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人間と環境の関係を考える「環境倫理学」とは?
環境倫理学は人間中心主義批判から生まれた
「人間中心主義(Anthropocentrism)」とは、人間がすべての価値の中心にあり、自然や動物など他のすべての存在は人間のためにあるという立場を指す。例えば、近年被害が広がる野生のクマの問題を語る際などによく目にするキーワードだ。人間に危害が及ぶならクマを駆除するのは当然だ——。これはまさに人間中心主義の立場だといえる。一般的に西欧の近代思想の根幹を成すものと考えられており、旧約聖書やアリストテレス、カントの哲学にも人間中心の思想が見られるといわれている。
この人間中心主義を批判する動きが1970年代に巻き起こる。「人間は特別であり、自然を支配する権利がある」という思想は、環境破壊を正当化するものである。アメリカの歴史学者リン・ホワイトJr.が1967年に発表した人間中心主義批判の論文が、権威ある科学誌「Science」に掲載され、一気に注目が集まった。そこから「環境倫理学」「動物倫理学」などの応用倫理学の分野が生まれることになる。
リベラルアーツ学群の熊坂元大准教授は、「環境倫理学」をベースに現代社会の幅広い問題について、独自の考えを発信している。
「環境倫理学とは、自然環境に関する倫理的問題を扱う学問分野です。例えば、自然利用の利益と負担の不公正を考える『環境正義』などが研究テーマになります。ここには、都市部と農村部の間の不公正、先進国と途上国の間の不公正、現代世代と将来世代の不公正など、さまざまな課題があります。このように、人間と自然の望ましい関係とはどのようなものかを倫理学の視点から考えています」
環境正義(Environmental Justice)とは?
環境正義とは、環境問題による負担や利益を、社会のあらゆる人々が公平に分け合うべきだとする考え方。環境汚染や気候変動の被害は、貧困地域、開発途上国など、弱い立場の人々に偏って降りかかることが多いと指摘される。環境正義は、こうした不平等を解消することを目的としている。
動物との関係を倫理学の視点から考える「動物倫理学」
一方、「動物倫理学」とはどのような学問なのか。こちらは動物実験や狩猟のあり方、伴侶動物との関係などを倫理学の視点から考える分野。捕鯨の問題、昨今のクマ被害の問題などは、こちらで論じられるテーマだといえる。近年、「動物福祉(アニマルウェルフェア)」という言葉をよく耳にする。動物も人間と同様に痛みやストレスを感じるものとして扱うべきとする考え方で、動物倫理学の成果が動物福祉の向上に貢献しているのがわかる。
熊坂准教授によれば、環境倫理学と動物倫理学は、半ば対立しながら共存している関係にあるという。例えば、捕鯨の問題を考えるとき、環境倫理学では、生態系が崩れなければ、クジラを捕まえてもいいのではないかという問題設定をする。これに対し、動物倫理学では、クジラに苦痛を与えて殺すこと自体が問題になりうるという立場をとる。
環境倫理学の視点から「肉食」を考える
環境倫理学とはどのような学問なのか考える上で、「肉食」というテーマがわかりやすい。現代社会では、家畜と呼ばれる牛・豚・鶏などの動物が大量に「食肉」として消費されている。肉を食べるという習慣は、一部の宗教で口にすることが禁忌となっている例を除き、世界中に浸透している。これらの動物は、野生状態にあるのを捕獲しているわけではなく、生殖から屠畜まで人間社会の管理下にあるので、生態系が乱れることを懸念する必要はない。そのため、クジラを食べることを反対する人も牛や豚を食べることに違和感を覚えることは少ない。
