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語れないものを語る──宗教多元主義と音楽死生学の探究
諸宗教は、太陽の周りを回る惑星の一つにすぎない
イギリスの宗教哲学者ジョン・ヒックが提唱した「宗教多元主義」という考え方がある。これは、従来の西洋キリスト教中心主義に「否」を唱えるものであり、キリスト教は絶対的なものではなく、世界に存在する多様な宗教のうちのひとつとみなす。
「太陽系で例えると、キリスト教が太陽、その周りを他の宗教が回ると考えるのが、キリスト教中心主義です。一方、宗教多元主義ではキリスト教も、仏教も、イスラームも、ヒンドゥーも、諸宗教は『究極的実在』の周りを回る惑星のひとつにすぎないと考えます。この究極的な実在をどのように言い表すかは宗教によって異なり、神と呼んでも、別の名で呼んでも構いません」
そう語るのは、リベラルアーツ学群の長谷川(間瀬)恵美准教授だ。長谷川(間瀬)准教授が宗教多元主義に出合ったのは、父・間瀬啓允氏(慶應義塾大学名誉教授)の影響が大きい。間瀬氏はヒックの愛弟子であり、日本に宗教多元主義を伝えた第一人者で、作家・遠藤周作とも深い交流があった。間瀬氏が遠藤の主宰する「月曜会」でヒックの宗教多元主義について話した後、遠藤周作は代表作『深い河』の最終章を執筆した。
「宗教多元主義の捉え方でよく誤解されるのが、『分け登る麓の道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな』という解釈です。例えば富士山の山頂に向かって、さまざまな登山者(信仰者)が別々のルートで登りたどり着く頂上は一つで、皆、同じ月を見ているというのです。しかし、これはヒックの宗教多元主義の見解とは違います。信仰者が真理へと到達しようとするために辿る道は様々ですが、山頂は一つ。しかし、そこで同じ月(神、真実)を見ているかどうかはわからない(不可知)のです。到達した先に、満月を見るかもしれないし、三日月を見るかもしれない、またそこで感じることも違うでしょう。大切なのは異なる道をたどる人々(信仰者)が対話をし、山頂を目指す過程です。見ることのまだない究極的実在(神や真実)について語り合い、追求していく姿勢(信仰心)です。つまり究極的実在は、人間のことばでは語りえない、それほど偉大なのだということこそが宗教多元主義の核心です。
確かにヒックは、現象界における『多』に対して『究極的実在』という『一』を仮説として置きますが、信仰者がその『究極的実在』を100%理解しているかというと、それは間違いだといいます。99%信じていても、1%の懐疑の姿勢を持つことが大切です。真実についての懐疑を補おうと、諸宗教者と対話をすることで多宗教に対する寛容の精神が生み出されるのです。
あらゆる文化には必ずその源泉として何らかの宗教が発見され、ひとつの社会の文化形態は主としてその宗教によって決定されます。対立も寛容もどちらも起こりうるのです」
カクレキリシタンの中に見た「多元性」の実像
長谷川(間瀬)准教授が神学(宗教学)研究に入るきっかけとなったのは、遠藤周作の文学とカクレキリシタンの研究だった。
「遠藤周作の文学は、中学生の頃から読み続けてきました。『沈黙』は、何度も読み返しています。クリスチャンとして生まれ育った私は、遠藤周作が文学作品の中に提示された問い(いかに西洋的キリスト教を日本に実生化させるか)に答えを見出そうと、自分と重ね合わせて読んでいました。そこで、カクレキリシタンの現地調査を始めました」
遠藤周作の『沈黙』で描かれた「日本的汎神性」──長谷川(間瀬)准教授は隠れキリシタン子孫(カクレキリシタン)に、宗教多元主義の実像を見出した。カクレキリシタンの人々は、死後の世界を「天国(パラダイス)」とも「ぱらいそ」とも言わず、「先祖のいるところに帰る」と語る。特定の宗教が定義する死後の世界から離れた、あるいはそれらが和合した世界観がそこにはあった。
「カクレキリシタンの人たちを研究していると、彼らはキリスト教的な信徒なのだけれども、日本の神道や仏教やキリスト教の要素、ラテン語まで全部を上手に自分の信仰に取り込んでいることがわかってきたのです」
音楽死生学──ハープと歌声で安らかな旅立ちを支える
言葉では語れない「死後の世界」を音楽で表現する
宗教多元主義の研究から発展した学問に「音楽死生学(Music Thanatology)」がある。これは、終末期患者のベッドサイドで、ハープの音楽と祈りの歌声を届けて穏やかな旅立ちを支えるといった取り組みについての研究分野である。アメリカで1980年代に音楽死生学士という資格が認定された。
