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理論的な分析と実証調査を通じ、デジタル経済に適した企業組織のあり方に迫る
ミクロ経済学の理論を用いて企業の構造を分析する
デジタル技術の進化によって、企業組織のあり方は根本から変わりつつある。かつては当たり前だった「同じ時間に、同じ場所で」という働き方の前提が崩れ、ネットワークを通じたビジネスが可能になった。選択肢が多様化する中で、企業はどのような組織デザインを選ぶべきなのか。物理学から経済学への転身、そして30年にわたる日中両国の企業研究を経て、この問いに挑み続けてきた研究者がいる。リベラルアーツ学群の任雲教授は、理論による分析と実例調査に基づく実証の両輪から、デジタル経済に適応するための組織デザインを模索している。
「現在はミクロ経済学の理論を用いて、主にデジタル経済時代における企業や組織のあり方に関する研究を行っています。30年にわたる研究キャリアの中で、農業問題や地域経済の発展などさまざまなテーマを扱ってきましたが、近年は自分が最も関心を持つ分野に焦点を絞るようになりました。研究対象は中国に限らず、日本をはじめとする他の国の企業も含まれており、理論分析のみならず企業インタビューを通じた実証にも取り組んでいます」
任教授の研究は、企業の事例を経済学的な理論によって検証することで進められている。当然ながら、時代や文化、業種などに応じて、最適な組織のシステムは異なっている。そうした変化の中で理想的な組織のあり方を追究したいという問題意識は、研究をスタートした30年前の延長線上にあるものだと任教授は語る。一方で、ビジネスの構造は30年前から大きく変わっている。その際たる要因であるデジタル技術の発展に関心を寄せるのは、研究者として当然の帰結といえるだろう。
空間的・時間的なスケールを企業分析に落とし込む
2023年、任教授は「第4次産業革命における企業組織デザインのあり方」と題した論文を発表した。第4次産業革命、すなわちIoTやAI(人工知能)、ビッグデータの活用がもたらした技術革新により、産業構造は複雑さを増しつつある。こうした環境に対応するため、組織経済学の「補完性理論(スーパーモジュラー理論)」と複雑系科学の「組織マッチング理論」という2つの異なるアプローチの理論を結合。新しい時代の企業組織デザインを検討することが本論の狙いだった。
組織経済学の「補完性理論」は、組織内に存在するさまざまな要素の補完性に関するミクロ経済学研究の成果である。経済学でいう「補完性」は、「2つの選択変数に関して、片方の増加がもう一方の増加、またはもう一方の限界効用の増加につながり、結果として総効用や収益も増加する」という性質だと厳密に定義されている。この補完性の理論は組織構造の解明に大きな力を発揮するが、高度に複雑な環境における組織のあり方に関しては分析力が弱いという側面を持つ。
一方、複雑系科学の「組織マッチング理論」は、社会組織と自然界の組織の類似性を重視し、システム性、シナジー効果、相互作用、多様性、自己組織化、創発、適応、選択と淘汰などのキーワードを用いて社会組織のあり方を分析。複雑な環境に適応できる企業組織のデザインについて、有益な分析を行うための視座を提供している。
この両アプローチを結合した論文の作成を通じ、外部環境の複雑度が高まる産業において、企業組織も環境とマッチした複雑度の高い制度を構築する必要性があるというひとつの結論を得た任教授。しかし、当時の論文はあくまでも序説的なもので、既存の理論の整理・転用に留まっていると考えていた。
同時に、企業を取り巻く外部環境が複雑になっているだけではなく、技術進歩のスピードが速くなっている点にも着目。現実社会の特徴をより高い解像度で捉えるためには、「時間」と「技術」という要素を細分化して分析に落とし込むことが不可欠だと考えた。そこで近年、具体的な企業のモデルを検証することによって、新たな視点からこのテーマを見つめ直したのだという。
「中国に拠点を置く世界最大規模の家電メーカー・ハイアール社を例とした検証では、以前の補完性理論と組織マッチング理論に加え、新たに2つの視点から分析を行いました。そのひとつが、『時間的なスケールを考慮した組織マッチング理論』です。前回用いた組織マッチング理論は、同一時期の空間スケールにおける組織と環境のマッチングに重点を置いたものでした。生き物で例えれば、外部からの刺激に対する瞬時の反応のようなものです。一方で、生命は長い時間をかけて環境に適応してきました。同様に、環境変化のスピードが著しい企業組織についても、時間的な尺度を織り込んだ分析が必要だと考えたのです。もうひとつの新たな視点が、『組織と技術の補完性』。これは、広義の技術インフラを外部環境と見なし、企業内部の設備、技術ツール、生産方式・プロセスの集合を技術サブシステムと捉えた上で、効率的な組織には技術サブシステムとそれを扱う組織との間に補完性が必要であるとする考え方です」
レゾナック社の事例から見る「組織と技術の補完性」
時代の流れに逆行した「蛇が象を飲み込む買収」の謎
「組織と技術の補完性」においては、技術と組織の関係は固定的・静的なものである必要はなく、両者は動的な最適化を通じて補完性を発揮することができるとされている。この理論を説明するために任教授が持ち出したのは、近年の研究事例のひとつであるレゾナック社の動向だった。2019年12月、昭和電工が日立化成を買収。2023年には両社が完全に統合し、半導体などを取り扱う大手総合化学メーカー・レゾナックが誕生した。買収当時、昭和電工の時価総額は日立化成の約半分。「蛇が象を飲み込む」かのような買収に、市場では疑問の声も上がった。
