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パリ、バンコク、香港の空港で
合計約10年間の海外駐在勤務を経験
パリのシャルル・ド・ゴール空港で
空港現場業務のマネジメントを務める
日本航空(JAL)に39年間在籍していた扇山徹准教授。新卒入社後の5年間は、乗客の搭乗手続きや国際線の客室乗務員研修など、空港・客室・営業の現業部門に従事した。その後、海外研修の一環でフランスのトゥールに派遣。まずは語学研修生として、フランス現地の家庭にホームステイをさせてもらいながら、現地の学校でフランス語の修得に励んだ。
「トゥールでの語学研修の半年後、パリのシャルル・ド・ゴール空港で現地のスタッフを部下に持ち、マネジャーとして空港の現場業務を務めました。フランスには『バカンス』という文化があり、休むときはしっかり休むという気質があります。そうした日本人の常識が通用しない異文化に触れながら仕事ができたことは、将来のマネジメント業務につながる貴重な経験だったと思います」
扇山准教授がJALへの入社を決意したのは、日本とは異なる海外のカルチャーに触れたいという思いからだった。その背景には、大学時代にアラバマ州立大学に留学した際の経験があったと話す。
JALへの入社を決意したのは
大学時代の留学がきっかけ
アラバマ州立大学があるアメリカの南部には、『サザン・ホスピタリティ』という文化がある。これは直訳すると『南部のおもてなし』という意味で、南部を訪れる人々を温かく迎え入れるという地域住民の親切心を指している。扇山准教授は、これに魅了された。
「現地の人たちはどのような人でも明るく受け入れてくれて、恥ずかしがり屋な日本人の気質とは大きく違っていたことをよく覚えています。この経験がポジティブなカルチャーショックとなって、さまざま異文化に触れたいと思ったのです。パリのシャルル・ド・ゴール空港での業務は、そうした私の願いが叶えられた一つ目の機会でした。空港カウンターに盆栽を飾ったり、七夕の期間には空港の一角に笹と短冊を置いたりして、日本文化を紹介しながら現地の人々と交流したことはいい思い出です」

海外空港の所長や部長を歴任
日本に帰国後、ジャパンエアチャーター(後の JALウェイズ)に出向し、採用人事などの総務全般の業務を担当。その後、バンコク支社に異動し、現地の学生を採用して客室乗務員になるための教育や研修なども行なった扇山准教授。そして再び日本に帰国する。
「バンコクから日本に戻ってきて、羽田空港での空港の現場業務を担当した後、本社の空港運営企画部門に異動しました。ここでは、JALとJAS(日本エアシステム)の経営統合に伴う、新たな枠組みを策定する業務を担いました。要するに、一つの企業として運営できるように社内体制を再構築したのです」
空港運営企画部門での業務を経験した後、香港国際空港の空港所長と貨物所長、アジア・オセアニア地区部長、JALスカイの国際部長などの部長職を歴任し、中部空港と福岡空港の支店長も務めた。香港国際空港の所長時代には、2010年にJALが経営破綻した影響もあり、現地スタッフの解雇を含む厳しいリストラも行わなければならなかった。これは今でも心の傷として残る大変辛い経験だったという。
支店長を務めた後、JALスカイ九州の社長となり、旅客サービス業務や航務業務を行う企業のトップとして従事。その後、JALの最後のキャリアとなる本社オペレーション本部のオペレーションコントロール部門に異動となる。
JALの心臓部
IOCでミッションディレクターを務める
社長に変わり意思決定を行う日常運航の責任者
扇山准教授がキャリアの最後に所属した「オペレーションコントロール部門」とは、いわゆる「IOC(インテグレーテッド オペレーションズ コントロール)」と呼ばれる組織のこと。運航管理業務(ディスパッチャー)やロードコントロール業務といった運航に携わる各部門をとりまとめるとともに、悪天候や機材故障などを考慮し、その他あらゆるイレギュラー事象にも対応することが求められる。扇山准教授はそのなかでも「副本部長、兼 オペレーションコントロール部長、兼 ミッションディレクター」というIOC全体を指揮する立場を担っていた。
「ミッションディレクターは、日常運航の責任者であり、社長に代わって最終的な意思決定を行う権利を委ねられています。パイロット、客室乗務員、航空整備士など、さまざまな部署の出身者で構成されており、各分野のプロフェッショナルを集めた約8人のチームです」
ミッションディレクターとしての任務を遂行するなかで、特に大切にしていたのは、「安全」が第一優先であるということ。決して無理をさせず、運航を中止させることも躊躇わなかったという。そうした扇山准教授の強い意志の背景には、入社時の経験が関係している。
「日本航空123便航空事故」の経験が、強い意志を形成した
「私が入社した1985年4月のわずか4か月後、日本の航空業界において最も重大な航空事故が発生しました。乗客乗務員520名の死者を出した『日本航空123便航空事故(御巣鷹山事故)』です。研修を終えたばかりの新人だった私は、ご遺族への対応業務を半年以上行うなかで、このような事故は絶対に起こしてはならないと強く胸に刻みました。それと同時に、お客様や仲間の命をいかに守るかが永遠のテーマとなったのです」
日々の運航業務において不安全事象が起きた場合、ヒューマンエラーが関わっていることが多い。しかし、人間はミスをする生き物であり、例えばダブルチェック等のヒューマンエラーを無くすための手順だけを追加して見直すということだけでは現実的な解決策とはなり得ないと扇山准教授が語る。ミスをいかに未然に防止するかという方法を考えるなかで、扇山准教授が実践していたのは、「徹底的に褒めること」だった。

