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読めない文字が読めた瞬間の喜び。教室と史料館を往復した研究者人生
教育現場から近世の公家社会を追い続けて
著作に『江戸に向かう公家たち』(吉川弘文館、2023年)、『近世の公家社会と幕府』(吉川弘文館、2020年)などがあり、近世の公家社会研究の第一人者として知られる田中暁龍教授。安土桃山時代から明治維新にいたる江戸時代の朝廷と幕府の関係を40年近く追究し続けてきた田中教授だが、一般的な研究者とは大きく異なるキャリアを歩んできた。
大学院修了後、すぐに研究の道に進んだのではなく、21年間にわたり小学校、中学校、高校の教育現場で教壇に立ちながら、夏休みや冬休みを使って史料を集め、論文を書き続けた。2008年に桜美林大学の教員となり、2010年に49歳で博士号を取得した後も、「研究者」と「教育者」という2つの顔を持ち続けている。
田中教授が歴史研究の道に進むきっかけとなったのは、大学3年次の日本近世史研究会との出会いだった。京都大学教授で日本近世史の研究者である朝尾直弘さんの論文「幕藩制と天皇」(『大系日本国家史3』)について報告することになり、「江戸時代の天皇とは何か」という問いに初めて向き合った。
「当時の近世史の研究は、江戸時代の武家と民衆の歴史が中心で、天皇や朝廷が幕府支配にどのような役割を果たしていたかについてはほとんど注目されていませんでした。しかし、江戸幕府の統治の間も公家たちは存在し、暮らしていた。その延長線上で幕末に明治維新という大転換が起こるわけで、天皇や公家の役割を無視していいのかと疑問を持ったのです」
「読めない文字を読みたい」——古文書との運命的な出会い
1980年代半ば、田中教授が「江戸時代の天皇とは何か」という問いに向き合っていた頃、テレビのニュースでは家永三郎氏の教科書裁判が取り上げられていた。歴史家であり、歴史教科書の書き手であった家永三郎氏が、自著の高校教科書に対する検定不合格処分や条件付き合格処分は学問の自由や思想の自由などに反し、違憲・違法などとして国を相手取って提訴。計3次、30年あまりにわたって争われた裁判だ。
大学3年次だった田中教授は、裁判の争点の1つとなった「江戸時代の天皇が君主としての地位を失い、皇室領も小さな大名程度のものにすぎなくなった」という家永教科書の記述に不合格の意見が加えられたことに関心を持ち、裁判を傍聴。文部省は、天皇が当時政治上の実権は失ったが、なお君主としての地位は失っていないので、この記述は誤りだと主張していた。
裁判は憲法が保障する学問の自由、表現の自由を巡って長く争われていくことになるが、田中教授は争点となった記述について「江戸時代の天皇研究の不足がこの問題の根底にある」と感じ、支援ワーキンググループの研究会にも顔を出すようになった。そして、そこで大きな転機が訪れる。学習院大学教授の高埜利彦先生が主宰する「朝幕研究会」の存在を知り、田中教授は恐る恐る高埜研究室を訪ねたのだ。
「朝幕研究会で近世公家文書を読む楽しさを知りました。当時、高埜先生の研究会では江戸時代の公家が残した日記を講読していました。参加してみると、難解な文字をどう読むか、公家日記に登場する当時の様々な有職故実、慣行や習俗をどのような手立てで理解するかなど、多岐にわたって一日ごとの記録の意味を深掘りしていきました。私は静かな興奮とともに、解読する行為そのものに魅了されてしまいました。これは今も変わらずで、10年以上わからなかった数行が、ある日突然読み解けるようになることだってあるのです」
ここから日本史好きな学生は、日本近世史のなかでも朝廷と幕府との関係を専門とする研究者へと変わっていった。
近世の公家社会と幕府の関係を研究する意義
江戸時代の天皇は、征夷大将軍としての宣旨(辞令)を与え、幕府の全国支配の正当性を与える存在として、象徴的・儀礼的な「権威」は保持していた。しかし、実際の政治的権力は完全に江戸幕府が掌握。朝廷の収入(石高)は大名に比べればはるかに少なく、経済的に自立して幕府に対抗できる力もなかった。一方で、天皇が持つ象徴的な権威が、幕府の支配体制の根幹を支えていたとも考えられ、朝幕の関係は今も多くの研究者がさまざまな角度から掘り下げている。
