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災害時における「心のケア」
心のケアが注目され始めた2000年代
1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)は、「心のケア」の必要性を社会に強く認識させた出来事だった。被災地域の住民だけではなく、救援・救護に関わる支援者の「心のケア」にも注目されるきっかけとなった。
リベラルアーツ学群の池田美樹准教授は、1990年代から教育相談員やスクールカウンセラーとして現場に立ち、2000年からの約15年間は日本赤十字(以下、日赤)関連施設である総合病院の精神科で臨床心理士として実務に携わってきた。池田准教授によれば、2000年代初頭は「心のケア」を体系的に学び、専門的に実践する動きが大きく前進した時期だったという。日赤でも国際赤十字から講師を招き、災害時の心理支援を担う人材を育成する「指導者養成研修」が始まるなど、取り組みが本格化していった。
この頃、国際的にも、緊急事態・災害時の被災者への支援として、「心理的応急処置(サイコロジカルファーストエイド;PFA)」が広く普及・啓発されるようになってきた。PFAは、災害直後から中期にかけて支援者が用いる考え方で、安全の確保や落ち着きの回復、家族・地域とのつながりの再構築など、人が本来持つ回復力を支えるアプローチをまとめている。
「災害直後にまず必要なのは、衣食住の確保や、家族・地域の人々とつながりを取り戻せる“安全で所属できる環境”を整えることです。人は適切なサポートがあれば徐々にストレスを軽減し、本来の力を取り戻していきます。その回復を後押しするのがPFAの役割です。PFAが特徴的なのは、心理専門職だけでなく、誰もが実践できる支援であること。隣に困っている人がいれば、『見て・聞いて・つないで』いく姿勢を意識して寄り添う。その小さな行動が、被災者にとって大きな支えになります」
こうした枠組みが普及し始める中、2011年3月11日に東日本大震災が発生した。池田准教授が勤務していた赤十字病院でも、実際の支援から得た教訓をふまえて、さらに本格的に心理社会的支援の体制化に取り組むことになった。
東日本大震災で浮き彫りになった心のケアの課題
日赤は、東日本大震災では、医療支援(救護班)だけではなく、多数の心のケア要員を派遣した。発災直後に心のケアチームが組織され、3月中には被災地へ入る体制が整えられた。池田准教授が東北に入ったのは5月頃で、被災者が仮設住宅へ移り始めた時期だったという。
「緊急救護から地域医療へ移行する段階では、介護支援員の方々と連携しながら、現地で必要とされる支援を一つひとつ確認していました。しかし東日本大震災では、全国から多様な団体が心のケアを掲げて被災地に入り、現場が混乱する状況も生まれていました。精神科医療を提供するチームと、寄り添いや傾聴を中心とする心理社会的支援を提供するチームが混在し、支援内容が明確でなかったためです」
その結果、被災者は複数の支援者から同じことの聞き取り(ニーズアセスメント)を繰り返し受けることになり、「何度も話すのに必要な支援には受けることができない」という不信感につながってしまうケースもあった。
「支援者同士の横の連携が不十分で、良かれと思って行っている支援であっても、あるいは「善意の支援」であったとしても、支援がかえって現場の負担になっていたのです。また当時、精神科医療は災害医療の枠組みに十分位置づけられておらず、精神科病院が支援体制の外に置かれ、孤立してしまう状況もありました」
こうした課題を受け、2013年には災害時に精神科医療を確実に組み込むため、「災害派遣精神医療チーム(DPAT)」が創設された。DPATは自然災害や重大事故などの際、被災地で精神科医療と精神保健活動を専門的に担うチームである。平時は厚生労働省とDPAT事務局が研修を実施し、災害時には被災都道府県の対策本部の指揮のもと活動する。
情報共有の基盤が整い始めた熊本地震
東日本大震災で浮き彫りになった「心のケア」体制の課題。その教訓を踏まえ、2016年の熊本地震では、心理支援を行う上で不可欠となる情報共有の仕組みがようやく実務レベルで機能し始めた。
「災害時の心のケアは、医療救護や地域保健活動との協働が不可欠です。しかし、災害対応では従来の縦割りも多く、横断的な情報共有が難しい場面がありました。だからこそ、3領域を越えて連携できる仕組みが必要だったのです」
