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キリシタン資料を知り深まった日本語への興味
16~17世紀当時の日本語を現代に伝えるキリシタン資料
1549年にイエズス会のフランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えて以来、16世紀後半から17世紀前半にかけて数多くの宣教師たちが来日した。彼らは宣教のために日本語研究を進め、各種文献を作成した。宣教師たちが著した文献はキリシタン資料と呼ばれ、その内容は、聖職者養成教育機関で使う哲学や神学の教科書、一般信徒向けの修養書、日本語学習のための文法書や辞書、文学作品など多岐にわたる。形態は印刷出版された版本と手書きの写本とがあり、ラテン語・日本語・ポルトガル語・スペイン語で記述された文献が残されている。ラテン語・ポルトガル語・スペイン語の文献はローマ字だが、日本語文献の用字は漢字・仮名表記(国字本)とローマ字表記(ローマ字本)とがある。
「キリシタン資料は、言語・歴史・思想・文学など多方面から分析・検討されており、日本語学では従来から音韻・語彙・文法などの分野で研究が行われています。ローマ字本からは『ca(カ)/qua(クヮ)』『ji(ジ)/gi(ヂ)』の発音の違いの書き分けが、日本語学習のために作成された『天草版平家物語』『天草版伊曽保物語』からは、二段活用動詞の一段化、終止形と連体形の合一化、形容詞シク活用の消滅、過去助動詞『た』・打消助動詞『ない』の出現など、現代日本語に通じる文法の変化が見られます。キリシタン資料は中世日本語の様相を知る手掛かりとなっているのです」
キリシタン資料に触れ、日本語の奥深さを再認識
キリシタンが残した文献を研究する分野があることを知ったのは、高校時代、母校のオープンキャンパスに参加したときだった。小学校から高校までをプロテスタント系の学校に在籍し、キリスト教が生活の一部になっていたこともあり、興味を持った。
「当時は何となく惹かれたという程度で、はっきりとした学びの目標があったわけではありませんでした。ただ、入学試験の面接で『キリシタン語学に興味があります』と伝えたところ、担当していたのが後に指導教官となる松岡洸司先生でした。それによって自分の進む道が決まったのではないかと思います。幼い頃から日々の礼拝で読んでいた聖書は慣れ親しんだ存在で、その文章は明治時代に作られ受け継がれてきていると思っていました。しかし大学の授業で、室町時代にも日本語訳があったことを知り驚きました。また聖書以外にもキリシタンの口語資料からは日本語の文法変化も読み解くことができると学び、言葉の面白さ・奥深さを実感することができました」
多様なキリスト教資料の日本語
──キリシタン資料とキリスト教新聞
キリシタン資料に見る宗教用語
宣教師たちの日本語学習では口語(話し言葉)の習得が重視された。口語を基調として作成された日本語学習用の教科書では、前述のように現代日本語に通じる文法の変化が確認できる。一方で、信仰・教理に関わる文献は文語(書き言葉)を用い、語彙に関して宗教用語にラテン語・ポルトガル語からの借用が多く見られる。
教義を日本語に翻訳する際、多くの仏教語を採用した。新しい宗教の布教には、その国の在来宗教の用語に仮託して説くという手段が用いられる。当時の日本語で宗教的・哲学的概念を表す語彙は主として仏教語であったため、教理や信仰等の概念の伝達にそれらが用いられたのはごく自然の成り行きであった。
キリスト教用語を既存の宗教用語に対応させることは、日本人にとってキリスト教理解がたやすくなるという利点がある一方で、在来宗教との混同や教義の誤解という問題が生じる。事実、キリスト教用語を仏教語に置き換えたことによる問題は、宣教開始数年で顕在化した。ザビエルが当初キリスト教の神を「大日(如来)」と翻訳して布教したが、日本人に誤解を与えていることを知りラテン語「デウスDeus」を用いることにした話はよく知られている。
「その後キリスト教の重要用語は日本語に訳さず原語を用いるようになりましたが、仏教用語を全く使わずに教えを伝えるのは難しく、キリシタン資料において仏教用語の使用は続きます。聖書の部分訳・聖人伝・奇跡物語から構成されるバレト写本も同様です。バレト写本において宗教的建造物を表す語には『イゲレイジヤIgreja・Igreija(教会)』『テンポロTemplo(寺院)』『寺』『伽藍』『殿堂』を用いた箇所もあり、宗教的建造物を意味する語彙として原語と日本語(翻訳語)が平行して用いられていることが確認されたのです。このような語の使用傾向はバレト写本に限られるのか、他の資料にも共通するのかは比較検討する必要があるのではないかと考えています」
明治期に発行されたキリスト教新聞にも着目
現在は日本初のキリスト教新聞『七一雑報』にも関心を寄せている。『七一雑報』は日本人の啓蒙を目的として1875(明治8)年に創刊し、その名の通り7日に1回のペースで発行された。当初は西欧の工業技術や教育事業の紹介に重点を置いていたが、その後約8年にわたって発行される中で牧師の説教や聖書の語句を解説するコラムなどが増加し、本格的なキリスト教新聞となった。
「『七一雑報』には以前から興味を持っていたものの、断片的に取り上げるに留まっていたため、全体像を俯瞰できるよう、現在は分析に向けて語種や用字、振り仮名等の整理を進めています」
『七一雑報』の記事本文をテキスト化して形態素解析を行い、用字、送り仮名、振り仮名などを精査する。こうした地道な取り組みの中からある単語の表記に用いる漢字や読み方などに違いが見つかることがあり、そこに言葉を調べる面白さを感じている。
「特に聖書が引用されている箇所は興味深いです。1872(明治5)年に宣教師会議でプロテスタント各派共同邦訳が決議されましたが、『七一雑報』創刊時はまだ新約聖書の全訳が完成しておらず、分冊刊行(1876〜1879年)の途中でした。そのため創刊時は聖句引用に際して先行する私訳や漢訳聖書などを参照したと考えられるのですが、参照元と推察される聖書本文と紙面では用字や送り仮名、熟語の振り仮名などに違いも散見されます。聖書の章句を紙面で紹介する上で、どのような語句・表記を選択するのか、共同邦訳の完成前後で傾向に違いが現れるのかなどを検討していければと思います」
教員紹介
Profile
相ヶ瀬 千草准教授
Chigusa Aigase
神奈川県出身。上智大学文学部国文学科卒業。上智大学大学院文学研究科博士前期課程(国文学専攻)修了。上智大学大学院文学研究科博士後期課程(国文学専攻)単位取得満期退学。上智大学、桜美林大学、駒沢女子大学で非常勤講師として勤務、2024年より現職。
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