「幕府は朝廷の権威を利用して全国支配の正当性を確保しつつ、「禁中并公家中諸法度」によって朝廷の政治的・社会的影響力を厳しく統制しました。一方、朝廷は幕府に依存することで儀礼を復興し、権威を維持していたのです。この二重構造とも言える関係性は、幕藩体制や近世日本の政治・文化を理解する上で不可欠な要素だと言えます」
田中教授は公家の家政、家臣統制、所領支配など、公家社会がどのように維持されてきたか、朝幕関係が江戸初期、中期、後期と進むうちにどのように変化していったかなどを独自の視点で研究。その過程で古文書のもう一つの魅力に気づく。それは「なぜこうした記録が残されたのか」という問いだった。
「古文書として残っているということは、それなりに意味があります。何か紛争があって、記録を残さざるを得なかったのか。あるいは、書き残した人のなかに『後世に伝えたい』という強い意志があったのか。原本があり、写本があり、何百年も引き継がれてきたわけです。そこから見えてくる人々の営みがおもしろく、古文書を研究することがライフワークになっていきました」
教員生活と並行した研究——夏休みが勝負の日々
大学院修了後、小学校の教諭を経て、東京学芸大学附属高等学校大泉校舎に赴任した田中教授。帰国生教育を担当し、「探究科『江戸文化を探る』」など先進的な取り組みの授業を実践しながらも、朝幕研究も続けた。
「学校がある期間はまとまった時間をつくることが難しいので、史料集めに取り組み、夏休みと冬休み、春休みが勝負です。時間をつくっては古文書を解読し、少しずつ論文を書いていく。正直、教員の仕事との両立は難しくもありましたが、歴史の研究は一つわかったことがあると、次にわかることが膨らんでいくのです。昨日調べた古文書が、その時はよくわからなくても、2、3年後に別の何かとつながって、一つの文脈が浮かび上がってくる。ある史料とある史料がリンクする。そんなことを喜びになんとかやってきました」
当時は研修日が週に1日あり、その日を使って研究に関連する古文書を調べに国立公文書館や東京大学史料編纂所に通っていたという。また、高校の教員となってからは、バレーボール部の顧問として、土日も部活動に時間を取られることに。男女両方のバレー部を指導し、週末になると大会にも引率した。それでも、研究への情熱は消えなかった。
「30代後半になると、バレーボール部の練習でアタックレシーブの球出しを行った後、ワープロを打つのがしんどくなってきました。しかし不思議なことに、私にとっては古文書を読むのが気分転換になったのです。学校で生徒と向き合い、睡眠不足を感じて疲れていても、史料館に行って江戸時代の公家の日記なんかを読むとほっとする。時には何冊も古文書を閲覧し、『今日は研究の収穫はなかったな……』と帰る日もありましたが、それでも楽しかったのです」
いよいよ本格的に研究に打ち込みたい。そう決意した田中教授が桜美林大学の准教授となったのは、2008年。47歳のとき。そこから丸2年。小中高の教員時代に打ち込んできた朝幕研究を博士論文にまとめ、2010年、49歳のとき、博士号を取得。その後、吉川弘文館から『近世前期朝幕関係の研究』を出版した。
「大学に移って間もなく、吉川弘文館の編集者が大学に来て下さり、『本をまとめませんか』と声をかけていただいたのがきっかけです。本当に不思議なご縁でした。長年続けてきたことを誰かが見ていてくれたんだな、と。とても嬉しく思いました」
日韓の架け橋として——20年以上続く共通教材づくり
「一国史」を越えて、多様な視点で歴史を伝える
田中教授が朝幕研究と並行して取り組んできたもう一つの大きな仕事が、日韓歴史共通教材の作成だ。教員になって10年ほど経った頃、大学の研究者から声がかかり、韓国の高校・大学教員らと行う日韓共同研究に参加することになった。
「年に1回、こちらが韓国に行ったり、韓国の先生が日本に来たりして、教材案を出し合いながらディスカッションしていく。日本史の研究はどうしても一国史で考えがちです。しかし、こちらの共同研究に参加したことで、多様な視点から自分の国の歴史を見つめ直すことの大切さを学びました。この経験は、今、大学で教員養成をする上でも大きな礎になっています」
