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ビッグヒストリーとは何か
ビッグバンからあなたまで——138億年の壮大な物語に迫る
「ビッグヒストリー」という学問領域がある。これは、人類や地球の歴史を超え、宇宙の誕生にまで遡って、時間のすべてを一つの連続した物語として捉えようとする壮大な試みだ。138億年前のビッグバンから現在、そして未来に至るまでの歴史を、宇宙物理学、地球科学、生物学、人類学、歴史学といった多様な分野を統合して探究する。目的は、宇宙と生命、そして人間の存在の意味などを問い直すことにある。
「宇宙とは何か。生命とは何か。人間とは何か。私たちはどこから来て、どこへ行くのか——。こうした究極の問いを、最新の科学知識に基づき、138億年というスケールで考察していくのです。ビッグヒストリーを提唱したのは、オーストラリア・マッコーリー大学で教壇に立っていた歴史学者デヴィッド・クリスチャン教授です。1989年に彼が開講した授業が、この学問領域の始まりとされています」
そう語るのは、リベラルアーツ学群の片山博文教授だ。片山教授によると、ビッグヒストリーの核心的な概念のひとつが「ディープタイム(Deep Time)」——すなわち“深い時間、悠久なる時間”であるという。
「私たちは資本主義社会のなかで、極めて短期的な時間感覚のもとに生きています。しかし、ビッグヒストリーの視点に立って宇宙的時間から見れば、人類の営みなど一瞬にすぎません」
1972年にローマクラブが発表した『成長の限界』というレポートは、100年単位で地球環境の持続可能性を考える必要があることを当時すでに示していた。さらに、ネイティブアメリカンのイロコイ族が「7世代先を見据えて意思決定をする」という“7世代原則”を重んじてきた慣習も有名だ。一世代を30年とすれば約200年先の未来を見据えるという発想になる。しかし、現代を生きる私たちにはこうした視点はほとんどないといっていい。
「現代社会では、長い時間軸で考える姿勢が急速に失われつつあります。1950年代以降、人類の活動は『グレート・アクセラレーション(大加速)』と呼ばれるほどに加速し、人口や経済成長、資源消費などあらゆる指標が急激に増大しています。技術の進歩が新たな人類を生み出すという楽観的な見方もありますが、果たしてそれでよいのでしょうか。私たちはどこへ向かおうとしているのか。そうした根源的な問いを立てることこそ、ビッグヒストリーの意義なのです」
複雑系の科学、そして「人新世」という時代へ
20世紀後半、「複雑系の科学」と呼ばれる新たな学問領域が急速に発展した。オートポイエーシス、カオス理論などがその代表例だ。これらは、科学技術の進歩と理論の深化によって、自然界や社会のなかに潜む「複雑性」が可視化されるようになったことに端を発する。宇宙の基本法則とされる熱力学第二法則、いわゆるエントロピー増大則では、すべては無秩序へと向かうとされる。しかし現実の宇宙では、生命や社会など、次々と新しい秩序が生まれている。こうした「秩序を生み出す無秩序」こそが、宇宙史の本質であると複雑系の科学は示唆したのだ。
「複雑な現象を明らかにしていくほどに、かえって批判的に捉えることが難しくなっていきます。また、複雑性そのものを善とみなすような、複雑性の優越主義に陥ってしまう危うさもある。私の見方では、複雑系の科学は“自然”と“人工物”を同じ論理で理解しようとした点に特徴があると思っています。しかし、人間が科学技術を発展させてきた結果、人工と自然との境界が曖昧になってしまった」
実際、地球上では約180万種の生物が確認されているが、未発見種は3,000万種にも上るとされる。一方で、Amazonでは数億点に及ぶ商品が流通している。人間が生み出した複雑性が、もはや自然界のスケールを凌駕しつつあるのだ。
