メインコンテンツ
世界史はモンゴル帝国から始まった
なぜチンギス・ハーンは混沌を安定させられたのか
「世界史は、13世紀のモンゴル帝国から始まったと言うことができます。それは、モンゴル人が歴史を始めたという意味ではありません。モンゴル帝国の内部には、さまざまな民族、さまざまな宗派の人々が共存していた。そうした多様性を前提とした世界が、初めて広範に現れたという意味で、そこから世界史が始まったのだと私は考えています」
そう語るのは、リベラルアーツ学群の都馬バイカル教授だ。13世紀前半のユーラシア世界は、まさに混沌の只中にあった。十字軍遠征によって、イスラーム世界とキリスト教の対立は200年近く断続的に続き、中国大陸でも複数の勢力が並立し、戦乱が絶えなかった。各地で秩序が崩れ、人々は平和と安定を求めていた。その時代に登場したのが、チンギス・ハーンである。彼は、分断と衝突が広がる世界を、一定の秩序へと束ね上げることに成功した。では、なぜそれが可能だったのか。都馬教授は、その背景に遊牧文化があったと説明する。
「遊牧社会において、牛のミルクは過酷な自然環境を生き抜くための不可欠な栄養源であり、生活そのものを支える基盤です。ミルクを搾るとき、遊牧民は考えます。今年の雨量はどうだったのか。草の状態はどうか。子牛はどれくらい成長しているのか。子牛に与える分と、人間が利用する分をどう配分するのか。そのすべてを見極めながら、バランスを取るのです。人間だけでなく、動物や自然全体を含めて、調和の中で生きる。それが遊牧の本質です」
チンギス・ハーンは、この遊牧的な世界認識を、政治や統治の原理として深く理解していたのだと都馬教授は語る。人々が調和して生きるためには、何よりも宗教の平等な扱いが不可欠だと考えていた。当時のユーラシアには、アラブから来た人々、中国から来た人々、イスラーム教徒、キリスト教徒など、出自も信仰も異なる集団が混在しており、宗教をめぐる摩擦が絶えなかった。13世紀初頭、チンギス・ハーンがモンゴル高原を統一し、「モンゴル・ウルス」を建てた時点で、その支配下にあった人々の半数以上はネストリウス派キリスト教徒だったとも言われている。しかし、チンギス・ハーンは特定の宗教に統一する道を選ばなかった。
「彼が語ったのは、『神は一つだ』という考え方でした。そして、その神の教えを人々に伝えているのが聖人であり、それは一人ではない。イエス・キリストも、ムハンマドも、釈尊も、すべて同じ神の教えを、それぞれの形で伝えている存在だと考えたのです。チンギス・ハーンは、人間の手の五本の指は、それぞれ役割が異なり、どれ一つとして代わりがきかないと言いました。それは宗教も同じだ、というわけです」
異なる思想が共存した世界宗教弁論大会
1254年5月30日、モンゴル帝国の都で開かれた世界三大宗教弁論大会は、異なる思想が共存し得た象徴的な出来事の一つだと、都馬教授は語る。舞台は、チンギス・ハーンの孫にあたるモンケ・ハーンの治世下にあったモンゴル帝国。モンケ・ハーンの書記であった、キリスト教徒、イスラーム教徒、仏教徒の3人が審判役を務めた。
この弁論大会は、「誰も相手と口論したり、侮辱してはならぬ。また、この討議を妨げる騒ぎを起こしてはならない。これに背けば死刑とする」という、モンケ・ハーンの厳命のもとで行われた。そのため弁論者たちは、相手を必ず「友よ」と呼びかけてから議論を始めたという。
討議のテーマは「死後、魂はどうなるのか」といった根源的な問いだった。当然ながら結論が出ることはなかったが、最後は再び互いを「友よ」と呼び、皆で歌を歌って大会は幕を閉じた。
「モンゴル帝国には、異なる宗教や価値観を受け入れる空間が確かにありました。その基盤にあったのがやはり遊牧文化です」
モンゴル帝国の崩壊後、世界は再び結ばれ、混沌へと向かった
13世紀後半のモンゴル帝国の時代は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』が描いた世界とも重なる。都馬教授によれば、マルコ・ポーロの記録を最初に耳にした当時のヨーロッパの人々は、その内容はにわかに信じがたく、懐疑的に受け止めたという。
