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JALに40年勤めた教授による
“生きた知見”を学ぶ講義
マーケティング理論を
航空業界の事例に適用した「航空マーケティング」
航空会社といえば、パイロットや客室乗務員など華やかな職種を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、オフィスサイドでは、一般企業と同様に「4P(後述)」をはじめとしたマーケティングのフレームを用いて緻密な戦略を立案するプロフェッショナルたちもいる。つまり、航空業界におけるマーケターだ。桜美林大学には、こうしたマーケティングの理論を航空業界に適用したさまざまな現場の事例を紹介する授業がある。それが、ビジネスマネジメント学群の「航空マーケティング」だ。
この授業を担当するのは、同学群の藤田克己教授。大学卒業後、日本航空株式会社(以下JAL)で、客室や運航、営業などの企画部門を中心としたさまざまな部署を経験してきた。そのため、「航空マーケティング」の授業内容も藤田教授自身の体験にもとづく“生きた知見”を展開する構成になっている。
「航空機の仕組み、ファーストクラス・ビジネスクラスといった座席の仕様、JALの組織図など参照しながら、組織として収益を最大化する方法を一緒に考えていきます。特に機内の座席クラスの構成によってどのように利益が変動するか、インテリアや機内食などのサービスはどれくらい利益に貢献するかなど、パイロットや客室乗務員とはまったく違った視点で航空ビジネスを見ることができます。航空業界に関心を寄せる学生にとっては、マーケティングの観点から現場の仕事を概観できる貴重な機会になるでしょう」
航空マーケティングにおける「4P」とは
マーケティングの基本フレームである4Pとは「Product(販売する商品)」「Price(商品の価格設定)」「Place(商品を販売する場所)」「Promotion(商品の宣伝方法)」のことを指す。「4P分析」とも呼ばれ、自社のターゲットに対して効果的なマーケティング活動を行うための計画づくりの指針となる。藤田教授の「航空マーケティング」の授業では、まずマーケティングの「4P」を、JALのサービスに当てはめるところからスタートする。
航空業界と旅行会社の経営上の違いを学ぶ「航空旅行事業論」
藤田教授はJALに約40年間勤務する中で、JALグループの旅行会社である株式会社ジャルパック(以下、ジャルパック)の代表取締役を務めた経験も持つ。その知見を活かして立ち上げられた講義が「航空旅行事業論」だ。
これは航空会社と旅行会社それぞれの歴史や業績、商品・営業戦略など経営上の違いを比較しながら学ぶ講義で、藤田教授が2020年に着任してから新たに立ち上げられたものだ。藤田教授が同講義を立ち上げた背景には、ジャルパックの代表取締役に就任した際に抱いた“ある問題意識”が関係している。
「同じグループ会社であっても航空会社と旅行会社の利害が一致しないことがあることに気づきました。約35年にわたってJALに勤めてきましたが、私がジャルパックの代表取締役に就任するまでそのことに気づかなかった反省もあり、学生たちには知見を還元するために同講義を立ち上げたのです」
航空業界と旅行会社の利害の不一致とは、具体的にどういったケースを指すのか。
たとえば、藤田教授が同社の代表取締役に就任した2015年当時、国際線はビジネス利用が多く、インバウンド需要も高まっていたことから、航空会社であるJALは旅行会社であるジャルパックへの座席供給を控えていた。JALが自社で座席を販売したほうが利益率が高いので企業活動としては当然である。そのため、国際線においてはJALの業績は上がったものの、ジャルパック海外旅行部門の業績はあまり芳しくない状況だったという。
一方で、同時期の国内線は国際線と比較して搭乗率が低く、JALが自社で航空券を販売するにも限界があったことからジャルパックへの依存度が高まり、座席供給が強化された。また、観光商品のネット販売が急速に進んだことを受けて、顧客がインターネット上で飛行機と宿泊施設を自由に組み合わせた商品を購入できる「ダイナミックパッケージ」の予約サイトリニューアルを実施。こうした取り組みが追い風になったこともあり、国内線においてJALの業績が低迷する一方、ジャルパック国内旅行部門は業績を伸ばしていったのだという。
「航空会社と旅行会社は切っても切り離せない関係にあり、両者が手を取り合って双方の利益を最大化するべきです。しかし、ある局面においては利害が一致しないケースもあります。それはJALとジャルパックの関係においてのみならず、航空会社と旅行会社、あるいは航空業界と旅行業界においても見られる傾向です。それらを双方の現場にいた私の経験をもとに学生たちに伝えています」