「2020年のある研究では、人間が生み出した人工物(主にコンクリート)の総量が、地球上のすべての生命体の総質量を上回ったと報告されています。私は大きな衝撃を受けましたが、多くの人々はその事実に危機感を覚えていません。人類は産業化によって生じた問題を、さらに工学の力で解決しようとしてきました。地球温暖化が進むと気候工学で気候を操作しようとし、生物多様性が失われるとゲノム編集で種を補おうとしてしまう。工学が引き起こした問題を工学で解決するという、この悪循環から抜け出せていないのです」
放射性廃棄物の管理を例にとっても、そのスパンは10万年単位。地質学的な時間であると片山教授は語る。10万年前といえば、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが共存していた時代だ。
「私たちは果たして、そんな未来にまで影響を及ぼす決定に責任を持てるのでしょうか。これは長期的な視点で考えているようで、実際は短期的な思考のまま、責任を未来へと先送りしているだけなのだと思います」
人類の活動が地質的な時間スケールに入り影響を及ぼし始めている。この時代を「人新世(Anthropocene)」と呼ぶ。これは化学者パウル・クルッツェンが2000年に提唱した概念だ。しかし2024年、国際地質科学連合は人新世を正式な地質年代として認めなかった。つまり、地質学者でさえ、人類が地球環境に新たな時代を刻みつつある現実を、まだ受け止めきれていないのだと片山教授は語る。
この地球をいかに未来につないでいくのか
オルタナティブなシステムを追い求めてきた
片山教授は、もともと文学部でロシア文学を学んでいた。しかし、学部の学びのなかで次第に惹かれていったのは経済学の世界だったという。
「当時は学生運動の最後の時期にあたり、社会のあり方を根本から問い直す空気がまだ残っていました。私自身もその流れに触れながら、資本主義の構造を批判的に捉えようと、マルクスやエンゲルスの著作を繰り返し読んでいました」
経済格差への問題意識もあったが、とりわけ環境問題への関心が強かったという。
「高校時代に水俣病のことを知り、衝撃を受けました。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』も読み、現代社会のあり方に深い危機感を覚えました。いまのシステムのままでは地球環境は持続できないと感じていたのです」
当時はまだソ連が存在し、ベルリンの壁も健在だった。社会主義革命という言葉にも、いくらかの現実味があったという。
「しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年にソ連が解体しました。社会主義は理想どおりには機能しなかった。では、なぜうまくいかなかったのか。あるいは、どうすれば持続的に機能するシステムになり得たのか。それを考えたいと思ったのです」
コモンズ論を経て、ビッグヒストリーに出合う
大学院では、ソ連経済を専門とする指導教授のもとで、環境経済学や比較経済体制論を学んだ。そのなかで取り組んだのが「コモンズ論」だった。人間と自然の関係を「所有」というキーワードから考察する学問であり、とりわけ人間が自然をどのように所有・利用してきたかに焦点を当てる。近代以降の資本主義や市場経済を批判的に見つめる研究領域だ。
「近代以前には、自然資源を共同体が共有・管理する仕組みがありました。しかし、国家や資本家、自由市場の登場によって、国有や私有といった所有の概念が広がり、伝統的なコモンのあり方が失われていったのです。私は、コモンとしての管理の可能性を探ろうとしていました」
ところが、研究を進めるうちに、従来のコモンズ論にも限界を感じるようになったという。結局、コモンズ論も人間中心主義の枠組みを超えてはいないのではないか、と感じたのだ。
「私有でも国有でもない第三の道を探ろうとしても、そこにはやはり人間の視点が前提として残ってしまう。人間と自然が本当の意味で共生する仕組みを考えたいのに、どうしても『人間が管理する』という発想から抜け出せないのです」