しかし、モンゴル帝国によって東西をまたぐ交易路と人的交流が広がったことで、ヨーロッパにはそれまで知られていなかった知識や価値観が徐々に流入していく。こうした外部世界との接触は、自らの文化や社会を見つめ直す契機となり、やがて古典古代の再評価を軸とするルネサンスの成立へとつながっていった。科学や技術、思想の発展は、この過程の中で加速していった。
15世紀後半には大航海時代が始まり、ヨーロッパの人々は未知の海へと乗り出していく。コロンブスは西へ進めばアジア、すなわちかつてモンゴル帝国が支配した世界に到達できると信じて航海に出た。しかし、彼が到達したのは新大陸(アメリカ大陸)で、そこにはすでに先住の人々が暮らしていた。また、新大陸という呼称は、ヨーロッパ中心の視点に基づくものでもあった。
「モンゴル帝国が終焉し、一度断絶を経た後、東洋と西洋は再び結びつきます。イギリスの産業革命を経て、世界は資本主義と自由主義を基軸とする秩序へと進んでいきました。しかし20世紀に入ると、世界は二度の世界大戦を経験し、さらに資本主義と社会主義の対立による冷戦へと突入します。その後、冷戦の終結を経て、歴史は安定と混乱を繰り返しながら進んできました」
そして現代、世界は再び混沌の只中にある。都馬教授は、困難な時代だからこそ、13世紀のモンゴル帝国にこそ学ぶべき視点があると指摘する。多様性を受け入れ、異なる価値観を認め合うこと。その根底には、自然と共生しながら生きる遊牧文化の精神がある。
「海外サービスラーニング(モンゴル環境)」とは?
内モンゴルから日本へ
都馬教授は、中国・内モンゴル自治区の出身だ。内モンゴルは中華人民共和国の内陸部に位置し、モンゴル国との国境の大部分を占める地域。歴史的に騎馬民族が活躍し、遊牧文化が根づいてきた土地でもある。
都馬教授の研究の原点は、内モンゴル出身でモンゴル現代文学の創始者とされるサイチンガ(1914-1973)に関心を抱いたことにある。1980年代、内モンゴル師範大学大学院に在籍していた当時、日本占領期の徳王政権下におけるモンゴル民族の教育をテーマに研究を進めていた。しかし、自治区内の図書館をくまなく探しても、参照できる史料は限られていた。文化大革命の影響で、多くの資料が失われていたのだ。
研究を進める中で、都馬教授はある事実に行き当たる。サイチンガをはじめとする内モンゴルの知識人の多くが、日本に留学して学んでいたという点だ。関連資料が日本に残されている可能性に気づいた都馬教授は、日本へと渡る決断をする。
当時、日本にモンゴル研究者はいたものの、内モンゴルの知識人や教育史を専門とする研究者はほとんどいなかった。そのため、内モンゴルの大学院で歴史学を学んできた都馬教授は、日本で研究を続けるにあたり、宗教史へと専門分野を転じることにした。
「結果的に、モンゴル帝国の統治原理や遊牧文化の思想を多角的に捉える視点をもたらしてくれました。そして、モンゴル帝国と遊牧文化が、過去の歴史にとどまらず、現代社会にも通じる普遍的なテーマを内包していることを実感したのです」
資源の有限性を知り、自己を問い直す
モンゴル帝国は、チンギス・ハーンの卓越した統率力と、さまざまな宗教を保護し平等に扱う統治原理を特徴の一つとして発展した広大な帝国だった。都馬教授は、現代世界の形成過程を理解し、いま人類が直面するさまざまな課題を考えるうえで、モンゴルの歴史と遊牧文化を学ぶ意義は極めて大きいと考えている。
その思いから、都馬教授は2011年以降、桜美林大学の「海外サービスラーニング(モンゴル環境)」において学生を引率し、モンゴルでの現地研修を継続的に実施してきた。
「モンゴル研修では、屠畜される羊を見る機会があります。学生たちは最初、羊を見て『かわいい』と感じます。しかし、その羊の命を絶つ瞬間を目の当たりにする。かわいそうだと感じる一方で、その肉が料理として出されると『おいしい』と思う。そこで、学生たちは何を考えるのか。『いただきます』『ごちそうさま』という言葉は、料理をつくってくれた人への感謝であると同時に、私たちが多くの命を犠牲にしながら生きているという事実を自覚し、その霊魂に感謝する行為でもあるのです。こうした体験が、現代社会が抱えるフードロスや環境問題を考える出発点になると考えています」
