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応用言語学の知見で「教員教育」に挑む
「言語学が教室でどう役に立つのか」
SNSやChatツールの普及により、現代人はこれまでのいつの時代よりも文字を使ったコミュニケーションをしていると言われている。スマホでテキストメッセージを送り合う行為は、もはや日常に組み込まれている。若い世代の「活字離れ」が叫ばれる一方で、自分の気持ちを「言語化」するスキルを解説する新書がベストセラーになるなどのトレンドも注目を集めている。その流れで何かと話題に上がるのが「言語学」だ。
言語学とは、言語そのものの仕組みを解明する学問分野のこと。音韻、語彙、文法、意味など、研究領域はかなり細分化されている。こうした言語学の幅広い領域から必要な知見を取り出して、実社会のさまざまな場面に適用する学問分野が「応用言語学」である。リベラルアーツ学群で英語教育プログラムを担当するファース マーク准教授は、応用言語学やTESOL(英語教授法)を専門としている。
「私は応用言語学の中でも『教員教育(Teacher Education)』に関心があります。将来教師になる学生たちに向けて、彼らが立つことになる教室の状況や学習者の状態を想定しながら、『言語学が教室でどう役に立つのか』を一緒に考えていく。こうしたアプローチが私の研究の中心です」
“学び”が起きる状況を整えるのが教員の役割
オーストラリア出身のファース准教授は、大学で小学校教諭養成を目的とした教育学士号を取得し、教育者としてのキャリアをスタートした。初等教育においては、教室に入って、いきなり教科書を開いて教え始めることはできない。まず状況を見て、学習者の状態を把握して、どんな支援が必要なのかを判断する。そこに教員の専門性があるという。
「学部時代の教授が私にこう言ったことがあります。『誰かが誰かに何かを“教えた”という直接の証拠はない』。つまり、人は学ぶ。しかし、学びが起きるメカニズムは単純な因果関係では説明できないのです。私たち教員は、“教える”ことで学びを生むというより、学びが起きる状況を整えているのです」
ファース准教授は、オーストラリアの大学を卒業後、イギリス・ロンドンで小学校教諭として働き始める。勤務地はロンドンのイースト・エンド(East End)。経済的に厳しい環境の子どもたちが通う学校がある地域だった。教室にはいつも朝食を食べていない子どもがいる。季節に合わない服装の子もいる。前夜、親と遅くまで外にいて睡眠不足の子もいる。ここで、子どもたちの状況を理解しないまま授業を始めても教育は成立しない。
「安全で、満たされ、安心できる状態があって初めて学びに向かえる。これは日本でもイギリスでも同じです。教員には学習者の状況に対する共感と配慮が必要です。重要なのは、状況への理解を前提として、目の前の現実にどう対応するか。この壁を越えて、子どもの読み書き能力や社会的スキルが向上する瞬間に立ち会うと教育が人生を変えるものだと実感できます。私はこれをキャリア最初期にロンドンで学んだのです」
オーストラリアの大学でTESOL修士号を取得。
オーストラリア、イギリスで教育経験を積んだ後、1999年に来日したファース准教授は、東京でビジネス英語およびアカデミック英語の指導を始める。ここで本格的に英語を教える技術に関心を持ち、母国オーストラリアのチャールズ・スタート大学でTESOL(英語教授法)の修士号を取得。言語学への理解をさらに深めるとともに、言語学習が認知的プロセスと社会的相互作用の双方によって成立することを理論的に探究したという。
「日本に来た当初は、大学ではなく企業向けのビジネス英語を教えていました。多くの企業で、交渉、プレゼンテーション、ディスカッションなどを扱い、受講者が実際の仕事の内容やプロジェクト、製品について語れるよう支援しました。私はビジネスパーソンではありませんが、受講者が持つ知識や経験が教室に持ち込まれるので、とても刺激的でした」
大学で英語教員を目指す学生を指導
桜美林大学リベラルアーツ学群で
英語教育のプログラム運営を担当
桜美林大学英語教育プログラムの非常勤講師として着任したのは、2003年9月のこと。2010年4月には専任教員となり、そこから現在のリベラルアーツ学群におけるプログラム運営、カリキュラム開発、教員研修など、英語教育におけるさまざまな側面で中心的な役割を担っている。
「現在、リベラルアーツ学群には、言語学習関連の40名以上の非常勤講師がおり、彼らを対象にした研修の企画・運営にも深く関与しています。これまでには、メンタルヘルスへの配慮、インクルーシブ教育、英語教育におけるテクノロジーの活用などをテーマとしたワークショップを開催してきました。特に、視覚障害者など特別な配慮を必要とする学生への教材整備や個別支援の体制構築など、教育のアクセシビリティ向上に力を入れています」
「タスクベース教授法」、「プロジェクト体験型学習」の共同研究にも参画
現在は、リベラルアーツ学群で、「Written Communication Skills」、「English for Academic Purposes」などの授業を担当し、英語で指導を行っている。ここでも専門である応用言語学は、ファース准教授の教育・指導の理論的基盤になっている。現在は、第二言語習得研究(SLA/Second Language Acquisition)の理論を実際の教育現場にどう落とし込むかに強い関心を寄せているという。また、近年は同学群のベネビデス マルコス准教授らと共同で「タスクベース教授法(TBLT/Task-Based Language Teaching)」、「プロジェクト体験型学習(PBLT/Project Based Learning)」に関する研究にも力を入れている。
