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各国で用いられる言語には
価値観や文化が刻まれている
日常の中の言語を比較し
相違点を明らかにする
世界で用いられる多様な言語には、それぞれの国や地域の文化や価値観が反映されている。リベラルアーツ学群の多々良直弘教授は、主に英語と日本語を比較しながら、単語や文法、コミュニケーションの手法の違いを分析しようと研究を続けている。専門としているのは、欧米で用いられる英語の特徴に迫る「英語学」と、言語と社会の関係性に着目する「社会言語学」。各国の社会の捉え方や文化が言語に“刻印”されているのだと多々良教授は語る。
「私にとって興味の中心は、いわゆる各言語の文法的な正しさだけではなく、社会生活の中で広く用いられていることばです。それらを研究することによって、言語と社会の関係を紐解くことができます。日常の中の言語を比較すると、各言語に共通する普遍的な部分と、それぞれの文化を色濃く反映した異なる部分が見えてきます。そこから、言葉を話す人々の価値観や思考方法を明らかにしたいと考えています」
言語と他分野において
共通する傾向が見つかる
言語と文化の関係性について、多々良教授は「相同性」というキーワードを用いて説明する。日本と英語圏で言語や他の文化を比較した場合、言語で確認できた特徴の違いが、スポーツや建築、芸術、社会の動向といった別の分野においても確認できることがある。このように、言語と他文化の間で本質的な共通点を見出せたとき、両者には「相同性がある」と表現できるのだという。
結果を志向する英語と
過程を志向する日本語
「日本語で『説得する』という動詞を使う場合をイメージしてみてください。『私はAさんに会議に出るように説得したが、Aさんは出席しなかった』という表現を用いても、特に違和感は覚えないはずです。それに対し、英語の『説得する』にあたる『persuade』では、この文章が成立しません。つまり、"John persuaded Tom to go to the meeting, but he didn't go"という表現は文法的に正しくありません。なぜなら、英語圏では『説得する』と言っている時点で、相手を行動させることに成功したと考えるので、矛盾が生じるのです。ここには、英語圏の結果にこだわる思考パターンの特徴が反映されています」
結果を重視する英語に対し、日本語は結果が伴ったかどうかをあまり意識しない言語である。こうした言語の特徴は、さまざまな分野に「相同性」を持って現れている。わかりやすい例のひとつがスポーツだ。野球のメジャーリーグでは原則として引き分けが存在せず、明確に結果がでるまで勝負が続けられる。一方、日本のプロ野球には引き分けがあり、たとえ贔屓のチームが負けてしまっても「途中のプレーがよかったから次は勝てる」など試合の過程が評価の対象になる。
「高校野球において結果と同じくらい努力が重視される点も、日本ならではの価値観だと思います。英語圏ではひとつの試合が終われば完結したと考えるのに対し、日本では1シーズンなど長いスパンで選手やチームを応援します。このような言語と文化の『相同性』について、私は多くの研究者と協力しながら事例を探してきました」
研究のメインテーマは
スポーツ実況における言語
中でも、多々良教授は日本と英語圏のスポーツ実況の違いに着目して研究を進めている。まったく同じ試合であったとしても、日本語話者と英語話者で実況の内容は大きく異なっている。それぞれの実況者が何に注目し、何を言葉にするのか。それを比較することで、各国の価値観や思考パターンが明らかになっていく。主に研究の題材としているのは、サッカーの試合。他のスポーツと比べて状況がめまぐるしく変化し、ダイナミックなプレーが連続して展開される。また選手の人数も多いため、実況者の着眼点の違いが如実に現れやすいのだという。
「英語圏の実況者はプレーする人間に注目する傾向があり、選手の動きを中心に解説を繰り広げていきます。しかし、日本の実況者が選手たちが置かれている状況を含めながら解説をします。わかりやすい例が天気です。日本では、例えば選手がミスキックをすると、『雨の影響が相当出てきていますね』などとミスを誘発した状況要因を述べることが多いです。また、周りの選手との関係や過去のプレーとの関連性などに言及することもよく観察されます。英語には人間の行動を中心に言語化する『分析的認知』、日本語には全体から対象へとフォーカスを絞っていく『包括的認知』の傾向があり、言語的な認知方法の差異がスポーツの実況中継からも確認できると考えることができます」