さらに、「J-SPEED」の導入も進んだ。これはフィリピン国保健省とWHOが共同開発したSPEED(Surveillance in Post Extreme Emergencies and Disasters)という報告手法をモデルに、我が国で開発された情報共有システムで、「どこで・どんな症状の人を・何人診療したか」を即時に集計・共有できる。DPATと医療チームが同じ基準で情報を登録することで、災害本部は被災地のニーズの分布や時間推移を把握しやすくなった。
「熊本地震では、初めてJ-SPEEDが運用され、自殺念慮など緊急のメンタルヘルスニーズを持つ事例を迅速にメンタルヘルス(精神)の専門家チームであるDPATへつながった事例が複数ありました。医療チームとDPATが情報を共有することの効果が実感されました。
熊本地震は、私が桜美林大学に着任した年でもありましたが、大学の了承を得て、5月に一週間DPAT調整本部の支援に参加しました。ちょうど、外部支援から地域の精神保健を中心とした支援への移行が検討されていた時期であり、引継ぎの体制作りを支えることが役割でした」
また、東日本大震災で課題となった”支援組織・団体の混在”も、改善に向かった。本部が精神科医療は「DPAT」、地域の見守りや心理社会的支援は「心のケアチーム」が担う体制が整備されつつあったのである。
「どの組織が、いつ、どこで、何を担うのか。その整理が進んだことで、被災地域外からの「心のケア」が長期間継続していた東日本大震災とは異なる対応が行われるようになりました。これは、国際的ガイドラインであるIASCの4Ws(Who・When・Where・What)に通じる考え方が国内でも浸透始めた結果だと思います」
池田准教授は、このガイドラインの日本語版作成にも携わり、「つなぎマップ」という名称で発行している。支援者が自らの活動内容・場所・期間を共有するためのツールであり、支援の重複や抜け漏れを防ぐ役割を担っている。
実務を通じて心理支援のフィールドを広げていった
ストレスの受け止め方は人によって違うということ
池田准教授が高校時代に関心を寄せていたのは、「心理」そのものよりも、日々の生活を支える基盤としての「健康」だった。健康にかかわる知識を学び、将来の仕事にもつなげたいという思いがあったという。
「進学した人間科学部は、社会学・人間工学・心理学の領域を横断的に学ぶ学部でした。脳神経科学や身体の構造と機能といった生物的側面から、人間と環境の関係、さらには文化人類学まで幅広かったですね」
3年次には社会学分野でフィールドワークにも取り組み、家族社会学にも関心を持った。しかし同時に、人間工学や心理学にも魅力を感じ、進路を決めきれずにいたという。そんな中で出会ったのが、認知行動療法を専門とする坂野雄二先生の授業だった。
「坂野先生は、人間が行動を選択する際の心理的プロセスを、行動理論の視点から非常に明快に解説してくれました。私の中で『心理学=夢分析』のような漠然としたイメージがあったのですが、その科学的なアプローチに強く惹かれました」
その出会いを機に心理学への道を選び、坂野先生のゼミナールで学びを深めた。卒業論文から修士課程までは、一貫して「ストレスとその受け止め方(認知的対処)」をテーマに研究を続けた。1990年代は、ストレス研究において「認知的評価」が大きく注目され、同分野の第一人者であるリチャード・S・ラザルスが来日するなど、国内外で研究が盛り上がっていた時期でもあった。
「同じ出来事でも、その受け止め方は人によって大きく異なります。その違いがストレスの強さや反応の現れ方を左右します。落ち込んでしまう人もいれば、強い感情として表出する人もいる。学部時代には、ストレス事態に対して、感情を表現した場合と抑制した場合で、生理的反応や主観的反応にどのような違いが生じるのかを実験的に検証しました。国際学会で発表する機会も得られ、今振り返っても非常に貴重な経験でした」
教育相談室、スクールカウンセラー、そして精神科へ
卒業後、池田准教授は公立の教育相談員としてキャリアをスタートした。乳幼児から高校生まで、教育課程にある子どもたちとその保護者、さらには幼稚園や学校の教員からの相談にも応じ、幅広い相談支援に携わった。
「環境調整が必要なのか、それとも本人のストレス対処能力を引き出していくべきなのか。支援の形は一人ひとり異なります。特に小さな子どもは自分がストレスを受けているという自覚も乏しいため、背景にある環境要因を丁寧に探る必要があります」
