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乗り物好きの少年が
パイロットになる夢を叶えるまで
日本航空では
機長や教官として幅広く活躍
航空学群の林譲治教授は1978年に日本航空(JAL)に入社し、それ以降長年にわたってパイロットとしてのキャリアを積み重ねてきた。入社当初は「DC-10」という機体の運行に携わり、セカンドオフィサー、ファーストオフィサーを経て1996年にはキャプテンに昇格。その後は大型ジェット機「ボーイング777」に搭乗するなど、無数のフライトにおいて機長を務めた経験を持つ。
「日本航空での仕事を経てジェイエアに出向してからは、『エンブラエル E-Jet』といった新機体の導入に関わっていました。海外の機体を日本で運用するためには、国内の法規制をはじめとするさまざまな条件をクリアする必要があります。そうした各所との調整のほか、新機体に搭乗するパイロットの訓練や国内職員向けのマニュアルづくりなど、私には多くのミッションが課せられていました。また、ジェイエアでは訓練部長や路線教官などの職務において人材育成にも力を注ぎました」
パイロットという狭き門を
通過するために努力を重ねた
林教授が人生で初めて飛行機に乗ったのは、小学生のときだった。当時から乗り物全般に興味を持っていたが、そのフライトの快適さにパイロットへの憧れを抱くようになったのだという。少年の憧れはやがて将来の目標になり、夢を叶えるために航空大学校に進学することを決めた林教授。しかし、目標に向かっていた当時は仕事に対する明確なビジョンを描く暇もなかったと振り返る。
「私たちの時代は、航空大学校に進学することが民間のパイロットを目指す上でほとんど唯一のルートでした。ただ、航空大学校を卒業しても、夢を実現するためには非常に狭き門を潜り抜けなくてはなりません。将来的なビジョンは後から考えればいいと思い、とにかく『航空会社に就職する』『パイロットになる』という最優先の目標を達成するために奮闘していました」
生まれ変わっても
またパイロットになりたい
幼少期からの夢を叶え、日本航空でパイロットとして働くようになった林教授。責任感とやりがいを持って業務にあたる日々の中で、数多くの印象的なフライトがあった。中でも特に思い出に残っているのは、「DC-10」に乗っていた際に「初日の出 初富士フライト」を企画したことだという。
「このフライトは、元旦に飛行機の窓から富士山をバックにした朝日を鑑賞していただくというものです。多くの反響をもらうなど企画としては大成功で、現在まで続く恒例行事となっているという点でも、大きな達成感を得られる機会となりました」
乗客に快適な移動を提供することはもちろん、目前に広がる壮大な空の景色を見られることが、パイロットという仕事の大きな魅力である。他の仕事では得難い経験であり、林教授は「生まれ変わってもまたパイロットになりたい」と思っている。