それでも昨今、こうした家畜たちが窮屈な檻の中で、方向転換も足を伸ばして寝ることもできずに飼育されていることが問題視され、欧米を中心に飼育環境の改善が進んでいる。動物も痛みやストレスを感じるという動物倫理学や動物福祉の考え方が背景にあるのは明らかだ。一方、環境倫理学では、「肉食」を環境問題として考える。
「よく指摘されることですが、家畜を育てて食べるのは、非常に効率の悪い食料生産の方法なのです。問題は、飼料として収穫された作物を人間がそのまま口にするのではなく、家畜に与えて育てるというプロセスです。牛の枝肉1kgのために、トウモロコシなどの飼料が10kg以上必要となります。地球上で何億人という人が飢えや栄養失調で苦しんでいる状況で、『肉食』というのは極めて贅沢な行為なのです。また、肉は保管するために温度管理が必要で、貯蔵可能期間も短い。ここでも環境負荷が懸念されます」
世界の穀物生産量は約25億トンにのぼり、そのほかに野菜や果物が栽培されていることを考えると、世界人口を養うのに十分なだけの食料は生産されている。つまり、飢餓や栄養失調の問題は、十分な食料を生産することができないという自然の限界に由来するのではない。問題の本質は、分配の不公正と供給の非効率性にあり、穀物を家畜に与えるという畜産業は、この不公正と非効率性を生み出している一因だといえる。
社会システムの現状を批判的に考察し、
制度設計の改善を求めることが重要
熊坂准教授は、こんな事例も教えてくれた。1970年から1987年にかけて、世界銀行グループが畜牛事業とその関連事業向けに、合わせて3億6000万ドル以上の貸付を南米で行ったことがある。これにより中南米では森林破壊が引き起こされるほど家畜が発展したにもかかわらず、現地住民の栄養状態をはじめとする生活水準は低下したという。
これは現地で生産されるトウモロコシなどの穀物が、牛を中心とする家畜の飼料に回ったことに起因するものだ。こうして生産された牛肉は、栄養失調にあえぐ貧しい人々の口に入ることはなく、当然ながらメキシコやアメリカの都市に住む上層階級の消費に回される。ここで起きたことはまさに肉食にまつわる不公正の典型だといえる。
肉食と環境問題の関係としては、畜産業界が生み出す廃棄物の問題も無視できない。牛や豚などの大型家畜が1頭あたりで生み出す廃棄物の量は、人間の成人の20〜30倍になるという。日本が大量の食肉を輸入しているアメリカ一国だけでも家畜の排泄物に含まれる「リン」の量は年間約200万トン、「窒素」の量は年間約600万トンと見積もられている。家畜の大型飼育施設から排出される水や排泄物には、飼料に含まれる抗生物質や農薬が溶け込んでおり、これが近隣の生態系を汚染することもわかっている。
「肉食について、倫理的に疑問を感じる点はたくさんあります。しかし、私も肉を食べるし、皆さんに菜食主義をすすめるつもりもありません。大切なのは、こうした問題から目を背けずに、どのような社会の制度設計が必要かを考える視点を持つことです。肉の大量消費は、環境にどのような影響を及ぼすのかを想像しながら、地産地消の重要性や適度な肉食について考える。これが環境倫理学の視点なのです」
原子力発電に反対する人は、原子力発電所から供給されるエネルギーを放棄しなければならないというのは極論だ。同様に、温室効果ガスの排出量が多すぎると現代社会を批判する人は自家用車に乗ってはいけないという主張も現実離れしている。重要なのは、ある行為や習慣を支える社会システムの現状を批判的に考察し、制度設計の改善を求めること。環境問題を考えながら、肉食を続けることは、決して矛盾する行為ではないと熊坂准教授は考えている。
中東ヨルダンや旧西ドイツで幼少期を過ごす
人間とは何か? 世界とは何か?