1990年代当時は、民間資格としての臨床心理士が立ち上がったばかりの時期で、心理職の働き方もまだまだ定まっていなかった。それでも、子ども支援の現場では専門性が求められており、池田准教授も数年間の実務経験を積んだ後、臨床心理士資格を取得した。
1995年には文部科学省の「スクールカウンセラー活用調査研究委託事業」が始まり、全国の学校に臨床心理士等が配置されるようになる。教育現場での「心のケア」が社会課題として注目され始めた時期でもあった。
「不登校やいじめの件数が増える中、教員だけでは対応しきれず、スクールカウンセラーの重要性が高まっていました。心のケアを学校現場に位置づける必要性が強く意識されるようになっていたのです。そんなときに阪神・淡路大震災が発生し、災害時にも心理支援が必要だという認識が広まりました」
一方で、教育現場での相談支援を続ける中で、心理的ストレスとしての環境調整や対処だけでなく、精神科医療としての治療対応が望まれるケースも多々あることを強く実感するようになった。医療領域の中での心理支援に関わりたいという想いから、精神科的な治療が必要なケースもあると池田准教授は感じるようになった。より医療の枠組みで心理支援に携わりたいという思いから、赤十字病院精神科へ活動の場所を移した。赤十字病院では、支援する対象は一気に広がった。乳幼児から高齢者まで、事故後に救急搬送された人、疾患で入院する人、出産を控えて不安を抱える妊婦など、多様な患者への心理支援に応じることになった。
「精神科では、一対一の個室での心理相談もありますが、病棟へ足を運んでベッドサイドで患者さんの話を聴くこともあります。医療スタッフから、『不安が強い』『睡眠や食事が進んでいない』という患者さんの相談を受けることもあります。体の状態だけではなく、背景に心理的な要因が疑われるケースも少なくなく、看護や医療ケアの中で心理的支援の必要性が上がってきたときには、心理職として医療チームの一員として、患者さんの状態把握と支援にあたっていくことになります」
赤十字病院での心理支援に取り組む一方で、池田准教授は東日本大震災や熊本地震など、大規模災害における心理支援にも参加し、次第に「災害時の心のケア」という専門領域へと歩みを進めていくことになった。またこの間、大学院博士課程にも進み、理論的かつエビデンスある治療を実践するために研究活動も行っていた。
災害時における教育支援のあり方
能登半島地震では教育領域における支援活動にも参画
2024年の能登半島地震では、心理の職能団体では、発災直後からMicrosoft Teamsなどのオンラインツールを活用した情報共有が即時に開始された。池田准教授は「これは災害支援の現場における大きな進歩だった」と振り返る。もともと心理職として学校支援に長く携わってきた経緯もあり、能登半島地震では教育領域における支援メンバーとして参画した。
「文部科学省から心理の職能団体に『スクールカウンセラーの派遣要請があるかもしれない』という連絡が入り、受け入れの体制を準備することになったのです。実際に要請が出た後は、石川県教育委員会、石川県心理士会、全国の心理職能団体間の支援調整、および支援の運用方法を整えていく役割を担いました」
地震は1月1日に発生し、学校再開は1月末から2月にかけての時期。避難生活が続く中でも、学校の再開は子どもたちにとって「日常のリズム」を取り戻す大きな支えになる。
「非日常が続くと子どもたちは強いストレスを抱えやすい。学校という日常の場に戻ることは、心理的な安定にもつながるということが、これまでの研究でも示されています。学校再開にあわせて、輪島市・珠洲市・能登町の小中学校へ、スクールカウンセラーを2名一組で派遣する体制が整えられました」
日常の中で子どもが災害をどう受け止めているかを丁寧に見て、教職員のストレス状況にも寄り添ってサポートしていく。災害初期は個別面談が中心だったが、状況が落ち着き始めると、文部科学省の児童生徒課、石川県教育委員会、石川県心理士会などと連携しながら、学校の中で「心のケアサポート授業」を展開するフェーズへと移行していった。
「発災直後は救急的な支援が必要ですが、時間が経ち、安全な環境で日常生活が送れる時期になってからは、地震で感じた怖さなどを無理に閉じ込めるのではなく、安全・安心できる場で、自分のペースで少しずつ表現をしていくことが大切になります。石川県で実施した『心のケアサポート授業』は、『怖かったけど~こんなふうに対処ができるよね』と具体的にイメージを持つことができるように、子どもたちのリカバリースキルを高めていく授業です」