「人間はいつの日か必ず死にます。これは科学によって立証されます。しかし、死後の世界は存在するのか、魂の永遠性とは何か……こうした答えのない問いに対して、数理的手法によって明確な答えを導き出すことは困難です。そこで、宗教者の語るナラティブ、浄土や天国といった物語、そして芸術表現に注目しようと考えました」
長谷川(間瀬)准教授は日本で唯一の音楽死生学士であるキャロル・サック宣教師と20年近く共同研究を続けてきた。2019年には自らもシカゴでホスピス・ボランティアの資格を取得し、実際の臨床現場で音楽死生学の調査を行っている。
「音楽療法とは明確に違います。音楽死生学は、終末期の人に、静かにハープを奏でて安らかに旅立っていただくお手伝い、奉仕です。言葉化できないメロディーを大切にし、生の声でハープを弾きながらあの世へ魂を解き放つのです」
眉間のしわが和らぎ、こわばった体が緩んでいく
音楽死生学の効果はどのように測定されるのか。長谷川(間瀬)准教授は、患者の身体的な変化を観察することで、その効果を論文にまとめてきた。
「亡くなる直前の方は痛みを訴えることもできず、歯を食いしばっている方もいます。眉間のしわが音楽を聴いた数分後に和らいでいき、こわばっていた足の先がふわっと緩やかになっていく。脈が落ち着いてきて、汗がしっとりしてくる。そういった変化を観察して記録していくのです」
2023年には科研費を得て、桜美林大学の荊冠堂チャペルで「パレスカトロジーの宴」というシンポジウムを開催。「パレスカトロジー(Pareschatology)」は、ヒックの造語で「死と死後の境界」を意味する。言葉では語り得ない死後の世界が、映像とピアノ、パントマイム、能、仏教の声明、パイプオルガン、ハープなど、さまざまな表現で提示され100名以上が参加した。
「ヴィトゲンシュタインは『論理学論考』で『語りえぬものについては、沈黙せねばならない』といいました。しかし、沈黙で終わってしまわない世界を語るのが宗教学です。死後の世界はどんな色をしているのか、どんな香りがするのか、どんな音楽が流れているのか。それを感じ取ってもらえたらと企画しました」
宗教学者へ──父の一言が導いた探究の道
「哲学ってなに?」──進路を変えた父との対話
長谷川(間瀬)准教授は3歳からピアノを始め、音大進学を目指していたという。大学受験の直前に腱鞘炎を発症し、ピアニストへの道を断念せざるを得なくなった。
「進路を変えなければならなくなったとき、哲学者だった父に『哲学ってなに?』と聞いたんです。すると『自分でやってみたら』と、ひと言だけ返ってきました。それで哲学って何だろうと思って、哲学の道に入りました。カントの哲学を学ぶうちに、父の宗教多元主義という考えがピタッときて、おもしろいなと」
その後、ヒックの宗教多元主義を学ぶためにイギリス、さらにスウェーデンへと留学。博士論文では遠藤周作の神学を取り上げ、宗教と文学を繋げる研究を行った。
「今振り返ると全部つながっていました。3歳から始めた音楽、言葉がわからなくても相手に伝えることができるという体験。宗教も同じで、目に見えないものを対象にする。言葉では語りきれないことを探る学問という点は宗教学に共通しています。
アメリカでの原体験──「あなたの宗教は?」という問い
研究の原点には、幼少期のアメリカ体験がある。1980年代、長谷川(間瀬)准教授はシカゴとカリフォルニアで過ごした。当時はまだ白人至上主義が色濃く残る時代。日本人を見たことがない子どもたちに囲まれ、「ベトナム人?」とたずねられることもあったという。
「必ずと言っていいほどに『あなたの宗教は?』と聞かれるのです。クリスチャンだと答えると、ほっとされて受け入れられる。見たこともないような東洋人だが、クリスチャンだということで安心される。しかし、私は本当に同じクリスチャンなんだろうかという自問自答もありました。父と母はクリスチャンですが、祖父母は仏教徒なので、私はお経も唱えるし、墓参りもします。白人の彼女たちのキリスト教と、私のキリスト教信仰は別物なのではないか、そういう疑問は持ちつづけていました。だから遠藤文学に魅せられたんですよね」
いとこの脳死、祖母との別れ──「死」と向き合った体験
死生学への関心には、高校時代の体験が深く関わっている。バレリーナを目指していた中学生の従妹が脳死状態になったのだ。
「当時は脳死が学問的にきちんと定義されていなかった時代でした。病室を訪ねると従妹の母親(叔母)がベッドに横たわる娘の爪にマニキュアを塗っていました。手に触れると温かいにもかかわらず、医師は『脳死状態だ』と宣言し、私はここに『死』があるということに愕然としたのを今でも覚えています。しかし、父は『脳死という言葉を使われたけれども、百合子は死んではいません。臓器を提供すると決めた時に死者となるのです』とはっきり言ったのです。叔母はその言葉を聞き、娘の臓器提供を踏みとどまりました。この経験があったからこそ私は死について勉強を始めたのです。