カウンセラーとしての経験を活かし
教育の観点から来るべき人材不足に立ち向かう
アメリカの訓練所でカウンセラーを経験
現地教官と訓練生の橋渡し役を担う
現在は桜美林大学で人材の育成に注力している林教授。その根底にはパイロットの教育証明を取得した日本航空時代の経験がある。
「当時、私はアメリカにある『ナパ運航乗員訓練所』にて、カウンセラー業務を担当していました。現地の教官にはもともと軍に務めていた人も多く、日本の訓練生は厳しい指導やコミュニケーションの面で苦労していました。『自分に何が足りないのか』ということすらわからない訓練生が思い悩んでいる様子もよく目にしましたね」
そこで、操縦技術面のサポートはもちろんのこと、教官との橋渡しをするなど、一人ひとりの心に寄り添ったカウンセリングを実施。ここでの経験を通じ、人材を正しく成長に導くために必要な教育のプロセスを身に付けることができたのだという。
将来的なパイロット不足に
強い危機感を抱いた
航空業界、特にパイロットは、人材を採用すればすぐに実務を任せられるという仕事ではない。膨大な訓練と勉強を重ねることで、ようやく1人前として認められる世界である。そんな実力社会において、林教授は将来的なパイロット不足に危機感を抱いていた。
「パイロットへの憧れを抱いて入社したとしても、厳しい競争を生き抜いて活躍できるのはほんの一握りで、そのためには極めて高い能力が求められます。一方で、現職のパイロットたちは歳を取れば引退を余儀なくされます。 ICAO(国際民間航空機関)の規定では60歳、航空身体検査で67歳が年齢上限です。そうした構造の中、私がパイロットを務めていた当時から将来的にパイロット不足に陥ることは目に見えていました」
パイロットの人材不足は航空業界のみならず、社会全体に大きな影響をもたらすだろう。フライト数の減少や航空費の高騰が起これば、気軽に旅行することも困難になる。こうした危機的な状況を防ぐため、林教授は人材教育の視点からこの課題に立ち向かおうと考えている。
「もちろん、航空業界としては、優秀な一部の人材のみを選抜・育成することで、効率的に業務を進められるでしょう。しかし、訓練の過程でつまずいてしまった人を脱落させるやり方では、これから訪れるであろうパイロット不足を解消することはできません。そこで大切になるのは、挫折した訓練生であっても成長まで導く教育の力なのです」
現在、林教授は航空学群の教員として学生に専門的なスキルを教えることはもちろん、訓練や授業を通じて互いに助け合いながら成長することの重要性を伝えることにも力を入れている。カウンセラーとしての経験も活かしながら、ひとりでも多くのパイロットを世の中に送り出せるように貢献したいと考えている。
航空業界にも波及する!「2030年問題」とは?
そう遠くない未来の2030年、少子高齢化に伴う人口減少が、私たちの生きる社会に深刻な影響をもたらすと予測されている。この「2030年問題」における最大のリスクは、労働力となる人材の不足。これは航空業界も例外ではなく、パイロットを目指す若者の減少とバブル期に採用された現役パイロットの引退が重なり、大幅な人員不足に陥ることが懸念されている。
もし旅客機のパイロットが足りなくなれば、フライトを減便しなくてはならない可能性がある。利用客は予約を取りにくくなり、それによって価格の上昇も起こりうるだろう。パイロットの育成には時間がかかるため、急な人材不足に迅速に対応することは難しい。残された2030年までの期間において、効果的な対策を打ち出すことが求められているのだ。
パイロットになるまでも、なってからも、
自分ひとりの力で成長することはできない

円滑なコミュニケーションが
悲劇的な事故を防ぐ
飛行機事故の大半は、ヒューマンエラーによって引き起こされている。機体については技術的な進化を重ねているが、それでも人間による操縦や判断の部分でミスが生じてしまうのだ。そして、こうした人的リスクの背景には、乗務員同士のコミュニケーション不足があることも少なくない。
「特に、パイロットの意見が強い職場は、冷静な話し合いができなくなるリスクを抱えています。しかし当然ながら、パイロットになるまでも、なってからも、自分ひとりの力で成長することはできません。人材育成を通じて他者と助け合うことの大切さを伝え、目に見えないコミュニケーションの問題を解決することが、私にとって大きな使命のひとつだと考えています」
人材育成に携わる喜びは
訓練生や学生の成長を見ること
他者とコミュニケーションを深め、ひとつの目標に向かって勉強した学生時代の経験は、成長の過程で挫折しそうになったときに身を助けてくれる力になると林教授は話す。そうした自身の航空業界における経験も踏まえながら、大学ではパイロットとして求められる実践的な技術や理論を学生に教えている。
「航空会社や大学で人材育成に携わってきた身として何よりうれしいのは、訓練生や学生の顔つきが経験を積むにつれて変わっていく様子を見たときです。大学では教員と学生という枠を越えて積極的にコミュニケーションを図り、こうした喜ばしい瞬間に数多く立ち会えることを願っています」
教員紹介
Profile

林 譲治教授
Joji Hayashi
1978年、日本航空株式会社入社。「DC-10」のセカンドオフィサー、同ファーストオフィサーを経験し、1996年に同キャプテン昇格。その間に教育証明を取得し米国ナパ乗員訓練所においてカウンセラー業務を行う。B777乗務の後、株式会社ジェイエアに出向し、「EMB170」「EMB190」機の導入を進める。訓練部長、路線・SIM教官を務め、2022年に株式会社ジェイエアを退職し現在に至る。