「TBLTは、『文法』ではなく『タスク』、つまり目的のある活動に重点を置いた指導法です。 ここでいうタスクとは、レストランの予約やレビューを書くなど、実際のコミュニケーションに近い課題です。学習者は『正しい文法で話すこと』よりも『目的を達成すること』を目指し、過程で必要な文法や語彙が浮かび上がり、そこを教員が支援していく教授法です。現在は、TBLTを日本の教育現場に導入するために評価方法を整備する取り組みに共同研究者として参画しています。
同様にPBLTも、学習者中心の教育アプローチを実践的な課題に活用するものです。ただし、PBLTでは複数の課題を長期にわたるプロジェクトに結び付けます。例えば、生徒たちは単にオリジナルレシピを作るのではなく、6~7週間かけて自分の好きな料理に関する雑誌を企画・執筆します。誌面上でレストランレビュー、シェフへのインタビュー、オリジナルレシピ、自宅での食材栽培、グルメ試食の週末などの企画を立て、それぞれを課題として取り組むのです」
また、担当するゼミでは、将来、英語教員を目指す学生を対象に、研究リテラシー、アカデミックライティングなどの指導も行っている。卒業論文指導では、TESOLおよび応用言語学分野における専門研究を学生と一緒に進め、研究課題の設定、先行研究レビュー、データ分析などの手法を丁寧にレクチャーしている。こうした学習経験を通じて、学生たちは「英語学習者」から「研究者・教育専門職の卵」へと成長していく。
「若き教員の卵たちが、自分の英語で他者に内容を伝える自信をつけていく姿を見るのは、本当に喜ばしいことです。応用言語学の社会的意義に気づいてもらえることが、研究者としてもっともやりがいを感じる瞬間だといえます」
もっと「創造性」が育まれる教育を!
言語学習におけるAI活用に期待
生成AIの普及が進むなか、ファース准教授は言語学習におけるAI活用に大きな期待を寄せている。例えば、個別最適化された言語トレーニング、ライティング&スピーキングの課題における分析的思考の深化などの場面において、AIとの相性は抜群だという。一方で、テクノロジーはあくまでも人間の創造性や相互作用を補完する存在であるべきであるという基本姿勢も強調する。
「例えば、理系の学生に、『Nature』などの学術誌から興味あるテーマを見つけさせ、AIで要約させること自体は可能です。ただし、それで終わりでは意味がありません。そこからさらに関連する論文を複数探し、内容を統合して理解し、自分の言葉で説明できるようにする。発表で相手が理解できるように言い換える。最後は試験(筆記・口頭)などで、学びが本当に起きたかを確認する。そこまで含めて“学習”なのです。同様に、学生にインタビューやアンケートを行わせる小さな研究プロジェクトでも、AIは質問案の作成やデータ整理、記述の統計処理などに使えます。ただし、平均値や中央値などを『AIが出したからOK』ではなく、学生が理解し、説明できることが条件となります。AIをどこまで活用し、どう評価していくかが今後の大きな研究課題になりそうです」
英語の「プロセス・ライティング」を
日本の教育現場は導入すべき
応用言語学を専門とし、長年、教育現場で携わってきた経験から日本の英語教育における課題もよく見えるという。具体的には、英語を使った「プロセス・ライティング(Process Writing)」の視点をもっと導入すべきだとファース准教授は考えている。
「書いて、間違えて、見直して、書き直して、また間違える。その繰り返しの中で言語は育ちます。最初から完璧を求める『習得型(Mastery)』だけだと、言語習得には時間がかかりすぎます。語彙も同じです。暗記だけで増やすより、必要なときに使うことで身につく。ストーリーを書いていると、『この日本語を英語で言うには?』と必要な語が自然に立ち上がってきます。楽しみながら言語が増えていく状態をつくりたいのです」
また、英語学習には、「音読」も重要だとファース准教授は考えている。オーストラリアでは、小学校低学年の教室に保護者ボランティアが来て、子どもが一人ずつ音読し、それを支える仕組みがあるという。自分の声で読むことが、読解と発音の両方を支える。静かな教室が必ずしもよい学びを保証するわけではない。音読が響き合う騒がしい教室で、言語が育つ可能性もあるのだ。
「究極的には、日本の教育現場において、『創造性』がもっと育まれる環境をつくりたいと思っています。子どもには想像力があります。物語をつくり、役割を演じ、世界を発明できる。その力を言語教育にもつなげられます。日本の教育を否定したいわけではありません。むしろ私は、日本人の高いリテラシーを尊敬しています。ただ、その基礎を守りながら、もっと創造性が伸びる余地があるのではないか——そう感じています」
教員紹介
Profile
ファース マーク デイヴィッド准教授
Firth Mark David
オーストラリア・ビクトリア州出身。オーストラリアの大学で教育学士号を取得後、イギリス・ロンドンで小学校の教員を経験。その後、1999年に来日し企業でビジネス英語を教える仕事に就く。2003年、豪チャールズ・スタート大学にて、Education Teaching English as a Second or Other Language(TESOL)修士号取得。2003年より桜美林大学英語教育プログラム非常勤講師、2010年より専任教員となり、現在に至る。専門は応用言語学、TESOLほか。
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