熊坂准教授が生まれたのは1976年。家族の仕事の都合で、幼稚園の年中・年長にあたる1980年代初頭の時期を中東ヨルダンで過ごした。その後、小学校6年から中学1年にかけて、旧西ドイツの日本人学校で過ごし、1988年に帰国した。ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。つまり、東西ドイツが分裂していた時代の末期を経験したことになる。
「幼少期に海外で暮らした経験によって、日本以外の社会が存在することを知りました。言葉が通じなくて困っている自分に手を差し伸べてくれる人がいる。一方で、移民の人々が多く住んでいた西ドイツの貧困エリアで、『物をよこせ』と同世代の子どもたちに囲まれた経験もあります。ここで、人間とは何か? 世界とは何か?と考える下地が形づくられたのは間違いありません」
高校時代から「哲学」「倫理学」「環境学」などに関心があった熊坂准教授は、早稲田大学第一文学部(当時)の哲学専修に進学し、「環境倫理学」という学問と出合う。当時、宮崎駿監督の『もののけ姫』などが話題になっていた時期で、環境問題への関心も高まっていた。
大学院博士課程で再びドイツへ
学部時代から環境倫理学の研究者になることを志していた熊坂准教授は、早稲田大学のゼミ担当教員から一橋大学の岩佐茂教授(現・名誉教授)を紹介され、こちらの大学院社会学研究科に進学する。ゼミのテーマは、マルクス主義やヘーゲル哲学。ここで、国家や資本主義による支配構造が環境破壊を生んでいるという立場をとる「環境アナーキズム」という思想にも出合った。
大学院の博士課程の時代に、ドイツのテュービンゲン大学に3年間留学し、環境倫理学に関するヨーロッパ側の議論にも耳を傾けた。その後、現在のパートナーに同行する形で台湾の大学で日本語や日本の思想史の指導をする仕事を経験。2013年に帰国し、徳島大学で12年間務めた後、2025年4月に桜美林大学リベラルアーツ学群の准教授となった。
より幸福な人生を求めることを出発点に
倫理学者も現場に出て現実と向き合う
「環境プラグマティズム」
人間中心主義批判から始まった環境倫理学は、人間と自然との関係性のあり方について、さまざまな議論を展開した。しかし、国立公園でキャンプをしながら、手つかずの自然を守りたいと語るのはエリート層の発想で、実際に環境汚染に苦しんでいる開発途上国などの弱者の立場に立っていないと指摘されることもあった。
そこで、環境倫理学者たちは、実際の環境問題の解決に貢献するため、抽象的な概念の議論から離れ、現場に出て現実と向き合い、合意形成に取り組むべきだという「環境プラグマティズム」の思想も生まれた。
「環境倫理学者が現場に出て、当事者の方々に対し、哲学の文脈で状況を整理し概念を提供することで、議論のきっかけを与えられると考えています。合意形成のファシリテーター的な立場で、権利や価値といった抽象的な概念を整理して伝えていくことも哲学者、倫理学者の役割になっていくでしょう」
倫理学の新たな潮流「反出生主義」
環境問題に関する幅広い議論をするなかで、最近、熊坂准教授が注目しているのが、「反出生主義 (Antinatalism)」だ。これは、「新しい生命を生み出すことは倫理的に問題がある」と考える哲学的立場を指す。南アフリカ出身の哲学者デイヴィッド・ベネターらが主張するもので、「生まれれば必ず苦痛を経験する。存在しなければ苦痛はない。ならば、苦痛を経験させる可能性のある存在を合意形成なしに生み出すべきではない」という論理を展開している。
「環境問題の議論では、世代間の不公正が指摘されますが、反出生主義を素直に解釈すると、そもそも将来世代を生み出さなければいいという結論になります。すると現在世代の福祉向上を優先するために、資源をすべて使い尽くして、ここで終わりにしようという考えに至りかねません。環境問題の進行によって、倫理的に『この世に何かを生み出すこと』を肯定できなくなる段階も近づいています。そうなる前に何らかの手を打つ必要があります。すでにお伝えした通り、大切なのは環境を守るための制度設計です。そして、社会全体の合意形成のためには、環境教育がますます重要になります。気候や生態系の知識だけでなく、自然を慈しむ心や他者に配慮する心といった道徳教育のような側面も必要になるでしょう」
熊坂准教授の理想は、どうやったらより幸福な人生を生きられるかを出発点とする環境倫理学を確立すること。環境を守るために我慢を強いるより、いろいろなことを楽しみながら環境と共生する方法を考える——。そんなポジティブなメッセージを次世代の子どもたちに伝えていきたいと考えている。
教員紹介
Profile
熊坂 元大准教授
Motohiro Kumasaka
1976年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。康寧大學兼任助理教授、國立高雄大學兼任助理教授(いずれも台湾)、徳島大学大学院社会産業理工学研究部准教授を経て現職。専門は環境倫理学、政治哲学。共著に『「環境を守る」とはどういうことか——環境思想入門』(岩波ブックレット)、『未来の環境倫理学:災後から未来を語るメソッド』(勁草書房)などがある。
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