社の商品だけでラインナップを構成していた小売店の経営不振がダイレクトに響き、路線変更を余儀なくされた。
企業経営に限らず、過去の成功体験は手放しがたいもので、方向転換をするにしても元の体制をある程度維持しようとするのが一般的な発想だろう。しかし、同社は1992年から抜本的な「パラダイムチェンジ」をキーワードに、社を挙げて時代に即したビジネスモデルを模索し始めた。そうして生まれたビジネスモデルが自社で直営店を持ち、企画・製造から販売までを担う、いわゆる「SPA(製造小売業)モデル」だった。
「当時所属していた会社はニットの品質の良さに定評がありましたから、『良いものが作れるなら自分たちで売ればいい』という発想のもと、ものづくりが得意な社員はものづくりで、商品計画が得意な社員は商品計画の領域でと、社員一人ひとりがそれぞれの持ち場でビジネスモデルを作り上げ、自社ブランドを育てていきました。私自身もまた、その過程で蓄積されたバーチャルSPAのノウハウを用いて会社の『パラダイムチェンジ』に貢献していったのです」
1993年頃から全社を挙げて取り組んだSPAブランド施策は急速に勢いを増し、1998年頃には全体の売り上げに占める卸売りと小売りの割合が逆転。1991年に約1,300億円あった卸売りの売り上げは全体の1割程度、200億円に縮小した。
今でこそアパレル業界において「UNIQLO」をはじめとしたSPAモデルが主流となっているが、こうした製造小売業のビジネスモデルを確立したのは、日本のアパレル企業においては同社が初めてだったのではないかという。馬塲教授にとって、新卒一社目でのこれらの経験がその後のキャリア形成に大きな影響を与えたことは間違いないであろう。
ファッションビジネスの大変革期の経験を活かし、
コンサルタントとして独立
コンサルティング会社創立直後から
世界的ラグジュアリーブランドのマーケット開発を担当
会社の大変革期に立ち会う中でファッションビジネスにおける卸売りと小売りの両方を経験し、店舗開発から、商品構成の決定や在庫管理などのマーチャンダイジングまでを手掛けてきた馬塲教授。そのノウハウを世に広く還元すべく、2000年には同社の役員とともにファッションビジネス領域のコンサルティング会社を立ち上げ、独立を果たした。
今後の事業展開の方向性を思案していた矢先、舞い込んできたのは世界的なラグジュアリーブランド「KENZO」からの日本におけるマーケット開発の依頼だった。当時、同ブランドは同じく世界屈指のラグジュアリーブランドグループの傘下に入ったばかりでライセンス契約が一切許されないなど、マーケット開発を担う立場にとっては厳しい環境にあった。
「当時、国内には直営店2店舗と百貨店内の23店舗が展開されていて、そこで販売する商品は、ジャパン社のMDチームがパリにシーズンごとに足を運んで直接買い付けていました。ラグジュアリーブランドは特定の国に向けた商品を作らないため、日本で売れそうな商品を意識して選ばなければなりません。また、買い付けができるのはコレクションのときのみで、追加発注ができないため、在庫の過不足が出ないように調達するのに苦労しました」
馬塲教授は外部コンサルの立場でありながら、同ブランドのオフィスに席を設けられ、自らも同社の社員とともに現場の業務に従事。当時の同ブランド社長で、のちにザラ・ジャパンCEOやLVMHジャパンの社長を務めることになるノルベール・ルレ氏とも膝を突き合わせて協働しながら日本におけるマーケット開発を進めていった。
商社傘下のアパレル事業会社で
ライセンスビジネスのマネジメントを歴任
世界的ラグジュアリーブランド「KENZO」のマーケット開発を終えた後は、日本の大手商社である伊藤忠商事株式会社から声がかかった。同社には自社のアパレル領域にはアパレルを生産する「繊維部門」と「ブランドマーケティング部門」と呼ばれるライセンスビジネスを行う部署があり、伊藤忠商事100%出資の事業会社において、馬塲教授は「カステルバジャック」やメンズの「ヴィヴィアン・ウエストウッド」などの世界的に名のあるブランドのライセンスビジネスのマネジメントを5年間担当することになる。
ライセンスビジネスとは、ブランドとライセンス契約を結んだ会社が「マスターライセンシー」になり、一般的に売上金の数%がマスターライセンシーに支払われるビジネスモデルのこと。直前まで携わっていたラグジュアリーブランドではライセンス契約が一切許されていなかったため、それまで幅広い経験を積んできた馬塲教授にとっても挑戦だったが、同時に複数のブランドマネージャーを兼任。多忙な日々を送る中で、新たなノウハウを蓄積していった。
さらに、そうしたマネジメント業務の傍らで「QVCジャパン」や「ジュピターショップチャンネル」といったファッション感度の高い層に向けたテレビショッピング番組に出演。そのほか、ショッピングモールへの店舗展開も手がけるなど、活動の裾野をさらに広げていった。