「デジタル技術の進歩により、それまで垂直統合が一般的だった産業が水平分離を取り入れる傾向が進みました。製品の製造やアプリ開発をアウトソーシングするApple社のビジネスモデルが顕著な例といえるでしょう。技術サブシステムを垂直統合しようとするレゾナックの買収は、この時代の流れに逆行するものであると思われた。ところが、実は半導体技術の進化に対応した合理的な判断だったのです」
半導体製造においてアウトソーシングはリスクになる
近年、半導体製造の中・後工程において、極めて精密なコントロールが求められるようになりつつある。異なる材料間の互換性や熱膨張係数の差異などが機能に重要な影響を与えるため、各工程の緊密な連携が不可欠になるのだ。当然ながら従来の水平分業では、「各工程の素材の組み立てに齟齬が生じる」「連携に時間やコストを要する」といったリスクが高まる。こうしたリスクを排除することで組織と技術の補完性を最適化したレゾナックの統合戦略は見事に功を奏し、世界的シェアの拡大を実現した。
「一見すると不思議に思えるビジネスの動向も、理論を用いて説明することができる。世の中の複雑なインタラクションに対し、さまざまなアプローチから分析できる点が研究の面白さです。そして、企業のビジネスモデルは千差万別であるからこそ、個々の事例を深く研究することに意味があると考えています」
企業へのインタビューで理論と現実のすり合わせを図る
こうした任教授の姿勢を象徴しているのが、企業への徹底したインタビュー調査だ。インタビュー前に企業の報告書や新聞記事、書籍といった二次資料を読み込み、仮説を立てた上で経営層や現場責任者と対話。それによって単なる「企業見学」に留まらず、互いにとって建設的な調査を進められるのだという。
「インタビュー調査において意識しているのは、理論と現実のすり合わせです。その会社のビジネスモデルに対する自分なりの認識を持ち、実際に現場に足を運んで確かめる。その結果として、自分の認識が足りなかった、あるいは過剰に解釈しているといった理論と現実の乖離に気がつくことができるわけです。ピンポイントで自分の理論に沿った質問をすれば答えを誘導してしまう可能性もあるので、できるだけ自由に話しながら必要な情報を得るように心がけています」
日本への留学をきっかけに物理学者から経済学者へ転身
物理の理論を用いればあらゆる現象を説明できると思った
さまざまな理論を用いることで現実の事象を検証する。この任教授の研究スタイルは、もともと物理学を専攻していたことに由来している。中国出身の任教授は物理学と絵を描くことが好きで、芸術と科学を融合する分野として建築工学に関心を寄せていた。そんな中、高校時代の先生から教員としての素質を認められ、北京師範大学に進学し物理学を専攻。学びを深めていくうちに、世の中のすべてを理論で説明できるのではないかという思いが芽生えた。
「私がいた学部は、物理学の複雑系システム研究において国内随一の拠点でした。物理学の原理・法則を用いて、自然領域にとどまらず、人間社会や経済のシステムまで解明しようとする研究者が多数在籍していました。そういった先生方の影響を受け、私自身も企業組織や経済学の分野へと関心を広げていきました。やがてこうした興味から、経済学分野にも研究の幅を広げていきました」
研究者の道を志し、大学卒業後は5年間にわたって理学部の助手を務めた。そんな時、日本に留学するチャンスが訪れる。当時の中国は市場経済を促進するため、若い人材に海外の経営を学ぶ機会を積極的に与えていた。日本的経営について学び、日本の経験を中国の国有企業の改革や市場経済の推進に活かすことが留学の目的だったという。さまざまな縁がつながり、任教授は北京師範大学と協定を結んでいた桜美林大学で経営学を学ぶことに。その過程において、物理学から経済学へと専門分野を変えた。
「中国からやってきた私が日本的経営を理解しようとする上で、経済学の視点を取り入れることが不可欠だと感じました。同時に、物理学的な考え方を活かし、企業や組織の構造を分析することに意義があると考えたのです。取り扱うテーマは時代によってさまざまですが、研究における興味やアプローチは当時から現在まで大きく変わっていません」
組織改革の指針を示すような書籍を発表したい
任教授は日本での研究を続ける一方、中国でもフォーラムや講演に参加して情報発信を行っている。急激な経済成長を経た日本企業の事例は、目まぐるしい発展を遂げる中国に教訓をもたらす。同時に、近年は停滞傾向が続く日本経済にも新たな示唆を与えたいという思いが、研究のモチベーションになっているという。
「引き続き、理論と実証の両面から研究に注力していきたいと考えています。デジタル時代において企業が組織改革に取り組む際には、従来以上に複雑に絡み合う多様な要素を考慮する必要があります。こうした状況の中で、経営者が複雑な要因を整理し、迅速かつ適切な意思決定を行えるよう支援すること、すなわち効率的な組織を構築するための指針や基本法則を提示することが、経済学研究者に求められる重要な使命であると考えます。
今後はこのような問題意識のもと、理論および実証研究をさらに整理・深化させ、その成果を一冊の書籍としてまとめたいと考えています。研究者のみならず経営者にも有益な示唆を提供することが、私の研究が持つ価値の一つになると考えております」
教員紹介
Profile
任 雲教授
Ren Yun
1966年中国出身。1988年に北京師範大学物理学部を卒業後、5年間にわたって同大理学部の助手を務める。その後来日し、1999年に桜美林大学大学院国際学研究科博士後期課程を修了。桜美林大学産業研究所研究員などを経て現職にいたる。著書に『地域とイノベーションの経営学』(共著、中央経済社)、『中日郷村産業振興発展戦略比較研究』(共編著、中国華中師範大学出版社)など。
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