共同研究チームはその成果として、2007年に『日韓交流の歴史——先史から現代まで』を発刊した。
「ただ、この本は分厚くて、どうしても高校生が学ぶには内容が難しかった。そこで、もっとすぐ使えるような教材をつくろうと改訂版に取り組みました。写真などの史料を散りばめ、そこに1つずつ『問い』を入れ、生徒が教室で考えられるような教材として古代から現代までを学べるよう改訂したのです」
こちらは2020年に『調べ・考え・歩く 日韓交流の歴史』(明石書店)として出版された。「史料」と「問い」で構成されたこの教材は、多くの日韓の高校・大学教員による共同研究の成果であり、個人的には教育実践の集大成でもある。
授業で大切にする「史料」と「問い」
大学の授業でも田中教授は「史料」と「問い」を意識しているという。多くの学生は、受験に向けた歴史の勉強によって「歴史には正解があり、一問一答で覚えるもの」と思っている。だからこそ、田中教授は違う視点を伝えたいと考えている。
「今日の授業でも、3つほど問いを提示して学生に考えてもらいました。隣の席の人ともディスカッションしてもらう。大事なのは正解を答えること以上に、どう考えるかを意識してもらうこと。特に教員を目指す学生には、研究課題を持つことの大切さを伝えています。すぐに成果が出なくてもいい。時間をかけて向き合うこと、同僚と相談しながら解決していくこと。そして、どんな環境でも、生徒一人ひとりに問いを投げかけ、誠実に向き合うことが大事だと伝えています」
研究者と教育者——最後まで抱え続ける二面性
「半分は研究、半分は教育」のバランス
「研究者」と「教育者」、田中教授としてはどちらの側面が強いのだろうか。少し考えたのちに返ってきた答えは、「やはり半分ずつ」というものだった。
「難しいところですね。研究をしたいと思って大学に来たのは確かです。しかし学生と話していると、結構のめり込んでしまいます。できるだけいろんな情報を伝えたいと思って、一生懸命になってしまう。半分は教育、半分は研究なのかなと思っています」
部活の指導もあった高校の教員時代に比べると、自由になる時間は増えたものの、大学に移った今も授業準備や学生対応に追われる日々。「結局、寝る前までパソコンを見てしまう」と田中教授は話す。ワークライフバランスと言われる時代においても、うまくバランスを取れずに研究し続けてしまうのが大学教員なのだという。現在は、幕末維新期の公家「家政」をテーマに研究を進めている。特に注目しているのは、公家の奥方(女性)の役割だ。
「公家の奥さんの日記を読んでいると、彼女たちがどういう役割を果たしていたかが見えてくる。家を存続させるために、いろんな仕掛けをしている。面白いドラマがたくさんあるのです。私も定年を意識する年齢になりましたが、公家の女性たちの視点から語られる幕末維新期についてまとめていきたい。それが今の目標です」
読めない文字が読めた瞬間の喜び。10年越しで謎が解けたときの興奮。公家の日記を読むことが「気分転換」という根っからの研究者であり、生徒一人ひとりと向き合うことを大切にしてきた教育者。田中暁龍教授の研究者人生は、教室と史料館を往復しながら、今も続いている。
教員紹介
Profile
田中 暁龍教授
Toshitatsu Tanaka
1961年生まれ。東京学芸大学大学院教育学研究科修士課程修了。博士(史学)。東京学芸大学附属高等学校大泉校舎、都立高校、千代田区立九段中等教育学校などで21年間教鞭を執った後、2008年より桜美林大学。2017年より教職センター長、のち資格・教職センター長。専門は日本史(近世)、社会科教育、歴史教育。近世の公家社会と幕府の関係を研究し、教員生活と並行して研究を続け、49歳で博士号を取得した異色の経歴を持つ。現在は幕末維新期の公家「家政」における女性の役割を研究している。
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