心の問題は、災害後も長く影響する
災害の影響は、家屋の損壊や避難生活といった目に見える被害だけでは終わらない。心の問題まで含めれば、その影響は数カ月から数年、ときに10年以上に及ぶことが明らかになってきている。東日本大震災から10年以上を経て生じた心身の不調が、実は震災時の体験と結びついていることを示す研究も報告されているという。
「災害時における心のケアの重要性は、支援者も例外ではありません。瓦礫撤去や医療・心理支援に奔走する支援者たちは、自分のストレスを後回しにしがちです。『もっとできたはずだ』という無力感、災害現場の危険を理由に活動が制限されたときのやるせなさ、こうした感情が積み重なると、燃え尽き症候群に陥ることもあります。不眠不休の活動で覚醒状態が続き、身体的ストレスが蓄積した結果、PTSDなどの心の不調として表れることもあります。放置すれば医療的支援が必要な段階に至る場合もあり、支援者自身を守ることも不可欠だと認識されるようになっています」
池田准教授は、このような場合においても、心の問題にふたをしてやり過ごすのではなく、つらさや悔しさと向き合うことが回復への第一歩だと強調する。痛みを押し込めるのではなく、受け止めるチャレンジをすること。そこから、乗り越えようとする力が生まれてくる。
心のケアは日常から始まる
自分の力を引き出すとともに、頼ることも大切になる
2000年代初頭には、「心のケアとは何か」という議論から始まった心理支援も、現在では災害時には心のケアが必要であることが社会的に認識されるまでになった。しかし、心のケアというと特別な対応が必要と思われがちだが、実際には日常生活でのストレス対処を応用することが基本だと、池田准教授は語る。
「日常にはさまざまなストレスが存在します。その中で、自分の感情に目を向け、視点を変えたり、異なるアプローチで対処してみたりすることが有効です。たとえば、自分はどのようなことにストレスを感じ、その対処にはどの方法が適しているのかを考える。それは一人で考えるだけでなく、他人の意見にも耳を傾けることが大切です」
ストレス対処には、自分の潜在的な力を引き出すと同時に、他人の支援に頼る力も必要。そして得た支援をさらに他者に広げること。こうした相互の関係づくりが、ストレスフルな社会の中で対応していく上で不可欠になる。
今後は、アスリートの心理学的研究にも注力
池田准教授は、災害現場のような非日常だけでなく、日常生活の中でどのような心理的アプローチが可能かという点にも注目している。現在はアスリートが良いパフォーマンスを発揮するためにはどのような心理的スキルが求められるのかに関心を持ち、サッカーや陸上競技などのプロ選手のデータを収集し、研究を進めているという。池田准教授自身も市民ランナーとしてマラソン大会に出場し、桜美林大学では陸上部の顧問も務めている。
「もちろんアスリートを対象とした研究とともに、日常・非日常における心理支援にも取り組んでいきます。桜美林大学に来てからも、学生の研究調査で宮城県の釜石市を訪れたことがあります。当時、赤十字で活動していた際に関わった市の職員の方が地域を案内してくださり、当時の状況について振り返りながらお話ししてくれました。社会の中での関係は途切れずにつながっていくのだと感じます。桜美林大学の学生も、学業やスポーツなどさまざまな場面で仲間や他者に助けを求めたり、他者を助ける経験を積むことで、その社会的な関係の中に身を置くことができます。それが、いざというときの心のケアにつながっていくのだと思います」
教員紹介
Profile
池田 美樹准教授
Miki Ikeda
1969年東京都出身。早稲田大学人間科学研究科健康科学専攻修士課程修了(人間科学)、早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程単位取得満期退学。東京都足立区福祉部障害児保育巡回指導講師・発達支援委員会委員、東京都公立小・中学校スクールカウンセラー、武蔵野赤十字病院精神科臨床心理係長を経て、2016年、桜美林大学大学院臨床心理学専攻リベラルアーツ学群・大学院心理学研究科講師。2019年、現職。共著に『こころに寄り添う災害支援』(金剛出版)、『災害看護 心得ておきたい基本的な知識』(南山堂)など。
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