その後、10年ほどしてスウェーデン留学中に、仏教徒の祖母が亡くなりました。最後に会ったのは、その数か月前に私が一時帰国をした時でした。祖母はスウェーデンに戻る私を玄関先で正座をして見送ってくれました。その際に祖母から『あの世で会えるかね』と問いかけられました。祖母は、仏教徒の自分は『浄土』へ行くが、孫はクリスチャンなので『天国』へ行くと思い、もう会えないのではないかと心配したのかもしれません」
長谷川(間瀬)准教授は宗教多元主義者として「死後は同じ場所に行けるから」と伝え、安心させることができたという。
「宗教多元主義の学問が、祖母を安心させてあげられた。そういった実体験もあって、この学問を突き進んでいこうと思いました」
死生学は「今をよく生きるための学問」
いろいろな宗教を学ぶ「サラダボウル」のように
長谷川(間瀬)准教授はクリスチャンで神学博士であるが牧師ではない。その理由は明確だ。
「牧師になってしまったら、自分の宗教が正しいと主張しなければならないでしょ。私は宗教多元主義者として、諸宗教を比較研究することを望んだのです」
桜美林大学はキリスト教を建学の精神とする大学だが、長谷川(間瀬)准教授の授業ではキリスト教だけでなく、仏教、神道、イスラームなどさまざまな宗教を比較しながら学ぶ。
「スープのように全部ごちゃまぜにするのではなく、サラダボウルのように、それぞれの良さをきちんと噛み締めていく。諸宗教をまぜこぜ(Syncretism)にしてはいけないというのが、宗教多元主義の基礎にあります」
また、学生は諸宗教の死生観についても学ぶ。死生学は死後の世界ばかりを語る学問ではない。死後の世界をイメージできると、今の生き方が変わってくる。死生学は「今をよく生きるための学問」だと長谷川(間瀬)准教授は強調する。
宗教学ゼミの卒業生は多様な進路を歩んでいる。武士道を研究した学生はアメリカで空手を教えながらチャプレンを目指し、イスラームのベール研究をした学生はアパレルメーカーに、茶道を学んだ学生は銀座のお茶屋さんに就職したという。
「宗教は人間に深く関わっているんだよ、ということが伝わっているのではないかなと思っています。宗教は怖いと言って勉強しない学生が多いのですが、宗教は本当は身近なもので生きる支え、大切にされるべきものなのだと伝えています」
答えがなくていい学問の大切さ
長谷川(間瀬)准教授は今後、力を入れていくテーマの一つとしてカルト問題をあげた。毎年1〜2人の学生が勧誘の相談に来るという現実。「宗教二世」ではなく「カルト二世・三世」の問題として捉え、学生への宗教リテラシー教育を続けていく。
「正しい宗教には歴史があり、暴力がなく、脱退・改宗の自由がある。金銭問題が発生したらおかしいと思いなさい、と教えています。宗教多元主義の中にカルトは入ってきません。歴史の中で実りをもたらした宗教が比較研究の対象です。
大学は学問の場(自分で問いを立てて学びを深める場所)です。宗教学は目に見えないものを対象にする学問なので、答えはなくていい。自分なりに問い学び考える力を養う場所が必要だと思っています。宗教学を学びに来る学生は、本当に楽しそうにおおらかに勉強してくれている。そういう場所を大切にしたいですね」
父から受け継いだ「自分でやってみたら」という言葉。その答えは今も見つかっていない。見つからなくていいのだと、長谷川(間瀬)准教授は穏やかに語る。宗教多元主義と音楽死生学。語れないものを語ろうとする探究の旅は、これからも続いていく。
教員紹介
Profile
長谷川(間瀬) 恵美准教授
Emi Mase-Hasegawa
専門は宗教学、宗教多元主義、死生学。スウェーデン・ルンド大学大学院神学研究科博士課程修了、博士(神学)。2011年より桜美林大学、宗教学プログラム主任。イギリスの宗教哲学者ジョン・ヒックの「宗教多元主義」をベースに、カクレキリシタン研究、遠藤周作研究、音楽死生学の研究を進める。2019年にシカゴでホスピス・ボランティア資格を取得し、日本で唯一の音楽死生学士キャロル・サック宣教師との共同研究を継続。科研費「患者を看取った諸宗教者の『死の語り』に関する研究」代表者。2023年には公開シンポジウム「パレスカトロジーの宴」を開催。著書に『深い河の流れ──宗教多元主義への道』(2008年)など。
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