日本では自動販売機が至るところに設置され、便利な生活が当たり前になっている。しかし、本当にこれほど多くの自動販売機が必要なのか。稼働していない機械に、どれほどのエネルギーが費やされているのか。資源が有限であることを頭では理解していても、それを自分ごととして捉えられている人は決して多くないと都馬教授は語る。
「モンゴルの自然の中で、牛の乳を搾る体験をすると、資源の有限性を身体で理解することができます。モンゴル研修での目標は、自分を見つめ直すこと、日本という国を再認識すること、そして国際平和について考えることです。学生たちは、夜になると冷え込むゲルで生活し、昼間は山に入って薪を拾い、かまどに火を起こして暖を取ります。一方、日本ではエアコンのある部屋で快適に過ごすことができる。しかし、それは決して当たり前ではない。国外に出て初めて、日本がいかに恵まれた環境にあるかがわかるのです」
また、草原で靴を脱いで大地を歩く体験を通じて、人間が自然からエネルギーを受け取る存在であることも実感するという。鉄筋コンクリートの上では得られない感覚が、自然の中にはある。人間もまた、自然の一部なのだという気づきが生まれる。
さらに、研修では現代的な課題にも触れる。モンゴルの首都ウランバートルでは深刻な交通渋滞が社会問題となっており、ドローンを活用した血液輸送などの実証的な取り組みが進められているという。日本においても、物流の効率化や災害対応の観点から、今後ドローン活用の重要性は高まるだろう。こうした背景から、モンゴル研修ではドローンの操作体験も行っている。広大で人の少ない草原は、実践的な訓練の場として最適なのだ。そして、JICAウランバートル事務所やモンゴル国環境観光局を訪問・取材し、遊牧民の生活体験や乗馬体験を通して、現地文化への理解を深めていく。自然を知ることが、研修全体の軸となっている。
「チンギス・ハーンは神を『天(テングリ)』と呼びました。私は、神とはある種のエネルギーなのではないかと考えています。宇宙全体に満ちるエネルギー、それこそが神なのではないか。チンギス・ハーンの言う『天』とは、宇宙そのもの、そのエネルギーのことです。それをどう解釈するかが宗教であり、科学技術によって解き明かそうとする試みもある。アインシュタインが神の存在を認めていたのも、彼にとって神とは『自然の秩序』だったからなのだと思っています」
歴史、そして世界はつながっている
スウェーデン・モンゴルミッションとは何か
モンゴル帝国初期には、多くのネストリウス派キリスト教徒が存在していた。しかし、その後イスラームや仏教が広がり、モンゴル帝国の崩壊とともに王朝が元から明へと交代すると、キリスト教徒は制度的保護を失い、社会の中で急速に影響力を弱めていった。
そうした歴史を経て19世紀末から20世紀初頭になると、中国の内モンゴル自治区やモンゴル国を舞台にキリスト教宣教活動が展開されていった。「スウェーデン・モンゴルミッション(Swedish Mongolian Mission)」である。主にスウェーデン出身の宣教師たちによって担われたこの運動は、近代以降のモンゴル地域における宗教・社会史を考えるうえで重要な意味を持つ。
「この運動の起点はアメリカにありました。当時のアメリカには、スウェーデンやデンマークなど北欧出身の移民が多く暮らしており、彼らが中心となってキリスト教団体を組織し、まだ布教が進んでいない地域へ宣教師を派遣しようと考えたのです。その対象がアジアでした」
スウェーデン人宣教師たちは中央アジア方面からの進出も模索したが成功せず、その後、内モンゴルを経て南から布教を進めた。1919年頃には、現在のウランバートルに学校や医療施設を設け、教育・医療活動を本格化させた。しかし、1924年にモンゴルが社会主義国家となると、宣教師たちは国外退去を余儀なくされた。その後は内モンゴルで活動を続けたものの、1949年の中華人民共和国成立に伴い、再び追放されることになる。