そんな思索の途上で出合ったのが、ビッグヒストリーだった。ビッグヒストリーでは、人間を宇宙の138億年という長大な時間の一部として捉えることができる。人類の外側に視点を置き、宇宙や生命の進化の流れのなかで自らの存在を再構築する。その発想に触れたとき、ようやく人間中心主義の枠を越えられる可能性を感じられたという。
宇宙的視点とは何か
地球は美しく、そして脆く見えた
ビッグヒストリーの最大の魅力は、「宇宙的視点」にあると片山教授は語る。宇宙的視点とは、人間が宇宙から地球を眺めたときに得られるような、俯瞰的かつ包括的な見方である。片山教授がこの考え方に惹かれた背景には、学生時代に読んだ立花隆の『宇宙からの帰還』(中公文庫)の影響があるという。宇宙飛行士への綿密なインタビューをもとに、宇宙体験が人間の意識に与える影響を考察した名著だ。
「『宇宙からの帰還』を通して、宇宙飛行士たちが宇宙、地球、生命、そして人間存在そのものに深い哲学的衝撃を受けていたことを知りました。彼らが得た宇宙的視点を、自分の言葉で表現できないか。それは私のなかで長年のモチーフとしてありました。そしてビッグヒストリーに出合ったとき、これはまさに宇宙飛行士が体感した視点を私たちに与えてくれるものだと感じたのです」
人類が初めて地球全体を自らの目で見たのは、1968年12月24日。アポロ8号に搭乗したフランク・ボーマン、ジェームズ・ラヴェル、ビル・アンダースの3人が、月の周回軌道から青い地球をとらえた瞬間だった。彼らが撮影した「地球の出(Earthrise)」の写真は翌年、『ライフ』誌の表紙を飾り、「世界を変えた100枚の写真」のひとつとして歴史に刻まれた。
宇宙飛行士たちが等しく語ったのは、宇宙から見た地球が、あまりにも美しく、同時にあまりにも脆く見えたという体験だった。それは、地球を「揺るぎない大地」として捉えてきた従来のイメージを根本から覆すものだった。
片山教授は、この意識の変化を「宇宙的視点」と呼び、さらに「地球意識」「俯瞰効果」「ディープスペース感覚」の3つに整理している。なかでも中心に据えるのが「俯瞰効果(overview effect)」だという。
「俯瞰効果とは、非党派的で、あらゆる境界を越え、遠くから全体を見渡す視座のことです。高みから見下ろすようにして初めて、人間社会の壁や分断の無意味さが見えてくる。しかし私たちは、宗教、政党、国など、限られた枠組みに頼って世界を理解しようとしている。そこからこぼれ落ちている“大きな物語”を、ビッグヒストリーは取り戻させてくれるのです。国境や学問の壁、あらゆる境界を越え、より広い視野を獲得する。それこそが、宇宙的視点なのです」
わたしが存在していることの意味
人間社会は、開発と破壊を繰り返す“スクラップ・アンド・ビルド”の加速を止められずにいる。一方で、宇宙飛行士たちは宇宙から地球を見つめることで、時間の大きな流れと存在への深い洞察——いわば「宇宙的視点」を得た。では、地上に生きる私たちは、どのようにしてその視点を身につけることができるのか。誰もが宇宙を旅して“実感”を得られるわけではない。だからこそ、ビッグヒストリーをどのように自分の思考や行動へと落とし込むのかが問われている。
「人間なんて、せいぜい数十年しか生きられません。偶然ここに生まれ、やがていなくなる。その程度の存在にすぎないのか。宇宙の歴史はすでに折り返しに入り、いずれ地球も太陽に飲み込まれて消えてしまう運命です。そう聞くと、何をしても無意味に思えるかもしれません。いわばニヒリズムですよね。しかし、たとえばあなたががんの特効薬を研究しているとします。いつか死ぬとして、その研究をやめますか? きっとそうではないでしょう。人は皆、何らかの使命感や期待をもって行動している。私たちは自分の生を超えて、つながりを信じているのだと思います」
地球生命の歴史は138億年。最初は水素原子しかなかった宇宙が、最初の生命であるLUCA(ルカ)を経て、人類にまで至った。その連なりのなかに“わたし”が存在していることは、不思議であり、同時に感動的であると片山教授は語る。そうした視点の変化が、自己の在り方や世界との向き合い方をも変えていくという。