JALに在籍した40年間で、
国内外の客室や運航、営業・企画部門などを経験

交通経済学のゼミにおける
航空領域の研究がきっかけでJALに入社
のちにJALで約40年勤めることになる藤田教授だが、最初から同社への入社を強く志していたわけではない。慶應義塾大学の商学部に入学した藤田教授がとりわけ熱心に取り組んでいたのは高校のときから憧れていた合唱部の活動だった。そのほか、大学1年次に縁あって北海道・十勝の牧場で3週間アルバイトをするなど充実したキャンパスライフを送ったが、そのときも主な移動手段は電車。大学卒業までは飛行機に一度も搭乗したことがない青年だったという。
そんな藤田教授がJALの入社試験を受けるきっかけになったのが、当時所属していた、増井健一教授の交通経済学のゼミだった。
「私は文系でしたが数学が好きで、且つビジネスの世界で行われている実例を解説してくれる実学的な講義をおもしろく感じていました。当時の交通経済学のゼミは、各々が自分の好きな交通手段について研究できる自由度の高さが魅力で、私は3年次には『JR(当時の国鉄)の赤字問題』を、卒業時には『国内航空市場』をテーマにした論文を書きました。JALの入社試験も『せっかく航空について研究しているのだから』と半ば“記念受験”の感覚で受験したのです」
1970年代後半に起きたオイルショックの影響で、航空業界が新卒を採用しない年が数年続いたこともあり、日本航空の新卒採用は非常に狭き門だった。就活生からの人気も当時から高く、「受かるはずがない」という想いで臨んだ試験だったが、見事合格。1981年の入社から40年間にわたる“JAL人生”が始まることとなった。
入社5年目に御巣鷹山事故を経験し、
パイロット世話役として奔走
入社後は自ら挙手した札幌支社の旅客課に配属され、カウンターで航空券を販売する窓口業務を約1年半担当。その後は国際線の客室乗務員を1年半ほど経験し、以後も運航や営業の現場、企画部門などのさまざまな領域を渡り歩き、中国やタイ、オーストラリアでの海外勤務も経験した。
2010年に北海道地区支配人として再び札幌に赴任するまでの約30年間で10以上の異動を経験した藤田教授の“JAL人生”の中でも、とりわけ忘れられない出来事となったのが、1985年に起きた御巣鷹山事故だ。乗客乗員524名中520名が死亡した同事故が発生した当時、入社5年目の藤田教授は、運航本部のボーイング747運航乗員部にて、まさに同機パイロットのスケジュール管理を担当していたのだ。
「事故が起きた翌日早朝から、私は同機のパイロットのご家族とともに現地に向かい、ご家族に代わって日用品の買い出しをしたり、ご遺体の確認のために現地や警察に行ったりとできる限りのことはなんでもさせていただきました。最終的には事故原因はボーイング社の整備不良だったことがわかりましたが、当初はパイロットの操縦ミスではないかとも報道されていたため、マスコミからご家族を守るべく、宿泊先を変更したり、ご家族に代わって電話に出たりといった対応もさせていただきました」
現在、JALに勤めている社員の中にも、御巣鷹山事故当時のことを知る人は少なくなった。「この悲劇を忘れないために」という想いから、藤田教授は退職前にJAL社員に向けての講話を行ったほか、2024年には桜美林大学のゼミ活動の一環としてゼミ生とともに現地を訪問して当時の話を語るなど、航空安全の原点を後世に伝えている。
ジャルパックや日本空港給油の代表取締役社長を歴任
国内外のさまざまな現場を経験し、2010年に北海道地区支配人に就任した藤田教授。北海道内の支店と空港、貨物の統括を担った。その後、2015年には航空会社と旅行会社の経営上の違いに気づく契機となったジャルパックの代表取締役社長を経験。旅行業のトレンドが変わりつつあった当時、個人旅行や女性層の取り込み、Web販売の強化などを掲げ、新たな販路を拡大していった。
そんな藤田教授にとって現役最後のフィールドとなったのが、日本空港給油株式会社だった。同社は成田空港のオープンとともに創設された会社で、空港内のすべての飛行機に航空燃料を積み込む作業を行うなど、空港運営に欠かせない重要な存在となっている。
ENEOSや出光といった石油の元売会社も出資する会社で、JALグループではないものの、長年JALが筆頭株主であった背景や航空領域のノウハウがあることなどから、藤田教授が代表取締役社長に抜擢されたのだ。そこで、「職場環境の改善」や「安全意識の徹底」などの改革に乗り出したが、そんな藤田教授のもとに桜美林大学からオファーが届いた。
