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専門は「科学コミュニケーション」
多くの人々の関心をひきつけ、
わかりやすく説明する「科学イラスト」
「新型コロナウイルス イラスト」というキーワードで画像検索をしてみると、環状のトゲトゲしたウイルスのイラストが多数ヒットする。肉眼では見えないウイルスを認識できるのはこうしたイラストのおかげだ。

「電子顕微鏡の新型コロナウイルスの写真を見てもモノクロでぼんやりしていることが多く、一般の人にはその形状はわかりません。一方、科学イラストであれば、重要な要素は色分けされ、スパイクの数や大きさも調整され、その形状や断面も模式化されて描かれるため、ウイルスがどのような姿をしているのか理解しやすくなります」
そう語るのは、リベラルアーツ学群の有賀雅奈准教授だ。専門は「科学コミュニケーション」。なかでも科学イラストやビジュアル・デザインなど、科学の視覚文化を研究している。科学イラストとは、科学知識を記録・表現・伝達する絵のこと。伝統的には植物図や解剖図のような記録のために用いられたイラストのことを指す。一方、広義では科学的知識を伝える絵や概念図的な表現全般が含まれるという。
「科学イラストは多くの人の関心をひきつけ、わかりやすく説明してくれる強力なツールです。私は科学イラストの特徴を分析すると同時に、私自身もプロのイラストレーター、デザイナーとして科学イラストを制作しています。学術的研究とともに制作実践、さらには大学や研究所、企業へのアドバイジングを通じて、社会に貢献することを目指しています」
科学イラストには、社会の人々の認識に影響をもたらす効果がある。冒頭の新型コロナウイルスのイラストは、「目に見えない敵」を「見える化」した好例だ。ヒトは、目に見えないものを実体として捉えることが難しい。そのため、専門家からいくら目に見えない小さなウイルスが目の前に大量に漂っているといわれてもなかなか実感を持てない。そこにウイルスのイラストがあると、自分のまわりにウイルスが存在することを瞬時にイメージできるようになる。空気のような捉えにくい存在から、実体としてのウイルスを想像することができるようになるのだ。
難しい研究論文を1枚絵で説明する
「グラフィカル・アブストラクト」
有賀准教授は、身近な科学の話題だけでなく、専門的な学術研究の内容をビジュアル化して、広く市民に伝える手法にも関心を寄せる。例えば、2000年代以降、化学や医学、生命科学など多くの分野の論文に「グラフィカル・アブストラクト」が掲載されるようになった。グラフィカル・アブストラクトとは、論文の概要を1枚にまとめた概念図のこと。広義での科学イラストの一種にあたる。

「グラフィカル・アブストラクトを採用したジャーナルは、インパクトファクター(学術論文の影響度を数値化した指標)が上昇したという報告やグラフィカル・アブストラクトをセットにしてX(旧Twitter)で論文を宣伝するとインプレッションが大幅に増加するという報告もあります。さらに、近年は研究費の申請書にも研究概要図の掲載が求められています。このような一枚絵が求められるようになったのは、科学情報が溢れかえる時代に入り、全体像を素早く把握できる効果が専門家においても必要とされるようになっているためだと考えられます」
近年は「オープンサイエンス」の流れも著しい。これは、科学情報に多くの人がアクセスできるようにする取り組みを指すもので、専門家と一般市民の協働を実現することが目的となる。しかし、いくら情報が公開されてもそれを市民が理解できなければ意味がない。本当の協働を目指すならば、単に情報を公開するだけでなく、異なる分野・言語を超えられるよう、相手に合わせて情報を翻訳していく必要がある。この翻訳の機能として、科学イラストは大きな力を発揮しうると有賀准教授は考えている。
「研究者から市民に向けた情報発信もますます強く求められるようになっています。例えば、2011年の東日本大震災の際には多くの人が放射線への恐怖から正しい情報を求めました。しかし、研究者による説明が伝わらず、混乱が生じた場面もありました。市民にとって、わからない解説を繰り返すだけの専門家は信頼の対象にはなりません。その点で、科学イラストは、非専門家とのコミュニケーションに非常に効果的なのです」
「科学イラスト」を職業にする道へ
転機になったアメリカで活躍する
科学イラストレーターとの出会い
幼い頃から生物が好きで、図鑑を読むこと、そこに描かれたイラストを模写することを楽しんでいたという有賀准教授。特に鳥が好きで、双眼鏡を持って家のまわりで観察可能な鳥の種類をカウントしたり、鳴き声を覚えたりしていた。この頃から、科学を伝える方法としての「ビジュアル」には、自然と関心を持っていたという。
「科学コミュニケーション」に興味を持ったのは、大学生になってから。理学部で学んでいた有賀准教授は、ある授業で教授が、「学生に科学がうまく伝わらない」とつぶやいている姿を目の当たりにした。なぜ科学が伝わらないのか——。その理由を考え始めると止まらなくなった。
「大きな転機となったのは、当時アメリカで活躍していた日本人の科学イラストレーターであるTomo Narashima氏との出会いでした。科学イラストレーターとは図鑑や教科書に掲載されている恐竜や天体、細胞などの絵や、専門的な論文などに掲載される概念図などを描くプロのイラストレーターのことです。私はそのイラストレーターに会ってはじめて詳しく科学イラストの世界を知ったのですが、美しくわかりやすく表現されたさまざまな科学イラストに衝撃を受け、日本でも科学イラストやビジュアル・コミュニケーションをよくしていきたいと考えるようになりました」