「現在、宇宙開発は急速に進み、2050年頃には宇宙旅行が手の届くものになるかもしれません。宇宙エレベーターの構想も現実味を帯びつつあります。とはいえ、これまで宇宙に行った宇宙飛行士はわずか約500人。宇宙に行ける民間人も限られた富裕層にすぎない。だからこそ、私たちは地上にいながら“宇宙的視点”を獲得する必要がある。ビッグヒストリーに触れること。それが、その第一歩になると思っています」
我々はどこから来て、どこへ向かうのか
桜美林大学でビッグヒストリープログラムを開講
2016年、片山教授は宮脇亮介教授とともに桜美林大学でビッグヒストリーの授業をスタートさせ、2021年には「ビッグヒストリープログラム」を立ち上げた。
「ビッグヒストリーの魅力は、日常生活では考えない“根源的な問い”に向き合うことにあります。宇宙とは何か。生命とは何か。人間とは何か。もちろん答えは簡単には出ませんが、その過程で視野が一気に広がる。学生のリアクションペーパーを読んでいても、驚きや発見を感じていることが伝わってきます」
また、ビッグヒストリーは学問分野を横断して考える試みでもあると片山教授は語る。自分の専門を相対化し、新たな段階へ進むための足がかりにもなる。個々の学びがバラバラに思える学生にとって、ビッグヒストリーの枠組みのなかでつなげて考えることで、学ぶことの面白さを再発見できるはずだという。
コスモポリタニズムが必要になる時代
月や火星に人類が居住する日も、もはや夢物語ではないという。無重力空間で人間がどのように生き、どのように変化していくのか。もしかすると、富野由悠季『機動戦士ガンダム』に登場する“ニュータイプ”のような概念も、現実に生まれるのだろうか。
「ビッグヒストリーの授業では、さまざまな分野の研究者やクリエイターを招いています。たとえば、『マクロスシリーズ』の河森正治監督には、これまでに2度お越しいただき、宇宙規模のスケールのなかで思考することの大切さをお聞きしました。宇宙と人類の関係がますます近づく今、私たちは“宇宙市民である”という新たな意識、コスモポリタニズムを育てていく必要があると思っています」
未知なるものを発見するために、太陽圏を脱出して今も遥かな宇宙を旅し続けているボイジャー探査機は、地球の文化を刻んだゴールデンレコードを携えている。いずれ未知なる存在がそれを見つけるかもしれない。中国のSF小説である劉慈欣の『三体』(早川書房)では、宇宙には恐るべき存在が潜むという“暗黒森理論”が語られていたが、片山教授は、人間は本質的に“コミュニケーションを求める生命”だと考えているという。だからこそ、宇宙という未知の空間においても、より融和的で共生的な“宇宙市民主義”の理論を築いていきたいという。
「人類は、協調のなかで発展してきた生命です。宇宙的なスケールで地球を見つめ、あるいは未来の視点から現在を振り返れば、なぜ私たちは同じ地球の仲間同士で争い、破壊を繰り返しているのか。その不条理に気づかざるを得ないでしょう」
外から現在を見つめ直すこと。それは、希望を見いだす行為にもなるという。ビッグヒストリーを通して、私たちは改めて問う。人類はどこから来て、どこへ向かうのか。138億年の壮大な時間の流れのなかで、自らの生をどうつなぎ、どう未来へ託していくのか。
教員紹介
Profile
片山 博文教授
Hirofumi Katayama
東京大学 文学部 ロシア語・ロシア文学科 卒業。一橋大学大学院 経済学研究科 博士課程単位取得満期退学。専門は、環境経済学、比較経済体制論。現在は、古代から存在する宇宙市民主義(コスモポリタニズム)を、ビッグヒストリーの視点から基礎づけることをめざしている。著書『人新世のヒューマニズム』(論創社)、訳書『ビッグバンからあなたまで──若い読者に贈る138億年全史』(共訳、亜紀書房)ほか
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