世の中の動向を読み解いた研究を通じて、
日本のファッションビジネスの戦略を提言
デフレ時代の企業戦略を模索するため、大学院に進学

大学卒業後から約20年にわたってアパレルビジネスのブランドマネジメントの第一線で走り続けてきたが、ファッション業界は2008年頃からいわゆるデフレ期に突入。それがのちに馬塲教授にとっての大きな転機となった。
ファッション業界のデフレの原因は人口減少などのマクロ的な要因もあるが、最初の大きなきっかけとなったのは、2008年のiPhoneの登場だったと馬塲教授は分析する。iPhoneの登場によって日本におけるeコマースの比率が急激に高まり、ファッション通販サイトを運営する株式会社ZOZOが勢いを増したほか、自社のECサイトを持つ企業が増えてきた。
また、アパレルを販売する実店舗も、従来の“主戦場”であった専門店や百貨店からショッピングモールへと軸足を移し始めた。馬塲教授が実務家としてのキャリア終盤で、テレビショッピング番組への出演やショッピングモールへの店舗展開など、新たなチャネル開発に携わった理由にも、こうした時代背景が反映されていたのである。
それ以前もバブル崩壊をはじめとした景気の変動を経験し、そのたびに新たな打ち手で道を切り拓いてきた馬塲教授だったが、「人口が増えていく時期の成功モデルはもはや通用しない」と実感し、立教大学大学院ビジネスデザイン研究科に入学。「人口オーナス期におけるファッション産業の企業戦略に関する研究」という自らの問題意識にもとづいた研究を行った。
修士課程1年目は3つのブランドマネージャーを兼任していたが、業務を終えた19時から週に数回の講義を受け、土曜日は朝から晩まで研究に励む日々を送った。業務との両立は決して楽ではなかったが、JALが事業再生をした際に当時の会長であった稲盛和夫氏の事業再生チームに在籍していた人や広告代理店で働く人、大手銀行で働く人など多様なバックグラウンドを持った同期たちとの交流は視野を広げる財産となったと当時を振り返る。
その後、担当教官であった高岡美佳教授の熱心な指導と研究者への道標もあり、同研究科の博士課程に進んだ馬塲教授は、ファッション領域の製品を広く普及させるための戦略について考察した「ファッション産業の企業戦略に関する研究-キャズム理論に着目して」を発表する。
「1970年代~80年代まではミニスカートが流行すればほとんどすべての人がミニスカートを履き、ベルボトムが流行した年は皆がこぞってベルボトムを履くなど、時代ごとの『トレンド』がありました。しかし、バブルが崩壊して以降は、全国民が熱狂するようなヒット商品はほとんど生まれていません。その背景には、趣向の多様化やファストファッションによる価格破壊などのさまざまな要因がありますが、いずれにしてもヒット商品を生み出せないファッション業界の現状には今でも危機感を抱いています」
キャズム理論とは?
キャズム理論は、1962年にアメリカの社会学者であるエベレット・M・ロジャースが発表した「イノベーター理論」にもとづいたものだ。イノベーター理論は新しい農薬が世の中に登場した際に、その農薬がどのように普及していくのかを示したもので、最初に新しい農薬を採用する人を「イノベーター」、次に採用する人を「オピニオンリーダー」、オピニオンリーダーの発信を受けて採用するのが「アーリーマジョリティ」、その次に「レイトマジョリティ」「ラガード」と呼ばれる層へと続いていく。このうち「オピニオンリーダー」と「アーリーマジョリティ」の間にある溝が「キャズム」と呼ばれる。キャズム理論では、製品が世の中に広く普及するためにはキャズムを超えなければならないとされている。
日本のファッションビジネスの未来を切り開く
「流通チャネル」と「ラグジュアリー戦略」に注目
ファッションビジネスのEC化率の高さから読み解く、
実店舗の価値の変容
博士論文ではキャズム理論を用いてファッション業界における戦略を分析した馬塲教授だが、以降の研究でも「世の中の動向を読んだうえで、ファッション業界の企業が進むべき方向を示してきた。
そんな馬塲教授の最近の主な関心は「流通チャネル」にある。近年、デジタル化が進み、Amazonをはじめとしたeコマースは消費者にとってごく身近な選択肢となったが、経済産業省の調べによれば、2023年時点で日本のBtoCにおけるEC化率はわずか9.38%にとどまっている。一方で、ファッションビジネスにおけるEC化率は2023年時点で約23%にも上る。
アパレル製品を購入する際、消費者には「サイズや素材の肌触りなどを実店舗で確かめたい」というニーズがあるように思われるが、実際はむしろECサイトを通じて購入する人が他領域と比較して多いのだ。