大学院で「科学イラスト」を専門的に研究
理学部を卒業後、京都大学大学院生命科学研究科に進み、科学イラストがどのようにつくられるかを研究した。科学者とイラストレーターが対話をしながら、どのようにイラストを完成させるのか。そのプロセスを分析することで、科学の伝え方におけるビジュアルの役割を明らかにしたいと考えた。修士号を取得すると北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科の博士課程に進み、さらに視点を広げて、「科学コミュニケーション」全体について研究することにした。理由は、修士課程で2年間かけて研究した科学イラストの限界を感じたから。
「修士課程の科学イラストの研究を通して、科学を『伝える』だけでなく、『対話する』ことの重要性を痛感しました。例えば、原発の安全性を伝えたい人が、単に『安全です』と繰り返しても、不信感を持っている人には伝わりません。相手の疑問や不安を理解し、それに応じた対話が必要です。科学イラストも同じで、わかりやすくするだけではなく、伝える姿勢そのものを考える必要があると考えました」
博士課程では、科学イラストによる「伝え方」だけでなく、高校生に向けた科学イベント、地域の人々に研究成果を伝えるワークショップなどの現場を訪れ、そこで何が行われているのかを調査し、より効果的なコミュニケーションの手法を模索した。相手の関心や疑問に応えてこそ、コミュニケーションは成立する。有賀准教授は、ここで現場で相手の声を聞きながら直に「伝える」という実践を通して、科学コミュニケーションの本質を追究していく。

「科学イラストが描けるなら学内の資料をつくってほしい」
博士課程在籍中に、若手研究者の登竜門となる日本学術振興会特別研究員に、博士課程時代の「科学コミュニケーション」の研究テーマで申請すると不採択に。そこで、最後は好きなことをやろうと考え、「科学イラスト」を研究テーマとして再び申請するとみごと採択された。ここで、有賀准教授は自らにとって、「科学イラスト」はどういう存在なのかを再認識することになる。
「この時点で、プロとして科学イラストを仕事にするつもりはなく、向いているという自覚もありませんでした。しかしその後、私は科学イラストの制作と向き合い続けることになります」
日本学術振興会特別研究員を経て、2015年に有賀准教授は、東北大学で教育研究支援者の職を得る。そこで、当時の副学長から「科学イラストが描けるなら学内プロジェクトの資料をつくってほしい」と声をかけられた。それまでは研究者として科学イラストを分析する立場だったが、実際に手を動かして描くことを求められるようになったのだ。そこから、大学内のさまざまなプロジェクトに関わり、研究者が伝えたい内容をどうビジュアル化すればよいのかを考え、イラストを制作する日々が始まった。これまでの研究成果を結集した「わかりやすさ」だけでなく、本当に「伝わる」科学イラストがここで開花していく。
その後、企業に所属し、医療分野のイラスト制作にも携わった。例えば、心臓病の患者に向けた説明資料をつくるような仕事だ。医師による説明文書は、どうしても専門的になりすぎてしまうが、それをイラストとわかりやすい文章にすることで、患者が病気や治療の流れを理解しやすくすることができた。こうした経験を通じて、科学イラストは単なる「絵」ではなく、人と専門知識をつなぐためのツールであると改めて実感した有賀准教授。そこで、科学イラストのつくり方を多くの人々に伝える仕事に関心を持つようになる。

一般市民が科学に関心を持つ「場」をつくりたい
最新のテーマは「戦後の図鑑イラストの研究」
現在は、桜美林大学リベラルアーツ学群で、科学コミュニケーションや科学イラストをテーマにした授業を行っている有賀准教授。特に、学生と一緒にアナログゲームを開発する活動に力を入れている。
「例えば、『健康を学べるすごろく』や『防災をテーマにしたカードゲーム』など、ゲームを通じて科学に触れられる機会をつくっています。これらは、単に知識を伝えるだけではなく、科学に対する興味や関心を引き出すことを目的としています。特に、日本では科学に対する無関心や『理系がやるもの』という固定観念が根強い。その壁を崩すためにも、まずは楽しみながら科学に触れられる機会を増やすことが重要だと考えています」
有賀准教授の最近の研究テーマのひとつに、「戦後の図鑑イラストの研究」がある。戦後、日本では「学習図鑑」が普及し、多くの子どもがそれを通じて科学に親しんだ。しかし、その図鑑を描いたイラストレーターたちの仕事は、これまであまり研究されてこなかった。そこで、彼らの作品が科学コミュニケーションに果たした役割を明らかにし、後世に残していきたいと考えている。戦後の図鑑から科学を「伝える」ための新たなヒントが見つかる可能性も大いにあるだろう。
より多くの人が科学を『知る』だけでなく、
『考える』ことができる社会へ
「科学コミュニケーションは、単に科学をわかりやすく説明することが目的ではありません。むしろ、科学と社会をつなぐ架け橋となって、科学者だけでなく、一般の人々が科学に関心を持ち、参加できる場をつくる取り組みだと思っています。科学イラストがその手助けとなり、より多くの人が科学を『知る』だけでなく、『考える』ことができるようになるのが理想です。科学はAI、美容、医療、エネルギーなど私たちの身近な商品やサービスにも活用されており、普通の市民も科学の性質の影響について知り、どう関わっていくのか考える必要があります。そのことを伝えるために、これからも研究と実践を続けていきたいと思っています」
教員紹介
Profile

有賀 雅奈准教授
Kana Ariga
1984年、東京都生まれ。2008年 立教大学理学部生命理学科卒業。2010年 京都大学大学院生命科学研究科生命科学専攻修士課程修了。2014年 北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科知識科学専攻博士課程単位取得満期退学。2015年 北陸先端科学技術大学院大学にて博士号(知識科学)取得。日本学術振興会特別研究員、東北大学研究推進・支援機構UARセンター 助教、株式会社レーマン コミュニケーション・ディレクターなどを経て、2021年より桜美林大学リベラルアーツ学群助教。2024年より現職。専門は、科学コミュニケーション、科学論、科学技術社会論。
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