実は藤田教授が同大学からオファーがあったのは初めてではなかった。1度目のオファーはジャルパックの代表取締役社長に就任したてだったこともあり断ったが、2度にわたる大学からの熱烈なオファーを受け、承諾。
「約40年勤めたJALへの恩返しをしたい」という想いのもと、航空の現場で培った知見を学生たちに還元し、JALをはじめとした各航空会社に向けて優秀な人材を輩出している。
実学的な学びのもと、
航空業界に多くの学生を輩出

8割の学生が航空業界に進むゼミ
20名の定員に対し、定員をはるかに超える応募が殺到
そんな藤田教授のゼミでは、現地に赴き、現物を見て、現人(経験者)の話を聞く「三現主義」を重んじ、実例に即した研究を大切にしている。先に触れた御巣鷹山の訪問のほかにも、2011年に被災した仙台空港や2024年の能登半島地震で影響を受けた小松空港を訪問するなど、大学を飛び出して現場に触れる活動も多い。
そんな藤田教授のゼミには優秀な学生が多く、2025年3月に卒業したゼミ生は7名がJALや全日本空輸株式会社(ANA)などの大手航空会社の客室乗務員となり、全19名のうち16名が航空業界に歩みを進めている。こうした実学的な内容や就職率の良さを魅力に感じてか、毎年のゼミ公募では定員をはるかに超える応募があるなど、ビジネスマネジメント学群の中でも人気の高いゼミとなっている。
ハワイの航空・観光の現場に触れられる「海外ビジネス研修」
ゼミに入れるのは一握りの学生のみだが、藤田教授が担当する講義には「航空輸送産業実習」や「フィールドトリップ」など現場の訪問や実務の一部を体験できるものも少なくない。特に「海外ビジネス研修」では、ハワイのJAL空港や機内食工場を視察できるなど、一般的な観光客としては訪れることができない場所を訪問できるのが魅力だ。
「『海外ビジネス研修』は私がJALやジャルパックに勤務していた経験を活かし、現地のさまざまな方々の協力を得ながら行程を組むオリジナルの研修です。ハワイのJAL空港や機内食工場、ホテルビジネスの現場、ブライダルのチャペル、ディズニーホテルの見学のほか、SDGsという観点から現地の海岸のビーチクリーンに参加するなど、航空や観光業界で活躍する人材を輩出すべく、各業界の学びをふんだんに盛り込んだプログラムになっています。実際に私のゼミ生以外でも、参加者の中からJALの客室乗務員になった学生やジャルパックに入社した学生なども増えてきています」
未来ある若者を航空業界に送り出し、
「世界平和」に貢献したい
現在は桜美林大学でゼミを含めた複数の講義を担当するほか、同学新宿キャンパスの吹奏楽サークル「Shinreeze(シャインリーズ)」の顧問として公演時には指揮者を務めるなど、学生たちに広く指導にあたっている藤田教授。
また、プライベートでは大学時代に熱中した混声合唱を現在に至るまで続けており、過去には東京交響楽団の専属合唱団への在籍やシドニー支店赴任時に現地のオペラハウスで、また札幌勤務時には札幌ドームで国歌斉唱を歌った経験を持つ。JALでの約40年間の勤務は決して楽しいことばかりではなかったというが、趣味にも全力で取り組むことで、多忙で背負う責任も大きい“仕事人”としての自分を支えてきたのだという。
そんな藤田教授が「航空業界における知見を学生に伝えたい」というモチベーションは“JALへの恩返し”に加え、“平和への貢献”にもあるのだという。
「近年、世界各国で自国主義が急速に進んでいますが、皆が手を取り合って幸せになれる社会を目指すべきだと考えています。その中で各国を行き交うきっかけをもたらす航空や観光といった領域は、平和に貢献できる産業だと思います。私は自分を育ててくれた業界に学生を送り込むことで“恩返し”したいという想いもありますし、彼らには仕事を通じて世界平和に貢献してもらいたい。未来ある若者にこれからの夢を託すつもりで、これからも指導にあたっていきたいです」
教員紹介
Profile

藤田 克己教授
Katsumi Fujita
1958年、栃木県出身。1981年に慶應義塾大学商学部を卒業し、大手航空会社に入社。客室、運航、営業の現場および企画部門を中心にさまざまな部署を経験し、約40年間勤務した。中国、タイ、オーストラリアでの海外勤務、北海道地区の代表、旅行会社や空港給油会社(成田)での経営など、航空および関連業界での幅広い実務経験をもとに、航空会社のマーケティング、航空と旅行の事業関係性、予約システムなどについて論じている。2020年9月より現職。
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