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念願のパイロットデビューと同時に
安全管理の重要性を胸に刻む
航空基地で見た景色に魅了され
将来の目標が定まった
いつも忙しかった父親が、ある日いきなり自衛隊の基地での航空祭に連れていってくれた。航空学群の堤正行教授にとって、この不思議な出来事が航空業界を目指すきっかけになった。飛行機が飛ぶ美しい姿、凄まじい音と燃料の匂い、そして働く人々の真剣な表情に魅了され、自分の将来が決まったような気がしたと語る。
「航空業界にもさまざまな職種があることは知っていました。その中でもパイロットを選んだ理由は、大好きな飛行機を操縦し、日本を飛び出して世界を見たいと考えたからです。明確な将来像を見つけた私は航空大学校に入学し、勉強はもちろんのこと体力づくりにも励みました」
“臆病さ”はパイロットにとって
重要な素質かもしれない
厳しい選抜を乗り越えて日本航空に入社した際、堤教授は「ようやく夢のスタートラインに立ったのだ」と安堵する気持ちでいっぱいだった。入社後はフライトの経験を積み、やがてジャンボ機の機長に昇格。仕事に対する充実感を覚える日々が続いた。しかし、パイロットとしてフライトを重ねる中で、空の怖さも実感していた。
「私がセカンドオフィサーとして搭乗するようになった1985年に、『日本航空123便墜落事故』が発生しました。この悲惨な事故は私の胸に深く刻みこまれると同時に、私の元来の性格である“臆病さ”がパイロットにとって必要な素質かもしれないと考える機会にもなりました」

同じ悲劇を繰り返さないために
多角的な視点から事故対策を検討
安全管理の職務を歴任し
航空事故の対策に尽力
その後は機長を続けながら、本部業務にも携わるようになった堤教授。2007年には安全推進本部に所属し、以降、長年にわたって、運航の安全管理に関わってきた。航空技術が事故とともに発展を遂げてきたことは、歴史を見ても明らかである。同じ過ちを二度と繰り返さないため、技術的、人的、そして組織的な面から再発防止の取り組みに尽力してきたという。
「パイロットが人間である以上、単に飛行機の技術を向上させるだけでなく、多角的な視点から対策を講じる必要があります。さまざまな事故やミスの要因を詳細に分析し、同じことが起こらないような仕組みをつくる。それが本部で安全を守る私にとって最大のミッションでした」
ひと言で「ヒューマンエラーを防ぐ」という目標を掲げたとしても、それは簡単なことではない。パイロットが何を考え、何に悩み、どんな環境に置かれていたのか。そうした無数の条件から、ケースバイケースで事故やミスの真の要因を探る必要があるからだ。仕事のプレッシャーやプライベートの事情など、本人ですら無自覚な理由が潜んでいることもある。
「『なぜこの事例が発生してしまったのか』ということを事実確認から解明を始め、要因を分析した上で再発防止につなげていく。当事者となってしまったパイロットだけに責任を押し付けるのではなく、組織が一丸となって対策に取り組むことが、安全管理において重要な考え方です」
組織を健全に運営することが
パイロットの「心理的安全性」につながる
組織において、自分の考えや気持ちを誰に対しても安心して発言できることは「心理的安全性」を確保する上でとても重要だ。この「心理的安全性」が損なわれた際に大きな事故や重大な失敗が起きることがあるということを、堤教授は航空の安全に携わる中で何度も実感してきた。組織の体制が大きく変わったとき、あるいは経営状態が不調に陥ったとき。飛行機の操縦とは無関係に思われるこうした環境が、実はパイロットの心理に大きな影響を及ぼすこともある。
「何が仕事のモチベーションを下げているのか、その理由は現場の人間にしかわかりません。そして、事例が発生するのはいつも現場です。組織を健全に運営することが、現場で働く人々、そして一般のお客さまの安全を守ることになるのだと強く感じています」
緊急時を想定した訓練やマニュアルが
実際に多くの人々の命を救った
もちろん、「事故やインシデントを起こさない」ということは航空業界において最優先すべきテーマである。しかし、どれだけ注意していたとしても“万が一”が起こりうることもまた事実だろう。そして、この“万が一”の事態を常に想定しておかなければ、安全性の向上を実現することはできない。堤教授自身も事故やインシデントインシデントの処理を担当してきた中で、多くの学びや発見があったという。そのひとつが、緊急事態においても基本に忠実に対処することの大切さだった。
「航空業界では事故の被害を最小限にとどめるため、安全部門が中心となって日々の訓練や指導、マニュアルの作成などを徹底しています。しかし、それらが本当に有効なのかは、本当に必要なタイミングがこなければわかりません。実際に現場の社員たちが基本のプロセスに則って対応したことで、パニックに陥らず冷静に事態を収束できた事例もありました。真摯に守ることで、多くの人々の命を救うこともできるのだという、私の航空人生における重要な指針が確認できた瞬間でした」

航空技術の進化は目まぐるしいが
安全性を保つのは人間の役割である
心と体の健康が技術よりも重要
堤教授曰く、航空の安全性を保つ上で重要なのは、「心・技・体」ならぬ「心・体・技」の考え方だという。心身の健康を最優先にしなければ、どれだけ技術が優れていたとしても安全維持の目的は達成できないという教えが込められた言葉だ。こうした考えに基づき、堤教授は大学の授業において、フライトの技術だけでなく社会性や感受性といったマインド面でもヒントを与えたいと考えている。
「パイロットの人材不足によって、『技術さえあれば誰でもいい』という雰囲気になってしまうことがもっとも警戒すべき状況だと考えています。お客様や仲間の安全を確保し、航空業界で活躍し続けるためには、身体の健康と人間性がとても重要だからです。学生たちが夢に向かって目を輝かせている様子を見ると、こちらとしても全力で応えなくてはならないと気が引き締まる思いで授業に臨んでいます」
安全管理の経験を活かし「人間力」の教育を続ける
時代の変化に伴い、航空業界を取り巻く環境も大きく変動している。次世代のパイロットは、技術の進化そして深刻化する環境問題や社会情勢の悪化に柔軟に対応する力が求められるだろう。そうして身に付けた対応力は、組織の上に立った際にも必ず役立つと堤教授は話す。組織の柔軟性が社員の「心理的安全性」につながり、それはやがてフライトの安全性にもつながっていくのだ。
「これからの時代はこれからの航空人材に任せたいという気持ちもありますが、私自身にもまだまだ残された役目があると思っています。新しいテクノロジーに注目が集まっていますが、それをオペレーションするのはあくまで人間。安全管理に長い間携わった者として、これからも人間力の向上を含めたノウハウの発信を続けたいと考えています」
教員紹介
Profile

堤 正行教授
Tadayuki Tsutsumi
1982年、日本航空株式会社に入社。B747-400 運航乗員部機長、情報システム室企画部運航・客室・整備グループ 調査役機長(兼)運航業務部付、安全推進本部安全調査・研究グループ調査役機長、運航安全推進部長を経て、2019年に執行役員 運航本部長に就任。以降、執行役員 安全推進本部長、ご被災者相談室長、常務執行役員 安全推進本部長、取締役常務執行役員 安全推進本部長を歴任し、2024年9月に現職に至る。