では、彼らはどこへ向かったのか。行き着いた先の一つが日本だった。北海道や相模原周辺を拠点に活動を続け、現在も形を変えながら継承されているという。都馬教授が幼少期を過ごした内モンゴルにも、こうしたスウェーデン宣教師たちは存在していた。
「1980年代、日本に滞在していたスウェーデン人が、私の故郷にある病院へトヨタの自動車を寄贈したという出来事がありました。その背景を知る中で、スウェーデン・モンゴルミッションの歴史を調べるようになったのです」
調査を進めるうちに、思いがけない人物の名が浮かび上がる。桜美林学園の初代理事長である賀川豊彦だ。賀川は1950年代にスウェーデンを訪れ、日本の貧困問題の解決策として「共助」を掲げ、その理想的な実践例をスウェーデンの社会福祉制度に見出していた。その際、賀川はスウェーデンの人々に「モンゴルの次は日本へ来てほしい。特に北海道が良い」と語っていたという。モンゴルから追放されたスウェーデン宣教師たちが日本、なかでも北海道を活動拠点として選んだ背景には、賀川との交流が一因になった可能性があると都馬教授は語る。
「私は2018年頃から約1年間、ヘルシンキ大学のモンゴル研究者を訪ねて滞在していました。その間、スウェーデンにも調査で数回足を運びました。賀川豊彦さんは今でもスウェーデンで知られており、年配の方々はその名前をよく覚えていました」
また、かつてモンゴルや日本で活動していたスウェーデン宣教師への聞き取り調査も行った。インタビュー当時、彼らは80代後半に差しかかっていたという。その子ども世代の中には、日本で生まれ、中学・高校時代まで日本で過ごした人もいる。現在はスウェーデンに暮らしているが、少しだけ日本語を理解できる人もいるのだという。
神、人、そして「命」の時代になる
歴史は過去の出来事の集積ではなく、現在へと連なり続ける「生きた営み」である。人間も自然も、あらゆる存在は相互につながり合い、地球そのものが一つの生命体として息づいている。そうした認識を、都馬教授は研究を通して深めてきた。
都馬教授は、独自の視点から歴史の大きな流れを3つの段階で捉えている。神を中心に据えた時代から、人間を中心とする時代、そしていま、人間を含めたすべての命を見つめ直す段階へ——。
「私は、いま人類は『命』を軸に考える時代に入ったのだと思っています。命は人間だけにあるものではありません。動物にも、植物にも、そして自然そのものにも宿っている。そう考えると、環境問題やエネルギー資源の枯渇といった、今日私たちが直面している課題の本質が、よりはっきりと見えてくるのです」
命を中心に世界を捉える視点は、決して新しい発想ではない。それは、遊牧文化の中に古くから存在していた価値観だと、都馬教授は説明する。遊牧民は、動物や自然と切り離された存在として生きてきたのではない。虫も動物も草原も、すべてが連関する一つの世界の中で暮らしてきた。
「遊牧民にとって重要な仕事の一つは、均衡を保つことです。動物が増えすぎれば草を食べ尽くしてしまい、草が減れば、やがて動物も生きていけなくなる。そこでは、人間が自然を支配するのではなく、動物や自然と共に生きながら、そのバランスを調整する役割を担っているのです」
人間とは何者なのか。自然の中で、どのような位置に立つ存在なのか。遊牧文化は、その問いに対して「調和を保つ存在」としての人間像を示してきた。都馬教授は、こうした視点こそが、現代社会が直面する混迷を読み解く重要な手がかりになると考えている。
教員紹介
Profile
都馬 バイカル教授
Baigali Toba
1963年、中国内モンゴル自治区生まれ。東洋大学大学院哲学・思想研究科博士課程(モンゴル文化史・教育史・宗教史専攻)修了。文学博士。2008年より桜美林大学に着任。2017年からの1年間、ヘルシンキ大学およびモンゴル文化教育大学で研究員として在外研究を行う。2021年より現職。単著に『サイチンガ研究』(論創社)、『スウェーデン宣教師が写した失われたモンゴル』(桜美林大学叢書4、論創社)、共著に『聖書とモンゴル──翻訳文化論の新たな地平へ』(長崎大学多文化社会学叢書3、教文館)など多数。
教員情報をみる