スポーツと英語
研究を通じて興味が結びついた
留学先で見つけた
自分の「やりたいこと」
多々良教授が英語に関心を持ったのは、小学生のころだった。米国のカルチャーを愛する2人の兄の影響を受け、ハリウッド映画やマイケル・ジャクソンなどのアメリカの音楽に慣れ親しんでいた。洋画や洋楽に触れるうち、そこで用いられている英語を理解したいと思うようになった。
「学生時代は野球に打ち込む一方で、英語の勉強だけは疎かにせず続けていました。大学に入ってからも、卒業後は英語を活かした職業に就きたい考えていましたね。具体的な将来像は見えていませんでしたが、アルバイトでお金を貯めてイギリスの語学学校に短期留学したこともありました」
好きな英語を勉強していれば、いつか活かせる場面がくるだろう。ぼんやりとそう考えている中、周囲の同級生たちが一斉にリクルートスーツに身を包んで就職活動を始めた。それを見ても焦りはなかったが、英語を使って働きたいという将来像と現実との間に葛藤を感じるように。そんな時、米国カンザス州立大学が交換留学生を募集しているという情報を見つける。
「今思えば、現実から逃げたかっただけなのかもしれません。しかし、現地では外国籍の大学生や留学生との交流を重ね、多くの刺激をもらいました。特に大きかったのは、ネイティブアメリカンの言語を研究する先生の授業です。言語を学ぶだけでなく、そこから人間や社会の多様性に迫っていく。『自分のやりたいことはこれだ!』とすぐに感じました」
興奮して飛び出した言葉に
言語の面白さが潜んでいる
メインのテーマとしてスポーツを取り扱っているところにも、多々良教授のパーソナリティが色濃く反映されている。子供の頃からスポーツを観ることもプレーすることも大好きで、高校卒業まで10年間にわたって野球部に所属。現在も桜美林大学野球部の副部長を務めている。言語の研究とスポーツ実況が結びついたのは、2014年のことだった。当時、TVで放映されていたイングランドのプロサッカーの試合を楽しみにしていた多々良教授。そこで、主音声である日本の実況と、副音声の現地の実況を比較すれば面白いのではないかと思い立った。
「同じシーンでも日本と現地の実況内容がまったく異なることに気づきました。また、実況解説チームのやりとりの様子が違うことにも面白さを感じました。日本では、アナウンサーが解説者に質問し、解説者がその質問に回答したり、プレーを解説することによって実況が進められていく。しかし、英語の実況解説では数人の解説者が思い思いの解説や感想を口にします。ここに、日本人の上下関係を重んじる傾向が現れているのではないかと研究の手がかりを見つけました」
一方、日本でも英語圏でも、試合が盛り上がれば解説チームが立場を忘れて一緒に叫ぶことがある。時には、メディア報道というフォーマルな場面では使われないような言葉も飛び出す。そうしたダイナミックな状況にこそ、言語の面白さが潜んでいると多々良教授は話す。
「解説の人たちは限られた時間の中で情報を伝える必要があるため、ある程度決まりきった表現を用いながら実況しています。しかし、英語圏の実況では、興奮すると定型から外れて韻を踏むような形で言葉を繰り返していくことがあります。例えば、サッカーのリオネル・メッシがゴールを決めた際、英語の実況解説者は『curl』という言葉を3回繰り返しながらその様子を描写していました。またサッカー日本代表の浅野選手がワールドカップのドイツ戦で劇的な逆転ゴールを決めた際も実況者は"Brillian run, brilliant touch"とリズミカルにbrilliantという表現を繰り返すことでプレーを称賛していました。野球でもMLBで活躍する大谷選手が規格外のホームランを打った時に実況者が"Shohei! Sho-time! All the time!"と韻を踏んだ繰り返しの表現を使用していました。これが日本になると、『強烈なシュートでしたね』などアナウンサーと解説者が互いの発言内容を繰り返して、プレーに関するお互いの見解を確認し、合意を形成しながら実況解説をつくりあげていくことが多い。興奮や感情の昂りによる言葉の繰り返しというところは共通しつつも、ひとりで繰り返すのか、誰かと繰り返すのか、そこに文化の特徴が表れているのではないかと注目しています」
娯楽の一種だからこそ
自由な表現が用いられる
スポーツならではの
ユニークな比喩表現
定型的な言語表現だけではなく、日常的な言語表現に文化の本質が宿る。その本質を解き明かすうえで、多々良教授にとってスポーツはこのうえない研究対象なのだという。
「スポーツを研究していて感じるのは、そこで用いられる表現の豊かさです。娯楽の一種だからこそ、記者や実況者は自由で遊び心のある言葉を使うことができる。例えば、日本の野球でも走者をアウトにした際に『刺した』と言ったりすることがありますよね。同様に、英語でも試合相手に完勝した際に『put to the sword(=刃にかける)』という表現が新聞報道などで用いられます。これらの表現はスポーツを死や戦争の観点から表している比喩表現です。日常会話ではあまり使用しない表現がスポーツを表現する際に使用されています。その他にもサッカーの試合でガーナがチェコ(Czech Repuclic)に勝利した際の新聞の見出しにはGhana cancels checksやガーナチェコペロリなどの詩的でユーモアに富んだ表現がスポーツ報道では多用されます。娯楽であるスポーツだからこそ許される表現が観察されます」

スポーツ好きの子どもたちに
英語を学ぶ魅力を伝えたい
反対に、スポーツの言葉が人生の比喩として用いられるケースもある。例えば英語では"John struck out in his new business"のように「三振する」という表現で「新規事業で失敗した」と表現したり、これは有名なサーファーが使用した表現ですが、"Don't give up, keep paddling!"のようにサーフィンのpaddle(漕ぐ)を用いて「諦めるな、やり続けろ」と表現することがあります。人々は仕事や人生とスポーツを重ね合わせ、社会生活のさまざまな事柄を豊かな言葉で表現してきた。現在、多々良教授はこうしたスポーツと言語学の研究を英語教育に活用するための方法を模索している。スポーツに情熱を注ぐ人々にも英語を学ぶ楽しさを知ってもらうことが目標だ。
「若くして海外に挑戦する日本人選手が増加している近年、スポーツ好きの子どもたちが英語やスペイン語などの外国語を勉強することの意義も大きくなっていると感じています。しかし、スポーツに打ち込むあまり勉強は二の次になってしまうこともあるでしょう。そこで重要になるのは、無理やり勉強させるのではなく、言語の面白さを知ってもらい、英語を話すことの利点を自ら理解してもらうことだと考えています。言語とスポーツの魅力を発信することに貢献するため、今後も研究に取り組んでいきます」
教員紹介
Profile

多々良 直弘教授
Naohiro Tatara
1975年、静岡県出身。1996年に米国カンザス州立大学に1年間留学。帰国後、1998年に神奈川大学外国語学部英語英米文学科卒業(文学学士)。2000年に慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻 修士課程修了(文学修士)、2004年に同博士課程単位取得退学。2004年から桜美林大学専任講師を務め、准教授を経て現職に至る。
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