よりよい航空業界の実現のため
「安全とサービス」の両立を目指して
「日本航空123便航空事故」を知る最後の世代として
2024年3月にJALを退職した扇山准教授が懸念していることが一つある。それは自分たちの世代が「日本航空123便航空事故」を航空現場の従業員として経験した最後の世代ということだ。JAL在籍時には、新入社員などに対して当時の経験を伝えたり、日本航空グループの全役員・全社員に対して安全講話をしたりしていたというが、そういった機会も減ってしまうのではないかと心配している。
「『日本航空123便航空事故』が歴史の一部になってしまうことは絶対に避けなければいけない。そのため、航空業界を目指す桜美林大学の学生にも『安全が全ての大前提であること』を伝えていくことが、今の私の使命であると考えています」
研究の軸は「安全とサービス」
航空の現場においては些細なミスが、命を失う事故につながりかねない。そのため、「安全」を第一優先にすることは絶対条件だが、それに伴うお客様の損失をいかに「サービス」で補填するかが大切になってくる。扇山准教授は、JALでの経験を糧に「安全とサービス」を軸に研究を進めていきたいと話す。
「例えば台風が発生し、この先のフライトが不透明になった場合などでは、鉄道会社の計画運休のように早期の欠航を決定し、空港閉鎖してしまうことが近年増えてきました。これは異常気象が続く中、年々激甚化が進んでおり、命を守る選択を最重要に位置付けているからです。そして、全額払い戻し対応を迅速に行なったり、航空券をそのまま次のフライトで使えるようにしたりするなど、個々のニーズに合ったサービスを展開することで、お客様の損失を補っていく。この安全とサービスの相互作用が、今後の航空の現場においてますます重要になっていくと思います」
教員紹介
Profile

扇山 徹准教授
Toru Ogiyama
千葉大学法経学部経済学科卒業後、日本航空(JAL)に39年間在籍。主に空港の現業部門、本社の空港企画部門、オペレーションコントロール部門に携わり、パリ・バンコク・香港の空港で合計約10年間の海外駐在勤務を経験。香港空港所長/貨物所長、アジアオセアニア地区部長、JALスカイ羽田国際部長、中部空港支店長、福岡空港支店長、JALスカイ九州社長、ミッションディレクター、オペレーション本部副本部長を歴任。桜美林大学の非常勤講師を経て2024年4月から現職。
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