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家族やジェンダーから社会を考える「家族社会学」とは?
日本の社会問題解決のカギを握る「性別役割分業」の見直し
「恋愛、結婚、出産、共働きと子育てなどに関する問題は、現代人の多くが直面する『選択』の問題です。こうした個々人の選択は、その個人が属している社会に大きな影響を受けながら、同時に社会に影響を及ぼしてもいます。こうした観点からみると、家族やジェンダーに関連する諸問題は、極めて私的な問題であると同時に、公的な問題であると言えます」
このように語るのは、家族社会学を専門とするリベラルアーツ学群の裵智恵准教授だ。家族社会学とは、家族やジェンダーのような最も身近なテーマから、私たちが生きている社会について研究する学問のこと。裵准教授は計量分析の手法を用いながら、恋愛と結婚、共働き、ワーク・ライフ・バランス、少子高齢化、LGBTQといったテーマの研究に取り組んでいる。
中でもとりわけ注力している研究は「男は仕事、女は家事」のように性別を理由に役割を固定的に分ける「性別役割分業」に関するものだ。
「性別役割分業は、日本における男性の低調な育児参加と育児休業取得率、男女の賃金格差、仕事と家庭の両立の困難など、現代日本社会が直面しているさまざまな問題と密接に関係しています。私はこれまでに『男性育児』や『既婚女性の就業』、仕事と家庭生活で求められる役割が一致せずに葛藤状態に陥る『ワーク・ファミリー・コンフリクト』などを研究のテーマとしてきましたが、いずれの背景にも『性別役割分業』の見直しという共通の目的がありました」
日韓の社会比較から普遍的な解を見出す
計量分析の手法を用いて「性別役割分業」に焦点を当てた研究を行ってきた裵准教授だが、その研究の特徴を表すもう一つのキーワードに「比較社会学」がある。比較社会学とは、異なる社会や集団の比較によって、その社会構造を分析する学問のこと。社会の共通性や個別性を把握することで、特定の社会の仕組みにとらわれない普遍的な理論を構築することを目指すものだ。
韓国にルーツを持つ裵准教授は、これまで主に韓国と日本における「男性の育児参加」や「ワーク・ファミリー・コンフリクト」に関する論文を発表してきた。比較社会学的なアプローチ自体は珍しくはないが、比較対象国が韓国と日本である点に、裵准教授の研究の独自性がある。
「日本と韓国において、既存の社会学の研究はアメリカの影響を強く受けているため、『韓国とアメリカ』や『日本とアメリカ』を比較した研究は数多く存在します。しかし、韓国や日本とアメリカは、お互い異なる部分が多すぎて、その違いが何によってもたらされたかを探すのが難しいという問題があります。そこで、一つの戦略として、相違点もあるが、類似点も多く存在する日本と韓国の比較を行うのです。目下取り組んでいる少子高齢化に関する共同研究においても、これまで私が特に注力してきた『ワーク・ファミリー・コンフリクト』や『ワーク・ライフ・バランス』といったテーマのもとに、日韓比較を行うことで貢献しています」
「私的な問題」は「公的な問題」にクロスする
“当たり前”への違和感が原点
「性別役割分業」に関する研究を行ってきた裵准教授が、同テーマに関心を抱くようになったきっかけは、思春期までの自身の体験にあった。
「私の父はいわゆるサラリーマンで、非常に忙しく働いていましたが、韓国の冬支度の一つであるキムチづくりや家事にも積極的に参加する父でした。どんなに忙しくても家族の時間を大切にしたり、子どもたちの服を選んで買ってくれたり。それが私にとっては“当たり前”でした。しかし、中学校や高校に進学し、友人とそれぞれの家庭の話をした際に『お父さんは週末になると寝てばかり』『会話もほとんどしない』などと聞いて、私にとっての“当たり前”は必ずしも世の中の“常識”ではないことに衝撃を受けたのです」
また、自身の考えと世の中の“常識”との乖離は「単なる違い」に留まらない。個々人の“選択”はその個人が属している社会から影響を受けることも、裵准教授が身を以て実感したことだった。
「父が家事・育児に積極的に参加する一方で、私は食器洗いや掃除があまり好きではなく、子どもと接するのもどちらかというと苦手でした。『将来結婚したり、もし子どもが生まれたりしたとしても仕事を辞めるつもりはありません』と言うと『あなたみたいに自分のことだけ考えていてはダメだ』『女性はみんな子どもが好きなはずだ』などと言われることもありました。そのたびに『私が女性であれ男性であれ、なぜ私が好きなように生きてはいけないのだろうか』という疑問が湧いたのです。今でこそ社会課題の解決という目的のもとに研究を行っていますが、その原点には性別役割分業に関する“反発心”があるのかもしれません」
男性の「ワーク・ファミリー・コンフリクト」に注目
“当たり前”への違和感を抱いた裵准教授が、「家族」や「ジェンダー」という研究テーマに惹かれたのは極めて自然な流れだったのかもしれない。韓国の延世大学生活科学大学児童学科では主に「家族社会学」の領域を学び、「研究をより深めたい」という想いから、同大学の児童・家族専攻修士課程に進んだ。
