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競争法を専門に
「公正」とは何かを模索する
市場の公正な競争を維持する「競争法」を研究
私たちの生活には、さまざまな財やサービスがあふれている。例えば、コンビニエンスストアに並ぶ多種多様で手頃な価格帯の商品、手軽なキャッシュレス決済、スマホのゲームアプリなどは、市場競争が維持されているからこそ実現できている。競争がなければ、社会の発展もない。しかし、この競争が正常に機能するためには、法的な秩序が欠かせない。もし秩序が崩れれば、競争が行われなくなって独占企業の台頭や不正取引が発生し、消費者の利益が損なわれる可能性がある。一方で、法的規制が過度に厳しすぎると、企業の創意工夫の邪魔になって経済の活力が失われ、結果として消費者に不利益をもたらしかねない。
こうした課題に対処するために重要となるのが「競争法」であり、大塚誠教授の専門分野だ。競争法の役割は、自由を前提としつつ公正な市場競争を維持し、社会全体に利益をもたらすこと。では、どのようにして自由であることと公正であることを同時に実現するのか。具体的な方法としては、違反行為への摘発率の向上やペナルティの適切な運用になると大塚教授は語る。
「ペナルティには、指導や課徴金などの行政措置、損害賠償請求や差止請求といった民事処分、さらに懲役刑や罰金刑といった刑事罰などがあります。これらの運用は国ごとに特徴があり、アメリカでは刑事罰と損害賠償請求が、EUでは課徴金が主流となっています。このような国際的な状況を踏まえ、私は大学院時代、日本におけるペナルティ引き上げをテーマに修士論文を執筆しました」
その後、実際に日本でも課徴金の引き上げが行われるなど、制度の変革が進んだが、大塚教授は次第に疑問を抱くようになる。ペナルティの強化が本当に公正な市場の実現に寄与しているのか。そして、「公正」とはそもそも何を意味するのか。この問いが、大塚教授の研究をさらに深めるきっかけとなった。
「公正」とは何か
競争が完全に自由なら、企業は「やりたいビジネス」を自由に行うことができ、法律の出番はない。だから競争法は、企業の「やりたいビジネス」を「禁止する」という、企業行動の邪魔をする形で運用される。そのため、「企業がなぜそのビジネスを選んだのか」を正確に理解し、「なぜそれが禁止されるべきなのか」という説得力のある理由を示す必要がある。納得感を欠いたルールは、どれほど整備されても守られることはない。では、「みんなにとっての公正」とは何だろうか。法を共有し、それを守るためには、社会全体で共有している共通善に由来することが重要であり、その考察には哲学や法哲学が深く関わると大塚誠教授は語る。
「公正を突き詰めて考えると、極めて難しい問いに行き着きます。たとえば、アダム・スミスが掲げた『レッセ=フェール』は、市場における自由放任主義の象徴として知られていますが、実際には完全な自由放任を提唱していたわけではありません。スミスが自由放任による市場の効率性追求を主張できたのは、人々が『他人からどう見られているか』を重要視しているという事実、すなわち市民同士の相互関係や公共事業を通じた社会への貢献が当然のように存在しており、人々は自由の行き過ぎによる社会への害悪を自主規制すると考えたからです。つまり、自由と公正を同時に実現するには、アダム・スミスのいう『他人の目』、つまり社会全体で共有される価値観や共通の意思が欠かせないのです。これは哲学的には『正義』と呼べるものです。しかし、『正義』を根拠づける『他人』の目とは、どの範囲のひとのことを言うのでしょうか。。競争法が国家単位で競争を守るための規制も正義ですが、市場での一人勝ちもまた、その企業や個人にとっては正義と言えるでしょう。この相反する正義をどう調和させるかが、公正を考える際の大きな課題です」
正義の概念については、アメリカの哲学者ジョン・ロールズの「正義論」がよく知られている。ロールズは「無知のヴェール」という思考実験を用いて、個々の属性が不明な状態で公正なルールを構築する方法を示した。ロールズが提起した議論は、さまざまな哲学者たちの議論へと発展し、現在にもつながっている。例えば、現在、アメリカの政治哲学者であるマイケル・サンデルは、公正を実現するために道徳や正義といった共通善を共同体で共有し、美徳を育むことの重要性を説いている。しかし、人々が「自分の所属する共同体だ」と無理なく認める範囲は家族や地域共同体などとても狭く、国家レベルまで拡張するのは困難だと大塚教授は指摘する。「公正とは何か」という問いは、単純な答えを許さない、極めて複雑な問題なのである。