ただし、商品購入に至るまでに実店舗に全く足を運んでいないというわけでもない。実店舗で商品を見たうえでECサイトで商品を購入する「ショールーミング」を行う人もいる。また、情報をwebサイトで調べたうえで実店舗で商品を購入する「リバースショールーミング(ウェブルーミング)」を行う人も一定層存在する。
このような消費者行動の背景には、「実店舗の価値の変容」があるのではないかと、馬塲教授は仮説を立てる。今後のファッションビジネスの動向を捉えるためには、こうした消費者行動を引き続き注視し、店舗とECサイトそれぞれの機能や役割を分析していく必要がある。
日本のアパレルブランドが
SPAモデルからの脱却を図るべき理由
実務家としてのキャリア終盤でデフレと戦ってきた馬塲教授は、日本のファッションビジネスの突破口として「ラグジュアリー戦略」にも注目している。ラグジュアリーブランドは、消費者をその唯一無二のブランド価値で魅了し、不景気であっても一定の支持を受け続けているためだ。
「日本のファッションビジネス業界ではバブルが崩壊した1990年代前半から自社で生産から小売りまでを手掛けるSPAブランドが多くを占めており、消費者のニーズをいち早く取り入れようと各社が躍起になってきました。そしてヒット商品が生まれれば、他社が即座に追随し、世の中の商品が同質化していきます。同じような商品が市場に数多く出回れば、自ずと価格競争に追い込まれていくわけです。近年の日本のファッションビジネス業界における不況は、そもそもSPAモデルであることに起因しているのではないかと分析しています」
消費者のニーズや他社の動向に柔軟に対応するSPAモデルのビジネスモデルは、社会情勢の影響を受けやすく、デフレ時には共倒れになる危険性もある。自社のオリジナリティを守り続けるラグジュアリー戦略にこそ、日本のファッションビジネスが学ぶべきヒントがあるのかもしれない。
ファッションは世の中を変える
“ビジネスの可能性”を秘めている
約30年にもわたって変化の大きいファッションビジネスの第一線で活躍してきた馬塲教授。実務家としての仕事を離れた現在、教授として学生たちの指導にあたるのは「社会貢献」の側面が大きいと話す。
自らに大きな負荷を課して成果を上げてきた馬塲教授の指導は厳しい。まず一般的なゼミでは3年生と4年生の講義が分かれており、それぞれ1コマずつ受講することになっているが、馬塲教授のゼミでは1コマは座学を行うインプットの場として、もう1コマは企業に対する提案や新規ブランドを構築するアウトプットの場として設けられており、ゼミ生たちは2コマ分受講しなければならない。
このほか、ゼミ生たちは講義のカリキュラムを考える「企画グループ」、ゼミの活動を外部に向けて発信する「広報グループ」、企業研究をするために外部の実務家とリレーションする「渉外グループ」、ゼミ生の親睦のためにパーティーやったり合宿を企画する「交流グループ」という、いずれかのグループに振り分けられて各業務を担う。
こうしたマルチタスクに対応する能力は、複数のプロジェクトを並行して担当したり、仕事と家庭を両立させたりと社会に出てからの至るところで役立つのだと、自身の経験を振り返る。こうした指導は「社会に出てから幸せになるために」という“親心”にも近いコンセプトにもとづいて行われているのだ。
実務家から研究者、そして指導者として立場を変えながらも、「ファッションビジネス」という領域に一貫して携わり続けている馬塲教授のモチベーションは、同領域に最初に足を踏み入れた学生時代から変わらない。
「ファッションが好きで楽しみたいという動機からファッションビジネスに関わることも素晴らしいと思いますが、私自身は今も昔もファッションに“ビジネスとしての可能性”を感じています。今後もファッションからイノベーションを起こしたり、世の中を変える人材を輩出したりするために、『ファッションを科学する』ことを大切にしていきたいです」
教員紹介
Profile

馬塲 正実教授
Masami Baba
1963年、東京都出身。1986年に早稲田大学社会科学部社会科学科を卒業後、同年に大手総合アパレル企業「株式会社ワールド」に入社。外資及びドメスティックのファッション企業においてブランドマネジメントに参画。その後、実務経験を活かしファッションビジネスの商品企画から店舗開発、そして販売研修まで、企業の課題をワンストップで解決するコンサルティング業務に従事した。2012年に立教大学大学院 ビジネスデザイン研究科 博士前期課程 修士課程を修了し、2016年には同学科の博士課程を修了。2018年から桜美林大学 ビジネスマネジメント学群ビジネスマネジメント学類の准教授に就任し、2025年4月より現職。マーケティング、流通論及びファッション産業の企業戦略を専門とし、実務家としての経験と研究で得た知見をもとに学生たちを指導している。
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