修士課程で主に取り組んだテーマは、韓国人男性の「ワーク・ファミリー・コンフリクト」と“父親役割”の関連性だった。1990年代は、アメリカで家事や育児に積極的に関わる意思を持った新たな父親像が登場した時代。そうした流れを受けて、韓国や日本などのアジア地域の男性の中にも、家事や育児に参画したいと考える人がいるのではないか。そこで行った、当事者である父親たちへのインタビューが研究の方向性を定める大きなきっかけになったという。
「韓国の男性たちを対象にインタビューを行った際に、『家事や育児にもっと携わりたい』と思いながらも『世の中や会社の雰囲気が気になってできない』という声を聞きました。男性が優位に立つことを前提とする「男性中心社会」においても、もしかして窮屈を感じる男性がいるかもしれない。この事実を知り、より深く探究していくべきだと考えました」
1990年代までの「家族」や「ジェンダー」に関する研究は、長きにわたって女性が抑圧されてきた歴史があったことから、女性に焦点を当てたものが主だった。そんな中で「女性だけではなく男性も、男性中心主義社会における被害者である」という視点に立ち、男性の「ワーク・ファミリー・コンフリクト」に焦点を当てた研究は、かなり先駆的だったと言えるだろう。
「日韓比較」の礎を築いた博士課程での研究
修士課程在籍中に研究の手応えを得た裵准教授は、研究者としての第一歩を踏み出すべく、慶應義塾大学大学院社会学研究科の博士課程へと進学した。当時の韓国では研究者を志す人の多くは、アメリカの大学院を選んでいた。加えて、それ以前に日本との縁があったわけでもないという。それでも博士課程に進むにあたり、日本の大学院を選んだ理由として、裵准教授は「日本と韓国の文化的な近さ」を挙げた。
「私も将来的にはアメリカに行きたいと考えていましたが、韓国とアメリカだけを比較するのは社会構造や文化的な違いから限界があると感じていました。そこで韓国と同じアジアの一国である日本についても知ったうえで、日本と韓国、そしてアメリカについて比較するのが良いのではないかと考え、あくまで数年限定のコースワークとして日本の大学に身を置いてみようと考えたのです」
日本の大学院での研究を研究者としてのキャリアの1ステップとして考えていた裵准教授だが、大学院や研究会などで出会った人たちに恵まれて日本で研究を続けることになったのだという。
「博士課程では、『男性の育児参加』や『既婚女性の就業』『ワーク・ファミリー・コンフリクト』といった個別具体的なテーマを広げながら、日韓の性別役割分業の共通点と相違点の分析に取り組みました。これらの研究は、性別役割分業を様々な視点から捉えつつ、日本と韓国における常識を相対化するという、現在の研究視座を築くきっかけとなりました」
日韓以外の国へと比較対象国を広げていきたい
これまでに自身の出身国である韓国の家族と日本の家族を比較してきた裵准教授。今後は比較の対象国の範囲を広げていきたいと意欲を見せる。
「桜美林大学にも来ている中国やモンゴルからの学生に授業のリアクションペーパーを書いてもらうと、学生たちの出身国で起きていることが文献を読んで知ったものと違うことや、ここ数年の変化の激しさなどを実感させられます。まずは日本と韓国以外のアジアの国々に比較対象国を広げていきたいと考えています」
大学入学以前は、“個人的な反発”とも言うべき実体験にもとづいた問題意識から研究をスタートした裵准教授。しかし、研究者として課題に向き合う中で、モチベーションの矛先が変わってきたという。
「性別や年齢、人種、国籍に関係なく、“その人”が自分が理想とする人生を歩めるような社会を実現できればと考えています。もちろん私の研究だけで社会を変えることは難しいかもしれません。しかし、学生が固定観念にとらわれて、自分が理想とする生き方を諦めずに済むように、自分が望む生き方を選択できるようになってほしい。そのための機会づくりに少しでも役立てたらうれしいです」
教員紹介
Profile
裵 智恵准教授
Bae Jihey
韓国・ソウル出身。2000年 韓国 延世大学校生活科学大学児童学科卒業。2002年 同大学院児童・家族専攻修士課程修了。2009年 慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程修了。博士(社会学)。専門は家族社会学で、特に少子化や家族の変容、ワーク・ファミリー・コンフリクト(仕事と家庭生活の両立における葛藤)、性別役割分業に関する研究を専門としている。日本と韓国を主な対象とした国際比較研究を数多く手掛け、現代社会における家族やジェンダーの役割分業の変化について計量的な分析を行っている。主な著書(共著)に『日本の家族1999-2009全国家族調査による計量社会学』(東京大学出版会)、『国際比較 若者のキャリア』(新曜社)、Low Fertility in Japan, South Korea, and Singapore などがある。
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