競争法が機能しているとはどういうことか
市場において、一部のプレイヤーが独占的な支配を得て「勝者総取り」の状況になるのは望ましくない。競争が存在するからこそ、切磋琢磨による革新が生まれ、社会の進歩が促される。その競争を維持するためのルールとして存在するのが競争法だ。しかし、大塚誠教授は、競争には敗者が生まれる点にも目を向ける必要があると語る。
「競争のなかで敗れた者がすべてを失うような状況であれば、誰も挑戦しなくなるでしょう。そのため、競争法はセーフティネットとセットで考えなければなりません。かつてイギリスで実現していた『ゆりかごから墓場まで』の保障はその一例ですし、日本におけるセーフティネットの具体例としては、老後の収入を保証する年金、失業に備える雇用保険やハローワーク、生活困窮者を支える生活保護制度などが挙げられます。また、破産手続の免責も挑戦する者を支える仕組みの一例でしょう。セーフティネットがなければ、むしろ競争はさせないほうが良いという考え方も成立するはずです。しかし、日本では再挑戦の機会が保証されているため、競争を促進することに大きな意義があります」
市場において積極的に挑戦する姿勢は、経済学者ジョン・メイナード・ケインズが1936年に『雇用・利子および貨幣の一般理論』で提唱した「アニマル・スピリット」という概念で説明される。しかし、こうした精神を持つ人材は、社会において極めて貴重な存在であると大塚教授は指摘する。
「『ユニクロ』を生み出した実業家・柳井正さんの著書『一勝九敗』(新潮文庫)には、挑戦し続けることの大切さが綴られています。この精神こそが社会の進歩を支える鍵です。失敗しても再び挑戦できる市場環境を整えること。それが、競争法のもたらす公正のひとつの形と言えるのではないでしょうか。競争法は単なる規制ではなく、セーフティネットと併せて考えることで、挑戦と再挑戦を可能にする社会的インフラとなります。セーフティネットと連携した競争法の運用が、市場の活力を高め、公平で持続可能な社会の基盤を築いているのです」
コンピュータやインターネットなどに
夢中になった学生時代
高校時代の疑問が競争法への関心の原点
大塚教授は、大学時代に裁判官を目指していたが、その道を途中で断念し、大学院に進学。研究分野として競争法か知的財産法のどちらかを選択するか迷うなかで、ふと高校時代の経験が脳裏に浮かんだという。
「私が高校生だった頃、『雑誌やチラシに割引クーポンを付けること』が解禁されました。当時、新聞では『大企業にしかできないから』などのさまざまな理由で規制が行われていたと説明されていましたが、割引クーポンという消費者にとって有利な仕組みを禁止する理由として、正直あまり納得できませんでした。その疑問が、大学院での研究テーマを決めるきっかけとなり、競争法を専門に選ぶに至ったのです。裁判官を目指していた背景もあり、公正や正義というテーマには昔から強い関心を抱いていたのだと思います」
コンピュータリテラシー科目の指導員をしていた大学院時代
大学時代、大塚教授が「公正」や「正義」といったテーマ以外に興味を抱いていたのがコンピュータだった。その興味の芽生えは、1970年代後半のインターネット黎明期まで遡る。
「NECのトレーニングキット80(TK-80)をご存知でしょうか。日本のパソコンの元祖とも言われる機器で、兄が購入してきたそれを使って一緒にインベーダーゲームを楽しんだ思い出があります。この体験をきっかけに、コンピュータに親しみを持つようになりました。高校時代には、現在の基本情報技術者試験の前身にあたる第二種情報処理技術者試験の資格を取得していました。そして、1987年、大学1年次に学内でのインターネット利用が許可されたことは非常に刺激的な出来事でしたし、大学生時代からコンピュータ利用の指導員も務めていました」
そんななか、倫理学や社会思想史を専門とする城塚登教授の退官講義があった。その内容は実に慧眼に優れており、「社会の情報化は急速に進展して不可欠なものとなり、大きな利益を生み出す一方、インフラやインターネットのプラットフォームが社会問題化し、特別な規制が必要になる」といった話が展開されたという。
「頭のいい人はすごいですね。当時、インターネットの実態が一般にはほとんど理解されていない時代に、ここまで未来を見据えた視点を持っていたことに感銘を受けました。この講義を通じて、研究者は未来の可能性を見通し、社会に貴重な示唆を与えることができる存在だと深く感じました」
デジタル領域への関心が
法学の研究と接続した
情報社会の進展により、デジタル領域が競争法の研究対象に
デジタル技術の進化に伴い、コンピュータを中心とした産業が急速に発展する一方、それを規制する法学の分野も発展してきた。個人情報保護法や不正アクセス禁止法といった法整備が進み、現在では、表現・言論の自由、著作権、電子商取引など幅広い領域を含む「情報法」という新たな学問分野が形成されている。また、GAFAM(Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoft)をはじめとするビッグテック企業がプラットフォームの規模を急拡大させ、一部の市場における競争を阻害しつつあるのみならず、個人の意見形成にまで大きな影響を与える状況が生まれたことで、情報法と競争法の関係は密接なものとなった。これにより、競争法を専門とする大塚教授の研究領域にも情報法が不可欠なテーマとして加わったのだ。
「現在、GAFAMを代表とする米国のビッグテック企業の規制を行うための主戦力として競争法が用いられていますが、その効果をどこまで発揮できるかは簡単ではありません。市場の複雑化や技術の進化が著しいなかで、今後の動向を慎重に見守る必要があります」

競争法を起点に多様な学問領域を横断しながら「公正」を模索したい
現代的な競争法の起源は約135年前、カナダやアメリカで相次いでで制定された反トラスト法に遡る。同法は、企業の合併や持株会社設立・議決権信託による独占資本の形成、すなわち、いわゆる「トラスト」による競争の市場停滞を防ぐための規制だった。その後、現代において競争法はさらに進化し、デジタルプラットフォームを中心に新たな課題に直面している。
ビッグテック企業が提供するプラットフォームビジネスでは、消費者がデータを提供することで利便性が向上する一方、膨大な個人情報が収集され、プロファイリングやターゲティング広告に利用されている。こうした行為は企業の売上を爆発的に伸ばす可能性を生む一方、プライバシーの侵害や個人の意思決定を脅かすリスクを伴う。これに対し、EUはGDPR(一般データ保護規則)を導入するなどプライバシーの観点から包括的な対応を行っているが、アメリカでは収集された情報のもたらす利益が個人に十分還元されていない(個人からの利益の搾取)という側面に焦点が当てられ、事案ごとに法の適用を検討するアプローチが採られている。AIやデータ活用が進むなか、日本はどのような道を選ぶべきか。大塚教授は、こうした変化をリアルタイムで目の当たりにできることに法学研究の醍醐味を感じるという。
「規制を考える上では、公正や正義の視点が不可欠です。本来なら自由であるべきビジネスに、なぜ規制が必要なのか、その背景を理解し、納得感を得られるルールを構築する必要があります。未来を完全に予測することは難しいですが、市場のより良い未来のために、どのように公正をもたらすかの道筋を探ることが大切です。競争法や情報法の面白さは、さまざまな学問分野を横断して公正のあり方を模索できる点にあります。まだまだ不勉強だと感じることも多いですが、法学、哲学、経済学、倫理学、またIT技術など、多様な領域を跨ぎながら、公正とは何かを模索していきたいと思います」
教員紹介
Profile

大塚 誠教授
Makoto Ohtsuka
1967年、千葉県生まれ。東京大学大学院 法学政治学研究科 民刑事法専攻 博士課程単位取得満期退学。桜美林大学 経営政策学部ビジネスマネージメント学科 講師、桜美林大学 ビジネスマネジメント学群ビジネスマネジメント学類 講師、桜美林大学 ビジネスマネジメント学群ビジネスマネジメント学類 准教授を経て、2018年より現職。
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